10 偏見と親切~4~
静かな店内で、ぽつりぽつりと会話が続く。
カイルさんと話すうちに、いつの間にか窓の外から音はしなくなっていた。
ドアを開けて外を伺うと鼻先に小さな衝撃があって、思わず目を閉じた。
手で鼻先を確認すると濡れていた。上を見れば、雨がやんだ名残りが水滴をつくっていて、眉の上にまた落ちてきた。
カイルさんに雨がやんだことを知らせようと振り返ると、目の前に大きな体が立っていた。私の後ろから外をのぞいていたカイルさんに、思わずのけぞる。
「うわっ」
「ん? すっかりやんだみたいだな」
「そ、そうですね……」
特に何も感じていないかのように首を傾げるカイルさんに、心の中でため息をついた。
この人、距離感近い気がするんだけど! もう少し離れてほしい。
「上着とカバンをダメにしてしまったな。もう使えそうにない。悪い」
カイルさんの視線を辿れば、雨に打たれてビシャビシャになった上着とカバンがあった。
かがみ込み、親指と人差し指で端をつまんで持ち上げてみる。上着は泥が広がって染み込んでいて、カバンは水を吸い込んですっかり重くなっていた。
「上着は洗うのも憂鬱でしたし、カバンも落としたせいで穴があいていますし。買い替えます。悪いのはカイルさんではありませんから、謝らないでください」
カイルさんに笑いかける。カイルさんのせいではないのだから、責任を感じないでほしい。
……上着、洗ったらまだ着れるかな。カバンも縫えばどうにかなるよね?
「もし良ければ、一緒に買いに行かないか」
一緒に……? 驚いて目を瞬かせる。カイルさんを見上げれば、感情の読めない瞳がこちらを見返した。
「今日はもう遅い。また後日にはなるだろうが、男に囲まれてあんなことがあったばかりだから、不安だろ。俺がいれば変な輩に絡まれることもないはずだ。俺としても、助けた女性がその後どうしているかは気になる」
「いえいえ、一人でも大丈夫ですから!」
首をぶんぶんと横に振って断る。
一緒に買い物なんて、そんなこと、ダメ。何がダメかはよく分かんないけどダメ。とにかくダメなの。
カイルさんとそんなに仲良くなるわけにはいかないんだから。
「ティアを俺が助けたせいで、恨まれることもあるだろ」
眉毛がへにょりと下がる。こ、断られたせいで落ち込んでる!? でも!
「今日は人が少ない日に出てしまったので。人が多い時なら知り合いもいますし、人目も多いです。だから」
「いいから。俺がそうしたいんだ。わがままを聞いてくれないか?」
言葉を遮られて動揺する。わがまま? 騎士としての義務感じゃないの?
口をはくはくと動かしていると、カイルさんが畳み掛けるように言った。
「俺が安心するためだと思って、許してくれないか? な?」
思わず頷く。
魔女との関わりなんて、カイルさんにはきっと邪魔になってしまうのにと、理性は告げる。カイルさんとの関係性を失いたくないと、あと一回くらい良いじゃないかと、心がささやく。
「よし! 一週間後の今日、ここまで迎えに来る。予定は大丈夫か?」
「はい」
「決まりだな。じゃ、ティア。また来週!」
カイルさんは陽気に手を振って去っていった。
上着とカバンを洗う気にもならず、呆然としたまま店内に戻って座り込む。
緩みそうな唇を噛み締める。喜びが体の奥から湧き上がってきて、もだえそうだ。
また会える。その事実が嬉しい。
目を瞑って言い聞かせる。
「来週が最後。来週が最後。これが最後だから」
喜びと切なさが入り混じる。こんな感情は初めてだ。持て余しそうなその感情に名前は付けたくないのに、私はもうその名を知ってしまっている。
たった一日、ほんの少しその優しさに触れただけなのに。
その時は一瞬なのね。
カイルさんに迷惑なこの感情の葬り方は分かってる。きっと消してしまうべき。でもどうせ消すなら、来週会ってからでも間に合わないかな。
自分勝手な私を許してください。
抑えきれない感情が、目からこぼれ落ちる。
父も母も、祖父も祖母も。
どうやって相手の人と出会ったの?
特に祖母は、私と同じ魔女だったのに。
私が魔女じゃなかったら……。
涙を乱暴に手でぬぐった。
そんなことを考えても、私が魔女である事実は変わらない。私の魔法を必要としてくれる人も多いんだから。
ともかく、カイルさんに恩を仇で返すわけにはいかない。
ティアと呼ばれるあたたかさを思い出してしまったから、失うのは悲しいから、思い出だけほしい。思い出があればきっと頑張れる。
「最後。最後よ」
呪文のようにその単語を繰り返し口にする。たとえまた会いたいと思ってしまっても、諦められるように。




