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ブリングイットオンダウン(仮)  作者: 御水三十郎
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【途中】2-2


.2-2

 睡眠を取らないと脳みそは簡単に決断力と思考力を放棄して、宿主に普通ではない行動をさせる。幻覚が見える事だってあるらしい。何十時間も寝ないギネス記録をとった人は、何十年も不眠症に悩まされたと聴いた。

 科学のプリントの裏に、理科準備室と走り書きしてあったのを破り捨てたのは不味かった。みんなのギョッとした顔を忘れられない。紙が肌に合わなかったので……で取り繕えただろうか。

 私の清楚なイメージが、欠けて小さくなっていくのを感じる。

 理科準備室に入ると諸悪の根源がいつものソファーに居て、水槽に入れた青い液体に顔を突っ込んでいる最中だった。

「プハッ。来たか」水泳ゴーグルを上げて、たれてくるドロドロを払いながら私を見た。「念写中だ。ちよっと待て」

「授業中に呼び出さないでく」

 男から抽出した液体に耳の前まで突っ込んだ。何か叫んでるみたいだけど、ゴボゴボ言ってるからわからない。片手でボールペンを握っていて、紙に少しずつ線ができていく。大昔のプリンターとかこういう遅さだろう。

 相変わらず部屋を横断している幕をはらう。隅っこで相変わらず椅子に縛られている男は、目隠しと猿ぐつわをして、私の気配に怯える。

「何かしゃべったのですか」

「しゃべってるじゃん。知らないってずっと」

 背後で、岩を磨いているアヤがいう。

「まだ足りませんか」

「もういいじゃん~~~~それ、痛そーだからあたしやだ~~」

 せっかく睡眠時間を2時間削って”対話”したのに。

 爪よりも歯のほうが効くタイプだったのかも。

「プハッ。そいつはただのバイトだ。何も知らない」袖でぐしぐし液体をぬぐって神鳥谷がいう。「おまけにダイレクトメールに返事する情報弱者のバカだ。ご老人や社会に出ていない子供ならいざしらず、35才がする行動とは到底思えない。金なんかもらえるわけないのに、どうしてそんな非合理的なことができるのかボクには理解できないよ、まったく不快だ。しかも迷惑メールに入ってたんだぞ?! 恥を知れ!!」

 けちょんけちょんにされた男が、すがるように何度もうなずくと、血と汗が少し飛び散る。

「しゃべったのですか? どうやって?」

「念写の副作用でコイツの思考が読めた。それが全てだ。生エネに刻まれている記憶は記録だからな、君のように、その……エグい尋問はもう金輪際止めてくれ」

「へえ。先生も、恐いものがあるのですね。」

 私は部屋の隅にある棺桶に腰掛けて、水筒のお茶を飲んだ。なんか勝ったような気分。

「あんなの見たら正常な人間なら誰だって怖がる。それよりも、そのティラノサウルス級に小さい脳味噌の男は、愚かにも返信のURLを踏んで呪いにかかった。徐々に思考が侵されていき、我々を襲って自らが死ぬことで金がもらえると錯覚したんだ。古典的な方法だよ」

「死ぬのが必要なのですか」

「変なこと言われて死なれたら、何かに呪われてるんだって、何かに付き纏われているんだって、強烈にわかるだろ?」

 念写した紙を楽しそうにまじまじ眺めている神鳥谷は、丸いフレームの眼鏡をかけた。眼鏡は壊れたヤツと同じ型で、コピーでもしたのかってくらい同じだ。

『……心臓の音をきかせてくれ』

 

「怨霊の類も怖いですか」

「恐いさ」

「ですよ、え」

「眼鏡を外すと全てが恐い」

 白衣を脱いで、無造作にソファーにかける。

「これは、そこの岩を一欠片混ぜた特注レンズだ。岩のチカラで、生エネを感じとる感覚を制限している。この学校は岩のおかげで、アリのエネルギー体一匹も入り込めないから問題ないんだが、外界に出れば、そこら中からレス欲しさに青いヤツラがよってくる」

 柔らかい布で眼鏡のレンズを丁寧に拭く。

「施設に入って、同じ感覚をもつ仲間と出会うまでわからなかった。白だ黒だと言っているが、どうしてみんな青の話しをしないんだって、みんなと共感して烈火の如く笑ったよ。いまの意味あってるか?」

 怒ってんのかっつーの~~。

「つまりスゴイ共感したってことだ。その理由がわかるまで自分が””普通じゃない””って知らなかった、ってのもな」

「それって……」

「自分を呪ったよ」

 誕生日プレゼントは、人体図鑑だった。

 中学で初めてできた友達が始末対象の娘だった。

 修行はなにをやってるのかを、休日なにしてるくらいのテンションで訊いたらドン引きされた時もあった。

 私と同じ。

「だから楽しい」

 じゃない。

「さあ念写できたぞ、これで何がわかるかだ」

 この変人と共感しようとした自分が恥ずかしい。

 紙を見る。ミミズを筆にして描いたとしたら、このフニャフニャ線の集合体をかけるだろう。幼児だってもっと形のあるものを描く。

 神鳥谷は、どこからかノートPCを持ってきた。繋がっているスキャナーで読み取り、念写復元.exeファイルを立ち上げた。

「さあ、何が出る」

 簡素な四角いウインドウに、スキャンしたミミズの絵をドロップする。パッ、と画面が風景画へと変わった。

 広い空間だ。コンクリートの床に、柱がいくつもある、倉庫だろう。

 淡い光が画面の手前から指している。いくつもの蝋燭の灯りだろう。絨毯とコンクリートの境目、打ちっぱなしの壁をほのかに浮かび上がらせている。奥は闇でみえないが、だだっ広い空間であるのはわかる。

 手前から伸びてる絨毯の上、正面には、男。捕まえた男だ。上から舞台のスポットライトみたいに光が降り注いでいる。

 手を合わせ、こちらを見ている。表情は、歓喜から恐怖に変わる瞬間。口が歪み立ち上がるか倒れる瞬間。でも目は期待に光っている。

 タイトルをつけるとすれば、倉庫にて。

 つけるとすれば、歓喜、そして。

 すれば、高額バイトのつもりが幽霊の触媒にされた男。 

 念写って油絵なんだ。絵の良し悪しは分からないけど、正直引き込まれる絵だ。

「あいつに降ろしたやつの目線だろう。影が伸びてる。ここで儀式をしているらしい」

 手前から男に向かって長い影が這っていた。

「どこかわかるか」

「どこかの倉庫ってことだけで、わかるわけないでしょう。油絵だし。場所を特定するような要素はないです」

「アヤさん、そいつを連れてきてくれ」

「無理じゃなーい? たぶん」

 男が猿ぐつわ越しにメソメソ泣いている音がする。

「しかたない」

 カチカチ。”倉庫にて” に、青が指す。男の輪郭。背景。画面の手前。青はいたるところに現れていた。

「なんですかこれ」

「生エネだ。大気中のを読めば、だいたいどこらへんかわかる。念写で出力した絵限定だけどな」

「……」

「いいたいことはわかる。これをやると精神的に疲れるんだよ。見たくもないものも見なきゃならない」

「なら急いでやってくださいよ」

「そんなことより」

 はあー。

 27才中学生との会話は疲れる。28だっけ。もうどうでもいい。

「芳賀さんについて何かわかったか。それを聴くだけの時間がたった今できた」

 タブを開いて解析を選択する。画面の下に小さくバーが出て、168時間で終わるのを告げてきていた。

 しかたなく、私は依頼人の芳賀茉優について話した。

 調べによると……。

 ■ 経歴

 芳賀茉優は、建設会社の事務員だった。

 32才独身。小学生の頃に母親が宗教にハマって、4人家族は離散。

 親権が父親に移るが、事故で死亡。

 祖父母に引き取られるも、1年で別の親戚へ。

 親戚を転々とし、高校の頃から一人暮らしをはじめる。

 それから、今に至る。

 ■ 内申

 会社での働きは堅実そのもので、笑顔の絶えない女性だった。

 友達は一人もいなかったが、仕事上の仲間は多かった。

 弟とは文通をして仲が良かった。

 趣味はゴミ拾いと、ボランティア。

 それと重機が好き。建設会社を選んだのはそういう理由があって――

「芳賀さんが訴えてきた”ずっと不幸に見舞われていた”というのは、本当だったんだな」

 神鳥谷は、交信でもしているように、両こめかみに人差し指を立てる。

「不幸?」

「五月蠅い」

 私に感情がなくてよかった。普通の人だったら食って掛かっていただろうけど、私はため息で納められる。アヤさんがお菓子のバスケットを置いてくれなかったら、少しだけマズかったかもとは思う。

 手を伸ばす。鷲づかまれ、次々に小さい口にお菓子が吸い込まれていく。ボリボリやりながら、なおも交信している。

 落ち着け、相手は子供だ。

 でもこの眠たげで真剣な眉間のしわを、唐突になぞってもいいのではないか。

 このキューティクルをワシャワシャかき混ぜても、バレないのじゃないか。

 アヤさんが「ごめんね。持って帰っていいから。今日も」となだめてくれなかったら不味かったかもしれない。

「そうかわかったぞ!!」

 腕をさげ、手のひらを上にあげた。

「アヤさん車を出してくれ。祖父母に話を聞きに行こう」

「アポは取ってるのですか」

「君がなんとかしてくれ。得意だろ?」

「それは相手がどんな人物なのかの情報があるからで」

 まあ、もういないよね。

「芳賀さんは、身に降りかかる不幸に悩んでいたんだ。親戚間を点々としていたのはそのせいだろう。となると、父親の死から既に呪いははじまっていた事になる。祖父母から話を聞くのが筋だ。弟というのも気になる」

「たまたまでは」

 白衣を追いながら下校する生徒に愛想を振りまく。

「事故の内容は何だ」

「工事現場近くを車で走行していたら、鉄骨が落下してきたとか……あ」

「間違いなく厄災だな。しかし、最近になって目に見える形になったのは、どういうことなんだ。何年もかける呪いなんて効率が悪すぎて聞いたことがないぞ。長くても一年。それが10年近く続いていたなんてな」

 駐車場に停まっているアヤの愛車のフロントボディーには、青いペンキで"やめろ"がまだ残っている。

 高校の敷地に、高校生が運転する車が止まってるのは壮観だ。

「あとであの人に塗ってもらうんだ~~赤か黄色がいっかな~~」

「駄目だ、緑以外認めない。住んでる場所を教えてくれ。調べてるんだろ?」

「ええ。まあ、一応は。でも」

「待て君は助手席だ。ボクが後ろ。そう決まってる」

「はいはいはい」

「わかればよろしい」

「というか今から行ったら19時くらいになりますよ。いろいろやって帰ったら、間違いなくてっぺん超えます。明日も学校ですが」

「ちなみにだが、そこの近くに食べるところはあるか?」

「ステーキ宮があります。ビッグボーイも」

「決まりだ。肉は魔を払う。厄落としにはもってこいだ」

「知りませんでした」

「ボクも知らない、さあ行くぞ、わくわくだ!」


.2-2-1


「置いてきてよかったのですか。あの痛みにつよい人」

「問題ない。鍵を締めてきた。放課後、私の部屋の扉は誰も見つけられない。痛みに強いのではなく何も知らないだけだ」

「だってさ」

 運転中の芳賀さんに聴いたのに、答えは後ろからきた。

 辺りは暗くなり始めていた。高速道路を走り、一般道に降りれば、ヘッドライトと点描のような明かりだけが走行の頼りだ。

「芳賀さんの素性を何故調べてなかったのですか。アヤさんなら、簡単だったでしょう」

「それじゃつまらない。アヤさんに任せたら銀歯にした日とか、エスカレーターはどっちの足から降りるかとか、前世はマサチューセッツ出身のアイドルだったとかわかってしまう」

「だってさ」

 はいはいはいはいはいはいはいはい。

「……………アヤさんってなんなんですか?」

「いってなかったか、アヤさんはボクの――」

「ねえ、ゆっきー。洗濯物脱ぎ散らかさないでっていつも言ってるよね」

 赤信号で止まる。

 少ししかない明かりで輪郭が浮かび上がるアヤさんは、バックミラー越しに影のある笑顔で、神鳥谷に視線を送っている。おお強い。肩越しに見ると、28才祓い屋は、合掌に数珠をかけて震えている。

「なんて霊圧だ……! このままじゃ……呪い殺される……!」

「ゆっきー。ご飯食べながら、お札に念こめないでっていつもいってるよね」

「くっ……! いいじゃないか……! 彼女は、ボクの右腕なんだ……知っていたほうが……!」

 青信号になって、つんのめって発進する。ぐああ、とか言ってガンッ。振り返ると、ガラスにこすりつけて頭を抱えていた。プッ。

「面白かったか」

 痛そうな表情が満足したような微笑みに。斜めになっている眼鏡をかけ直した。

「あの、それ、何なんですか? 面白いとか面白くないとか、必要なんですか?」

「君がゲラだから楽しいんだ」

「ゲラではないので、止めてください。目障りです」

「あっはっはっは! そうだねそうだね~~~~。感情ないもんね~~~~」

 笑いが輪郭だけの車内に満ちる。

 なんか顔が熱くなってきた。神鳥谷に振り返る。「止めてください! 止めろぉ!」眼鏡を斜めにかけた。グッ、ブフッ……! その肩越しの後続の車に視線を送る。白いワゴンだ。「ハッヤッさんッ……グッ、近くにワークマンありませんか?」

「おっけ~~。なんか買うの」

「後ろの車怪しいです。つけられてるかも」

「えうっそ。一本道しかないからじゃない?」

「それを調べるためにです。あと、知らない人と会うために必要なものがあるので」

「理由なんか作らなくたって、そろそろ漏れそうだって言っていいぞ」

 左折ウインカーのカチカチがやけに響く。

 誰もしゃべらないし、感情がない。

「違ったか」


 フランチャイズ契約をしているワークマンの店内は、こじんまりとしていて、色とりどりの作業着とスポーツ、アウトドアの服と関連商品が広々と陳列されていた。大体がこの配置で、大体の店がコンビニよりも少し広いくらいの店内。

 ここのワークマンは家族経営なようで、家族経営の場合は、店員がレジの奥でテレビを見ていたり、子守をしていたり、井戸端会議をしていたりするので、少し強めに声を張り上げて商品を買う主張をしないと、人生の数分間を無駄にすることになる。

 商品を入れる袋は頑丈で、弾丸と刃物は弾けないが、一人の体重くらいなら支えられるし、散布系の毒を防げるし、ずたぶくろの代わりにもなるし、手にはめればゴム手袋や防護服のかわりにもなる。何キロもの土も運べたりもする。

 そのうち袋を生地にした丈夫な潜水服を作ると私は踏んでいる。

 ”ワークマン頑丈な袋”をかぶっている私は、5台くらいしか止められない店の前の駐車場に、男二人を引きずって出た。夜の空気が肌寒い。

「何が目的」

 私を始末できると勘違いした男二人を見下ろす。

 プロレスラー体型のこの二人は、何のひねりもなく私たちに正面切って立ち塞がった。確かに、この体型の男の平均より力が強かった。神鳥谷によれば、身体能力補助の術がかけてあったらしく、普通の人間よりも力が強くなっていたらしい。

 それでも相手は人間だから叩く場所は同じだし、周りには武器がよりどりみどりだった。結局は二人とも安全靴で拳をガードして、アゴを揺らすと、棚に当たってその他の靴を派手にバーっと落としたり、ハンガーをかける鉄の棒に頬を打ち付け、大人しくなった。

「やめろやめろやめろ!! そこまでしなくていいだろう!」

 神鳥谷が騒ぎ、アヤさんの長身に羽交い締めされた。肩の関節を外したくらいなのに。

「コイツラもただのバイトだ! 言ってるだろう!」

「こうやって見せつけておかないと、相手をつけあがらせるだけなんですから、自衛ですよ、これは」

 足が届きそうだったので、うずくまる男の額をつま先で殴打する。

「セイッ!!」

 筋肉がピンと張り詰めて肢体が動かなくなった。十字。初めて合った頃を思い出だした。

「呪術には即効性がないはずだと思ってるだろうが、あの部屋(理科準備室)に入ってからかけてるよ。いつでも発現できるように」

「三蔵法師気取りですか」

「おとなしくしたまえスーパーサイヤ人」

 車に押し込まれ、発進すると身体が自由になった。

「今後ああいうことは絶対にやめろ。いいな」

「恐いならそういえばいいのに」

「意味の無いことに時間を割くなと言ってるんだよ。今後、ああいう輩に襲われても、私を守る役目だけ果たしてくれればそれでいい。わかったか」

 後ろのシートで眼鏡を外して、神鳥谷は眉間をもんでいる。

「契約通りにやっています。ああいう手合いは、一度”話してみる”のが重要なのです。長い目で見れば、これも先生を守る範疇に入っているから問題ないですよ」

「わかったのか」

「わかってます、わかってますよ」

「ふう……君は普通ではないが、本当に普通じゃないな。あんなこと……」

 ため息が後ろからする。アヤさんは、困ったような、優しい笑みだ。

 そんなのわかってる。

 ずっとわかってる。

「暴力の果てには復讐しかない。振るった分だけ相手の怨念を、強いマイナスエネルギーを背負うことになる。いずれ自分に返ってきて、確実に破滅する」

「そんな普通なこと言えるのですね」

「君よりこの世界長いんだ。大勢そういう人間を見てきてるボクの経験だ、信じるに値する」

「貴方が思うほど私は弱くありませんので、お気遣いなく」

「一方的に力を行使するなと言っている!」

 空気を伝って熱が通り過ぎ、夜の窓ガラスに当たって消えた。

 人が声を荒げるのは、大声を出すことで相手をどうにかしたいからだ。それ以外に方法がない焦れったさの直線的解決への結果。

「術でどうにかしたらどうですか。人を意のままに操れるのですよね。私にも、あの男みたいに降ろしたらいい」

 アヤさんに名前を呼ばれるが、止めるつもりはない。

「ボクはそんなことしない。悪化するだけだ」

「私のやり方はこれです。バウンサーに依頼した時点で、諦めるべきでしたね」

「……そうだったな。君の仕事に口出しするつもりはなかった。忘れてくれ」

「抵抗しなければ蹂躙される。人間が動物であるかぎり、この世界はそういうふうにできてるのです」

 身じろぎがして、タイヤがアスファルトを転がっている音がする。

「脳筋」

「臭い」

「なにッ」

 体臭を気にしながら燃え尽きろ。



.2-3


 ガタガタ……。

 車体が大きく跳ねて、天井に頭をぶつけた。舗装されていない岩と雑草の獣道のような道をいく。田畑の多い田舎道はこんなものだ。電灯などあるわけもなく、ヘッドライトだけが道しるべになる。

 ガタガタ……。

 揺れる地平をいく。しだれている竹か何かの葉っぱが車体を細かくこする音とともに、雑木林の奥へ進めば、瓦屋根の立派な平屋があった。

「そこら辺の人が言ってたように、とにかく人が嫌いみたいですね」

 アヤさんを残して車を降り、『芳賀』の表札に近づく。

 石造りの塀が土地を囲み、その上には有刺鉄線が細く伸びていた。

 塀と同じくらいの高さの鉄格子の出入り口。『宅配↓』A3の毛羽立った木の板が、ビニールひもで有刺鉄線にかけられている。↓には、スーパーのプラスチックのかご。底に透明なビニールが巻かれた紙に『広告チラシ 100万』と荒い文字。

「楽しそうだな」

「在宅のようですね。気配がします」

 躊躇無く扉を開けた神鳥谷は、飛び石の間の土を踏み、家の扉の杏仁豆腐のゼラチンみたいに白いベルを押す。ピポン。

「どうもーーーー、誰かおりますかーーーー」

 交信を試みる祓い屋の後ろで私は、玄関のタタキの側で、地面に刺さっているナタを見ていた。

 人嫌い。

 それもなかなかのだ。

 目を細める。庭の納屋の暗闇に、なにかが入って膨らんでいるビニール袋が積まれ土嚢のようになっている。

 ……トントントン、足音が近づき、磨りガラス越しの黒が濃くなった。

「怪しいモノではありません。我々は国家公認の祓い屋ぁ、という設定のアニメが好きでぇ、娘さんと親しくさせていただいていたものです」

 先に言っておいてよかった。我々はあくまで芳賀さんの友人で、彼女の遺品を渡しに来た善良な人間だ。私もジーパンにパーカーになったし、神鳥谷は黒シャツにスキニーパンツで白衣。特に変わってない。

「ネットで仲がよかったんです。ツイッターのレスバトルがオフ会に及びまして、直接話したら意気投合したんですよ」

 こんがらがる設定つけるな。「私たちは、どうしても、はまゆさん……茉優さんが」肩を押しのけて、目薬をさした。「自ら命を落とすなんて信じられなくて……知りたいんです。本当の理由を……だから、少しでも……」

 磨りガラスの向こうの黒は、息を潜めていた。押しが弱いか。ならやることは一つ。

「出直します」

「なにっ? ここまで来たのにか??」

 小さい口に指を突っ込み、舌を押さえると、何を言っているかわからなくなる。

「急にすみませんでした……。後日日取りを改めてきます。茉優さんが、呪われていた理由ももう少し整理してからきます」

 カラカラカラカラ……。

 何年もかかっているみたいに、ローラーを鳴らして緩やかにドアがスライドして開き、弱々しく、優しい笑顔のおじいさんがにじみ出した。


.2-4


 居間は、こじんまりした畳敷き。木造特有の古めかしい雰囲気があって、こたつ、ブラウン管テレビ、ほこりがこびりついたカーテン、タンスの上に写真立て。着物の女性の壁掛け自画像、振り子時計。

 時間が止まった思い出だけの部屋。

「思い出はいつも若々しくて笑顔だ。写真、絵、人形。モノには、そのときの新鮮なセーエネが宿り、人は知らない間に視覚情報と一緒にセーエネを見て、詰まった感情に感化される」

 あぐらの神鳥谷が、こたつのお茶菓子に手を伸ばし、私はそれをはたき落とす。

「いろいろ感じられるのはいいことだが、捕らわれるモノが怏々としている。人は作り出した”物”に所有されるんだ」

 仕事道具がつまったリュックを背負って座っている人に解かれると説得力がある。

「何ですか急に」

「マイクテストだ。かなり居心地が悪い。めまいがする」

 私のパーカーの前ポケットには、アヤさんと通話中のスマホが入っている。

「眼鏡をしているのにですか」

「見えなくても感じはするらしい。ここは、なんというか、”多い”」

「かみ砕いてわかりやすく言ってください」

「それを調べるためにボクがカメラで家の中を撮ってくる。君はなんとかごまかしてくれたまえ」

 暖簾が盛り上がり、私達は居住まいを正す。おじいさんが、テーブルにおぼんを置き、お茶を私達にわたす。

 こんなところまで来ていただいてとか、当たり障りのない会話をして、おじいさんがぽつりと言った。

「おれも、そうなんじゃないかと思ってたんだ」

「間違いなく呪いです。彼女は、見ず知らずの人間に呪い殺されました。その手がかりがほしいんです」

 おじいさんはうつむいたまま、重々しく、記憶を掘り起こすようにゆっくり話しはじめた。

「あの子の周りでは、良く不思議なことがおこったんだよ。なんといえばいいか、」

「不幸ですね。モノが落ちたり、ころんだ先に尖ったモノがたまたまあったり、周りにそういう事が起きる。それは知ってます。大体いつぐらいからはわかりますか」

 聞き方って物があるでしょう。

「えー。あの子が私達のうちにくるまえだから、小学生くらいのとしでは、すでに、そうだっかな。なんせ、いろんな家、点々と転がされてきたからな。可哀想だって、あいつに押されて、引き取ったんだよ。本当にいい子だった」

 おじいさんは笑顔で、ブラウン管テレビの上の写真たてを取ってくる。

 鳥居の前で三人並んでいる家族写真。

 真ん中は、芳賀さんだろう。満ち足りている笑顔だ。

「学校から返ってくると、よくお礼にもらったニラとかじゃがいもの袋もってきたんだ。外では人を助けて、家では母ちゃんの家事をよく手伝ってくれていた。なのにな、どうしてあんなに、良くないことばかり起こったんだろうかなあ」

「心当たりはありませんか。小学生以前に恨まれていた人物とか」

 ふっ、しわがれた口から空気が漏れた。

「そんなの、いっぱいいるから、わからないよ。疫病神なんて呼ばれてたからな、そらあたくさんの不幸を振りまいて来たそうだよ。どうぞ、お上がんなさい」

「では遠慮なくっーーーー~~~~!!」

「私達このあとステーキを食べるので、すみません」

 神鳥谷は、つねられたふとももをさすりながら恨めしそうに私を見ている、たぶん。見ないようにしているからわからない。

「あの子なりに良いことをして、自分の置かれた星から神様にたすけてもらおうとしていたんだろう。だがいなかった」

「いますよ。交信のやり方が間違っていただけですよ」

 この雰囲気は、いうなればそう、クリスマス会でサンタクロースはいないと言い放った、それの逆。

「す、すみませーん、ちょっとお手洗いお借りしてもよろしいですかー? この子付き添いがないとダメな子で」

 空気の読めない小学生を強引にひっぱって廊下の突き当りに。

「流れるようなウソだな。さすが素晴らしい」

「何いってんですか、相手刺激して怒らせたらどうするつもりですか」

「君がなんとかしてくれるだろ」

「一方的に力を行使するなっていいましたよね」

「君はプロだろ」

「ええなんとかしますよ、でも問題をわざわざ起こす必要ないでしょう」

「んー。わかった、君の助言には従う。それじゃあこのままカメラで家の中を撮ってくるから、聞き出すのは君にまかせた」

 神鳥谷によって降ろされたリュックに、白い手より早く手を突っ込んだ。

「私が行きます」

「君が? いいのか」

「先生にまかせたら少し遠回りするでしょう。何十時間も引き止めるのは無理です」

「ボクは一向にかまわないが」

 おじいさんのいる部屋から物音がする。

「気になるところを撮れ。セイエネの痕跡が撮れる。濃い方に行けば、なにかあるはずだ。それとこれ」

 じゃらっ、数珠が手のひらに収まった。

「襲われたらそれを使うといい」

「呪文知りません」

「アヤさん、頼んだ。では、検討を祈る」

 パーカーの前ポケットに話しかけると、間延びした返事が小さく聞こえた。

「先生。絶対に、迂闊なこと言わないでくださいよ。いいですね」

 親指を立て、八重歯を見せて、白衣をひるがした。

「お菓子も食べないでくださいね」

「ヨモツヘグイについては君より知ってるよ」

 全然信用できない。

 私はスマホを取り出して、アヤさんに言う。

「もしかしたら助けていただくかと思いますので、つけておいてくださいね」

「そっか。じゃー昼寝していい?」

「いいですよ。でも万が一、もしかしたら、何かあるかもしれないし、私では対処できない可能性もありますので、一応、つけていてもらえると、ありがたいのですが……!!!!」

 うそうそ、笑われた。まあ、絶対にそんなことはないけど。

 とにかくできるだけ早く何かを見つけて戻ろう。

 突き当りを左。左に身体を向ける。

 一本道だ。丸電球がしっかり廊下を照らしている。

 木の廊下が伸び、左には襖。右は薄汚れたシミのついた壁。

 正面には、扉。あれがトイレだろう。トイレに続く廊下だからかジメジメしているし、何となく、何か臭う。

 一枚、シャッターを切った。

「うん」

 思わずつぶやく。吐き出された写真。前に見たことのあるセイエネという青い色が、襖をぼんやりと青くしていた。

 足元にシャッターを切った。

 点、点と、青が滴っている。

 二枚の写真を上下につなげると、点、点とした滴る青が、襖の下に半円に盛り上がっている染み出している青と合流していた。

 唾を飲み込んだ。

 写真の端、ひときわ青い点がある。写真を風景にはめ込み、下ろす。はめ込み、下ろす。

 隅っこに何かが詰まった赤子くらいの大きさのビニール袋が1つ。

 そうだ。

 とりあえず、トイレに行こう。

 あの中学生が、おじいさんがトイレに行くのを引き止められなかった場合に、ここで遭遇した場合に、ウソをつくために事実を作っておくべきだろう。

 ギシ、ギシ、ギシ、私の抜き足でさえ鳴る床を行き、ビニールを通り過ぎ、トイレの扉を開ける。

 普通の洋式トイレだ。きれい。フタは開いているから、おじいさんが使った後だ。尿が飛び散った形跡が床に少量散らばっている。立ってするらしい。

 トイレットペーパーが二巻、サイズのある芳香剤の上に置いてある。ローズの香りだ。ゼリー状の粒が臭いを吸うタイプの芳香剤が、隅っこに2つ置いてあって両方開いている。匂いが強く、鼻孔が痛い。

 気にしいなのか。臭いを感じるのが衰えてるだけか。

 カレンダーもないし、本などもない。トイレをトイレとして使っているのだろう。

 スロープや捕まるものがないから、おばあちゃんも自立できる。

 ホコリが溜まっていないし、排泄物がこびりついてる様子もないから、掃除は1日一回はしている。

 娯楽はテレビくらいか。リビングにあるのはそれくらいだからわからないが。

 一枚、シャッターを切る。

「フー……。そう……」

 ここにもあった。

 青いヒカリは、タンクの蓋から少しだけ漏れていた。開けると、水に埋もれたビニール袋の頭が出ている。中は見えない。臭いが強い。強いローズの臭い。

 ふぅー……。

「ただの物、ただの物、物理物理ぶつっりっ!!」

 つまんで引っ張り上げた。たまたま閉じていた瞼を少しずつあける。シャワーみたいに水がピューッとビニールから抜けていく。

 ぷるぷるした、芳香剤のゼリーの詰め合わせ。よく見る。これは……。

「……虫?」

 赤黒い芋虫だ。芳香剤のゼリーにくっつてほとんどが水死しているが、苦しそうに藻掻いてるのもいる。たいしたものじゃなくてなくてよかった。

 でもなんでここにも。理科準備室で発生したのと同じだ。

 ここにあるビニール袋は、全部これってことなの? 大量に虫が、赤黒い虫が発生しているってこと?

 ここにも、敵がいるってこと?

 とりあえずここを出よう。もう良いでしょう。すべてのビニール袋を確認するべきだろう。先生に伝えなければ。

 私は、トイレの横にある袋を持って写真を撮る。真っ青だ。クソッ! これ普通にとれないじゃんか。

 コンッ。

 通り過ぎた時だった。

 振り返る。襖からだ。左手にある襖の奥の部屋から、音がしている。音がした。

 コン。

 小さく硬い音が、ポツリ、ポツリ、と。

 ここは、青色が濃かった。

 手をかける。引き戸か。スライド式か。全く動かない。腕を動かせない。勝手に震えてくる。近づくと変な臭いが近くなる。

 気がついていた。一つだけ気配があったのに。

 深呼吸。深呼吸だ。

 気配が感じるということは、相手は血の通っている人間なんだ。きっとそう。きっと。きっときっときっと。

 丹田に力を入れて、息を吐き、力を込めて勢いよくスライドさせるイメージで、少しだけ隙間を開けた。

 真っ暗だ。塗りたくったような深淵。襖からの微弱な光があるのに、闇が光を吸収しているようになにも見えない。

 臭いが空気の流れに乗って鼻孔に入り込んでくる。

 小さい気配。

 コン。

 私は首を振った。ダメだ。ダメダメ。これは良くない。時間がかかりすぎる。もう、ちゃんとした成果が出てきたんだから、これで良いでしょう。敵は、ここに来ているし、おそらくたくさん攻撃していた。

 早く戻らないと、あの人がどれくらい持ちこたえるのか分からない。

 怖いのか?

 思わず目を閉じた。

 怖くない。そんなわけない。

 これは、違う。私は、目的を果たしたんだから、戻っていい。論理的にちゃんと合理的だ。行こう。

『ちょい』

「スッ……」

 人は、範囲外から急に話しかけられると、上にぴょんっと跳ねる事があるらしい。

『その部屋になにかあるよ。でも、無理しないでね。時間ももうなさそう』

 パーカーのポケットからスマホを取り出し、耳につける。

「人がいる気配はしています。臭いもすごいし、この先に、例えば何があると思いますか」

『わかんないけど……。怨念みたいなものを感じるかも』

「怨念?」

『ウン。ちょっと、優ちゃん一人じゃちょっとまずいかもしれないから、ゆっきー待ったほうがいいかも。一人じゃ危険』

「問題ないです。もう入ってますから」

 どうしてそうなんだろう。

 相変わらず暗い。相手はおそらく、動けないのだろう。寝ているのかもしれない。

 キーホルダーの懐中電灯を点けるわけにもいかないから、このまま目を慣らしていくしかない。

 トントントントン……。

『まずいよ、流石におじいさんちょっと気になってきたみたい。ゆっきーが根掘り葉掘り訊いてたから、結構セーフだったんだけど、こっち来る』

「そんなに喋らせたら疲れるに決まってるでしょう」

 中学生と老人じゃ体力の差が違いすぎたか。

 もう行くしかない。私は、深淵に向けてキーホルダーのボタンを押した。

 光は、垂れ幕を照らし出した。闇だと思っていたそれは、暗幕。部屋の奥に張ってある。

『スマホ消さないでね』

「問題ない」

 息を吐ききって、軋む畳を足を滑らせて、幕を一気に開いた。

 そこにあるのは、仏壇。小さい仏壇が、観音開きになってあった。

 その前に、人の形が横たわっていた。これ、何。

 アルミホイルで、銀色の物体が人の形をしている。

 息を呑む。

 アルミホイルの頭の形をしている場所に、人工呼吸器のやつがかけられ、側の器械に管で繋がれていた。他にも管がいたる場所に伸び、点滴、画面が心電図と数字を映している。

 身じろぎ一つしないが、これは人間で、呼吸していて、生きている人間だった。

『うわー、おじいちゃん、ちゃんとキチガイだったみたいだね~~』

 全然分からない。これに何の意味があるの。

 シャッターを一枚切る。

「ギッ……!」

 思わず落とした写真が落ちきる前に拾う。

 真っ青で何も映っていない。

『どうだった?』

「何か、あの、青くて何も映ってないです」

『あちゃー。バリバリだね』

「ど、どういう用語ですか」

『他になにかない?』

 廊下からおじいさんと神鳥谷の話し声がしている。内容はよくわからないが、しわがれた声が狼狽しているのだけは伝わってくる。

 素早く視線を部屋の隅に移す。

 ビニール袋の土嚢がある。積み重なったビニール袋が、部屋の高さの半分くらいに、人の身長くらいに積み重なっていた。

 臭いの根源はこれか。ハンカチで口を顔を覆って、ゴミ屋敷片付け業者のように、そのビニール袋を一つ一つ、どかして、落としていく。

「うっ、最悪……!」

 裂けて中身が飛び出す。ドロドロのローズの香りが、虫とともに手につく。それよりも前、前に。

 落として、どけていくと、二リットルペットボトルサイズの小さい冷蔵庫が発掘された。電源はついていて稼働している。

 簡単に扉は開く。

 きちんと整理されて、ジップロックに入った肉。白子っぽく、ぷるぷるしてシワがついている。

『何はいってた?』

「脳みそかな。何の脳みそかはわからないけど、人かもね」

 うっわー。グロッ。麦茶とかを入れるプラスチック性の容器に、シェイクされたトロトロの脳。他にも何か内容物があるのかもしれないが、成分表があるわけない“収穫”したものだろうし、開けてもしかたないだろう。

 アルミホイルでぐるぐる巻の人。

 線香が炊いてある仏壇。

 脳みそをためている冷蔵庫。

「あのおじいさんは、ここで何やってるの……? 普通じゃない」

『やばい、来るよ隠れて!!』

 言い合いが迫っているのが手に取るようにわかる。やっぱり私が残るべきだったかもしれない。

 隠れてって言われても、どこに。手もドロドロで臭いし、天井に張り付いたら、何が出るかもわからないし、ここにできるだけ居たくない。

 確実に荒らした形跡しかない。

『早く!!』

「今考えてます」

 冷蔵庫を拾い上げると、中身がボトボト畳みに落ちて、柔らかくひしゃげ、麦茶脳みそが中身をぶちまける。

 仏壇を蹴ってどかし、冷蔵庫で壁を叩く。叩く。叩く。壁は意外と脆く、叩く度に崩れてくれる。

 な、なんだ!

 ダメです今入っては!! デカいゴリラの霊が暴れています!!

「誰が、ゴリラ、だッ!!!!」

 ベコベコになった冷蔵庫を捨て、落ちている仏像を何度もぶつける。扉のようにそれで縁取りをして、心電計を担ぎ上げた。

 アヤさんの大爆笑の中、コードを巻き上げて壁に投げつけると、煙と破片を巻き上げて、洞窟の入口みたいな穴が空いた。

 おい! トメコ!! トメコ!!!

「先生来てます!! やつです!! 刀が!!」

 叫びながら、手でちぎって穴を広げ、外に出る。

「イヤアアアアアアアア!!!!!!!」

 家の隙間に出て、正面には小さいガラス戸。これは多分、台所か。バンッと穴の奥で襖があいた。電気がつけられて、顔面蒼白のおじいさんが立ちすくんでいる。

 私は背中を外壁に預けて、片腕をもう片方の腕でつかみ、痛そうな表情をした。

「先生、やつが、やつが来ています!!」

「アイツが? どこだ! うお、何だここは、何をしていたんですかここで」

 トメコと呼ばれたアルミホイル人間のアルミホイルを必死で剥がしていくおじいさん。その後ろを通り抜けて、戦いの余波で開いた穴、私が開けた穴から、神鳥谷が目を丸くして、またいだ。

「派手にやったな」

「赤い虫がこの家にもいました」

「知ってる。君がやったビニール袋から漏れていた。多い感覚はあれのせいだろう。数が多すぎてわからなかったんだ」

 私の肩を掴んで、労るように顔を近づけてくる。今ばかりは、眠そうな目も大きくなっていて、広角の片方が上がっていた。

「それでどこにいるんだ、刀のは」

「いるわけないです」

「なにっ? そんなはずはない。ならこの虫たちは」

「来たんか……、ど、どこに来たんか」

 酷く狼狽しているおじいさんの腕の中で、トメコのしわしわの顔が抱かれていた。

「落ちつてください。まだ近くにいるかもしれません。隠していてすみません、実は我々はそれ専門の祓い屋で、やつの影を追ってここまできたのです」

「きっ、きてるんだろ……、透明布人間……アイツがまあたあ……」

 おじいさんはそう言ってから、トメコを置いて穴から姿を消す。

 透明布人間?

「しかし、匂う」

「それはずっとしてますよ。なんでかローズの匂いが、本当に嗅覚がおかしくなりそうです」

「いや違う。これは……」

「今のうちに逃げましょう。収穫はありました」

 私は庭に出た。神鳥谷は、周りをくんくんしている。

「手についちゃったんですよ、臭くてすみませんね」

「マズイな。道具はリビングに置いてきた」

「え? それはどういう……」

 私の鼻が勝手にくん、とした。

 外に出ると、芳香剤の香りがもうほとんどしなくて、かわりに卵が腐った臭いが鼻を突いてきた。

「……うそ」

「走るぞ急げ、車だ!!」

 庭から一直線で出口だ。車がヘッドライトを点けている。

 硬い土を蹴って走る。母屋の室内灯でできた影が長く伸びている。これを乗り越えれば。

「待って!」

「グエッ!!!」

 その直前で、走り抜けようとした白衣の首根っこを掴んだ。

「何だ、何をしてる! ……いや、これは……!」

 何かおかしい。

 母屋を見る。縁側で明かりが点いている。この影は家庭菜園に刺さっているナタだ。細長い影が伸びて、伸びて伸びて、鉄線の塀まで伸びている。

 影が伸びているのはわかるが、こんなに長く、そして塀をはみ出している。

 塀に当たった影が、つるつるの紙を壁に当てた時に反るのと同じだ。

「マズイ離れろ!!」

 ズズズズッ……。

 影がスライドして、足元に迫る。小ギザミに足を動かし、急ぎすぎて”く”にした腕が上がっている神鳥谷の腹を担いで、ステップ。影の中へ戻る。

 影が、風にはためく旗のようにペラペラと黒い身体を起こした。

 私は自分の腰をささえる。丸と長方形で構成された人の形がかろうじてわかる。影を切り取って人形にしたらこんな形。

「と、透明布人間」

 隣にいるはずの有紀が私の前を走り抜けた。バカ! 私の足は動かない。影がすすすっと動く。バガンッと、有紀の貧弱な足がナタを蹴り蹴り倒すと、直前にまで迫っていた布人間が動きを無くして、ゆらゆらと揺らめき、苦しむようにビリビリした。それから、別の、擁壁の影に入っていた。

「なるほど、よくわかった」

 声が出ない。あり得ない、あんな物が、この世に存在していいはずない。

 刀のヤツだけで十分なのに、なんで、また出てくるわけ?!

「びびってる場合じゃないぞ、数珠もってるか」

「ビッ、だっぬ」

 ビビってない、誰にいってるんですか? 

はっきりとした発音が上手く伝わったようで、有紀の眉が上がる。

 たまたま足が根を生やしたように動けなくなっている私は、口をパクパクさせて、空気を吸い込む。深呼吸、浅い深呼吸。

 生ぬるい空気のせいで震えている手で、袖をまくって腕に巻いていた数珠を見せる。

「しっかり持っていてくれてうれしいよ」するする外され、拳に巻き付けられる。

「やつは、暗闇でしか活動できないらしい。光に弱いんだ」

 私は辺りを、自分がたった今立っている土の質感が、手入れされて平らなにされているのを、母屋の影の中で感じた。

「言いたいことはわかる。地の利はこちらにある」

 クソバカ。知能ないの?

「好都合だ。このまま逃げてもどうせ追ってくる。ここでやるほか無い。いいか、ボクが合図したら――」

「払え! 払え!! いけ!」

 柔らかなゼリーとゼリーとゼリーが私のスニーカーにくっつく。首をひねって肩越しに後ろ見る。神鳥谷も、手持ち無沙汰に私の拳をさすりながら、アルミホイルに身をやつしたおじいさんを見ている気配がする。

 おじいさんは、アルミホイルで目と口以外を覆っていた。アルミホイルの鎧。相手を威圧するためのデザインでは無いから、子供が段ボールで作ったロボットの工作みたいだ。それよりも上手くないかも。

 片手には、ローズの芳香剤が詰まっているビニール袋。アルミホイルの手の指先にイクラとか数の子みたいに細かくゼリーがついている。

「アルミホイルで」止めて。語りかけるな中学生! 「全身を巻いたって、セーエネは遮断できない。ネットの知識だろうが、今も5Gファイブジーが貴方の全身を貫いているよ」

「おめえを殺す!!」

 息巻いて叫ぶ。かすれて筋張っている怒りの発露。ビニールから、つぶつぶに寄生されたチャッカマンを取り出す。

 それで、鼻孔に温泉卵以外の臭いが、ガスの臭いが蔓延しているのと、シューッ、空気が漏れるような勢いのある音がしているのが小さく聞こえる。

「オンキリキリ、オンキリキリ。オンキリキリオンキリキリ……」

 チャッカマン着火ボタンをテープでぐるぐる巻きにしていく。

「マズい伏せて!!」

 呪縛がとれたように神鳥谷を押し倒し、地面に腹ばいになると、母屋に向かって小さい明かりがスライドしていき、壁に当たる前に空気が炎をまとって、重い音をさせて噴火した。

 曇った空に赤々とした炎をまとって消えていく母屋。

「あのおじいさんもわかっていたようだ。なるほど、これくらい規則性のない影なら、ヤツの動きもそれほど早くないわけか」

 悲鳴がする。アルミホイルの鎧が燃えて、火だるまになっているおじいさんが、もだえ、走って行く。とても老人の脚力ではない早さだ。あの方向は……。

「止めたまえ、もう助からない」

「そんな気ないです」

 足を支えにして身体を持ち上げる。どうせもう無理だ、二人とも。

「あの人なりの決着の付け方に水を差すようなまねはしません」

「悪くない考えだ。そこまで考えていたのか知らないが……解放はされたようだ。過去から」

 隣に頭が一つならぶ。眼鏡を黒Tシャツで吹きながら、何かを視線で追うように、ゆっくりと視線を、燃える夜空へと上らせていた。

「状況がかわった。不要な戦闘は避けるぞ。戻れなくなる前に」

 車の前で必死に手を振って叫んでいるアヤさんが、炎の隙間からコマ送りで見える。

「ボクの後ろについてこい。数珠、やっぱりいいか」

 差し出された手は炎の光と影でチラチラしている。

「なんだ、時間は無いぞ。ここで黒焦げになって地縛霊としてさまよいたいのか」

 映像が浮かぶ。

 炎に巻かれるアルミホイルのおじいさん。

 こたつとの隙間でくの字に曲がった男。

 血を吹き出して絶命したOL。

「戻っていてください」

「フィジカルでどうにかなる相手じゃない」

「なってない」

 握りしめた拳。この震えは、力をこめているのか、恐いのかわからない。

「遠隔で……テレワークで人間を始末するようなヤツから逃げるように、教わっていないので」

「論理性の欠片も無いな」

 冷たく白い手が、震える拳に添えられる。

「やっぱり君で正解だった。ボクもちょっとムカついてたんだ」

 笑顔はやっぱり八重歯があって、整っていた。ドキッとするな。そんなの興味ない。

 正直、ほっとはしている。

「しかし状況はあまりよくない。あるのは数珠のみ。ヤツに攻撃を与えるには、一発でヤルしかない。そこで考えた」

 暖かく、柔らかい感触が背中を押す。後ろから腕を首に回される。数回、ふんっ、ふんっ、と鼻息とほのか衝撃があった。

「何してる。おんぶしろ」

「頭大丈夫ですか」

 ズズズズッ……。炎で揺らめく影の中で、ヤツがいる。

「密着して君とボクのセーエネを一時的に融合させるんだよ。合理的だ。早く」

 仕方なくふともも辺りを抱えると、乳房を捕まれた。

「なかなかあるな」

「……死にたいのですか」

「セーエネ体は性的なことに弱いんだよ。みんな死んだら童貞か処女になるってわけだ」

「きしょ」

「この状況ではこれしかない。ボクも生徒にセクハラするのはイヤだ」

「先生には先生の心があったのですね」

「ボクを何だと思ってる、ちゃんとした29か28か27の成人女性、来てるぞ!!」

 ズズズズ……。

 少しずつ、少しずつ、そこら中の影がずれて、近づいてくる。ヤツは近距離でしか力が発揮できないらしい。

「……準備はいいか……」

「んなっぷッ!」

 思わず首が逃げ、落ちそうになった神鳥谷が強く首に巻き付いてくる。

 急に耳元でささやかれたら誰だってこうなる。



【あとの展開】


合図したら地面に突き立てろ

目を閉じていろ、大丈夫だ!私を信じろ!

肩に手を載せてくれる

耳元でやめろと囁かれるやだ!

 有紀が呪文を唱えるとみせかけて背中にギュッとしがみつき耳元で超絶イケボで励ます

いつか続きやる

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