【途中】1-3
仮
●1-3
私の両肩を鷲掴みした。見開かれた目は夕日でキラキラして、八重歯がむき出しになっている。見上げてくる角度もあいまって子供みたいだ。
「君が女でよかった。さあ、接吻するぞ」
「キチ○イですか?」
「ノータリン!! すまない、素人には説明責任があるな。つまり、この部屋の男の未練は、漫画とか映画みたいな、普通ではありえない完成された美少女同士のイチャつきを見ることにあったんだよ!!」
さらに力をこめて迫ってくる。なんなのこの圧。元相撲取りに押されても、さほど動かなかった私が、壁を背にするなんて。
「本の内容は全て、女性同士のイチャつきを描いているものばかりだった。学園モノ、戦争モノ、社会派のもの、ほとんどが百合と呼ばれるそれだった。資格取得にも励んでいたようだが、創作本には付箋がしてあったし、それに比べて参考書はそんなに手を付けていない」
「確かに、そうでしたけど、やる気がなかっただけじゃ」
「彼は質素な生活をしていた。堅実で、普通の代わり映えしない生活であるがゆえに、唯一の楽しみだった。何度も読み返しているあとがあったし、自分でも書いていたんじゃないのか? ペンタブレットが隅っこに落ちてたからな」
「なぜそこまで言えるのですか」
「一般人はだいたいそうだろう。さあやるぞ。たまたまボクも君も顔がいい。細かいことは、本人に訊けばいいんだ」
壁に押し付けられる。顔が近づいてくる。まつげが長い。眠たげな瞳が私を捉えてはなさない。嫌がる私の股の下に片足を差し込まれ、ロックされた。
「安心しろ。ボクも初めてだ」
ウイスパーな低い声で、努めて真面目な端正な顔立ち。顔が良すぎる。愛らしさが引っ込んで、年下の顔のいい男の子に迫られているような感覚も少しあった。
私は為す術もなく、神鳥谷の薄い唇が、震える私の唇に。
「できるわけないでしょ!!!!」
態勢を入れ替え、背おいなげを決めていた。
「何が悪かったんだ。歯は磨いているぞ」
「そういう論点じゃないでしょう! ほとんどはじめましてって人とチ、チッスできる理由ってなんなんですか?!」
「たかだか粘膜接触だろう、意外とウブなんだな」
「あんたもはじめてとか言ってただしょーが!!」
「交尾するための品定めなんかにボクの貴重な時間を使えるかキタァああーーーーッ!!」
私は後頭部を強くこすりつけて壁にへばりつく。
神鳥谷が、ものすごく目を見開く。ただでさえ小さい顔が、ほぼ目になるほどに見開いている。人が目を開けられる限界を超えている。
「なぜなのかは知らんが、この部屋の住人は、我々のやり取りにいたく満足したようだ。いまそこに座っている!」
キーボードが落ちた。こたつの上にあるから落ちるわけないのに。神鳥谷は白く細くささくれ立っている指で、胸の前でそれっぽい印を結びながら、肘を使ってモゾモゾ立ち上がる。
「イーシーホーテシダレツーテーツートーヲーテハキトタツナクーナーラカーワーヨシバイノウートンホー――」
朗々とした呪文がワンルームに満ちていく。眉間のシワに指剣の先が触り、サビを超えてアウトロになったであろう呪文の最中に、袖をバサッと払って両手を広げた。
「この神鳥谷有紀が全力を持って受け止めてやるッ! かかってこいッ!!」
バウンサーの間では、強すぎる武器を使うと弱くなる定説がある。銃なんて使おうものなら、一生笑いものにされる。
だから私は銃は使わない。
だから銃に打たれたヤツは山ほど見てきた。
だから神鳥谷が力なく崩れ落ちたその姿が、銃弾に撃たれて絶命する瞬間によく似ているのがわかった。
「……死んだか」
少しだけ動いた私に反応したように、前転し、こたつの縁にかかとを思い切りぶつける。
「痛いな!」
座り直し、なにかを摘むようにして、何もないこたつの上で手を動かしている。動かし、ディスプレイを見て、何か飲むような動きをする。ふと、顔が動く。ちょうど角の黒ずみの方を見た瞬間に、小さい悲鳴を上げ、背中から倒れ、散らばる本に突っ込む。
顔をしきりに触り、黒ずみを見る。「あそこから刀の怪異が飛ばした攻撃が、この人にあたったようだ。たまたまな」
「なにぇ」壁と同化して、私は鳴くのが精一杯だった。
「芳賀さんをヤッた呪いだよ。刀の怪異は、刀を振ると」立ち上がり、一直線に出口へ――落ちている照明の破片に歩みを進める。
私はいつの間にか落ちていた服でガラスを押していた。
「ココでたまたま老朽化した照明が落ちてくる!」私の背中に重さがダイレクトで来て、骨がバキバキ鳴った。
「不幸を飛ばせるらしい。厄災といってもいいだろう。道路の傷から見て、芳賀さんの言っていたように背中を向ける。車の衝突した跡と、傷の写真を撮った。青白い光、セーエネが強く映っていた。これは動かぬ証拠だ」
バキバキ歩き抜けて、風呂場に消える。蛇口を捻り、水が勢いよく流れる音がする。
「鏡を見て、何もない。戻ってくるが、頭がくらくらする。足がもつれ本棚に手を置くが、重みで倒れる、固定してあったのに。当然倒れる」
前傾姿勢になった神鳥谷の白衣の首根っこを後ろから掴んだ。
「本が散らばる。くらくらする頭が止まらない。たまたま本に足を取られ、たたらを踏む。今度は向かいのタンスに手をつくと、なぜか簡単に倒れ、再び男も倒れる」
前傾姿勢になった神鳥谷の額を片手で支えた。
「何度も頭をうってしまった男はゲロを吐く。オロロロロ! 身体の異変を感じた男は、誰にも見られたくない百合漫画の痕跡を消すためにPCを掴んで、思い切り放り投げた!! 窓ガラスが割れ、駐車場のあそこの白いテープにまで投げられた。いいぞ、いいぞ」
「この状態でよくそこまで力だせましたね」
「PCユーザーは死んだあとにデータを覗かれるのが死ぬほど嫌いなんだよ。たまたまにたまたまが重なり、男は意識朦朧。オーマイゴッシュ! そして、こたつに躓き!!」
バッと両手を広げ、地面を蹴った。躓くというよりダイブだ。
スローモーションになる。
キレイな大の字だ。白衣が広がってムササビのようになり、額が全部あらわになる。
ほんの一メートルくらいの距離だ。こたつの丸まっている角とガラスに当たるだろう。
私の経験によれば、当たりどころが悪ければ喉や胸を負傷して呼吸ができなくなるか、脳出血で最悪死に至る。
私は手をのばした。
私は右手を左手をパーにして、顔の横にもっていった。
スローモーションは解かれる。
盛大な音を立て頭から隙間にダイブした。ガラスがビリビリ震えている。
●1-4
「わかりましたか。なにか」
こたつと窓ガラスの隙間から生えている足に話しかけた。
「なぜ最後だけフォローしなかったんだ。頭が割れそうだ」
「何の話ですか」
「まあいい。だいたいわかった。引き抜いてくれ」
脇腹を挟んで引き抜き、お人形遊びみたいに宙ぶらりんで、こちらに向かせた。
ぐしゃぐしゃの髪にホコリがまぶされ、額から一筋の血が流れている。耳掛けが頬に挟まり、アゴに眼鏡がかかっている。掛け直し、息を吸った。
「刀の怪異はかなり力の強い神様のようだ。それもかなり呪いは進行している。呪いってのは毒を盛ってじわじわ殺すのと同じだ。一発で効果があらわれて絶命させられるということは、この呪いはすでに最終段階だったというわけだ」
関係なしに話しまくる。
玄関越しに、警察らしき声がしているのに。
「しかしおかしい。芳賀さんの家にまで及んだ痕跡がなかった。実際、死んだのはボクの部屋(理科準備室)だったわけだしな。これがこの案件のおもしろいところだな」
「面白くはないですよ」
眠たげな目が瞬きする。
そんなつもりなかった。
「なんだ、怒ってるのか。人を殺して稼いでいる君が」
「怒ってないですし、殺してないです。私は殺し屋じゃない」
ドンドン。
「危害を加えていることには変わりないだろう。君は知らないかもしれないが、人間社会ってのは、他の個体に対して危害を加える行為が禁止されているんだ。知ってたか? だが、それを可能にするのが呪いなんだよ」
「必要な事をしているまでです。私は、これしかできない」
ドンドンドンドン。
「ならボクと一緒だ」
「一緒じゃない」
「一緒だ。ボクたちは、この世に遊びに来ているんだ。何事も楽しんだほうがいい。君もそうじゃないのか」
「人の死を楽しむ……?」
ガチャガチャガチャガチャ。
「正確には違うが……。結果的には、そうだな」
ガチャガチャガチャカチッ、ドンッ!
「止めて……もう止めて……お願いします……」
完璧なタイミングだった。
ドアを突破された瞬間、神鳥谷を置き、その前で泣き崩れてみせた。
荒らされた部屋。
額から血を流す、なぜか白衣の女。
泣き崩れる女子高生。
上に電話しろ! お前らじゃ話にならん!! 赤い光に照らされて、喚き散らす神鳥谷が連行されるのを見送り、私もパトカーに乗り込んだ。
これが神鳥谷有紀との出会い。
これから、始まるわけのわからない日々。
神鳥谷が、呪いで死ぬまでの日々。