【途中】1-2
仮
●1-2
「いわゆる怪異のセーエネをボクの身体に下ろすことで記憶をのぞけるのだが、制御しきれないことがあるんだ。その時に君の手で正気に戻してほしい。主にアヤさんから噂を聞いているよ刑部優くん。君は殴り方を心得ているようだね。ボクにぴったりだ」
ちょうど街灯が点いた。点いてないのもある。薄暗くてそこら中に橙色が散らばっている住宅街で、車がギリギリすれ違えるくらいの幅しかない道沿いに現場のアパートはあった。
伊荘アパートは二階建てで、外壁は古く白くひび割れていた。家賃3万のボロアパート。入居者のほとんどは学生か老人。壁が薄く、隣人のいびきが聞こえるらしい。私だったら1日だっていられない。
「依頼人はここの二階に8年ほど住んでいた。最近になって刀の怪異が現れるようになって、そのたびに起きる不幸に恐怖していたそうだ」
「あの……先生は何やってる人なんですか」
「国家公認の祓い屋だ。見てわからないか」
「科学の先生にしか見えませんけど」
「科学なんて嫌いだ。雇い主に強制されたからやってるだけだ。もういいか、時間がない」
白衣を翻し、アパート前の車道に這いつくばった。クラクションを車にガンガン鳴らされても気にしていない。
リュックを地べたにおいて、それを拠点にしてあらゆることをしはじめる。
アスファルトのキズをメジャーで測り、古ぼけたポラロイドカメラで写真を取って臭いを嗅ぐ。
「再現したい。そこに立ってくれ」
私になんかの役をやらせる。
私の背中にピッタリと背をつけ、伸ばした腕を足元から前に上げる、足元から前に上げる、を方角を変えて繰り返している。
「死んだよ。君を襲ったのが依頼人だ」
「なんですか?」
「言おうとしていただろう、依頼人はどうしたんだって。芳賀さんはもう死んでいる。ボクらを見つけてあの部屋に来たときには、もはや手遅れだった。血液を目と口と耳と肛門から吹き出して、典型的な呪いの死に方だよ。だから下ろすしかなかった」
「あの、車、来てますよ」
「芳賀さんの未練は、相手が誰でなぜ呪われたのかを知りたいってことだ。地縛霊になって、あの部屋に居座られたら、夜も満足に眠れない」
「あの、何も言ってないし、そんなこと考えていないのですが。…………あそこに住んでるのですか?」
トテテテ……今度は電柱に近づき、車が砕いた事故の跡をポラロイドカメラで撮ったりして、ほうほうなるほど、観光客みたいにはしゃいで何かをわかっていく。もう私に興味をなくしたらしい。駐車場の隅っこに、地面にはられている白いテープのサークルを見てから、私に振り返る。
「ここはもうわかった。現場に行こう」
「ここでは」
「1階の1号室だったな。行こう」
「ちょっと待ってください、ちょっと!」
トテテテ、人の話を聴かない28才祓い屋は、KEEP OUTテープで封されてるアパートのドアをガチャガチャした。目立ちすぎる。
「ここの部屋の住人は数日前に変死した。おそらく、刀の怪異と関係があるだろう。芳賀さんの部屋はもう見たから今日はこっちだ」
「警察来ますよ」
「なら急いで入ろう」
唇の前で中指と人差し指をくっつける指剣を立て、微かに唇を動かし、ドアノブを空で切った。
「いくぞ」 硬い音を立ててドアに衝突して、「鍵が閉まってるぞ」ズレたメガネを掛け直した。
「なんなんですか」
「面白くなかったか」
角度的に上目遣いに見上げてくる。なぜかため息をつかれた。
「それじゃあ開けてくれ。得意だろ」
「やる義理はないです」
「いまはボクに雇われているんだろう。早くしないと不審者だって思われるぞ」
すでに塀越しの後ろの民家と、隣の部屋に気配があるのは感じていた。私はしかたなく学生証ケースのポケットからヘアピンをとり、鍵を開けた。
「なにッ、もう開いたのか?!」
あまりにも純粋な驚きに吹き出しそうになるのをこらえていると、髪をさらさらさせて部屋へ入っていった。
部屋はワンルーム。3歩程度の長さの廊下に台所があり、洗濯機があり、風呂場があり、トイレがある。
カーテンが開けられたリビングは、オレンジ色になっていた。薄着の制服では肌寒いし、クサい。
私は腕で鼻と口を覆った。クサい。卵が腐ったような臭い。硫黄の臭い。
「ニオイがあるんだよ、痕跡があると。来たかいがあった」
神鳥谷のリュックは壁に立てかけられ、その持ち主は、やんちゃに現場を見て回っていた。
傘のある照明が落ちて中央で砕けている。
壁沿いの本棚は本がバラバラに落ちている。
道路側の部屋の角の中心あたりが、雨漏りでもしたように黒ずんでいる。
ベランダの前にはこたつあり、そばにはディスプレイが転がって割れて、PCの本体は見当たらない。
白いマスキングテープが、こたつの上のキーボードに這っていた。
こたつの上のマスキングテープは、足の形をしていた。足から腰、腰から腕、こたつを伝っていき、頭と腕の形が窓へキレイに縁取られている。
血痕が派手に窓を塗りたくっている。窓は、片方だけ割れて、大きい穴が開いていた。こたつと窓の隙間はほぼないに等しく、この跡を見る限り、この男は海老反りになって絶命している。
「この現場を見てどう思う。聴かせてくれ」
本を一冊ずつバラバラバラッとしながら、よく通る低音が言う。
「高校生に訊かないでくださいよ」
「餅は餅屋だろ。こういうのは君のが詳しいはずだ。言っておくが早くしないと警察がきて、我々は勾留され、血を吹き出して相手の術者に呪い殺されるだろうな」
「……呪い殺される?」
「当然だろう。術者はこと遠距離での殺傷能力は高いが、近距離戦はど素人のザコだ。それに呪いを解くのには基本的に術者を直接叩く必要がある。不穏分子は徹底的に叩いて当然なんだよ。で?」
服をあさり終えても、こちらに見向きもしない。
ため息がでる。
さっさと敵を特定して始末したほうが、こいつから離れるための最短距離なのかもしれない。
それか、こいつをやるか。
「首が折れて、両腕も折れて、無理な角度であがっている。隙間に押し込まれたような」
「吸い込まれたような?」
「部屋は荒らされているのに、争った痕跡もない。一人で苦しんだような。……毒? 幻覚の類を見て、苦しんだみたいな」
「そういうものがこの部屋にあるか」
「彼はお金がなかった。洗濯機の中の服はすべて安物で、長年着ていました。本も変色具合からほとんど古本でしょう。値段が貼ってある。何よりこの安アパートに住んでいるのがお金のない証拠です。薬物を買うような余裕はないはずです」
「安いのもあるぞ。ボクも簡単に買えた」
「……郵便受けは空でした。払うものはちゃんと払っていて、貯金箱も――結構はいってる。荒らされているとはいえ、台所もトイレも床もよく掃除されていて、ゴミを溜め込んでいる様子もありません。資格勉強もしていて……二年分あるからあまり芳しくなかったみたいですね。見えるものだけで言えば、小心者で石橋を叩いて渡る、普通の方でしょう。そもそも自分のテリトリーで、お金関係のもの以外を隠していないから普通の人です」
隠し場所第一位、ジップロックでタンスの引き出しの裏に貼る。お金関係のモノをまとめて入れ隠す意味がないもポイントだ。
個人的には玄関がキレイなのが最も重要な根拠。めんどくさくて私にはできない。堅実で小心者で普通の人の何よりもの証拠。
「よくしゃべるな」
「先生に訊かれたから話したのですが……!」
「素晴らしい考察だということだ。おかげでほんの少しだけわかった。あと有紀でいいぞ。アヤさんには、ゆっきーと呼ばれている。みんなもそう呼ぶ」
「あ、ありがとうございます、先生」
綺麗に笑う。ち、調子狂うな。
そして神鳥谷は一休さんのように、こめかみに人差し指を立てた。部屋を見渡すように、ゆっくりと回転し、一周して、私の向きで止まった。
「そうかわかったぞ!」