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破滅確率99.999%って!? え、私って詰んでるの? 転生ヒロインは邪神の下僕にスライディング土下座する〜逆ハーの為なら努力以外は惜しみません! それと対価は私以外からお願いします!

作者: ねむり猫

前世を思い出した性格最悪のヒロインとは、異世界でどんな結末を迎えるのかと妄想しているうちに、こんな話ができました。読んでいただけたら嬉しいです。

「あはぁ、なんなのかしら? 自分の幸運が怖いわぁ♪」


 高級宿屋の一室を与えられ、ドレッサーにかけられた明日腕を通す可愛らしい制服を見ながら、ルリシアはほくそ笑む。ルリシアはミルキーピンクの優しい髪色、清々しい若葉のような萌黄色の瞳、小動物のような庇護欲をそそる小柄で可愛らしい顔立ちの少女なのだが、深夜に顔面筋肉のすべてを緩ませて、にっしっし……と笑っているのは少々ホラーチックだ。


 まあ、彼女の顔が緩みまくるのも無理はない。なにしろ、彼女はこの世界、正確に言えば、このマグノリア王国を舞台とした物語『☆聖なる乙女★は真実の愛で世界を救う』、略して『聖・ラブ』のヒロインなのだから。


 物語は、庶民でありながら百年に一人生まれるか否かというほど、珍しい光魔法の才能をもって生まれてきた聖女、ルリシアがマグノリア王国王立学園の最高学年に編入した春から始まる。

孤児であった彼女が、教会にてその才能を見出され、学園に特待生として編入し、攻略対象である王侯貴族たちと共に切磋琢磨し絆を深め、卒業後、世界を破滅に導く魔王を倒し世界を救う物語である。その後は目当ての攻略対象と結婚してハッピーエンドというお約束のような結末だ。無論、攻略対象の分だけハッピーエンドルートがある。


 しかし、ルリシアの笑いが止まらない理由はそんなありきたりなハッピーエンドを、期待してのものではなかった。この『聖・ラブ』が乙女ゲームでは珍しく正真正銘の逆ハーレムを築けるストーリーを持っている事にあった。


 お友達エンドなんてぬるい! 全ての攻略対象をあなたのものに! という無茶なキャッチフレーズのもとに売り出された喪女垂涎の総受けハッピーエンドルートを選べるゲームであったのだ。そう、魔王を倒すことのできる、聖女の血統を絶やさないためにと攻略対象全てを恋人として手に入れる事が出来る夢のような設定。そう、パーフェクト逆ハーレムエンドが可能なのだ。


 ルリシアの前世は大学受験に失敗して挫折した、ヒキニート女子であった。再受験も、就職もせず、現実なんかただのゴミだと引きこもり、その後の数年間をお気に入りの乙女ゲームをプレイし続けることだけに時間を費やし続けていた。


 彼女の死因は、乙女ゲーのなかでも特にお気に入りであった『聖・ラブ』の全攻略対象をコンプリートして逆ハーレムを作り上げた達成感と高揚感に加えて、引きこもり特有の肥満と運動不足、猛暑による脱水症状による心臓麻痺であった。割と悲惨な最期だったのだが、こんな来世に来ることが出来たのなら前世になど未練はない。明日からはめくるめく本当の自分の人生が始まるのだから。


「うふっ、うひっふふふ♪」


 もちろん、こんな下品な笑い方をするのは今夜限りだ。明日から、男漁りもとい攻略対象を落とすためにうまく猫を被りながら行動するつもりなのだから。

当然、自分の為の踏み台になってもらう悪役令嬢たちには、胸がスカッとするような断罪劇の後、早急に消えてもらうつもりだ。どうせ庶民上がりの聖女である自分に小うるさい貴族の嗜みやら、礼儀や常識をお説教しに来るのはわかっているのだ。その忠告が常識の範囲内であったとしても、うまく立ち回れば、攻略対象の全員の断罪劇が見られるのだ、最高ではないか! 悪役令嬢ばかりが一発逆転のルートを引き当てる昨今の風潮など知ったことではない。要するに、ヒロインが馬鹿だったからいけないのだ。

魔王を倒し、世界を救うという大義と結果の前には身分差も内政チートも関係ない。ルリシアは、悪役令嬢となる少女たちのスペックは仮に前世持ちだとしても、魔王を倒せるほど高くないことも知っているのだ。自分の逆ハーレムに向かう覇道(?)の道を阻むものなどいない。つまり……


「あたしなら、絶対上手くやれるわ! 他人の不幸は蜜の味ってね……くひひっ」


 およそ、聖女とは思えぬ、醜悪な笑顔で、ルリシアはベッドにダイブして明日の為にいい夢を見ようと瞳を閉じかける。その時……


「99.999%破滅……と」


ルリシアはベッドの上からガバリと身を起こし、部屋の中をぐるりと見渡した。カーテンを引くのを忘れていたためか部屋の中には月明かりが差し込んでいて周囲の様子はぼんやりとだがわかる。ルリシアの視線は部屋の真ん中に置かれているソファの上にちょこんと座る小さな人影を見つけた。月明かりがあるとはいえ、何故かその姿はルリシアの目にくっきりと見ることが出来た。闇色の魔導士ローブに身を包んだ十歳ほどであろうかと思える子供が一人、何やら手帳のようなものに文字を書き込んでいるようだ。


小さな声だが、確かに耳に届いた声とはっきりと見える姿。どうやら幽霊ではなさそうだ。


「あ、あんた誰よ? あんたみたいな子供は、この世界で私と関わるキャラクターの中にいないはずよ」


ルリシアの叫ぶような声に、驚いたような様子もなくローブ姿の子供は顔を上げて彼女を何の感情も籠らぬ瞳で見つめた。


「あれ、私の姿が見えるんですか? 5000人目にして初めてです!」


 子供は、年齢が幼いのと、ゆったりと羽織るタイプの魔導ローブ姿のせいか性別が分からないが、かぶっているフードがやや短めなせいか、顔ははっきりと見える。目鼻立ちの整った可愛らしい顔立ちで、フードから覗く少しはね気味の銀髪に、青を煮詰めたような不思議なブルーブラックの大きな瞳が美しい。

顔立ちだけでいえば、これからルリシアがたらしこむ、もといお近づきになる予定の攻略対象達に劣らないほど綺麗だが、いかんせん幼すぎるし、学園生活が始まる前に出会う攻略対象などいなかったはずだ。

攻略本も、キャラクターガイドブックも徹底的に読みこんでいるのだ。目の前にいる子供は、これからルリシアが関わる攻略対象や悪役令嬢、サブキャラたちの誰とも一致しない。


前世の記憶を総動員して思い出そうにも、やはり、こんな子供は『聖・ラブ』にはいなかったはずだ。


(隠しキャラ? 確かに綺麗な子だけど、年齢が……っ、そんなことより!)


 この子供は何か不穏な事を言ってはいなかったか?

ルリシアが未来は己が春よとばかりに、幸福をかみしめていた今夜この時間に、乙女ゲームの中では不吉以外の何物でもない言葉『破滅』、そして99.999%という確定に近い数値を呟いてはいなかったか? 何やら名状し難い嫌な予感がする。


「と、とりあえず、他人の部屋に勝手に入って何をしているのか知らないけど、理由を聞かせてもらえないかしら?」


「データを取っていただけですし、もう取り終わりましたから直ぐにお暇しますよ」


 魔導士姿の子供は素っ気なく答える。

しかし、『破滅』などと言う乙女ゲームにおけるハイパーなNGワードを耳にして、そうですかどうぞお帰り下さいなどと言う者はいない。ルリシアも当然、率直な疑問をくちにする。


「そうは、いかないわよ! ドアも窓も施錠してあるこの部屋に勝手に入ってきている時点で、あんたが超常的存在なのはなんとなくわかるわ! でも、この私の為の世界にミソをつけるような発言は聞き捨てならないわよ! あんたの正体とさっきのイミフな言葉について説明しなさいよ!」


「別に話しても構いませんが、あまり面白い話でもないですよ、まあ勝手に入ったのは事実、これはお詫びです」


魔導士姿の子供は軽く肩を竦め、ため息をつくと、ぱちんと指を鳴らした。


「ええっ!? これって!?」


 テーブルの上に現れたものを見てルリシアは思わず驚きと歓声を上げた。ルリシアが生前大好物であったポテトチップとコーラのペットボトルであった。

既にパーティ開きされている為、部屋中に広がる懐かしいコンソメ味の香り、前世で一番好きだった味だ。思わず、手づかみでポテトチップスをくちに放り込み、コーラの栓を開けて一気飲みする。


「くは――っ、美味――い! 何、あんたいい仕事してくれるじゃない! 魔法使いなの? この国の王妃になったら絶対ポテチだけは再現させるつもりだったけど、コーラは無理かもって思っていたんだ。でも、あんたが出せるんだったら、もう解決じゃない!」


ルリシアはばりばりとポテチを貪り、コーラをぐびぐび飲むと軽くげっぷした後、油まみれの指先を対面のソファに座る子供に突き付けた。


「あんたに、この国の聖女の奴隷……いえ、従僕になる名誉を与えてあげるわ!」


自分本位極まりない態度、感嘆符の多い聞き苦しい話し方にローブ姿の子供は呆れたように再び肩を竦めた。だが、ルリシアの言葉はまだまだ続く、何しろ、この世界は自分の為に何もかもが都合よく進む世界なのだ。この子供も自分の為に世界が用意したキャラクターだと信じて疑っていないのだ。


「とり取り合えず謹んでお断りします、それに私はもうお仕えしている方がいますから」


ルリシアの言葉をさらりと躱し、子供は答える。


「私は、ニア。邪神の下僕をやっております」


とっとと話を進めないと、この目の前のヒロインは全て自分のペースで物事を進めそうで面倒くさくなったのだ。


「邪神の下僕!?」


「はい、そして異世界に転生したヒロインが前世を思い出した場合の世界の顛末のデータを取っているところだったんです。99.999%が破滅という結果となりました。そして、あなたが5000人目のヒロインです」


ニアと名乗った子供の瞳は何の感情も映していない。


「へ……? なんで? この世界はヒロインである私の為に作られた世界でしょ? それにまだ、始まってもいないのに何で破滅するってわかるのよ?」


「私も忙しい身ですからね。ヒロイン一人一人の生涯をいちいち追っている暇なんかありません。先見の呪いで未来を全部早送りで見させてもらっています」


「ちょ、ちょっと待ってよ! この世界は私のハッピーエンドで終わる物語でしょう? 何で世界が破滅しちゃうのよ?」


 何気にとんでもない未来を予見されていたことにルリシアは、当然食って掛かる。なにしろこの『聖・ラブ』は徹底的にやり込んでいるのだ。攻略対象へのアプローチも、悪役令嬢の断罪も、魔王の倒し方も全て頭に入っているのだ。そんな自分がどうして破滅しなければならないのだ? まさか、悪役令嬢たちが全員前世持ちとか……だとしたら最悪だ。一人や二人ならともかく、地位もお金もある悪役令嬢が全員幼少期から破滅回避に動いていたら? 物語の初期では、教会が後ろ盾ではあるものの、所詮ただの貧乏人のヒロインに勝てるわけがない。そう、ゲームの結果が課金によって全て決まるのと同じように、地位と金は一種の暴力だ。

その表情だけでルリシアの思考をよんだのか、ニアはため息と共に言葉をついだ。


「この世界の前世記憶持ちの人間はあなたしかいませんから、そういった意味での心配はないです。あなたが破滅するのは、その短絡思考ゆえですよ。そもそも、ヒロインのハッピーエンドは攻略対象たちと結ばれて幸せになる結婚式のスチルで終わりますけれど、そこに至る前に、仲間と共に、この世界の魔王を倒さなければならないんですよ。その為には、ゲーム同様、聖女としてのレベルを上げる必要があります。それなのに、あなたは、今の段階から攻略対象を落とすことしか考えていない。聖女として覚醒するための努力も、ほぼするつもりがない。そんなの破滅一択でしょう?」


あまりの、ど正論にぐうの音も出ないかと思っていたが、このヒロインはしぶとかった。


「聖女の力は、愛を抱いた相手の才能やスキルを爆上げさせるんでしょう? あたしが好きになってあげるんだから、攻略対象が強くなるじゃない! なら彼らが何とかしてくれるわよ!」


そう、聖女の愛を受けた者たちだけが、聖女と共にこの世界の救い手として魔王を倒すことができるのだ。つまり、自分が彼らを満遍なく攻略して、好感度を上げれば済む話ではないのか?  


「あなたは前世を思い出した時点で、堕落してしまいましたからね。自分の為なら他人を陥れても構わない、利己的で堕落した聖女では攻略対象の能力の底上げも10分の1以下になります。攻略対象を落としたところで、魔王の力の前に全員瞬殺されます」


ニアはルリシアの言葉を容赦なくぶった切る。しかし、このヒロインは諦めが悪かった。


「ちょっと待って! 私で最後の5000人目で、99.999%が破滅したっていうのなら、100%じゃないのよね! 5人助かったってことでしょう?」


残念なものを見るかのようなニアの視線と言葉に、それでもルリシアは尋ね返す。それに、いまだポテチとコーラは手放さない。意外にも計算の速いヒロインだが、ニアは淡々と答える。


「はい、5人だけハッピーエンドを迎えましたよ」


「じゃ、じゃあ、私にだって助かる可能性あるわよね!」


「0.001%の確率に縋りたい気持ちもわかりますが、その方達は善良で心の優しい、努力家ばかりでした。彼女たちは前世の知識で攻略対象に起こる悲劇も、悪役令嬢の断罪劇も全て回避した上で世界を救いました。多分、あなたには無理じゃないですか?」


 そう、彼女は既に詰んでいるのだ。

どう見ても、目の前にいるヒロインは性格が悪い、めちゃくちゃ悪い、ヒロインならぬ『ヒドイン』である。

先程まで攻略対象の婚約者たちが、悪役令嬢をしないなら、作ればいいじゃないなどと画策していたことなどお見通しとでもいうようなニアの冷徹な視線が彼女を射抜く。


「ぐ……」


痛い所を突かれ、ルリシアは一瞬黙る。しかし、彼女は前世からゲームは始める前に攻略本やガイドブックを全て用意するタイプで、所謂、楽してズルして、美味しいとこどりをモットーに生きてきたのだ。己がこの世界のヒロインであるというポジティブバイアスに加えて、メンタル鋼の『ヒドイン』もといヒロインはニアの言葉に更に怯まなかった。彼女はいきなり、行動に出た。

ニアの足元にダッシュで駆け寄ると、そのまま綺麗なスライディング土下座を決めたのだ。


「お願い! あんたって、邪神の下僕なんでしょう? その邪神様の力で、私の破滅を何とかしてもらえない?」


「何とか……とは?」


彼女の異常な行動に、ニアが面食らったような表情を見せる。鉄壁のポーカーフェイスが崩れる。


「私が逆ハーレム築いて、世界も救って、ハッピーエンドになる方法よ! あ、努力の方はなしね! それと、私の美貌とか若さとか取り上げるのもなしで! 対価の方は私以外の周りのキャラに支払わせるから!」


「………」


 邪神の下僕を長らくやっているニアも一瞬開いた口がふさがらなかった。この破滅まっしぐらの絶望的状況下で、真面目に努力する気が微塵もないとは……

その上、よりによって邪神の力を借りようなどと。そのぶっとんだ発想もすごいが、そのあまりの身勝手さ、自己中ぶりには軽く眩暈を感じてしまう。まったく、羊羹のチョコレート掛けに生クリームてんこ盛りよりも激甘思考だ。自分に都合が良いにもほどがある。しかも、捧げる対価まで他人のものを差し出す気満々なのだ。

うわぁ……マジで破滅してほしい。


「あのですね、世の中舐めすぎも大概にしてください。そもそも、邪神様は、腐っても、どれだけ性根が腐っていても、聖女に手を貸すなんてあるわけが……」


「何よ、性根が腐っているって2回も言ったわね!」


「本当のことなので2度言いました……っ!?」


ぞわり……


刹那、感じた這い寄るような悪寒に、ニアは、くちを押さえたが間に合わなかった。ニアの脳髄に、とうてい人間には理解できない名状しがたい悍ましい声が轟いた。


『クぁwせdrftgyふじこlp』


それは邪神からの神託―――しかも、肯定の言葉だ。


 フラグが立ってしまったのだ、ニアの言葉で。聖女に手を貸すつもりなど更々なかったというのに、あの邪神の中でも変わり種のトリックスター、愉快なことが大好きな這いよる混沌、ニアの主人の邪神が娯楽の臭いを嗅ぎつけてしまったのだ。こうなってしまったら、下僕であるニアにはどうしようもない。哀しき下僕の身、粛々と従うしか選択肢はない。ニアはルリシアに苦り切った表情を向けた。


「あなたの願いに対して神託がくだりました」


「へ、なんて?」


「聖女としての努力はするもしないも自由、逆ハーレムの実現並びに、魔王を倒すことへの確約。そして対価は貴方以外の者への呪いとそれによって発生するもので支払う。そして、あなたには対価として美貌と若さは奪わないという条件であるのなら、契約するそうですよ」


ルリシアは土下座状態からコメツキバッタの如く飛び上がり歓声を上げた。


「ホント!? それでいいなら契約するわ!! うわ、ラッキー! ダメもとでも言ってみるものね! 0.001%を超えた6人目の救世の聖女とか最高じゃない!! やっぱり、世界は私の為にあるわけよ!! そうなった以上、前祝よね、ミアって言ったっけ? ポテチもう一袋出してよ!」


「ニアです。夜中に、過食はよくないですよ」


「あんたって、年の割には口煩いわね。まあ、いいわ。明日から薔薇色の未来が始まるんだもんね! で、あんたはこの後、どうするの?」


ルリシアはぐいとコーラのペットボトルを再び直飲みすると、はでなげっぷを吐きながらニアに尋ねる。


「私は邪神様へ捧げる対価としてあなたの周りの人々に呪いをかけるのが仕事です、なのであなたの在学中は近くにいますよ」


 ニアは心底嫌そうな顔で答える。そんな表情でも整った顔立ちは愛らしい。ルリシアはすっかり気をよくする。綺麗な従僕を侍らせるのは前世からの夢の一つでもあったのだ。


「へえ、対価って呪いなんだぁ、まあ私には関係ないけどね。それにしても、在学中離れられないなら、あんたってやっぱり私の従僕になるんじゃない」


「私はあなた以外の人からは見えませんから、従僕がいるつもりで話しかけたりしたら変人扱いされますよ」


「何よ、使えないのね。まあ、いいわ。後片づけお願いね。美容の為に私、早く休まないとね」


 ルリシアは瞬く間にポテトチップスの袋とコーラのペットボトルを空にすると、さっさとベッドにもぐりこんでいびきをかき始める。美容の為なら、こんなジャンクフードを寝しなに食べるのはどうかと思うのだが……それに、ニアの使う呪いについての質問すらなかった。


「今までの『ヒドイン』の中でも、一番いい性格してますね……」


4999人の前世持ちヒロインを見てきたなかでもダントツで最低かもしれない。

それに、500gのファミリーサイズポテトチップスと1.5ℓのコーラをひとりで平らげるとか、前世どういう食生活をしていたのだろう? と訝りながらニアはさっさと後かたずけを済ませると、大いびきをかいて眠る『ヒドイン』、もといヒロインを見やると心の中で独り言ちる。


(対価は自分以外のものが支払うという事を、あまりに都合よく取りすぎなんですよね、この『ヒドイン』は……)


 無論、ニアは邪神などと契約をしたところで碌な事にならない事を知っている。タダより高いものはない。

そう、契約した以上、彼女の逆ハーレムも魔王を倒す願いも叶う、そしてその対価は他人が支払い、自分の美貌と若さは取り上げられることもない。一見すれば、好条件な邪神との契約。だが、他人が支払う対価のせいで、自分がいかなる状況に追い込まれるのかを知れば、今夜のルリシアの眠りは決して安らかなものにはならなかったに違いない。他者を対価にしておいて、自分が巻き込まれない都合の良い呪いなど存在しないのだ、ましてや人を呪わば穴二つ。


 邪神は、ルリシアの美貌と若さを対価としてとらないとは言った、がそれ以外のものを取らないとは一言も言ってはいないのだから。



―――――翌日、王立学園講堂の檀上にて


 学長から100年ぶりに誕生した聖女であることを宣言された後、ルリシアは暗記していたシナリオ通りの挨拶をこなし、王族並びに高位貴族たちで構成された美形ぞろいの生徒会の面々、彼らとの顔合わせに胸を躍らせていた。

彼らが、これから彼女の学園生活のサポートと庇護を務めることになるのだ。


 攻略候補の大本命である、この国マグノリア王国王太子クリフォード、金髪碧眼の絵にかいたような王子様イケメンの生徒会長。更に、攻略対象である三人、青い髪に知的な美貌を備えた公爵令息にして、宰相令息でもあるユリシーズ・オルトス、赤い髪に野性的な凛々しさを持った侯爵令息にして騎士団長子息であるパーシバル・ヴィクタ、辺境伯爵家令息にして魔術師団令息の緑色の髪の、線の細い美少年アルベルト・ペンドラ。そう彼らの背後には常に薔薇の花が咲き乱れ背景が要らぬほどの麗しさを誇る、いずれ劣らぬ美青年たちとの初邂逅だ。


 ルリシアは先導してくれた、令嬢になど見向きもせず開かれたドアの向こうに広がる美しい自分の攻略対象達を虜にすべき愛らしい微笑みを浮かべつつ、そのまま本命の王太子の胸の中に飛び込むために、うっかりつまずく用意万端の足先に力を入れて生徒会室に一歩を踏み出した。

広々とした生徒会室の中に若々しい四種類の美声がハモった。


「「「「ようこそ、我が生徒会へ。聖女ルリシア!」」」」


「こちらこそ、どうぞよろし……っんぎょええええええええっ!!??」


 麗しき彼らの姿が目に入った瞬間、ルリシアは凄まじい悲鳴を上げた。

そして、うっかりつまずく予定であった足は、急なブレーキを踏むことを許さず、ものの見事にルリシアの小柄な体を王太子の腕に抱きとめさせていた。


「大丈夫かい?」


腕の中に飛び込んできたルリシアに王太子の顔が迫る。他の攻略対象の面々も当惑しながら近づいてくる。


「いぎゃあああああっ!! 来ないでええええっ!! ふげっ……」


ルリシアはあまりの恐怖と衝撃に、かくんと失神した。


*****


 目覚めると、そこは柔らかなベッドの上であった。白いカーテンで遮られた空間、どうやらルリシアは医務室に運ばれたらしい。当然のように看護者用の簡易椅子に座るニアがルリシアの方をちらりと見やると、膝の上に広げていた本を消すと口を開いた。


「よかったですね、気絶していたとはいえ王太子のお姫様抱っこゲットしましたよ。攻略が一段階進みました」


「あ、あれにお姫様抱っこ……ひいいいいいいっ!?」


ルリシアは全身を抱きしめる様に体に腕を回すと身震いした。


「気絶の前に上げた悲鳴とか態度なら心配しなくていいですよ。彼らの目には可憐な乙女が緊張のあまり貧血を起こしたように見えていますから。本当は、奇声を上げて、泡吹いて白目むいて気絶したのだとしてもね」


「そんなこと、どうだっていいわよ!!」


妙齢の乙女として到底どうでもいいことではないと思うが、説明を求めてルリシアはがなり立てる様にニアに詰め寄る。


「なんで、クリフォード様や攻略対象の皆が全員『害虫』なのよおおおおおっ!!!!」


激高するルリシアに対してニアの顔は淡々としたものだ。


「邪神様への対価を払うために私がかけた呪いですよ。見分けがつくように、王太子殿下はゴキブリ、宰相令息はハエ、騎士団長令息はクモ、魔術師団長令息はカメムシにしてありますよ。それに、あなた以外の人たちには普通の美形男子に見えていますから」


「の、呪い、そういえば対価は呪いだって言ってだけど、何で攻略対象に呪いをかけるのよ! しかも害虫! ただでさえ私、虫が大嫌いなのに!!」


「まあ、大抵のご令嬢は、お嫌いでしょうね。でも、好感度を上げるのは簡単ですよ、喋ったり、接触を持つだけでバンバン上がりますから」


 ルリシアの顔から血の気が引き、真っ青を通り越して真っ白になる。

ゴキブリ、ハエ、クモ、カメムシは万民が嫌いな虫の中でもワースト10に入るのだ。それが人間サイズだ、どんな猛者の女性でも接触どころか見ただけで悲鳴をあげるだろう。害虫と喋る、話す、接触、さわる、ボディタッチ? 無理すぎる!


「何が嬉しくて害虫の好感度あげなくちゃいけないのよ!? 害虫にするならせめて悪役令嬢とか、適当なモブに」


「その指定をしていたら、邪神様はあなたと契約など結ばなかったでしょうね。対価はあなた以外のキャラクターである攻略対象への呪いとそれによって発生するもの、この意味がおわかりですか?」


ニアのブルーブラックの瞳が少しだけ妖しく輝いた。この世界の理から超越した存在、その姿はまさしく邪神の下僕。


「あなたが逆ハーレムを作り、この世界の魔王を倒す為の対価として、攻略対象である彼らは害虫に姿を変えられましたが、それは対価の一つに過ぎません。あなたへの対価の取り立てはこれからです。美貌と若さは奪いませんが、彼らの呪いによって発生するものとして削られるあなたのSAN値を頂きます。堕落したとはいえ世界を救うはずの聖女のSAN値ですから、割と価値があってよかったですね」


 聖女のSAN値を、まるで産地名産野菜のように言ってのけるニアに対してルリシアは息が詰まったような悲鳴を上げる。


「ひっ!? あの、邪神ってまさか本当に本物の邪神だったの? 私の為の世界にちょっと毛色の変わった神の加護とかじゃなくて……」


ひきこもりオタクであった前世の知識によれば、SAN値とは精神と魂の健全度を表す数値のことだ。その数値が減るということは……


「SAN値を知っているということは、私のお仕えする方の名前もわかるでしょう? 私のお仕えしている方は、這いよる混沌、つまり……」


「聞かなくてもわかったわ!? これ以上SAN値を減らさないでよ!」


ルリシアは叫ぶように言葉を返すと慌てて耳を塞ぐ。よりによって、唯一封印されていない、正真正銘の大邪神ではないか。


「言っておきますが、邪神様と一度契約した以上、違えることは出来ませんよ。それに、達成できなければあなたは破滅して死んだあとは、魂は可視化できないほど微塵に粉砕され、その先は虫か微生物くらいにしか生まれ変わることができなくなります。しかも、今の自我を保ったままで」


それは、掛け値なしの名状しがたい悍ましい未来だった。


「ひいいいいいいっ、マジで!? クーリングオフはなしなの?」


「なしです、そんなのがあったら私も邪神の下僕をやっていません」


 絶望の未来を告げられつつも、結構、余裕のある『ヒドイン』である。だが、ニアの言葉も容赦がない。


「そもそも、害虫との逆ハーレムなんて何の価値もないじゃない! それこそ契約違反じゃない!!」


がたがた震えながらも反論する程度には気丈なルリシアにニアは事も無げに言葉を続ける。


「まあ、そちらは心配しなくてもいいですよ。攻略対象の方達が害虫状態なのは、王立学園の卒業パーティ前夜までですから。一年間、害虫たちとうまくやって自分のSAN値をゼロにしないようにすればいいだけです」


 ルリシアは攻略対象達も永遠に異形の姿であるわけではなく、一年の期限付きであることに一瞬だけ安堵したような顔をしたが、すぐに気が付く。状況は全く改善されてはいないことを。


 ヒロインが害虫とフラグをたてる乙女ゲームルートなど、星間宇宙の隅々まで見渡したってあるわけがない。害虫のエスコート、害虫の壁ドン、害虫のバックハグ、害虫の甘い囁き、害虫からの手の甲へのキス……想像しただけでSAN値がゴリゴリ減っていく。


「一年間の我慢って、耐えられる気がしないわよ!! 今日だけで相当のSAN値を削られた気がするし」


「まあ、攻略対象達の好感度は、あなたが彼らと会ったり、話したりするだけで勝手に上がっていきますからいいとして、SAN値を回復させないと、どのみち破滅ですよ」


 ニアはパチンと指を鳴らすと、ルリシアの前に鈍く輝く球体が出現した。大きめのリンゴサイズのそれを思わずルリシアは手のひらで受け止めようとしたが、その球状の物体は彼女の手のひらの上にふわりと浮かんだままだ。


「な、何これ?」


「あなたのSAN値の状態を可視化したものです」


 SAN値の可視化とは、異世界っぽいなと一瞬ファンタジックな気持ちになったが、そんな気分は、その球体の状況を見た瞬間に消えた。


「えっ、ちょ、ちょっとこれ穴だらけじゃない」


 完全な球形だと思った鼠色に光るルリシアのSAN値の球は4個もの大穴が空き、その周辺にじわじわと闇色が広がっている。


「おやおや、初邂逅だけでずいぶん削られたものですね。半分くらい減っていますよ。付け加えておきますが、SAN値がゼロになれば当然、発狂するか最悪死にますよ」


「こともなげに言うな――!? この状態で減り続けたら、この世界の魔王と戦う前に破滅じゃないの!! 何とかならないの?」


「なりますよ」


「そう、やっぱりならない、所詮邪神なんて……ん? なるの?」


悲嘆にくれようとしたルリシアの瞳が真ん丸に見開く。聞き間違いかと思ったのだ。


「あの邪神様は、あれでフェアなところがありますからね。そう簡単に獲物を廃棄して、引き出せるはずの恐慌と絶望から得られる愉悦を切り捨てたりはしませんよ。SAN値の回復手段はあります」


「教えて! 今すぐ! 努力は大嫌いだけど、何回でもリセットボタン押してゲームを周回する根性なら自信あるわ!!」


「努力と根性って割とセットで使われるものだと思っていたのですが」


「うっさいわね、ゲームにおいて根性と執念だけは別物なの!!」


 ルリシアが鼻息も荒くニアに、にじり寄る。攻略本と課金アイテムを徹底的に使ったとはいえ、全ての攻略対象とのハッピーエンドを見るために費やした時間をなめないでほしいものだ。ふんぬと鼻の穴を膨らませた、気合を入れたドヤ顔に、別の対価も支払えるかもしれないな、などと思考が少しよそ見したが、廃ゲーマーとはそういうものなのだろうか? 小首を傾げながらニアは言葉を続けた。


「いいですか、SAN値が削られるとは魂の健全度を汚染される、精神が恐慌、混乱、怯え、錯乱、テンション降下状態になっているわけです。つまり状態異常です。光魔法に状態異常回復の魔法があるでしょう。それだけがSAN値の欠損を癒します。確か、この世界では聖女だけが光魔法を使えましたよね?」


「あ、そういえば私って聖女だったわね」


 本人もすっかり失念していたが、ヒロインである自分は光魔法を使うことが出来る唯一の聖女なのだ。もっとも回復系の熟練度レベル1の魔法ヒールと、同じくレベル1の状態異常回復魔法キュアしか使えないのだが。


「光魔法のキュアなら確か状態異常回復ができるわ」


「とりあえず、その球にかけてみて下さい」


ニアが形の良い顎をくい、とルリシアの手のひらの上に浮かぶ球体に向かってしゃくる。


「うん、キュア!」


 ルリシアは渾身の魔力を込めて光魔法を放つ。プスン、としけた音がしてルリシアの手のひらが軽く光った。すると、ルリシアのSAN値の球体から穴が一つ消えた。


「ふむ、キュアの練度は低いけれど、堕落しても聖女の力はあるのですね。どうかしましたか?」


いつの間にベッドから転がり落ちたのか、ルリシアはニアの足元でずっこけた姿で痙攣している。


「何やっているんですか、あなたは?」


「魔力欠乏症起こしたみたい……体に力が……入んない……」


この世界は乙女ゲームとはいえ、一応剣と魔法の世界だ、体力と同様に魔力が欠乏すれば当然、身体が動かせなくなる。


「レベル1のキュアを1回使っただけで、魔力欠乏症とか、どれだけ魔力低いんですか」


「教会で1回ずつ実演しただけで、それ以降使ってないんだもん。朝と夕の祈りなんてたるいしさ」


聖女の光魔法のレベルを上げるには朝夕の礼拝、魔力量は光魔法の鍛錬が必須なのだ。


「もうすぐ、攻略対象達が倒れたあなたを心配してお見舞いに来ますよ」


「ひぃっ、マジ!? キュアー、キュアー、キュアーぁぁぁl!!!」


 あの害虫どもに揃ってお見舞いに来られたら、確実にSAN値がゼロになる。

必死で唱えたキュアの連発でSAN値球はなんとか穴だけは修復できた。全回復はしていないが7割がた回復したようだ。


「あ、やれば出来るじゃないですか」


「……」


 返事がない、ただの魔力枯渇寸前状態のようだ。

運のよいことに、ルリシアは、再び白目を剥いて気絶してしまったのだ、鼻血のおまけつきで。何しろ、そのおかげで害虫、もとい攻略対象達の見舞いをやり過ごすことが出来たのだから。


 本当は白目を剥いて鼻血ブー、つぶれたカエルのようなポーズでベッドの上で気絶しているのだが、彼女を心配してやって来た彼らの目に映るのは愛らしい少女がすやすや眠っているという著しく異なった詐欺まがいの幻影である。呪いはアフターフォローも万全なのだ。


 心配そうにルリシアを見舞うと彼らは帰っていった。男性に慣れていない初心な美少女、という間違った好感度を大いに上げたまま。

元から彼らの目には映っていないニアは白目を剥いて気絶しているヒロインを見つめながら溜息をついた。


「こんな調子で、大丈夫なんですかね……まあ、あの方が面白がるくらいには珍しいタイプのヒロインですが」



*****



邪神との契約から一か月後―――


 学園での聖女ルリシアの評判はすこぶる良いものであった。なにしろ、朝は早く起きだして、学園内の教会にて神へと祈りを捧げ、夕刻にも祈りを捧げる。

授業態度は、真面目そのもの、特に魔法の実技授業の時には死に物狂いという言葉がふさわしいほど熱心に受けている。


平民だが聖女である為、上位貴族のクラスに編入したルリシアだが、彼女の学園生活のサポートや庇護を任されている生徒会役員の手をほとんど煩わせることもなく、礼儀正しく一歩引いて、必要な用事がなければ話しかける事すら稀であった。その用事すらも大抵、生徒会役員の女子生徒に言伝を伝えるにとどめている。

聖女とはいえ平民である自分と王族、貴族との間の礼節を弁えていると、上位貴族からも、下位貴族からもその姿勢を好意的に受け入れられている。


 なにしろ、学園中の憧れの的の生徒会役員たち、王太子、宰相令息、騎士団長令息、魔導士団長令息からの友好を深めようと開くお茶会や、勉強会でさえも、今は聖女としてしっかりと教養と光魔法の習熟に努めたいと断るか、さもなければ彼らの婚約者達と同伴でなければ出席すらしないのだ。初心で奥ゆかしいと令嬢たちからは支持され、令息たちからは男性と言葉を交わす前に頬を染めて逃げてしまう、純情すぎる高根の花であると評判なのだ。


そんなわけで、マグノリア王立学園学生たちのほぼ全てが聖女ルリシアの編入に対して、歓迎ムードなのだ。


――――しかし、その実態は……


「おはよう、ルリシア」


「ぴぎぇぇあぁ――っ、殿下ぁ!? おはこんばんちわでござそうろ――失礼致しマッスル!」


 この汚い高音の悲鳴と訳の分からない挨拶も、美少女の表情筋が作れるとは思えないほどの顔面崩壊具合も、殿下と周囲の者の耳と目には、美少女の愛らしい驚きの声と清楚な笑顔に見えているのだから呪いって面白い、ではなく恐ろしいものだとニアは思う。

ニアは王立学園内の教会礼拝堂にて読書しながら、ルリシアの悲鳴に耳を傾けていた。彼女の側にいなくても映像も音声もばっちりニアには感じ取れている。自動発動している呪いには特に距離は関係ないのでニアはルリシアの側に付き添う必要がないのだ。それに、たとえ見えなかったとしても、ルリシアの絶叫はわかりやすい。


ゴキブリ殿下と遭遇する時は「ぴぎええぇ」


ハエ宰相令息の時は 「どぅわあああ」


クモ騎士団長令息の時は「ほんぎゃあああ」


カメムシ魔術師団長令息は「ぐ、ぐっざーぃ」


ニアは、少しだけルリシアの根性に感心していた。なんだかんだあっても、SAN値の対価を、もう一か月きっちり支払っているのだから。


(今日もしっかりノルマをこなしているなあ……)


「きゅああああああああっ!!」


(今日はSAN値の回復をしながら逃げている、やれば出来るものですね)


ニアは始業前のドタバタ騒ぎを、聞き終わると再び読書に集中し始める。


そして、放課後。淑女にあるまじき早歩きでルリシアが礼拝堂に飛び込んできた。


「ぜひゅ――ぜひゅ――!! ニア、コーラ、コーラ出して!」


 王立学園の教会、その礼拝堂には週に一度しか司祭が来ない。授業の後、聖女として一人静かに祈りを捧げたいと言えば、大体の誘いを断ることが出来るのだ。

並みいる高位令息、令嬢たちの誘いを断り、ほとんど競歩のスピードで礼拝堂に飛び込んできたルリシアは全身汗だく、淑女としてありえぬほどの鼻息の荒さで、ニアにコーラを所望する。


「今日は上手く逃げられたみたいですね」


「ゴキブリ殿下の婚約者のシュバルツ公爵令嬢が殿下を足止めしてくれて助かったわ。生徒会には入らないって言ったのに勧誘しつこっ!!」


 ルリシアはニアが空中から取り出したコーラを受け取るとふたを開けて一気飲みした。クラスメートたちは憧れの生徒会の一員になることを拒む彼女の態度を訝しむ者が多いが、知ったことではない。

全く、誰が害虫の巣に自ら進んで飛び込むもの好きがいるというのだろう。

そんな彼女の愚痴には興味を示さず、ニアはルリシアのSAN値を表す球をひょいと受けとって状態を検分する。


「今日もまたSAN値の減りが凄いですね」


もはやSAN値は四分の一位にまでその質量を失っている。穴の数も尋常ではない。


「ひぃっ、キュアー、キュアー、キュアー、キュアーキュアーキュアー!」


 必死で魔力の実技授業と自主鍛錬に励んだおかげで、レベル3まで上がった状態回復魔法の連呼でSAN値球は完全復活とはいえないまでも8割くらいは回復した。


「今日も、ノルマ以上のSAN値の対価ご苦労様です」


「あいっかわらず他人事よね、あんたって! でも、どうせ、聞こえてきてるんでしょう? あの害虫達と何回遭遇したかなんて!」


「はい、殿下との遭遇7回、宰相令息とは5回、騎士団長令息とは6回、魔術師団長令息とは4回でしたかね。彼らの好感度も上がっていますし、充分なSAN値もいただきましたよ」


「好きで遭遇してるんじゃないわよ! あの害虫たち、妙に責任感が強くてやたら接触しようとしてくるのよ! 安全な逃げ場所なんかここしかないわよ!」


 朝と夕のルリシアの神に祈りを捧げるという行動は、一緒に登校、下校しようという攻略対象達の迎えや誘いを躱す為の苦肉の策だったのだ。

救国の聖女となる者の祈りの時間というのは絶対で、たとえ王侯貴族であっても邪魔してはならないという国法があったのは幸いであった。

早朝と夕方の教会礼拝は、攻略対象の朝のお迎えと、授業後の誘いを断るためだ。


 授業中は真剣に勉学に励まないと、休み時間に攻略対象の害虫たちに、わからないところはなかったか? 等と話しかけられてしまうので断るためには真面目に受けざるを得ず、結果、品行方正で学習意欲の高い聖女と思われているのだ。そして、攻略対象以外の令息達とも距離を置く理由は……


「ニア……せめてモブ男子くらい何とかならないの?」


この世界はモブ男子も美形が多いのだが、ニアの呪いはしっかり彼らにも及んでいる。モブとはいえ、ルリシアが望めば攻略対象になりうる可能性のある青少年たちには軒並み呪いが発動している。それは害虫ではないのだが……


「彼らは、ほんの50年先の未来の姿になっているだけですよ。見た目は普通の人間なんですからいいでしょう。接触したところでSAN値だって大して減りませんし」


「しわくちゃのおじいさんたちに若々しいイケボで話しかけられるのって地味にキツイわよ!! 美少年に対して夢も希望も消え果てそうだわ、誰だって年を取ればおじいさんになるのはわかっているけどさ、あんまりじゃない!! それに将来、確実にハゲるってわかっちゃった人の頭部につい視線がいっちゃうのも気まずいし……」


「時の流れは残酷ですからね」


 異性に対して苦行林なみの呪いのせいで、ルリシアは諸行無常の域に達して、悟りでも開いてしまいそうだ。むろん、ロマンスグレーになっている男子もそこそこいるのだが、ルリシアにオジサマ趣味はないし、そういう人に限って頭髪が死滅していたりしている。

これが令息たちに話しかけられても頬を染めて逃げる理由だ、そして、実際は彼らの将来の痛々しい未来の姿と頭部に吹き出しそうになるのを堪えるために逃げ出しているのが真相だ。


「ハゲも状態異常ですからね、キュアで治りますよ」


「私のキュアは毛生え薬か!?」


ったく、馬鹿にして……とぶつくさ言いながらもコーラを飲み終え、一息ついたのかルリシアは祭壇に跪いて、祈りを捧げ始める。


「真面目に祈って下さいね――今の信仰心では10000回祈って、ようやく聖女レベルが1上がるんですから」


「うるさいわね、わかっているわよ!」


 この神への祈りが聖女のレベル上げの重要なファクターなのだが、前世を思い出したせいでこの世界への神への信仰心がほぼ、ほぼ、ない。つまり皆無のルリシアは光魔法のレベルを上げるには、祈りは回数でカバーするしかないのだ。


「まだ聖女レベル3ですから、頑張ってくださいね」


「なんで、こんなに努力しなきゃいけないのよ!!」


「しなくても別にいいんですよ。契約では、努力はするもしないも自由ってことになってますし、ただ、しなければSAN値枯渇で詰みますよ」


「鬼! 悪魔!」


「邪神の下僕です」


 ルリシアの罵倒にしれっと答えながらニアは考えを巡らせる。ルリシアはぎゃあぎゃあ文句を言っているが、どうにか対価を支払うことが出来ている。若干危なっかしいとはいえ、邪神との契約の経過は順調なのだ。しかし、そんな順調な状態を面白いと思う主人ではないことをニアはよく知っていた。


(いずれ、テコ入れが入るんだろうな)


ニアはまた仕事が増えそうだ、と軽く肩を竦めた。



*****



 そんな風に予見していたニアなのだが、テコ入れが入るよりも早くヒロインの窮地は翌日にやってきた。



ルリシアは今、最大の窮地に立たされていた――――


 授業が終わると同時に、全力で教科書を鞄に仕舞い、教会に競歩ダッシュしていた渡り廊下で、攻略対象達に挟み撃ちされ、名状しがたい悍ましきクリーチャー、ではなく攻略『害虫』達に取り囲まれてしまったのだ。クリフォード王太子殿下たちに捕まってしまったルリシアは全力で彼らを見ないように目を伏せる。


「ルリシア、やっと捕まえた」


王太子は息を弾ませながらルリシアに話しかける。


「何の御用でしょうか? 殿下」


「君は歩いているだけだというのに随分足が速いんだね。実は今日は君の勉強を生徒会役員全員で見てあげたいと思ってね」


(カササ……と走る貴方の足の素早さに追いつかれてしまった自分が恨めしいです。いざとなったら飛んで追いかけてくるし、ゴキブリ、じゃなかった、クリフォード王太子殿下)


人間サイズのゴキブリに飛んで追いかけられるなんて地獄絵図だ。


「殿下や、宰相令息さまたちにお勉強を教わるなど恐れ多いです! 本当に本当に結構でございますから」


「しかし、君は魔法の実技試験はトップだが、歴史や語学はあまり芳しくないらしいじゃないか」


魔術師団長令息アルベルトが、気づかわし気にルリシアに口を開く。うう……臭い。


(芳しくないのは貴方の臭いです、カメムシじゃなくて、アルベルト様)


「国を代表する聖女たるもの外国語は最低でも二国語は話せないといけないのだよ、私なら正しい発音で隣国のセイクリッド語も共通言語のヤパン語も教えられる」


宰相令息ユリシーズも負けじと話しかけてくる。


(ぶんぶん羽音がうるさくて発音以前の問題です、ハエじゃなくてユリシーズ様)


 他の三人と比べてあまり成績がよろしくない騎士団長令息パーシバルも、目の前の(見た目だけは)愛らしい聖女にアプローチしようと声を張り上げる。


「俺は、剣術馬鹿であまり役に立たないかもしれないがいくらでも手を貸すぜ!」


(八本も必要ありません、いや、全部足か? ひいいっ、拘束用の糸が出てる、出てる! クモじゃなくてパーシバル様)


「で、ですが、夕刻のお祈りの時間ですの……」


4匹、もとい4人の追撃から逃れようと夕刻の祈りを言い訳にしながら、ルリシアはおそるおそる自分とニア以外に見えないSAN値球を見た。


「でえええええええっ!?」


 思わず、返事の後半が悲鳴になったのは、自分のSAN値球が無数の穴だらけの上にぷすぷすと煙を出しているのが目に入ったからだ。マジでくたばる5秒前というほどにズタボロ状態である。


(ひぃっ!? ちょっと待ってよ、バカスカ減っているじゃないの!? ちょっとニア、何とかしてよ!!)


(契約範囲外です)


 きっちり念話が脳になだれ込んでくる。

邪神の下僕であるニアはフラグ回収のイベントの邪魔はしないのだ。これは攻略対象達と仲良く勉強会のイベントなのだから。


(うわああああん、ニアの役立たず!! 誰か、助けて、きゅあああああ! きゅあああああ!!)


 出来るものなら、失神して、このキモイ、クサイ、ムゴイの三拍子揃った地獄絵図から全力で逃れたいところだが、そんなことをしたら、あの恐怖の『お姫様抱っこ』の再来だ。ルリシアは瀕死のSAN値球のあまりの危機的状況に、無自覚に覚醒した無詠唱キュアを球にかけ続けながら脳内で絶叫した。


その時、天の助けの声がルリシアの耳に届いた。


「何をなさっていらっしゃるの、クリフォード殿下? たとえ親切心からであっても大勢でたった一人の令嬢に詰め寄るのは紳士としてあるまじき行為ですわよ」


 王太子殿下の婚約者マーガレット・シュバルツ公爵令嬢の澄んだ声であった。美しい銀髪とアイスブルーの瞳が美しい、ややきつめの顔立ちながら非の打ちどころのない美少女だ。マーガレットは王太子とルリシアの間に立ち塞がり、毅然とした表情で王太子を見つめる。


(ああ、美しいものは目が休まる……)


ルリシアは心なしかSAN値球が修復されたような、気持ちがした。


「ルリシア様は、男性が苦手であることは初めて出会った時から周知のはずですが」


 金髪巻き毛の小柄で愛くるしい少女も、ルリシアを庇うように口を開く。

魔術師団長令息アルベルトの婚約者アイリス・ヒルデガルト侯爵令嬢だ。


(うう……可愛いに癒される、もっと言ってやってください)


正確には男性ではなく『害虫』が苦手なのだが。


「セイクリッド語と、ヤパン語の習得につきましては私の専属家庭教師をご紹介させていただきますわ」


(はうう……なんていい香り。さすが高位貴族令嬢の香水)


 宰相令息の婚約者ナターシャ・ハンブルク侯爵令嬢も彼らを嗜めるように、艶やかなブルネットの髪とヘーゼルの瞳を持った端麗な顔を曇らせ口添えをしてくれる。


「パーシバル、嫌がる令嬢に強引に好意を押し付けるなど、騎士道精神に反する行為だぞ」


(きゃあああっ、宝塚歌劇団の花形みたいな男装の麗人!!)


 長い赤髪を無造作にひとくくりにして背に流す、男装の麗人のようなイーリス・アレクサンドラ辺境伯令嬢も婚約者である騎士団長令息を諫める。


 婚約者たちに口頭で叩きのめされた王太子と令息たちは未練がましそうにルリシアを振り返り、振り返り、すごすごと去っていった。


(た、助かった……キュアー、キュアー、キュアー)


 その間にルリシアは怪我の功名で身に着いた無詠唱のキュアでSAN値球を回復させていく。SAN値球の穴がふさがり、どんよりと黒色に染まりかけていた色も引いてきた。心なしかSAN値球が白くなったような気さえする。初めての100%回復だ。


(うおおお、すげぇ!! 初めての全回復!! よっしゃあ!!)


心の中で小踊りしているルリシアの耳に、先程自分を救ってくれた美しい声が響いた。


「聖女ルリシア様、クリフォード様が失礼を致しました。私、出過ぎた真似を致しましたかしら?」


「そんな、シュバルツ公爵令嬢、助かりました(ああ、美少女って眼福だわ……)」


「まだ、お顔の色がすぐれないようですし、よろしければ私のサロンでお茶でもいかがですか?」


「えっ!? 私のような庶民なんかと恐れ多いです(いぢめる? いぢめる?)」


「まあ、素敵! 私もご一緒してもよろしくて? 聖女様とぜひともお話をしたいとかねてから思っておりましたのよ」


ナターシャ侯爵令嬢も可愛らしく胸の前で手のひらを打ち合わせ微笑んだ。


「私の実家から珍しい紅茶が届いておりますの、マーガレット様、私もぜひ」


アイリス公爵令嬢も、少し食い気味に話しに加わる。


「マーガレット嬢、よろしければ私もお仲間に入れてもらえないかな、なに彼らが押しかけてきたら、撃退する役も必要だろう」


男装の麗人のようなイーリス辺境伯令嬢も微笑みながらくちをひらく。


(はあ、目に優しい――ここだけ薔薇の花が咲き乱れているんじゃないかしら……)


 ゲームでは悪役令嬢と呼ばれる彼女たちだが、この世界は美形ぞろい、当然、彼女たちも極上の美少女たちだ。彼女たちの美貌に陶然としているうちにルリシアはいつの間にやらお茶会の誘いを承諾していた。


「はい、喜んで(なに喜んでるのよ、私? この子たちみんな悪役令嬢なのに)」


 しかし、承諾してしまった以上今さらである。

結局、ルリシアは軽く苛められておかないと断罪劇に必要な証拠がないなと思い返し、マーガレットたちのお茶の誘いを受けることにした。



それから一時間後――――


 はっきり言って、その日のお茶会は素晴らしく楽しかった。マーガレットも、ナターシャも、アイリスも、イーリスもルリシアを気遣い、お茶もお菓子も美味しく、最近の流行の髪形やアクセサリー、最近読んで面白かった小説についてなど、少女らしい話に花が咲いた。


(なんで、悪役令嬢たちとお茶して、こんなに楽しかったんだろう……?)


 前世でも今生でも友達などいたことがなかったルリシアは、お茶会終了後、この楽しさの理由がわからず不可思議な思いに首を捻りながら礼拝堂へと向かったのだった。


その頃、ニアは礼拝堂にて本を読みながら独り言を呟いていた。


「聖女レベルが一気に20も上がりましたね、ふむ……」



*****



――――時は流れ邪神との契約から半年後


「最近、楽しそうですね」


 教会の礼拝堂に、夕刻の祈りの為に上機嫌でやって来たルリシアにニアは話しかける。いつものように取り出したコーラを空中でキャッチしながらルリシアはにっかりと笑う。


「最近、魔力量と聖女レベルの上りが良くなったせいか、あの攻略『害虫』たちにSAN値削られても即回復できるようになったんだもん、そりゃ機嫌もよくなるわよ! 自分の才能が怖いわ♪ ほいっと、キュア!」


「才能、ですか? 果たしてれだけなのでしょうか」


 今日も今日とて攻略対象達のアプローチのせいで半分以上削られていたSAN値球は、ルリシアのキュアで全回復し、キラキラと白銀色に輝いている。大きさもリンゴから小ぶりのメロンサイズになっていた。聖女としての力が格段に上がっているのだ。


「なんか言った?」


「いいえ、それよりも最近祈りに来る時間が遅いことが多いようですが」


「ん――マーガレット様たちと勉強会してからお茶してきたから遅くなったのよ。聖女レベルも順調に上がっているおかげで、SAN値の対価も以前より増えてるんだし問題ないでしょ! ほら、あんたの分のお菓子も持ってきたから、食べなさいよ」


 ルリシアはニアの小さな手に白いハンカチでくるんだマドレーヌとクッキーを乗せるとコーラの栓を開け、ぐびぐび飲み始める。ニアのブルーブラックの瞳が真ん丸に見開かれる。


(この人がお菓子を分けてくれるとは……いや、そんなことよりも、この人は何で聖女レベルが上がっているのか全然理解してない!?)


「明日も、礼拝堂に来るの遅くなるわよ! みんなでお忍びで城下町に遊びに行くの!」


 上機嫌のまま、神に祈り始めるルリシアの聖女レベルが目に見える形で上がっていくのがわかる。もはや、堕落した聖女とは言えないほどに。今やルリシアの聖女レベルも、光魔法レベルも90を超えている。

そんなルリシアを見ながら、ニアは、あの契約の日から己の主である邪神からいっこうに現状を面白くするためのテコ入れの連絡をしてこないことが気になっていた。たまにくる連絡はニアを揶揄う様なたわいないものばかりで、ルリシアの順調な成長状況を妨害するようなムチャぶり発言も送ってこない。


(何を考えているかわからない方だけど……嫌な予感がするな)



*****



――――更に時は流れ、卒業記念パーティの前日


 ルリシアは明日の卒業記念パーティに着ていく聖女の正装を部屋に飾りながらうっとりと見つめていた。白い絹地の清楚なドレスに、青と金色の糸で刺繡されたベールが初々しい。彼女の髪と瞳の色の宝石、ピンクルビーとエメラルドがあしらわれた美しいロザリオを身に着けて出席するのだ。これらはすべて、マーガレット、ナターシャ、アイリス、イーリスから贈られた聖女の正装だ。そう、大好きな友人たちからの。


「いよいよ、明日ですね」


 ニアはルリシアの美しく虹色に輝く純白のSAN値球を見つめながら口を開いた。まさしく救世の聖女にふさわしいSAN値球だ。大きさも以前よりも更にふた回り以上大きくなっている。もはや、大玉スイカ以上のサイズだ。聖女レベルと光魔法のレベルはゲーム内では超えることが出来なかった上限突破を果たし、それぞれレベル250、大聖女レベルである。


「そうね、卒業記念パーティって、結構無礼講だから女子同士のダンスなんかもできるらしいのよ。男性パートのダンスも覚えているからみんなと踊るの楽しみ! あ、イーリスとは女性パートで踊るけどね♪」


ニアに用意してもらったコンソメ味ポテチを摘まみながら、ルリシアは上機嫌でコーラをあおる。


「そんな時間はないと思いますよ」


ルリシアの美しいSAN値球を小さな手の上に浮かべながら、対面に座るニアがにべもなく答える。


「へ?」


「明日、マーガレット様も、ナターシャ様も、アイリス様も、イーリス様も、あなたの攻略対象達によって公衆のもとで婚約破棄をされます。そして、聖女である、あなたに悪質な苛めをし、命までも狙った罪人として断罪されます」


「は!?」


ルリシアは一瞬混乱した、この邪神の下僕は何を言っているのだろう。


「ちょ、ちょっと待ってよ! マーガレットたちは私を苛めてなんかいないわよ。それに彼女たちと攻略対象のあいだは良好だし、私は彼らとのフラグは全部折ったわ」


 攻略『害虫』達との恋愛フラグである、弱っているときの励ましや、自信を失っている時に欲しがっている言葉や態度は全て、本来の婚約者である彼女たちの為にお膳立てしたのだから。攻略対象である彼らの、ルリシアに対しての好感度はせいぜい友情どまりのはずであった。無論、友情程度では彼らのパワーアップはさして期待できないが、それでもルリシアは自分が頑張れば魔王を倒せると思っていたし、事実彼女一人でも魔王を倒せる自信もあった。さっさと世界を救って、マーガレットたちとの幸せな日常に帰る気満々だったのだ。

正直、ニアが何を言っているのかさっぱりわからない。


「あなたが、最初に望んで邪神様と契約したことですよ。対価をきちんと支払った以上、明日、あなたがどれほど攻略対象達を止めようとも彼らは勝手に彼女たちの罪を捏造し、あなたの意志を無視してそれぞれの婚約者を捨てた上に、罪人に落としますよ。逆ハーレムの流れ上ね」


ルリシアの顔色が蒼白を通り越し真っ白になった。


「やめて! マーガレットたちを断罪するなんてやめて! 前世、今世含めて生まれて初めて出来た友達なのよ! なんで? なんで友達を卒業パーティで婚約破棄させて断罪しなきゃいけないのよ?」


「あなたが彼女たちと友情を育くんだからと言って、契約は覆りません。対価に応じた契約は執行されます。まるで、この一年間などなかったかのように、過程を無視して結果だけがそこに存在する、それが明日起こる現実です」


「何よ、そのキング●リムゾンみたいな設定は―――!?」


 ルリシアは頭を抱えて叫ぶ。言葉こそ、ふざけているように聞こえるが彼女のSAN値が、あまりの絶望にみるみるうちに減っていく。輝きが色褪せ、無数の穴が開き、どす黒く変貌していく。真の聖女となったルリシアでもSAN値の回復が間に合っていない。驚愕のあまりキュアを唱える事さえできないのだ。


(こういうことか……)

 

 邪神の狙いはそこにあったのだ。あたたかな友情によって育まれ、レベル上限突破の真の聖女となったルリシアのSAN値の簒奪、そして、最初に願った望みを無理矢理叶えることによって引き起こされる悲劇の結末。


 ニアはルリシアの新たな未来を幻視した。

愛する親友たちを断罪され、殺された絶望から真の聖女から呪怨の魔女に落ちたルリシアが王子たちを呪い、世界を呪い、そしてすべての破滅を願う絶望の未来を。闇に堕ちた強力な魔力で、自ら魔王を取り込み、攻略対象たちを皆殺しにした挙句、救うはずであった世界を滅ぼしつくすのだ。そして、嘆きと悲嘆のなか自ら命を断つ……

一人の少女の絶望が世界を崩壊させる、名状しがたい冒涜的な世界の終わり……だが、逆ハーレムの願いも、魔王を倒す願いも、きっちりと叶えている、嫌らしいほどに。思い返してみればハッピーエンドという言葉だけは契約に入ってはいなかった。

そう、邪神は何一つ契約を違えていないのだ。最初から分かっていたのだ己の主人は、この限りなくヒドインであったルリシアの真の力を。その凄まじい聖女としての才能を、墜ちてしまえば世界の崩壊どころか存在さえ無に帰するほどの名状しがたい悍ましい力。

己の主である邪神の哄笑が聞こえてくるようだ。


いつもの事だ。己の主の娯楽に過ぎない、ニアは唇を噛み締める。ルリシアが血を吐くような声で絶叫する。


「いや! 絶対に、いやぁ!! 何であたしの馬鹿な願いのせいであの子たちが不幸にならなきゃいけないのよ! あの攻略『害虫』達に追い回されて、最悪の一年間になると思っていた状況を救ってくれたのはあの子たちなのよ!! 契約を破棄させて、お願い……」


「対価を支払った以上、契約は絶対です」


ルリシアが綺麗に整えられていたミルキーピンクの髪をかきむしりながら頭をふりたくり、駄々っ子のように泣き叫ぶ。


「やだ! やだ! 私、馬鹿だった! 別に好きでもないのに、美形だってだけで逆ハーレムなんて望んだ私が馬鹿だった! 私、マーガレットもナターシャもアイリスも、イーリスも大好きなのよ!! 楽してズルして婚約破棄させようなんて、私が大馬鹿だった! お願いよ、ニア、なんでもする! なんでもするから私の友達を破滅させないで……」


 ルリシアはニアの足元に駆け寄ると、一年近く前に行った以上に完璧なスライディング土下座をした。涙がぽろぽろと絨毯を濡らしていくことだけが違っていた。嘗て、悪役令嬢として行動をしなければ捏造してでも彼女たちを破滅させてやると笑っていたヒロインはもういない。大切な友達を破滅から救いたいと願う、ただの少女がそこにいた。

 

 ニアは暫し、瞳を閉じて祈るように沈黙した。そして、意を決したように言葉を紡いだ。


「いいですか、よく聞いてください。邪神様と結んだ契約は絶対に破棄することは出来ません、ですが邪神様も、結んだ契約に対価が支払われた以上、()()()()()()()()()()を絶対に叶えなければならないんです。これだけはフェアであることにこだわる邪神様でも覆せないんです」


 ニアの言葉に涙でぐちゃぐちゃになったルリシアの顔が上がった。ニアは、深淵を見つめる賢者のような瞳で、ルリシアを見つめ返す。今なら間に合う……

ニアの真意を理解した瞬間、ルリシアの瞳に光が戻っていく。


「じゃ、じゃあ、邪神様が支払い済みの対価に見合うものを与えることが必須なら、払った以上、たとえ願いを変更しても等価の願いなら絶対に叶えなければならないってことよね」


 ニアは真面目な表情だが、その唇から紡がれる言葉はひどく優しくルリシアの耳に届いた。


「邪神様は既に対価を受け取っていますからね。それに、あなたと契約した時、願いの変更を禁じる! なんて言葉は一言も私は聞いておりません」


「な、ならお願い、私の友達を助けて! 世界を救って! 足りないなら私から何を奪ったってかまわないから」


ルリシアの必死の言葉にニアはゆるゆると頭を振った。


「既に支払われた対価に見合う願いと言ったでしょう。彼女たちの破滅を救って、世界を救うには、到底足りませんし、かと言って、これ以上対価を要求することも契約に反します」


この契約内容変更だけでぎりぎりなのだから。


「そ、そんな……」


 ルリシアの瞳から再び涙が溢れる。涙で霞む目に映ったのは何故かニアの笑顔だった。一緒に居る間一度も見たことがないニアの綺麗な笑顔、白いハンカチがふわりと舞い、ルリシアの涙がそっとぬぐわれた。


「だから、自分で救ってください、友達も世界も」


パチンと指を鳴らす音と、耳元にニアの鈴を転がすような澄んだ声が響いた。


「……これまでの対価程度では時間を私と出会う前に戻すのがせいぜいなんですから」


「え、えっ、ニア!?」


「さよなら、ルリシア。以前もらったお菓子のぶんもおまけにつけておきますよ」


――――世界が輝きに満ちた。



*****



「……あれ、ここは?」


 ルリシアは明日、腕を通すはずのマグノリア王立学園の可愛らしい制服を飾ったドレッサーの前に立っていた。なんだか、一瞬のうちに悍ましくて、楽しくて、幸せで哀しい夢を見ていたような気持ちだ。


「いきなり、前世なんか思い出すからこんな気持ちになったのかな……」


 彼女は、自分が前世、身勝手で自己中で、友達もおらず、たった一回の挫折で自分だけの世界に引きこもり、周りにいる人たちの手をその傲慢さゆえに振り払って、ひとり寂しく死んでいった事を思い出したばかりだった。何かに夢中になっていたような気がするけれど、その記憶はひどく薄い。でも、必要だと思った時にはきっと思い出せる、そんな不思議な確信もあった。


「今度こそ、後悔しない生き方したいな。そして、みんなに会いに行きたい……」


 不意にくちをついた、みんなという言葉にルリシアは違和感を覚えた。この世界で自分は天涯孤独で、孤児院にいた時も友人と呼べるような者はいなかったはずなのに。


「あれ? 綺麗なハンカチ」


 ルリシアはいつのまにか自分が手に握っていた白いハンカチを目の前に広げた。甘い香りがする、何かお菓子でも包んでいたかのような。その優しい香りに、何か大切な事を忘れているような懐かしさが胸をよぎった。暫くルリシアはハンカチを見つめていたが、諦めたように肩を竦めると、ハンカチを丁寧にたたみ制服の胸ポケットに入れた。

そして、この世界の聖女としての第一歩を歩む、明日への期待と不安を抱きながら眠りについたのだった。




――――そして、時は流れ王立学園を卒業したルリシアは仲間たちと共に魔王を倒し世界を救った


 聖女の加護の力でその能力を最大限に強化された頼もしい四人の仲間たちと共に打ち倒した魔王が塵となって消えてゆく。ボロボロになって互いを支え合う聖女と仲間たちが言葉を交わす。


「やったわね、ルリシア」


「やりましたわね、私たち」


「魔王の凄まじい状態異常魔法……ルリシアのキュアがなかったら危なかったよ」


「君の加護なしでは到底なしえなかった……」


「みんな……」


 ルリシアは言葉に詰まって、泣きながら愛する()()()()を抱きしめた。世界を破滅に導く魔王は聖女と聖女の強い()()の加護を受け、勇者となった公爵令嬢マーガレット、賢者となった侯爵令嬢ナターシャ、大魔導士となった侯爵令嬢アイリス、聖騎士となった辺境伯令嬢イーリスに滅ぼされ、世界は光を取り戻したのだ。


 マグノリア王国に凱旋した、聖女たち一行は救世の乙女たちと讃えられ、その存在は国の女性たちの地位を上げる大きなきっかけとなった。あらゆる分野に、数多くの優秀な女性たちが進出し、果てはこの国に初の女王が戴冠するという、かつては男尊女卑気味であった世界の風潮をひっくり返す最先国としてマグノリア王国は大いに栄えたという。


 そして、救世の聖女となったルリシアは、その美しさと聖女の血を欲する数多の高位貴族令息たちから殺到する婚約の申し出を全て断り、その生涯を神への祈りと未来を担う子供たちの為に捧げた。

彼女が各地に学校や孤児院を設立する為の資金は、彼女のキュアだけが救うことの出来る薄毛に悩む高位貴族から庶民に至るまでの身分に応じて割高になる献金がかなりの割合を占めていたという。後に、ルリシアは『友愛と増毛の大聖女』という、あまり嬉しくない称号を教会から頂くことになる。

 

 再び時は流れ、ついにルリシアが神のもとに召される日がやってきた。定められた寿命だけはたとえ、聖女であっても覆すことは出来ない。涙にくれる最愛の友人たちと、自分を慕う子どもたちに見守られ、大聖女ルリシアは、息を引き取る寸前に、古びた白いハンカチを握りしめ微笑んだという。その臨終の言葉は。


「お菓子のお礼にしちゃ、こんな幸せな生涯もらいすぎよ。ありがとう、ニア……」


 このニアという名前は聖女ルリシアの長い生涯の中で関わった数多の人々の中に一人もおらず、偉大な聖女の生涯を語る物語の中でも謎の一つとして語られている。

そして、聖遺物として残された白いハンカチは、誰言うともなく『ニアのハンカチ』と呼ばれるようになり、世界を救うほどの友愛に恵まれた聖女ルリシアにあやかり、祝日となった彼女の生誕日に、白いハンカチを大切な友人に贈り合う日として末永く伝えられたという。




読んでいただきありがとうございます。

シリーズものではないのですが、邪神の下僕ニアの悪役令嬢との物語、『断罪前日に前世を思い出した悪役令嬢は邪神の下僕と出会う~邪神のきまぐれ救済はタダじゃない、対価の為に奔走します!』という短編も書いております。こちらも、読んでいただけたら嬉しいです。ブクマ、評価★を頂けたらさらに嬉しいです、よろしくお願いします!


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