今さら遅いです
昼間はエリックの見ている側で聖女としての務めを果たし、夜は執務室で共にお茶をしながら彼が仕事をしている姿を見ているという奇妙な生活をスタートさせて一週間ほどが経ちました。
暗殺者が多いとは聞いていましたが、その数は常軌を逸しています。
それもそのはず。執務室での業務の殆どは不正を犯した役人や貴族たちを糾弾するための資料作りなのです。
暴露されると今の地位を追われると肝を冷やしている有力者たちがエリックを亡き者にしようと結託しているみたいでした。
「この辺りは荒地で使い物にならないと思っていたが、君は土壌をも治癒魔術で回復させることが出来るのか」
「出来るようになったのはつい最近です。結界を張るついでに、何か出来ることは無いかと考えまして。魔物の群棲地付近は荒れた土地が多いですから、こうして少しずつ治しています」
エリックは私が密かに研究していた土壌に活力を与えて回復させる治癒魔術を褒めて下さいました。
まだ規模も小さく、効果もそれなりなので実験レベルでしか使っていないのですが、気に入って頂けたのでしたら何よりです。
「これは画期的だよ。もっと誇っていい。いや、誇らないから君らしいし、それが美点なのかもしれないな」
「よく分かりませんが、お褒め頂き光栄です」
こんな会話をしつつ、私は魔法で、エリックは剣で、時々現れる魔物と、ごく稀に現れる暗殺者を倒していました。
エリックの剣術を見ていると護衛など要らないと豪語する理由が分かります。護衛すらも信じきれていない悲しい本心も――。
魔物の青い血を拭う彼の姿を見て、私はエリックがいつかポッキリと折れてしまわれるのではないかと心配になってしまいました。
「おーい! エリック殿下! レイア!」
結界もそろそろ張り終える、と思っていた矢先――私たちを呼ぶ声がしました。
この声はフィリップの声です。どうしてこんな所に……。
「はぁ、はぁ、殿下……、お久しぶりです。レイア、よく見るとお前もジルに劣らず綺麗だな……」
「久しいというほど間は空いていないが、どうしたというのだ? 息を切らせてこんな所に」
「それはどうも。珍しいですね。フィリップ様が私にそのようなことを仰せになるなんて」
必死な表情でこちらに駆け寄って来られたフィリップにエリックも不思議そうな顔をします。
この方が私の容姿を褒めた? こう言っては失礼ですけど不気味でしかありません。
本当に何をしにこちらに来られたのでしょうか……。
「レイア、ジルと婚約を破棄してきた!」
「「――っ!?」」
「ジルは面倒くさい女だった。お前が虐めなんてするはずないのに、そんなことを吹聴して俺を惑わせる質の悪いことをしていた。だから、スパッと別れてやったのさ」
何というスピード婚約破棄。
あなた、私との婚約を破棄して妹との婚約破棄もたったの一週間で成し遂げたのですか? 何かしらの記録を狙ったとかそうとしか考えられないことをされますね……。
「そうですか、それは残念です。ウェストリア家とジルベルト家は縁が無かったということですね……」
「何を言う! 縁ならまだあるぞ!」
「……? いえ、私とも妹のジルとも婚約破棄されたのですから、もう縁はないと見て差し支えないでしょう」
「もう一度、婚約し直すんだよ! 俺とレイアが! そもそも一週間前までその予定だったんだから、元鞘に戻って、全部水に流して、万事解決だ!」
フィリップはとても良い表情をされながら、もう一度私と婚約したいと冗談のようなことを仰っています。
いくらなんでも都合が良過ぎませんか? 私が信じてくださいと訴えた時は全く聞く耳を持たなかったのに。
「フィリップ様、私とフィリップ様の縁はあの日に終わりました。婚約というのは一種の契約ですし、それを一方的に反故にしておいて、もう一度というのは些か不義理ではありませんか?」
「そ、それはそうかもしれんが、俺は騙されたんだぞ。お前の妹に騙された被害者なんだ。その点を汲み取ってくれ」
騙されたのか、どうなのかとか知りませんよ。
簡単に騙された挙げ句、その妹とその日のうちに婚約されましたよね。
そして、直ぐに別れて、直ぐによりを戻そうとする――この一連の流れが単純に嫌です。
「よく考えたら、物静かで面倒もかけそうにないお前の方が良いって気付いたんだよ。聖女っていうのもステータス高いしな。エリック殿下、殿下からも説得してください。色々と相談に乗って頂いてましたから、話の流れはご存知ですよね?」
フィリップは泣きそうな表情で私に求婚します。
しかし焦ってそんなことを言われても私には響きませんし、はっきり言って不快でしかありません。
更にエリックにも援護射撃を頼んでいます。
そういえばフィリップがエリックに相談していたから、あの日に彼が私に声をかけたんでしたっけ。
「卑しいな……」
「へっ……?」
「フィリップ、正直に言って僕は君を見損なったぞ。ジルの言うことを真に受けて、僕にレイアには聖女としての資質がないと訴えた――そこまでなら、君に人を見る目が無かったとして飲み込んでやろうと思っていた」
エリックは今までに見たこともないくらい冷たい表情でフィリップを見据えます。
淡々とした諭すような口調ですが怒気を孕んでおり、フィリップもその迫力に圧されて言葉を詰まらせていました。
「だが、自分の軽率さを反省せず――あまつさえ、レイアに謝罪すらせずに求婚? お前には人としての道義がないのか? ジルベルト公爵が人道すらも跡取りに学ばせていないとは思わなかったな」
「そ、それは、そのう。こちらも騙された立場で気が動転していて。レイアには謝るつもりだったさ」
「それを身勝手だというのだ。まずは自分の欲求からというその浅ましさ。そして一度、婚約を破棄した相手に求婚する厚顔無恥なところ。君は卑しいよ。人の道を踏み外した畜生だと言って良いほどに、ね」
自己の行いについて糾弾されたフィリップは反論をするのですが、次第にエリックの怒りが伝わったからなのか顔を青くして震え出しました。
この方が正義感が強いと言われている理由と、それ故に敵を作りやすい性格だということが分かったような気がします。
「今後はジルベルト公爵家との付き合いは考えさせてもらうよ。君のこともお父上には伝えておくからそのつもりで――」
「で、殿下!? それはないですよ! ゆ、友人だと思っていたのに! ――ひっ!?」
エリックはジルベルト公爵にもフィリップの今回の行為のことは伝えると言い放ち、それについて文句を言おうとしたフィリップの首を掠めるように剣を突き出しました。
「この辺りは魔物が多いことは知っておろう。……あと、友人だからこそ僕は間違っていることは間違っていると言う。ぬるま湯につかって同調することが友情というのなら、僕との間にはそんなものは最初から無かったと思うことだ」
剣には牙を剥き出しにしたサーベルパンサーが突き刺さっており、フィリップは口をパクパクさせながら尻もちをついていました。
そして、涙目になりながらその場を走り去ってしまいます。
「ふぅ、僕の嫌なところを見せてしまったね。また一人友人を失ってしまった」
「では、私が友人になって差し上げましょうか?」
「――っ!? ふふふ、あはははっ!」
寂しげな表情で友人がいなくなったと仰せになられたエリックの友人に私が立候補すると、彼は大きな声で笑い出しました。
そ、そんなに面白いことを申し上げたつもりはないのですが……。
「君が冗談を言うとは思っていなかった。こんなにも愉快なのは久しぶりだな」
「じょ、冗談を申し上げたつもりは――」
「そうか。そうか。真剣な顔で友人になってあげると言われたことなど無かったから笑わせようとしていると思っていたのだが、本気だったか」
友人になろうという台詞が冗談に聞こえるとは思いもしませんでした。
エリックのイメージどおり私は冗談の一つも言えぬ人間ですし、真剣そのものだったのですが……。
「だが、僕は君ともっと深い仲になることを望んでいる。こんなにも人に興味が湧いたのは初めてだからな――」
「エリック様……?」
いつの間にか私はエリックに肩を抱かれていました。
この方はいつも寂しげで、孤独が好きなのかと思っていましたが、そうではなく愚直に真っ直ぐにしか進めない不器用な方だということが何となく分かりました。
そうですね。私もエリックのことをもっと知りたいと思っています。
私をあの家から連れ出してくれた、その瞬間から――。