王太子は涙を笑う
「そうですなぁ。レイアをエリック殿下の護衛に……ですか。現実問題として難しいかと存じます。この娘は定期的に結界の修繕を行っていますし」
父はエリックからの打診を受けて、極めて常識的な答えを出しました。
そうです。私は王室からの依頼で動いているのです。
エリックも勿論、王室の人間ですが彼一人を護るためにスケジュールを動かす訳にはいきません。
「あー、そうそう。それだけど、僕も付き合うよ。聖女の務めってやつに」
「つ、付き合う? 殿下がレイアの仕事に……、ですか?」
「うん。レイアがこの国の聖女として相応しいかを見極めたいっていうのもあるから。彼女の仕事ぶりを観察しようと思ってるんだ。父上にもその許可は取った」
今日の観察とやらをこの先も続けようとされるってことですか?
護衛される側がそんなことをするなんて普通はあり得ないと思うのですが……。
「国王陛下に許可を……。なるほど、承知しました。それなら、レイアを王宮に――」
「お、お父様!!」
「「――っ!?」」
大きな声でした。
お腹に力を込めないと出ないようなしっかりとした発声。
妹のジルがエリックの申し出に納得しかけた父の言葉を遮り待ったをかけたのです。
「ジル、一体どうしたというのだ? というより珍しいな、お前が大きな声を出すなど。殿下の御前だぞ。慎みなさい」
父は大声を出したジルを不思議そうな顔をして咎めました。
不機嫌そうな顔をしていたジルは、ハッとした表情をした後に穏やかな表情に戻ります。
一体、何がどう気に食わないのでしょうか……。
「お、お父様、レイアお姉様が王宮へ行かれると……わたくし、寂しいですわ」
「んっ? ジルよ、さっきお前はレイアが居ない方が良いと言ってなかったか?」
「ええっ!? そんなこと、わたくし言ったことありません! お姉様はお優しいですし、いつも側に居てほしいと思っていますの」
耳を疑いました。
毎日のように私から意地悪をされていると訴えていた妹が、事もあろうに私に側に居てほしいと言うなんて。
この子は自分の言ってることの矛盾に気付いているのでしょうか?
「君がジル・ウェストリアか。僕はフィリップ・ジルベルトの友人でもあるのだが……。彼は君の姉であるレイアが君のことを虐めているとジルから聞いたと言っていたが」
そうでした。
エリックはフィリップの友人であり、私がジルを虐めているという相談を受けていたのでした。
だからエリックはジルの言動を変だと思って質問したのでしょう。
「わ、わたくしがフィリップ様にお姉様の悪口を? そ、そんなこと、わたくしは申し上げていません。ただ、お姉様は凄いのにわたくしはダメな落ちこぼれで……、と落ち込んでいた時に相談に乗って頂いただけでして」
目をウルウルさせて、涙目になりながらジルは私がジルを虐めているとフィリップに告げ口したことを否定します。
本当に誤解であったと納得させてしまうような、そんな雰囲気を彼女は醸し出していました。
「では、フィリップがお前の話を聞いて勝手にアリもしないイジメを妄想した痛い奴になるか、お前が誰しもが誤解を生むような言い回しをしたか、どちらかになるがよろしいか?」
「そ、そんなぁ。エリック様、酷いですぅ~~。ぐすん……」
涙をボロボロ零しながら、エリックの追及には一切答えようとしない彼女。
ジルは矛盾を突かれると泣き出すクセがあります。
悲劇のヒロインを演じるのは良いのですが、辻褄が合わなくなると、この子はすぐに泣いて誤魔化そうとするのです。
もっと厄介なのは父や他の男性はそれ以上の追及をすることを止めて彼女に謝りだすことですが――。
「殿下、フィリップ殿がジルとレイアについて何をどう訴えていたのか分かりませぬが、ジルも泣いておりますし……この辺にしておいてもらえませんか?」
思ったとおり、面倒くさがりな父がエリックに追及を止めるように助け舟を出しました。
ジルはまだグスッと泣いています。大粒の涙をきれいに落とすものだと感心するくらい――。
「ははははは、涙如きで現実が捻じ曲がるなら僕はどんなに生きやすかったか! それに先日、泣いてる女に背中から刺されかけたからな。はっきり言って不愉快なんだ、この状況が」
「ぐすっ、ぐすっ……、ふぇぇぇん……、エリック様、あんまりですわぁ~~」
泣くジルを見て、笑うエリック。
よく分かりませんがエリックはジルに嫌悪感を抱いてるってことでしょうか……。
「一つはっきりしたのは、聖女レイアが妹であるジルを虐めていたなどという事実は一切ないということだ。ジル本人から言質を取ったのだから間違いはない。それなら、安心して王宮へ――」
「お待ちください、エリック殿下。レイアはジルを虐めています。優しすぎるジルはそれに気付かずに追い詰められているだけなのです。ですから、殿下が王宮になど連れていけばきっと迷惑がかかります。ましてや、殿下の妻になどなれる素養はありません!」
とんでもない早口で虐めているという事実が無かったとしたエリックに対して義母のエカチェリーナが否定します。
ジルが気付かないイジメって……。そんなに私が王宮に行くことを止めたいのですか……?
「ふーん。じゃ、虐めていたかどうかについては一旦保留にするよ」
「ほっ……、それがよろしいかと存じます」
「では、尚更のこと二人の姉妹は離れて暮らした方が良いな。そうだろ? ウェストリア伯よ」
「ふむ。それもそうですな。殿下がよろしいのであれば」
「「――っ!?」」
アテが外れたというようなエカチェリーナとジルの表情を見た私は、ちょっとだけ笑いそうになってしまいました。
あの二人があんなに面食らった顔をするのを今までに見たことが無かったからです。
「話は決まったな。君はこの家から出たほうが良い……」
「え、エリック殿下……?」
唐突にエリックに手を握られた私はそのまま王室の馬車に乗せられて、宮殿へと連れて行かれました。
この日から私の新しい生活が始まったのです――。