一つの戦果と新たな火種
「妙だな……」
いつものように執務室で業務に勤しむエリックは突然、そのような声を出しました。
静かな夜ですし、一昨日から暗殺者も一人も現れていないみたいですから、平穏そのもののような気がしますが……。
「やはり、妙だ! こんなに長い間、誰も僕を暗殺に来ないなんて!」
「えっ? そこですか!?」
ガタッと席を立って、カーテンを開けて外をご覧になるエリック。
いくらなんでも、自らスキを晒すことは避けて頂けませんでしょうか。
それにしても、暗殺が日常に溶け込んでいるような発言は衝撃的過ぎました。思わず、ツッコミを入れてしまうくらい。
「さすがに暗殺者の数が尽きたのでは? エリック様の命を狙っている方が、暗殺者が無数に出てくる魔法の壺を持ってあるはずもありませんし」
「うん。確かに今月だけでもかなりの人数を収容して、処罰したけど……」
「リンシャも暗殺者もそうじゃない人も沢山ぶっ飛ばしたネ」
「リンシャ殿、それはどうかと思いますぞ。それでは、殿下。我々は外の見回りに行ってまいります」
私はエリック殿下を狙う暗殺者がいい加減いなくなった説を提唱しました。
そもそも、既に異常な数の刺客が送り込まれているので、魔法の壺の存在すら疑いたくなる状況でしたけど。
とにかく、命を狙う不埒な者たちがいなくなったのでしたら良いことです。
「そうだね。レイアの言うとおりだ。不届き者がいないことは歓迎すべきことなのに、それを一つの戦果として素直に喜べないなんて……。本当にどうかしてるよ」
「やはり、暗殺者の襲撃はなくとも首謀者が諦めた……とは考えられませんか?」
顔を曇らせるエリックに私は彼の暗殺しようと企んでいる者が諦めた可能性について問いました。
これだけ沢山の刺客を送って失敗しているのです。色々と具合が悪いことが起こっていると思いますが……。
「それは、まだ考えられないかな。慎重になっているだけだと読むべきだと思っている。無闇に暗殺者を送ることを止めたにしても新たな手を打ってくることは間違いないだろう」
「新たな手ですか。怖いですね。今までどおり暗殺者にも注意を払いつつ、思いもよらぬ手とやらにも警戒しなくてはならないなんて」
確かにそうですね。
これだけの数の刺客を送るためにはかなりの財力を使わなくては無理です。
となると、心理的にも無駄にしたとは思いたくないはずですから、簡単に諦めたと考えた私が軽率でした。
「とはいえ、襲撃が無くなったのは……、君のおかげだよ。レイア」
「私のおかげ? いえ、そんなはずはありません。私が護衛をしている時間なんて一時間から二時間程度なのですから」
「それでも、君が護衛をするようになってからというもの、あっさりと暗殺者たちが捕まるようになったからね。君は気配を察知して行動不能に追い込むまでノーモーションで行う。これは暗殺者にとって脅威だよ……」
聖女になる為の最低条件は結界を張りながらでも魔物の襲撃を制圧する程度の強さです。
それをクリアしつつ、治癒術などの癒やしの力をマスターしていきます。
ですから、私は聖女になった時点で両手が塞がっていても、生物の位置を感知して魔法を当てるくらいのことは出来ていました。
まさか、その訓練がエリックの護衛として役立つとは夢にも思いませんでしたが……。
「君が僕の護衛に徹すればいずれボロが出るとか、勝手に判断してくれたのかもしれない。それだけ、聖女の護衛というのはインパクトが強い」
「そういうものですか?」
「そういうものだよ。君が側にいてくれて本当に良かった」
エリックは顔を近付けて私がいて良かったと仰せになってくれました。
時折、吸い込まれそうになるほど澄んだ瞳に見つめられ、私はハッと息を呑みます。
私のこのような力など無くともあなたが笑っていられる日常を……そんな日常をエリックに送ってほしい。
それはいつしか私の願いになっていました。
「エリック様、大丈夫ですよ。一つ戦果が上がったのでしたら、それは前進です。新たな火種が出てこようとも、前に進むことさえ忘れなければきっと報われます。いえ、私も報われるように力をお貸ししますから」
「まったく、フィリップはどうして君との婚約を破棄したのか理解に苦しむよ……」
「フィリップ様がどうかしましたか?」
「いや、君が素晴らしい女性だと言っただけだ」
静かな夜が非日常であることなど許されてはなりません。
どうか、当たり前の平穏がこの方に来ますように――。