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彼の日常 2

「それから六年後、君は本当に教師になって、しかも僕とこうしてお酒を飲んでいるわけだ。いやあ、そう考えると感慨深いものがあるね」


 金木はビールを呷ると気持ちよさそうに息を吐いた。

 美咲に手厳しい一言を受けた日の帰り、俺は同僚であり先輩である金木と近くの居酒屋に来ていた。


「で、念願の教師になって早一ヶ月が過ぎたわけだけど、どうだい、調子は」

「大きな問題は今のところありませんね。小さな問題、というか厄介事は数えればきりがありませんが」

「というと?」


 俺は金木に美咲のクラスの授業の様子を伝えて聞かせた。

 話を聞き終えた金木は同情を含んだまなざしで俺を見る。


「それは大変だろうね……今の子たちは君の頃とは違って超人かどうかで人の価値を判断する癖があるからねぇ」

「でも、金木先生も超人だってことは公表してないですよね?」

「そりゃ君だって同じだろうに。まあ僕の場合、公表すれば“趣味”に影響するからね」


 ジョッキを傾けながら、そういえばこの人犯罪者なんだよなぁと今更ながらに思い出す。この人に興味を持たれたのも、その趣味の現場を目撃してしまったためだった。


「で、君は?」

「へ?」

「へ、じゃないよ。君はどうして超人だって公表しないんだい? そうすれば生徒たちから舐められることもなかっただろうに」

「正直に言っていいですか」

「うん」

「超人科の遠征に付き合わされる可能性を排除しておきたかったんです」

「あー」


 金木は合点がいったとばかりにうなずいた。

 俺は箸で枝豆を剥くと、それを口の中へ放り込んだ。


「確かに、君の懸念は最もだね。超人の教員は超人科の遠征に付き合わされることがある。なんなら、リンデクラウドにも入隊してね」

「俺たちは教師ですよ。別にリンデクスと戦うのが仕事じゃない」

「まあ、戦うことを将来の夢にしている生徒も一定数いるからね。その生徒たちをよそに丸投げするってわけにもいかないだろうし、引率が必要なのも分かるんだけどねえ」


 俺たちの勤務する高校には「超人科」という科目があり、各クラスから志願した超人の生徒のみが受講できる。

 内容はリンデクラウドの学生版、つまりはリンデクスや魔核関係の仕事をリンデクラウドから実習として任されるのだが、これがもうキツイ。

 なにせもう俺が中学生だった頃と違い、都市の数は激減し、人の死はビールと枝豆くらい身近なものになった。そのため、実習とはいえ危険なものだって多いし、死者だって出ることがある。

 そんな危険な目に実習という形で生徒を送り出すのはどうなんだとも思うが、それは俺がまだ事態の深刻さを理解出来ていないだけだろう。今この街に、いや日本全体に、力のある若者を遊ばせておく余裕などありはしない。国が、人が、生きるために必死なのだ。


「とはいえ、そんな苦境の中にいるこの街にも、こうして俺たちが呑んだくれる場所はあるわけですね」

「戦士にも休息は必要さ。それに、こうして僕らみたいのがいなかったら店は潰れ、店員は路頭に迷ってしまう」


 言ってしまえばこれは慈善活動さ。

 再びビールを注文した金木は上機嫌に笑う。


「でも、藤巻くんの件は面倒そうだねえ。僕でよかったらなんとかしてあげるけど」

「……本当ですか?」


 金木の提案は実に魅力的だった。目の前の男は呼吸するのと同じように嘘を吐くが、自分と利害が一致する相手に対して信用を失う行為は最も避けることの一つだったからだ。


「うん、いま丁度“チョウ”が足りてないんだ」


 一瞬、何を言ったのか分からなかった。

 俺の様子に気づき、金木は少し困ったように笑った。


「そうか、君は僕の収集癖は知っているけど、具体的にそれをどうしているのか知らなかったか」

「まあそうですね」


 たいして興味もなかったが人を攫うのを収集癖と呼ぶような彼が碌なことには使わないだろうことは目に見えて明らかだった。「で、ヤママユガでも捕まえたいわけですか?」


 自分的には洒落た返事だったのだが、金木には意味が分からなかったらしく、頭に疑問符を浮かべた。


「葉村くん、ヤママユガはチョウではないよ」

「分かってますよそんなことは」


 どうやら元担任はヘッセも知らないらしい。中学では有名な作品だと思うのだが……。呆れと諦観を溜息で吐き出してから言った。「で、収集したチョウはピンに挿して鑑賞でもしてるんですか?」

 金木は周囲を一瞥し、少し声の音量を下げて言った。


「まあ鑑賞、というのは同じかもしれない。人を逆さにして一晩置くとどうなるのかだとか、自分の体で自給自足させて生活させて何日保つだとか。基本的には人の苦しむ姿を見るために色々やってる感じかな」

「ふうん」


 ジョッキに僅かに残っていたビールを飲み干す。それまでと変わらない、特に美味くも不味くもない、炭酸の抜け始めたビールだ。

 ちょうどよく店員がウイスキーを持ってきたので、それを一口含む。焼けるような感覚が喉を通り胃へと落ちていき、なんともいえない心地よい感覚から次の一言がさらっと出た。


「先生って本当に狂ってますよね」


 別に嫌悪感を覚えたわけではなかったが、客観的に見て、彼の趣味嗜好が社会に受け入れられるとは到底思えなかった。悪意のない、あくまで事実確認としての発言だったが、金木は眉を八の字に曲げて悲しんだ。


「自覚はあるけど、僕だって苦しいんだよ。例えば君は今ウイスキーの水割を呑んでいる。それで今日三杯目だ。君は仕事で辛いことがあっても、仕事終わりにこうして同僚と愚痴を言いながらウイスキーを呑めばストレスを発散することができる。そうだろ?」

「……まあ、多少は発散できるかもしれませんね」

「だよね。じゃあもしそれが法律で禁止されていたら。さらには君の楽しみや趣味全般が禁止され、世の中の人々から侮蔑と嫌悪の眼差しを向けられたら。君は耐えられるか? ただ生まれたときに少し周りと違うだけなんだ。なのに、それだけで僕は生きる楽しみ全てを制限されている。こんな酷いことってないだろう?」

「いや、どう力説しようと犯罪は犯罪ですからね」

「……君は本当に冷静だなあ」


 興が削がれたといった様子で脱力し、金木はごくごくと新しくきたビールを呷った。


「正直、先生の趣味に興味もないし干渉する気もありませんが、あんまり他人にそういう話をべらべらしない方がいいですよ。大抵の人は悪い冗談だと引き攣った笑みを浮かべるか迷わず通報します」

「いや、流石に君以外にこんな話はしないよ……」


 金木は焼き鳥を串から分離させる作業をしながら言う。「君は変なところを心配するなあ」


 別に金木のことが心配なのではない。大体、俺が中学生のとき、つまりもう六年以上も教師をする傍ら、数々の非道を行っている男だ。そんな簡単に捕まるようなヘマはしないだろうと思った。


「それよりも学校の話だ」解体作業を終えた金木は、箸で丁寧に肉を口に運んだ。「学校で何か困ったことや疑問はないかい? 今日は元々そういう意図で呼んだのだから、何かあれば遠慮なく聞いてくれて構わないよ」

「先生だって元は中学で、高校生の相手はそれほど長くはないでしょう」

「まあね。けど、君より長いのは事実なんだから、少しでも答えられることがあれば、と思ってね」

「意外ですね」俺はグラスの中に浮かぶ幾分小さくなった氷を箸でつつく。「先生がそんなに親切だと、裏がないか心配になります」


「君は本当に僕を信用していないよね」


 金木は心の底からがっかりしたような顔をした。


「じゃあ、さっきの藤巻翠をなんとかするって話。そこまで言うならタダでやってくれますよね」

「いやぁ、流石にその案件をボランティアはなあ。僕にも色々仕事ってものが……」

「はあ、もういいです」

「ちょ、その重い溜息はやめてくれよ。良いかい、僕は確かに人とは違った性癖を持ってはいるが、他の点は普通の人間と変わらない、善良な小市民なんだよ? そんな風に言われたら僕だって傷つくんだからね?」


 その性癖を持っている時点で善良ではない、という言葉は呑み込んだ。


「だから、他に何か悩み事とかないのかい? 元教え子であり、新任教師である君に悩みがあるなら僕のできる範囲で助けになりたいとも思ってる。これは本当だよ? だから、何かあるならこの際、遠慮なく言ってくれないか――」


 金木はそこで笑みを浮かべた。昔と変わらない、見た人を安心させる笑顔だ。


「うーん……さっきの件以外は特に困ったことはないですね」

「おいおい、君はまだ務めて一か月半、しかも結構面倒なクラスだって担当しているだろう」

「俺、昔から周りから何か言われてもあんまり気にならないんですよね」


 翠の件は流石に度を越しているきらいがあるが。


「あー、それは知ってる」


 金木は苦笑を浮かべると、時計を確認して腰を上げた。


「なら、今日はお開きにしようか。明日も早いからね。何かあったら、遠慮なく僕に話してくれ。教え子のよしみでできる限り力になるよ」

「ありがとうございます」


 勘定を終えた俺たちは店の前で別れ、それぞれの帰路に就いた。空は煌々としていて、三日月には薄い雲がかかっていた。あの薄雲に乗って天女が下りてきてもおかしくない。そんな綺麗な夜だった。


「藤巻くんの件、本当に良いのかい?」


 別れ際、金木は再びその話題を口にした。


「そうはいっても、先生、金取るじゃないですか」

「そりゃそうだけど、君は元教え子だし、安くするよ? 具体例を出すなら、回らないお寿司屋さんに三回行くくらいの値段で応じるよ?」

「それなら回らない寿司に三回行って、自分で問題も解決します」

「大きく出たね。まあ、君がそう決めたなら止めないよ」


 背を向けた金木はポケットに手を入れ、そのまま去っていった。

 彼がいなくなると俺は溜息を吐き、ポケットから煙草を取り出して火を入れた。

 月の光が強い夜道で、俺の吐いた紫煙ははっきりと現れ、すぐに消えた。


 ――さて、どうしようか。


 頭の中では自分で解決すると決めた問題に対して、どのように対処するかを考えながら、俺はゆっくりと灰色の息を吐いた。


読んでいただきありがとうございます。

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