出会い ~中学生~
小学生が終わり、また過去の話ですが、この話だけで終わりなので安心してください。
彼女の言うとおり、俺はこれまでの人生で大事な物事を見ることなく生きてきた。
最初に見落としたもの、それはもちろん志穂がどんな目に遭ったかを見なかったことだ。
今となっては理由も分からないが、志穂は大人と比べても遜色ないレベルの超人で、恐らく今の基準ならLevel3は確実だっただろう。
果敢に戦ったのかもしれない。俺を置いて逃げようとしたのかもしれない。だが、どうであろうとあの儚くも美しい四肢の折れ曲がり、犯され捨てられた彼女の姿が結末だし、俺はそれしか知らない。
そして、その過程で何があったのかを知らないことは、俺にとって今でも心の大きな楔となって俺という存在の中心に突き刺さっている。精神の奥底、感情の生まれる源泉に巨岩となって重く蓋をしているのだ。
今ではその蓋の隙間から湧き水のように少量ではあるにせよ感情が吐露されるようになったが、蓋をされて間もない中学校の頃は、僕は本当に限られた一部の人を除いて感情を全く表に出すことが出来なかった。
俺が中学生の頃の話をしよう。結局俺は軍学校へは進学しなかった。後ろ盾であった父がいなくなったのだから当然といえば当然なのだが、人生で初めて己で決めた進路であったために、それなりに落胆はあった。
そのため地元の中学に進んだわけだが、小学校を卒業する時点で右肩上がりだった友達の数も元通りになっていたうえ、勇人は剣道の推薦で他の都市に行ってしまったため、学校では完全に一人になった。しかもその頃からリンデクスの侵攻がいよいよ活発になり、飛行型のリンデクスも現れたことから、簡単には都市間を移動することは出来なくなってしまっていた。だから勇人とは小学校の卒業以来一度も会っていないことになる。
当時はリンデクス対策局であるリンデクラウドも発足前だったたし、超人化手術の成功率も高くなく、中学生の超人は極端に少なかった。
だから俺の進んだ中学校でも同級生の大半はどこかの部活に入って仲間と切磋琢磨し、入らない者でも友人や趣味を見つけて薔薇色か灰色かはさておき、俺と違って青春と呼べるものを謳歌していたのだろう。
そこまで考えていや、と俺は思い直した。こうして周りを羨むように言うが、自分だって等しく青春時代を過ごしたのではないか。青春というものを一定期間、つまりは少年期から青年期への変化の間の時代と捉えるなら俺もどう過ごしたかは別にして、一応は青春を謳歌したと言えるのではないだろうか。そもそも――――
「――おいおい、また話が脱線しているよ? 君の思い出話から何がどうして青春の定義について持論を展開する流れになったんだい」
教卓を挟んで向かいに座る先生は苦笑して俺の話を遮った。笑う度に夕焼けの日差しが先生の顔の影がゆらゆらと揺れる。
「すみません、最近は人と話すこと自体あまりなかったので」
「まあ、うん……葉村くんが他の子と喋っているのは確かにあまり見ないね。でもどうして急に僕に話そうと思ったんだい」
ああ、話してくれること自体は嬉しいんだよ?
先生は笑みを浮かべてそう補足する。彼の笑みは見ていてどこかほっとすると生徒の間では話題だった。
僕は手元に視線を落とした。組んだ両手を眺めていると、まるで誰か別の人間の手に思えてくる。
「……正直、自分にもよく分からないです。ただ、先生は俺がこんな話をしても受け止めてくれる気がしたんです」
「僕ってそんな頼りがいがあるように見えるかなあ?」
照れ笑いを浮かべる先生に俺は首を振った。
「いいえ、先生は僕のことに興味なんて一切ないと思ったので、先生ならこの話をしても特にお節介を焼こうとはしないと思ったんです」
笑い声が消えた。
頭頂部に突き刺すような視線を感じる。それでも俺は顔を上げず組まれた両手を穴が開くほど見つめていた。
「……葉村くん、いくら先生でも何を言ったって傷つかないわけじゃないんだぞ? 確かに僕と君はこれまで大きな接点を持ったわけじゃない。それでも、今年君の担任になって一年間君を見てきたし、もしも困っているなら力になりたいと思っている。だからそんな言い方をするのはよしてくれないか?」
諭すような口調で先生は言った。その声はどこまでも穏やかだった。
「はい。すみません、先生」
僕はゆっくりと顔を上げた。
「でも、ならどうして今先生は俺を殺そうとしたんですか?」
「――――――――」
先生が動きを止めた。まるで彼の周りだけ時が止まってしまったように、ただ驚愕の瞳を俺に向けていた。
先生がそうしていたのは一秒にも満たない時間だったかもしれない。すぐに彼の時は動き出し、いつもの笑みを浮かべた。
「い、今のはびっくりしたよ葉村くん、いくらなんでもそれは――」
「実は僕、超人なんです。だから分かるんですよ、先生が魔力を熾したの」
再び言葉を失った先生に俺は続ける。
「俺、この前先生がC組の柴田さんと一緒にいるの見ちゃったんですよ。彼女って男子からの人気も高いし、ああ、“そういうこと”かなあって思っただけで、特に気にしなかったんです。本当ですよ? 先生と同じで、俺も先生のこと別に興味もなかったですし――――でも、次の日からいなくなりましたよね、柴田さん。警察も捜してるし、彼女を目撃した人だっていない。俺を除いて――――」
魔力が目の前で爆発した。
一瞬で魔力を全身に行き渡らせた先生は、稲妻のような速度の突きを繰り出した。
ああ、これは死んだな――――
だが、死を確信させた拳は俺の手前数センチでピタリと止められていた。
どういうことだろう、と俺は顔を向けると、先生は気色の悪い昆虫でも見るかのように眉間にしわを寄せていた。
「……君は一体なんなんだい?」
「質問の意味がよく分かりませんが」
「今の拳、君には“視えていた”だろう? 君の瞳は僕の拳を最後まで見失わずに追っていた。だが君は躱さないどころか躱す“素振りすら”見せなかった。僕に殺されるのが目的なのかな」
「そんな目的を持つ生徒は誰もいないと思いますけど」
俺は椅子を引いて立ち上がった。目の前に大人の拳がある状態というのは誰でも落ち着かないだろう。
「じゃあなぜよけなかったんだい?」
「別に……拳自体とても速かったですし、こっちは魔力を熾す暇もありませんでした。ここで死ぬならしょうがないかな、と思っただけです」
「……強い子は沢山見てきたけど、君みたいなタイプは初めてだよ」
「俺も生徒を殺そうとする先生は生で初めて見ました」
そりゃ動物園のパンダじゃないんだから、と先生は苦笑した。
「どうして君はその目撃情報を警察に言わなかったんだい」
「特に理由はないですけど、強いて言うなら柴田さんってあんまり好きじゃなかったんですよね。自分がちやほやされるのを当たり前に思ってるっていうか。えーと、は、はな……」
「鼻につく?」
「そう、それです。彼女はとても鼻につく態度を取る人でした」
「君、それだけで同級生を見殺しにしたのかい……」
「やっぱり殺したんですか?」
「今のは言葉の綾だよ」
それにしても、と先生は続ける。「君は本当に変わってるね」
「親の育て方が変だったせいですかね」
「ん、君は確か片親だったか……うん?」
先生はピタリと動きを止めた。
「不躾なことを訊くけど、君のお父さんってご存命だよね?」
「さあ。生きているのか死んでいるのか、今どこにいるかも分かりません」
「踏み入った質問だけど、それはどうして?」
正直に話すか迷ったが、面倒臭かったので本当のことを話すことにした。
「うちの親父、都市追放令を受けたんですよ。三年前」
「三年前……それって」
「はい。都市障壁破壊事件の犯人とされているのはうちの親父です」
「……なるほど。通りで」
先生はくつくつと見たことないような笑みを浮かべた。それは人を安心させるにはほど遠い邪悪な笑みだ。
「君が変な理由が分かったよ。よもやあの事件を引き起こした男の息子がこんな近くにいるとは。流石に僕も分からなかったよ」
「身内びいきみたいですけど、多分俺の親父は犯人じゃないと思ってます」
それは俺と母がずっと考えてきたことだ。それをこうして他人に話すことも当時の俺には初めてだった。
「うん。その可能性は僕も高いと思うな」
そして先生はそれをあっさりと認めた。「あの事件はきなくさい話が多すぎる」
「先生って本当は何者なんですか? 明らかに普通の先生には思えないですけど」
「まあ普通の先生は生徒を攫ったり顔面にグーパンチして風穴開けようとはしないだろうね」
先生は立ち上がると、話は終わりだとばかりに立ち去ろうとする。
「結局俺は殺されなくていいんですか」
「本当に面白いことを言う子だなあ、君は」
そんな物騒なことしないよ、と先生は言った。
「ただ、さっきの話は出来ればこのまま内緒にしていてほしいな。この仕事は結構気に入っているんだ」
「分かりました」
どのみち俺には興味のない話だ。先生は扉の前で一度振り向き、鷹揚にうなずいた。
「君は昔軍人になりたかったんだよね? で、今はその目標も失い生ける屍と化している」
「はい」
少しニュアンスは違ったが、面倒だったので俺はうなずいた。
「なら、騙されたと思って教師を目指してみないか? 色々な人間と触れ合い、彼らの喜び、苦悩、葛藤、様々な感情を分かち合うのは素晴らしく有意義なことだよ」
先生は人を安心させる方の笑顔を作った。「きっと、君も他者に興味を持つようになる」
「……考えておきます」
少し迷った末に、俺はそう答えた。
「うん、分かった」
そうして先生は今度こそ立ち去った。
それが俺が高校教師になるきっかけをくれた先生――――金木亮との交流を初めて持ったときの話だ。
やっぱり出てきちゃうんですね。
ご意見ご感想あればよろしくお願いします。