運命の日~小学生~ 5
グロ注意です。
目が覚めたとき、西日の強烈な光に思わず呻いた。
そして激痛に思わず顔を顰めた。まるで陸に上がった魚のように体は鈍重な動きしか出来ない。
「ッ……そうだ、僕は」
そこで僕は気を失った理由を思い出した。そして自分がなぜ生きているのか不思議に思った。
だが、疑問はすぐに氷解する。目の前に答えがあったからだ。そして、答えはどうしようもなく残酷だった。
倒れた“ソレ”は人間だった。しかし、一見それは人とは思えなかった。
四肢はそれぞれがてんでばらばらな方向に傾き、首もあらぬ方向を向いていた。顔はちょうど髪がかかっていて分からない。しかし、その髪の長さからして女の子だったし、その栗色の髪をつい先日も見た気がした。
どくん、と破れてしまいそうになるくらい心臓が大きく脈打った。
その少女は服を着ていなかった。いや、着ていたのかもしれないが、今となっては腰周りに僅かに布が残るばかりで、その凹凸の少ない体は惜しげもなく晒されていた。両足の付け根には乾いた血が糊のように貼りつき、彼女がどんな陰惨な末路を遂げたのか嫌でも想像させられた。
だがなぜなのか――彼女の体はどこまで惨たらしく凄惨であったが、それでいて僕がこれまで感じたことのないくらい神秘的で美しかった。
僕は体の痛みを忘れてよろよろと彼女に近づいた。蜜の匂いに釣られる憐れな蜂のように。それでも、彼女の目の前まで来たとき、僕はそれまで感じたことのないくらい深い絶望の淵をのぞき込んだ。
膝を折り、両手で包み込むように彼女の頭に添えると、ゆっくりと顔にかかった髪を払い――その顔を見た瞬間、再び気を失った。
結局その日、僕たちの街は全体の三割ほどの土地にリンデクスの進行を許し、彼らが通った跡には瓦礫の山と生命活動を停止した抜け殻しか残らなかった。僕の身に起こったことが特別ではなく、ああいうことが街中で起こったということだ。
それでも、襲撃してきたリンデクスの数と比べ被害は最小限に抑えられたことから、波動障壁の穴を塞いだ葉村少佐率いる部隊は一時英雄扱いされた。
しかし、それもつかの間、僅か数日で軍は驚くべき報告をした。
なんと、波動障壁の大規模破壊を行った人物こそ、その部隊を率いていた葉村武人少佐だと言うのだ。動機は自作自演によって名声を手に入れるため、その後次々と父が破壊工作を行った証拠が列挙され、世論は一気に傾いた。
幸い、父の名前は公表されず、僕と母に嫌がらせなどは起こらなかったが、それまで良くも悪くも毎日聞こえていた父の声はぱったりと止んでしまった。
それで母は当時相当参っていたみたいだし、僕もそんな母を支えなければいけなかったのだが、僕は僕でそれどころではなかった。あの日――志穂がいなくなってしまった日から、僕の胸にはぽっかりと穴が開き(口にすれば実に陳腐な言葉だが)、周りの物事について関心を持つ余裕なんて全くなかった。今でもそれは残っていて、あの日以来、強い感情の揺れを感じることはなくなってしまった。
そしてあのとき一緒にいた彼女――志穂もあの日にいなくなった。死んだとは聞かされなかった。あの後すぐに僕たちは病院に搬送され、それ以来一度も会わず、学校に戻れば彼女は「転校」という言葉で片付けられていた。
一ヶ月の入院の後、学校に復帰したとき、友人たちは僕を見るなり嬉しそうに笑った。どうやら学校の計らいで父のことは伏せられていたらしい。今にして思えば教師の鑑とも取れる行動であり、学校には感謝するべきだったが、だったが、そのときの僕にとって友人“だった”者たちの声は、間近で咀嚼音を聞かされるような不快感なものでしかなかった。
ただ、その中でも特に親身になって接してくれた勇人だけは不思議と不快感には思わなかった。唯一学校で父の件を知っていた彼は僕を見て刹那困惑の表情を浮かべたが、それをすぐに苦笑へと変えた。その表情は満面の笑みというものが直視できなかった僕にとって、木漏れ日のような柔らかな暖かさを感じさせるものだった。
道場は隠居していた祖父が再び師範として再開させたが、流石にそちらの方は道場生の流出を防げず、間もなく閉鎖された。だが、そのあとも勇人だけは足繁く道場に通い、僕と祖父の三人だけの稽古をつけ、気持ちよさそうな汗を流して帰っていった。実子が大罪人として姿を消した祖父は、そうして勇人がいるときだけは昔のような笑みを見せた。きっと、祖父も僕と同じように勇人に救われていたのだろう。
そうして激動の一年を終えた僕たちは無事小学校を卒業した。
「――――んん」
体を起こすとそこには見慣れた風景。どうやら昨日は資料を作っている間に眠ってしまっていたらしい。
――今は一体何時だ?
時計を見ると、時刻は午前七時に差し掛かろうかと言うところ。しまった。生徒が来るまでにあと一時間程度しかない
自分の机に置かれたパソコンの画面には漆黒の世界と、それを他人事のように眺める無表情の男の顔があった。その顔は、先ほどまで見ていた夢の中よりも遥かに歳を取っている――
「……と、そんなことよりも」
僕はパソコンを起動させ、昨日途中まで作っていたはずの資料を確認する。
うん、まだ半分も終わっていないな。
これから急いで作っても時間までに終わるかは五分か。
まだ無人の校内で俺は溜息を吐き、タイピングを開始する。
夢の日から八年後、俺は学校の教員になっていた。
ここまでが序章ということになります。
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