運命の日 ~小学生~ 4
ここまでは一話ごとに長いですが、しばらくすれば嫌でも毎話短くなると思います笑
最寄りのバス停で長蛇が出来ているのを見た志穂は珍しく舌打ちした。
「駄目ね、公共の交通機関はあきらめましょう」
「一応ここからすぐのところに駅はあるけど」
「ここと同じ状況でしょうね。そもそも四級地区が始発の電車はこのあとやってくる保証だってない。仕方ないけど自力で行きましょう。自転車でもあるとよかったんだけど……」
僕と志穂は学校が近かったから自転車を持っていなかった。かといって、そのあたりに自転車が都合よく転がっていることもないし、僕らは渋々歩くことにした。
無駄に体力を浪費せず、それでいて速度を保つために早足で避難指定の中学校へと向かう僕たち。街を歩く大体の人は僕たちと同じ方向へ向かっていたが、時折すれ違う人達もいた。
「あの人たちはどこに行くんだろう」
「さあ。家に帰るのか駅へ向かうのか、どのみち危機感がない人だってのは確かね」
自分よりも遥かに年上の人物に対して、志穂は目もくれずそう切り捨てる。
ふと、僕は友達や両親のことを考えた。勇人は今この街にいないから大丈夫だろう。他の友達は無事だろうか。まだ仲良くなってから数か月しか経っていないが、それでも今彼らの心配をするくらいには僕は心を許していた。
父は恐らく事態の収拾に向かっただろう。母は聡明な人だが、責任感の強い人だ。もしかしたら自分が帰るまで家で待っているんじゃないかという考えが首をもたげた。
――いや、今自分がすべきことは自分の身と志穂を守ることだ。
子どもである僕に心配されるのなど母は望みはしないだろう。それどころか呆れて溜息を吐くに違いない。
そうだ、僕は何のために父の訓練を受けていたのだ。何のために軍学校へ行くのだ。家族を、友達を守るためだろう。僕だってもう普通の人間ではない、超人なのだ。父には遠く及ばないが、最低限、自分と隣を歩く少女くらいは守ろう。
「――見えてきたわ。中学校よ」
志穂の言葉で我に返ると、確かに坂に植えられた街路樹の隙間から校舎の頭が見えた。
「これで一息つけそうね。行きましょ」
「うん」
たどり着いた学校は既に入り口に向かって長蛇の列が出来ており、最後尾は学校の敷地からはみだしているほどだった。
あまりの人の多さに僕らは一時呆気にとられた。そのとき、最後尾で誘導をしていた男の人がこちらに気づき駆け寄ってきた。三十代手前くらいだろうか。まだ若くお兄さんといえる容姿の男の人は僕らに爽やかな笑みを向けた。
「ごめんね、今とても混んでて列に並んでもらってるんだ」
「そうみたいね」
志穂が鷹揚にうなずいたので、青年は少し鼻白んだ。見ず知らずの大人が相手でも志穂は志穂だった。
「ちなみに入るにはどれくらいかかりそう?」
「そ、そうだねえ……三十分はかかるかな……けど、まだ校舎には十分なスペースがあるから安心してくれ。他の避難所では既に受け入れ出来ない場所も出てきているからね」
三級地区や四級地区に比べ、二級地区以上はそもそも面積が少ない。いくら避難所を増やしても収容には限度があるだろう。
「わかったわ。じゃあここにしましょう」
まるで昼食を決めるかのような気軽さで彼女は言った。
「収容人数が多いってことは、それだけ警備も厳重なのよね?」
「う、うん。これだけ広いからね。警備担当も他よりも多く回されてる」
青年は少し誇らしそうに言ったので、ああ、この人もそうなんだなと僕は悟った。言われてみれば、青年から漂う雰囲気は父のものと少しだけ似ているように思えた。
そんな青年を志穂はじっと見上げた。
「……ちなみにお兄さん。ここは安全なの?」
「? だから、今も言ったように、ここには複数名の超人がいる。ここ一帯じゃ一番安全さ」
先ほど説明した内容を繰り返し問われたことに青年は少し辟易した様子で言った。それは度々学校で目にする、先生が出来の悪い生徒に説明するときのようだった。
だが志穂は出来の悪い生徒ではない。決してガリ勉ではなかったが、成績はいつも上位をキープしていた。
だから彼女が失望を表情に出したのは驚いたし、次に取った行動も予想外のものだった。
「正人くん、急いでここから離れるわよ」
「どういうこと? 今、ここが安全だって聞いたばかりじゃ……」
「“それが問題なのよ”!」
いいから急いで――――今まで見たこともないような剣幕で彼女が僕の腕を引いたときだった。
急に太陽が雲に隠れた。少なくとも僕はそのときそう思った。しかし、頭上を見上げたときに見えたのは巨大な足だった。
「え――――」
次の瞬間、まるで地面がトランポリンのように跳ね、宙に浮いた僕たちの体を横殴りの風が吹き飛ばした。
何かが壊れ、ひしゃげる音と共に細かな礫が全身をたたいた。自分の身に何が起こっているのか全く分からなかった。ただ左手に握られた柔らかく温かい誰かの手を離さないように耐えることしか出来なかった。
十秒にも十分にも思えた時間が経った後に目を開けると、目の前の学校はスクランブルエッグのようにぐちゃぐちゃになっていた。
そう、倒壊とかそういうレベルじゃない。完全にぐちゃぐちゃだ。三階建ての縦長の校舎も、緑色の屋根の体育館も、校舎を取り囲むように並んでいた塀も飛んできた礫などで無数の穴が開き、地面にはケチャップのような夥しい“赤”が散乱していた。
そして瓦礫となった校舎に代わり、そこには巨大な怪物が立っていた。
その怪物は漆黒の鬼だった。その体は鎧のような分厚い筋肉に覆われており、密林の深い闇のように塗りつぶされた黒で、大きさはちょうど大型トラックが立ち上がったような巨大さだ。そして何よりも目を引くのは僕が鬼と形容するに至った額の二本の角だ。曲線を描く角二本は悪魔のようで、その恐ろしい風貌も相まって見た者は恐怖を覚えずにはいられなかった。
「な、なんだこいつはぁ……!?」
「空から降ってきたぞ……!」
飛び散った瓦礫の破片から逃れた人達が困惑の声をあげる。僕らを含め、そこには数十人の生き残りがいた。先ほど僕達と話していた青年も運良く生き残った者の一人だった。彼はしばらく呆然
としていたが、やがて夢から醒めたかのように我に返り、瞳に使命感を灯らせて魔力を熾した。
「皆さんは急いでここから離れてください!」
言葉と共に地面を蹴った青年は、腰に挿していた軍刀を抜き、漆黒の鬼へと斬りかかった。
だが、勝負は一瞬だ。いや、そもそもそれは本当に勝負と言えるものだったのだろうか。鬼はじゃんけんでもするかのように右手でチョキを作った。そして、二本の指で迫る軍刀を摘まんだ。
青年が驚愕の声をあげた。軍刀は柄の部分から掴まれており、青年も剣を手放して逃げることが出来ない。そしてそこから鬼の取った行動は醜悪だった。
鬼は空いたもう片方の手を青年の体の前に突き出し、デコピンするように軽くはじいた。
「がっ!?」
そう、鬼にとっては軽くはじいただけだが、人間にとってそれは車に轢かれるのに等しいような衝撃だった。しかし、超人である青年の体は破壊を免れ、苦痛にもがく。
そしてそれが鬼の醜悪な計算の上に成り立っていることを知る。
「ごぉ!」
それから鬼は三秒ごとに青年を“はじいた”。きっかり三秒ごとに淡々と、まるで観察実験でも行うかのように。
それはまだ子どもだった僕にとってけっこうな衝撃を与える光景だった。ついさっきまで僕たちに気さくに話しかけてくれたお兄さんが悲鳴と懇願を繰り返しながら壊されていく光景は悪夢以外の何物でもなかった。
「――――ラッキーね。今のうちよ」
しかしその悪夢を隣の少女は幸運だと捉えた。
僕の手を引きじりじりと後退を始めた志穂に僕は困惑したが、それが最善だということは混乱した僕にも分かったし、さらに言えば僕自身、理屈を抜きにして一刻も早くその場から離れたかった。
周囲の人々はまだ鬼の残虐な実験を呆然と眺めていた。しかし、やがて我に返った一人が弾かれたように立ち上がり逃げ出した。すると、まるで逃げ出した一人の恐怖が周囲に伝播したかのように生き残った者が蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げ出した。
「――――」
鬼は既に虫の息になっていた青年を後ろへ放り捨てると跳躍した。
一息で僕たちの遥か頭上を飛び越えると、先頭を走っていた男を踏み潰した。「ぴぎゃっ」と間抜けな音が漏れる。
「――――――――――――ッッッ!!」
そして鬼が吠えた。
空気が軋み、地面が逆剥ける。鬼がたった一声啼いただけで人々は恐怖で動けなくなり、あるいは意識を保ってられずに失神した。
正直、直前で魔力を熾していなかったら僕も失神していたと思う。それでも体は竦んでしまっていたし、立ち上がって逃げ出すなんてもってのほかだった。
だからこそ、手をつないでいた少女が立ち上がったのを見て、僕の頭は真っ白になった。
「立たなくていいわ。私の手を掴むことだけに集中して――――行くわよ」
僕が何か言うより早く、少女は走り出した。
それは走るというよりも飛ぶといった方が正確かもしれない。実際彼女の手を握る僕は一度も地面に触れず、大空に揚げられた凧のように風にたなびくことしか出来なかった。
どういうことだ。僕の心中は先ほどから混乱を極めていた。それでも、今起こっていることがどういうことか考え、やがて一つの結論に辿り着いた。
「志穂、は……超人だったの?」
「………」
志穂は答えなかった。ものすごい速さで世界は後方に流れていったし、もしかしたら風の音で聞こえなかったのかもしれない。
それでも、彼女の力が超人によるものなのは間違いなかったし、彼女の中に魔力が熾されているのも確実だった。しかも、その魔力量は僕のものなんかとは比べようもないほど高質であり膨大で、先ほどの青年と比べてもそれを遥かに凌ぐものだった。
だが、追ってくる鬼も尋常ではなかった。
背後に迫ってきた悪鬼を背中越しに一瞥し、志穂は小さく舌打ちした。
「あの図体であれだけ速く走れるなんて反則じゃない? 嫌になっちゃうわ」
まるで洗濯物を干した途端に雨が降り始めたような、そんな面持ちだった。
「正人くん、絶対に手を離さないでね――――飛ぶわよ」
「うわぁ!」
膝を大きく折り曲げた志穂は、次の瞬間何メートルも上空に飛び立った。
慌てて両手で志穂の腕に捕まる僕は急速に遠くなる眼下で鬼を見た。鬼は、まさにこちらに向かって身をかがめるところだった。不安が突然頭をもたげた。
「志穂! あいつ、飛んでくる――」
「――――『風刃』」
しかし、僕の脳裏に浮かんだ光景は即座に打ち砕かれた。
耳元で鋭く風が吹いたかと思うと、真下で今にも飛びかからんとしていた鬼の胸から勢いよく血が噴き出した。
「ちっ、堅いわね……」
信じられない、魔法だ。僕は驚きの連続で夢を見ているような気になった。
さっきまでの人間離れした脚力とは違い、魔法を――――超常現象を起こす力は超人の中でも限られた者しか行使できないのだ。
「志穂……君は一体」
何者なんだ――――その言葉を最後まで紡ぐことはできなかった。
「goooorrrrrruaaaaaaaaaaaaaaa!!」
まさに鬼の咆哮をあげ、血飛沫を撒き散らせながら奴は僕たちと同じ高さまで跳躍してきていた。
「このっ!」
鬼の巨木のような拳が僕と志穂に当たる寸前、志穂は目の前に半透明の光の壁を形成した。魔力障壁だ。
父で習得するのに三年かかったと言われるそれを、志穂は当たり前のように発動する。僕は眼前に迫った鬼の拳から目を離し畏怖を込めたまなざしで志穂を見つめた。
「く、そ……!」
しかし、鬼の膂力は流石に規格外だったらしい。
障壁の破壊こそ免れたが衝撃は殺すことができず、僕と志穂は真下のコンクリートにたたきつけられた。地面に叩き付けられた拍子に決壊寸前だった魔力障壁も破壊され、僕たちは強かに地面に体をぶつけた。あまりの衝撃に肺から息が絞り出される。
空から鬼が降り立つ。それだけでアスファルトは陥没し、ゴムまりのように僕らの体も弾む。
横を見ると、志穂もダメージは深刻なようだった。懸命に起き上がろうとするが、震えるか細い腕は自分の体を支えるので精一杯なようだった。
――――僕は一体何をしているんだ?
ふと、浮かんだ疑問は全身をただちに熱くたぎらせ、僕に原動力を与える。それは、自分に対する怒りだった。
これまで自分は父の鍛錬を何のために行っていたのだ。まだ軍学校に行っていない? 志穂のように魔法を扱うことができない?
そんなことは関係ないはずだ――――
「ッ、ぐぅ……!」
僕がゆっくり体を起こすと、鬼の視線が初めて志穂ではなく僕へと向いた。それだけで膝が笑ってしまうような威圧感だったが、それでも僕は拳を握り、なけなしの魔力を全身へとみなぎらせた。
「志穂は……俺が、守るっ!」
ここまで気持ちが昂ぶったのは初めてだった。耳がおかしくなりそうな怒声は自分の口から漏れたとは思えないものだった。
「おおおおおおおおおっ!」
俺の全力の突進は、志穂はおろか鬼に瞬殺された青年と比べても致命的なまでに遅かった。
鬼は動かない。俺が必殺の間合いまで飛び込むまで待ち構えているつもりだ。
恐らく、ほぼ確実に僕は負ける。何か作戦でもあればいいのだが、蟻が象に勝つ方法なんてそう簡単には浮かばない。
それでも、俺は走った。それしか俺には思いつかなかったし、止まる事は出来なかった。ただ志穂を助ける、こいつをぶん殴る。それだけを考えて俺は走った。
そして奴の必殺の間合いに入ったところで、ようやく鬼は動き出した。それは俺と比べて絶望的なほど緩慢で、本当に蟻を潰すかのような鈍重さだった。
それでも一縷の望みにかけて僕は拳を振りかぶった。それと同時に、瞬きすら出来ない速度で鬼の拳は振り下ろされ――――
べぎっ、と嫌な音が耳の奥で聞こえ、俺の意識は途絶えた。
五話で収まりきらなかった……次で小学生編終わりです。




