運命の日~小学生~ 1
今ほどではないが、当時の僕も何事にも関心の薄い少年だった。
「来月、お前は死ぬかもしれん」
「ちょっ……」
その宣告は唐突だった。
困惑する母をよそに当時まだ七歳になったばかりだった僕は、「どこでやるの?」と見当違いな質問をした。
「中央のでかい病院だ。長丁場の手術になる。今のうちに体力をつけておけ」
「わかった」
「ちょっ、ちょっと待って二人とも!」
父と子の会話に母が口を挟むのは、このときから日常茶飯事だった。
「突然なに言ってるの! 手術なんて私は聞いてないですよ」
「ああ、今初めて言ったからな」
「どんな手術」
「魔核の移植手術だ」
トーストを頬張る前の口から吐き出されるように言われた言葉に、「それって超人化手術って言われるのでしょ。成功率一桁台で今問題になってる手術じゃない」と青ざめた。
「馬鹿、ちゃんと調べたか。それは三十代以降の話であって、若ければ若いほど成功率は上がるという結果が出ている」
「そうは言ったってどうせ五十%にも満たない確率なんでしょ! なんでそんな危険な手術を……!」
「決まっている。将来軍人になり、国民を、ひいては国を護るためだ」
「もう、なんであなたはそう前時代的なの……・」
「お前、軍人の妻でありながら、その仕事を愚弄するか!」
そんなやり取りを朝食とともに眺めるのが僕の習慣だったが、別に僕の家族は仲が悪いというわけではなく、むしろ子供の僕から見ても、きわめて良好だった。
軍人である父は国を護り、母は家と子を護る。正義感の強い父と家族愛の強い母だったので、こうして揉めることはしょっちゅうあったが、いつも僕が学校から帰ってくる頃には何事もなかったようにお互いケロっとしていたし、そもそもこのころから父は仕事で家にいる時間が極端に減っていた。
だからこそ、久方ぶりの父との朝食で急にそんな話をされれば驚きこそしたが、この父のことだからどうせ“そういう類”の話だろうなあとは納得したものだ。
「母さん、僕は別に構わないから」
「あんたはあんたでどうしていつもそう冷静なの……!」
なおも激昂する母をなだめようと言った言葉であったが、母は疲れたように目頭を揉むばかりであった。「普通の子はもっと驚いたり嫌がるだろうに」
「お前よりも正人の方が国民としてお上の為に尽くそうという気持ちが強いということだ」
「もう、今は戦時中じゃないんだからそういう発言はやめてください」
「何を言うか。今我が国は化け物どもとれっきとした戦をしている。内地にいるお前には分からんかもしれんが、前線は苛烈を辿る一方だ」
父はトーストの残りを一息に呑み込み、「“リンデクス”共の力は異常だ。普通の人間で太刀打ちできるレベルを優に超えている」と言った。
確かに、と僕は牛乳を飲みながら父の意見に賛同した。テレビで流れる程度しか分からないが、それでも毎日化け物による被害で同じものが流れることは一切なかった。
「それはテレビでも流れるし分かるけど……」
「ならばわかるだろう。三級地区のこことて安全ではない。いざというときに“市民”を護る最低限の力は必要だし、年が低ければ低いほど伸びしろはある」
結局、この話は父が母を説き伏せて解決した。
その翌週に父の宣言通り、僕は成功率二桁なのだという手術を受け、幸か不幸か無事に成功した。術後一週間ほど入院し、退院して家に戻ればすぐに父に道場へ連れていかれた。
「これまでお前のことは散々甘やかしてきたが、これから道場にいる間は親子の情を捨て、本気で指導する。ここにいる間はお前も俺のことを先生と呼びなさい」
正直、これまでも道場にいるときに死にそうになる思いを何度も味わっていたので父の言葉には疑問を覚えずにはいられなかったが、こういうときには「はい、先生」と言われた通りに従うことが最も利口なのだと子供ながらに気づいていた。
ただ、確かにこのときの父の言葉通り、翌日からの稽古はそれまでの稽古が遊戯に思えるほど過酷であった。祖父の経営する道場の大人に混じり、祖父や父の稽古を受けるのは幼い僕にとってかなり辛いものだったが、それでもなんとか毎日必死に喰らいついた。喰らいつくほど何かを渇望していたわけでもなかったが、いくつかの要素から僕はそれなりに稽古に励んだ。
その理由とは、一つは父を失望させないこと(破天荒な人ではあったが、この父を嫌いではなかった)、もう一つは道場で頑張る僕と同じ歳の少年の存在だった。
「お前、俺と同じ歳なんだって? 俺はゆーと、よろしくな!」
そのときは分からなかったが、のちにその同級生が「相馬勇人」ということがわかった。彼は学校でも必要最低限しか話さない僕と違い友達も多く、利発なためか言葉には不思議な魅力があり、人気者だった。当時人付き合いがそれほど得意ではなく、初対面の相手には殊更言葉数が減ってしまう僕も彼に対しては家族とそうするように自然体で接することが出来た。
さらに彼は社交性だけでなく運動能力も高く、年を経るごとに道場内でも一目置かれた存在になっていった。
「そこまで!」
短い悲鳴を上げて倒れた先輩を、「大丈夫ですか?」と勇人が手を差し伸べる。僕たちより二つ上の先輩だったが、試合の内容は一方的だった。これには稽古をつけていた父も閉口した。「信じられんな」
「勇人はやっぱりすごいな」
「いやいや、素手なら正人には敵わないよ。剣はいつも持っているわけではないし」
「逆に持っていたらコテンパンにやられる。それにリンデクスは剣なんて目じゃないくらい強力な力を持っている」
小学校の卒業も近い歳になると、僕は体術、勇人は剣術でそれぞれ同年代のトップに立った。とはいえ、うちの道場に通っているのは祖父の代からの古参兵のごとき中年と父の同僚や部下であったため、僕たちと歳の近い子供など両手で数えられるくらいだった。
そして僕を軍人にさせたい父は「剣の扱いが屑では役に立たん!」と毎日気炎を上げて僕をしごいた。祖父の遺伝子が強かったのか、得物を使わない殴り合いは得意だったが、いかんせん剣術についてはからっきしで、“叩き上げ”に定評のあった父も頭を抱えるほどだった。
そして、僕たちが小学校をまたいだ数年の間で、情勢は徐々に、しかし着実に変化していった。まず最初に、それまで人類同士の争いに使われていた大型兵器が衰退した。リンデクスは特に再生能力が並外れて高く、通常兵器ではほとんど太刀打ちできなかったこと、そしてそこに至るまでに、各国が好き放題ご自慢の大量殺戮兵器を投入させたせいで、環境問題は最早“いつか未来の世代”ではなく確実に“自分たちの世代”で直面する問題になっていたことが原因だった。
そのような背景もあり、 僕が小学校高学年になる頃にはすっかり大型兵器もなくなり、時代は今や、地球環境に優しい“超人”たちによって護られていたのだった。
そして、それは僕の軍人になるためのプロセスに大きな向かい風をもたらした。
「なにをやっている!」
「ぐっ!」
勇人にカウンターをもらった俺が道場の古びた床を転がり、それを見た父は怒声を上げた。
「これで勇人に負けるのはいったい何度目だ!? しかもその全てが一撃も入れられずの完敗……こんな体たらく、お前には許容できるのか!?」
「し、しかし師範代……」
「勇人、お前は黙っていろ! これは葉村家の問題だ!」
「……」
同級生である勇人に負けるのが悔しくないわけがない。こちらは勇人が道場から帰ったあと、父に補修という名目の半分リンチのような訓練に付き合わされているのだからなおさらだ。
それでも僕は、小学校を卒業するまで――いや、仮にその後も剣術を続けていても、恐らく一生彼に勝つことはできなかった。それは、純粋に僕に剣術の才能がなかったと言えばその通りだし、逆に勇人が剣を扱う天才だったと言っても決して間違いではなかった。
そんなこともあり、僕も十歳を超える頃には才能という言葉の意味を身をもって理解し、勇人に剣術で勝とうなどという気は間違っても起きなかったのだが、生憎軍人脳である父は違った。正直、それは息子である僕でさえも父が狂ったように思えた。刹那の一撃、一瞬の差であり、しかしそれは永遠に埋まらない一瞬の速度であっても、父は「惜しい、次は捉えられる!」激励し、直後に僕が必殺の一撃を食らえば目に見えて落胆した。父は決して無能ではない。むしろ軍の中では評価が高く、実戦経験も豊富だった。そんな父が息子の勝負事に関し、これほどまでに的外れな助言をかけることに、僕は一種の痛々しさを覚えた。
それでも、父は変わらずに俺に接し、勇人もこれまで通り接してくれたため、僕はそれほど生活に不満を持つことはなかった。もちろん、父の過度な期待は気持ちの良いものではなかったが、生まれてからずっとそうだった僕にとっては、それが当たり前なのだと自分を納得させることが出来ていた。
そして、当たり前だがこの数年、僕も勇人も学校には通った。その当時“リンデクス”という人類の天敵となる存在は遠い向こう、地球の反対側で起こっているような話で、僕たちが通う小学校も、それらの喧噪とは全く遠いところにあり、同級生が気にするのは明日体育があるか、給食はカレーか、などに一喜一憂するばかりだった。
そのせいもあるのか、学校で僕は常に孤独だった。休み時間になれば自然と隣接する机の主はいなくなり、僕の席は教室で陸の孤島と化すのが常だった。もともと僕はそういうのが他の人より気にしない体質だったし、勇人は構わずに話しかけてくれたので特になんとも思わなかったが、ある日一人のクラスメイトが僕に声を掛けてきたことでその生活は大きく変わった。
「あなた、休み時間になるといつも一人だけど、その理由わかる?」
その子は女の子で、栗色の髪をツインテールにしていた。
ずいぶん不躾な質問をするな、と思ったが、僕は大人しく首を振った。
「あなたね、知ってか知らずか分からないけど、全身からすごい近寄りがたいオーラ出してるの。あ、今そんなもの出してないって思ったでしょ、ところがどっこい大ありよ。大放出よ。年末年始のデパートだってもう少し出し惜しみするわ」
「でも君は今僕にこうして話しかけている」
「私、どんなに怪しくても特売は必ず見逃さないようにしてるの。たとえ商品が怪しいくらい値下げしててもね」
「……つまりそれはどういうこと?」
「もう、友達がいないうえに鈍いわね。つまり私は物怖じしないタイプってこと」
なるほど、物怖じしないうえにずいぶん遠回しな言い方をする人だと思った。しかし、勇人以外とはまともに外で同年代と話す機会のなかった当時の僕からしたら、彼女と会話はウィットに富んでいて新鮮だった。
「君、面白いね。名前は?」
「あなたって本当に失礼ね。あなたとはこれで同じクラスになるのは三回目なんだけれど」
「僕、人の名前を覚えるのが苦手なんだ」
「それは違うわ。君はただ自分が興味のない人間の名前を覚える気がないだけよ」
咄嗟に反論しようとしたが、確かにその通りだった。毎日父の訓練を受けていた自分にとって、クラスメイトたちが、どこか遠くの存在に思えていたのかもしれない。蒼海の遠くに浮かぶ、地上からは決して届かない羊雲のように。
「確かにそうかもしれない。けど、どうして君はそこまで僕のことを知っているんだい」
「別に知りたくて知ってるわけじゃないわよ。君――葉村くんってこの学校じゃけっこうな有名人よ」
「知らなかった」
その後、「で、君の名前は?」と改めて尋ねた。
「私はゆきのしほ。雪の野原で雪野で、志すに稲穂の穂で志穂」
彼女は片手を腰に当て、「今度は忘れないでね」と念を押した。
「うん、忘れない」
そう言うと志穂はこぼれるような笑みを見せた。皺一つない(当たり前だが)顔に小さな笑窪が出来て、それはひどく魅力あるものに僕は思えた。
道場生以外の同級生と初めてまともに喋ったが、このときの志穂との会話は僕には強く印象に残ることになる。
それから僕は、徐々にではあるが志穂を通して他のクラスメイト達とも話すようになった。最初はなんとなく距離を置いていた彼らも話してみれば案外すんなりと馴染めたし、僕の境遇を知っていた(というか、勇人から既に聞かされていたらしい)彼らは、僕のそれまでの態度に腹を立てることもなく、むしろ気遣うような様子を見せた。
ただ、その中でも志穂は、僕にとっては一線を画する存在だったことは確かだ。クラスのリーダーであり、中心人物は間違いなく勇人だったが、志穂はそんな彼に物怖じせず意見することが出来る数少ない人物だった。最初の印象通り誰にも物怖じせず、ズバズバと意見を言うが、それでいて口から出る言葉は理路整然としていて、決してこちらが不快にならないよう言葉を丁寧に精査していた。
僕の小学校五年生の一年間は、そうして今までにない出会いの一年だった。学校では新たな友人と談笑し、道場では父に怒鳴られながら竹刀を振り、家では父と母から不器用ながらも確かな愛を受けて育つ。
そこには決して特別ではない、しかし確かな幸福があった。
読んでいただきありがとうございます。