悪の種子 2
前後の話の関係で短めです。
その日の夜、俺はウイスキーのオンザロックを傾けながら思索に耽っていた。時刻は十二時を回ったところ。流石にそろそろ眠らなければいけない。
普段なら寝ている時間だが、おかげで昼間に作りかけだったパズルはほぼ完成していた。俺は、国家やリンデクスなどの問題を解決する頭脳は持たないが、それよりも遥かに小さい、それらの問題に比べれば棚の天井に積もった薄雪のような規模の問題の解決方法は存外すぐに思い浮かぶらしい。あとはそれを実行するにあたってのリスクとリターンが見合っているかどうかというところか。
俺を悩ませている問題とはもちろん藤巻翠のことだ。彼女は俺が仕事をするにあたって悪影響を与えることもさることながら、父のことも知っており、俺を、そして父を心の底から嫌悪し、憎んでいる。彼女のあのときの言葉からはそれがはっきりと感じられた。それはとても看過できるものではない。父と俺の関係を知ったうえで、父を愚弄する者を野放しにしてはならない。それは、言ってしまえば悪辣な病巣だった。多少の痛みならば、と我慢していれば、瞬く間にそこから悪性は広がり、気づいたときには手に負えない状態となってしまうだろう。俺にはその確信があった。だから、病床は速やかに刈り取らなければならない。それが広まり、手の施しようがなくなるうちに。
ウイスキーを飲む。
しかし、だからといって所謂“直接的な手段”に安易に走ることも躊躇われた。俺は“彼”とは違って全うな人間だ。少なくとも自分ではそう思っているし、そうありたいと思っている。平和に解決するならそれに越したことはないということだ。対話をやめ、気に入らないものすべてを排除するなんて“ギリギリ”法治国家として成立しているこの国では自殺行為だし、何より文明人として祖先に申し訳ないと思った。別に家系図を大事にし、家名を守る、といったくだらない義務感を持ち合わせているわけではなかったが、自分の身近に好き勝手生きているまさに反面教師と呼べる人間がいるので、自分がそれと同じになるのが嫌なのかもしれない。
ウイスキーを飲む。
ただ、だからといって日和見になってこの状況を放置することはナンセンスだ。良くも悪くも彼女のクラスでの影響力は非常に高い。それこそ、今日総悟が話していた平岸萌が大した実力もないのに他の生徒を嗤い、軽んじてみたように。翠は、それだけ周りの人間を変えるほどに強く、そして彼女自身は知ってか知らずかその力を存分に発揮しているのだ。雪解けと同時に蕗の薹が芽生え、そこから春の息吹が周辺に伝播するように。
ウイスキーを飲む。
気づけば時刻は二時を回っていた。元々内向的なせいか、こうして一人で考えごとをすると、気づけば時間が経っていることが俺は昔から多かった。しかし、流石にこれ以上は本当に明日に差し支える。残ったウイスキーを飲み干し、小さくなった氷を流しに捨てたとき、俺は急にそれまで真剣に考えていたことは馬鹿らしいように思えた。
どうして自分は悪くないのに、こんなことで悩まなくてはならないのだろう。それは思春期に入る青年時代から今まで度々俺の心に渡来し、気まぐれに心を乱す類のものだった。
俺は何も悪いことはしていない。ただ、周りの状況が少しずつ変化していったせいで、結果的にそのシワ寄せが一気に俺のとこに舞い込んだのだ。小さな波が重なり合い津波となるように。その浜辺にいるカニうや小魚は何も悪いことはしていない。あるいは、普段からその周辺に集まる人間によって被害を受けていた生物だ。それがどうして、彼らが原因で――あるいはそうでないかもしれないが――とにかく、自分が大変な目に遭わねばいけないのか、彼らにもしも言語があれば、人類に呪いあれ、我々の怒り知れ、と猛り狂っただろう。
ともかく、俺は寝る前になって突然そのような行き場のない怒りを感じることになったため、寝心地は最悪だった。寝つきは悪いうえに夢見も悪い、今朝起きたときには久々に重い気持ちで体を起こした。まるで殺されかけた相手をうっかり殺してしまい、それを一晩かけて山中に埋めたときのような朝だった。
あの日の朝に飲んだコーヒーほど、コーヒーを泥水のように感じたことはなかった。
少し間が空いてしまいました。
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