ワインレッドに重ねるモノ2
シシリィアの先導で辿り着いたガゼボは、薔薇園の中央辺りにひっそりとあった。
白い柱にはつる薔薇が巻き付いているが、この薔薇は花の季節ではなかったようで、なんだか寂しい様子だ。
ガゼボの中にはベンチが設置されているので、少し距離を置いて並んで座る。
壁のないガゼボの中は風が通り、少し肌寒い。ふるり、と震えるシシリィアを見てエルスタークが小さく呪文を唱えた。
「わ、あったかい」
「結界を張って、内部の温度調整をした。流石にこの季節にガゼボは無茶か……」
「エルスタークが大変じゃなきゃ、ここでも大丈夫だけど……。維持するの、結構面倒だよね?」
「いや。このくらいは大したことではないが」
さらりと言ってのけるエルスタークに、シシリィアは感嘆のため息を漏らす。
結界だけならばまだしも、温度調整まで維持し続けるなんてシシリィアであれば無理だ。
さらにこれから魔法のレッスンまでしてくれると言うのだから、やはり魔人族は人間とは比べ物にならないくらい魔力の扱いが巧みなのだろう。
「ほんと、器用だね。じゃあ、エルスタークが負担じゃないなら、ここでお願いします」
「そうか。ならさっさと始めるか」
「うん。お願いします」
ペコリ、と頭を下げるシシリィアにエルスタークは苦笑を零す。
そしておもむろに手を伸ばし、シシリィアの右手を取る。
「なに……?」
「まずは擬態を教えようと思うが、最初から自分に掛けるのは難しいからな。コレを練習台に使うといい」
そう言ってシシリィアの右手に乗せられたのは、小さなウサギの置物だった。乳白色の石で出来たそれは、ちんまりと可愛らしい。
そんなものをエルスタークが持っていたのかと思うと、なんだか可笑しい。
くすり、と笑いを零すとエルスタークに軽く頭を叩かれる。
「ちょっと……!」
「シシィの練習用にと持って来ただけで、いつも俺が持ち歩いてるんじゃないからな」
「分かってるって」
「どうだかな……」
呆れた様子でため息を吐いたエルスタークは、ついと長い指をウサギに伸ばす。
そして次の瞬間には、ウサギが黒くなっていた。
「わ……!」
「これが擬態を施した状態だ。よく見てみろ」
ワインレッドの瞳に促され、シシリィアは右手を持ち上げてウサギの置物をまじまじと見る。
上から見ても、横から見ても完璧に黒いウサギになっている。ころり、と転がしてみても変わらない。
「凄い……! ぜんっぜん分からないよ」
「擬態は、対象を幻術の膜で覆っているイメージだ。そうすることで、こうやって全く違うように見せることが出来る」
「幻術の膜で覆う……」
確かに、幻術は平面の幻を見せる魔法だ。ソレを対象に添わせて包めば、こうなるのは理論としては分からなくはない。
でも、技術として出来る気はしない。
「どういうこと……?」
「そうだな……」
「っ、え……何!?」
「ちょっと落ち着け」
「落ち着けって……」
不意に、エルスタークがシシリィアの右手の甲を覆うように掌を被せ、さらにもう片方の手で目元を覆う。
こんなことをされて、落ち着けなんて言う方がおかしい。
しかしエルスタークは小さく笑いを零すと、さらに耳元で囁くように言葉を落とす。
「俺が導いてやる。魔力の流れに集中しろ」
「っ……、わ、分かった」
近くに感じるエルスタークの体温からは意識を反らし、右掌に渦巻く魔力に集中する。
もやもやと立ち昇っていた魔力が、ウサギの置物の形に添うように収縮していくのを感じる。そしてエルスタークが目元から手を外すと、今度はウサギの置物はピンク色になっていた。
「こんな感じだ」
「う~……ん。感覚としては、分からなくもないけど……」
一人でやって出来る気はあんまりしない。
むむむ、と唸っているとエルスタークが優しく髪を撫でていた。間近に見えるワインレッドの瞳にも、どこか満足気な色がある。
そこで、ふと距離が異様に近いことに気が付く。
慌てて手を振り払ってベンチから立ち上がり、思い切りエルスタークから離れる。
「ちょっと……!?」
「気付いたか……」
残念そうに笑うエルスタークに、シシリィアは大きくため息を吐く。
どさくさに紛れて、何をしているのだか。
「もう! すぐそういう事するんだから!!」
「シシィにしかしないんだけどな……」
「そういう問題じゃないよ!」
どこか色気が滲む笑みを漂わせるエルスタークに、ついシシリィアの頬が赤くなる。とても悔しい。
誤魔化すように睨みつけるが、嬉しそうに笑われるばかりだった。
「もう……! 擬態は教えてもらったし、帰るから」
「シシィ、落ち着けって。魔術保管庫の方、いいのか?」
「…………そういうの、ズルいよね」
「ははは、そう拗ねるな。ほら、ちょっとこっちに来い」
「…………」
ついさっきのことを思って警戒心を露わに、そろりそろりとエルスタークへと近付く。
あまりにも慎重に近付くからか、エルスタークは思い切り苦笑を零している。
そして手が届く程度の距離で立ち止まる。
「それで、なに?」
「警戒しすぎだろう……。シシィ、手を」
「……これでいい?」
「ああ。これをシシィに」
そう言って渡されたのは、金色のチェーンの先にワインレッドの石が付いたペンダントだった。
石は親指の爪程の大きさの、雫のような形だ。
よくよく見てみると、その石の表面には薔薇が彫り込まれている。精緻で繊細なその薔薇は、石の表面を覆うようにつるを伸ばし、数ヶ所で花を咲かせている。
一見シンプルなペンダントだが、とても手の込んだ品物だ。
驚いてエルスタークを見る。
「……これは?」
「俺の魔力結晶だ。その石に、魔術保管庫の魔法を付与した。容量は小さめだが、シシィでも使える」
「本当!?」
「ああ。石に触れれば、中に入っている物や空き容量が分かる。物を中に入れたいときは、入れたいものを片手に持って、もう片手で石に触れて仕舞うイメージをするんだ」
「ええっと……」
言われた通りにペンダントの石に触れながら、先ほど擬態の魔法の時に使ったウサギの置物を持って仕舞うイメージをする。
すると、一瞬後にはウサギの置物は仕舞われ、無くなっていた。
「っ、すごい……!」
「一応、少し守護の魔法なんかも掛けておいたから、出来るだけそのペンダントは常に持っていて欲しい」
「守護の魔法……?」
「お守りみたいなものだ。いいか?」
そういうエルスタークは、とても真剣な表情をしていた。先程、セクハラまがいなことをしていた人物の表情とは思えない。
でも、そのワインレッドの瞳にどこか切実な色があった。
エルスタークの言葉に従った方が良い。
何故かそんなことを感じたシシリィアは、こくりと頷く。
「分かった。なるべくいつも着けておくね」
そして直ぐにペンダントを身に着ける。ころり、とワインレッドの石が胸元に揺れる。
その慣れない重さに、少し笑みが零れた。
エルスタークを見ると、なんだか少し安心した様子で息を吐いていたのだった。




