姫竜騎士と求婚者と竜と1
「なぁシシィ。お礼って大事だと思わないか?」
「うん。それはそう、だけど……」
壁際に追い詰められ、目の前の男――エルスタークの手で顔を固定されているシシリィアは、歯切れ悪く返した。
そして艶然とした笑みを浮かべ、目前に迫るワインレッドの瞳に戸惑いながら、頭をフル回転させる。
何でこんなことになっているのだろう――。
§ § § § §
この日、竜騎士であるシシリィアの任務はとある街への書状の運搬だった。王都からもあまり離れてないし、危険な魔獣も出ないような場所だったので、単独での任務だ。
さらに街自体も小さく、治安も良い所だから騎竜であり自身の守護竜であるイルヴァも街の外に置いてきたのだ。
「う~ん、良い街だなぁ」
シシリィアは屋台で買った串焼きを頬張り、呟く。
書状の受け渡しはさっくり短時間で終わり、いつも口喧しい副官や守護竜が一緒じゃないからと街の市場をぶらついているのだ。
活気のある市場には様々な店が立ち並び、客引きの賑やかな声が響く。丁度昼時だからか、あちこちからいい匂いも漂っている。
竜騎士の制服は白の騎士服という目立つものだが、秋になった今は防寒のために外套を着ている。おかげで目立つことなく、気ままに市場を楽しめていた。
シシリィアは緑色の瞳を輝かせ、目に付いた果物を取り扱う店の女主人に声を掛ける。
「おばちゃん、その果物はなぁに?」
「お嬢ちゃん、目が高いね! これはルビーマスカット。なかなか市場には出ないレアものだよ!」
「へぇ! 美味しいの?」
「とびっきりね。ほら、一個味見してみな」
「わぁ、……美味しい!」
気前よく一粒シシリィアの口に放り込んだおばちゃんがニンマリと笑う。
「だろう? これを食べたら他の葡萄じゃ満足出来なくなるよ!」
「う~ん、それは困っちゃうけど……。コレ、3房ちょうだい!」
「毎度あり!」
代金を支払い、手早く葡萄を包んでいくおばちゃんを待ちながら、シシリィアはちらりと周囲へ視線を巡らせる。数人の男が不審な動きをしているのが目に付いた。
「ねぇ、おばちゃん。この街の衛兵ってどう?」
「どうって、そうねぇ……。結構しっかりやってくれてるんじゃないかねぇ。店をやってて困った事態にはなったことないしねぇ」
「そっか。おばちゃん、ちょっと用事が出来たから、ソレ預かってて? 後で必ず取りに来るから!」
「え、ちょっと、お嬢ちゃん!!」
おばちゃんが呼び止める声を無視し、シシリィアは路地へと入っていく。うまく周囲の人間を使って隠していたが、旅人らしい人の鞄から荷物を盗んだ男たちが路地へと逃げていくのが見えたのだ。
ぱっと見で3~4人だった。街のごろつき程度なら、そのくらいの人数差があっても問題はない。
そう思って追跡していたのだが、男たちを追ってアジトに突入した途端に失敗を悟る。
「あんたたち、観念しなさい!」
「ああ!? お嬢ちゃんが何の用だ?」
「俺たちと遊んでくれるってか?」
下品な笑い声をあげる男たちは、総勢10人以上だろうか。
こんな小さな街に居るならず者にしては人数が多い。ちゃんと確認してから飛び込むべきだった。
自分の迂闊すぎる行動に副官のお小言が脳裏に過るが、とりあえず今はそんな場合じゃない。
はったりでもなんでも、弱気は見せられない。背負っていた長槍を構え、バサリと外套を脱ぎ捨てる。
「大人しく投降しなさい」
「へぇ、竜騎士サマか」
「竜の居ない竜騎士サマが、10対1でどうするってんだ?」
「いいや。10対2、だな」
「っ、エルスターク?」
「ぁあ!? 魔人族だと……!?」
割り込んできた艶やかな低音は、近頃よく聞く声だった。
ざり、と床に積もった砂を踏む音が近付き、シシリィアの横に並んだのは深い赤紫色の髪を持った長身の美丈夫だ。彼の種族である魔人族の特徴通り、髪の毛から覗く耳は少し尖っている。
面白がるような色が乗ったワインレッドの瞳でシシリィアを見るエルスタークは、長剣を片手に構える。
「シシィ。良いよな?」
「…………殺さないようにね!」
「りょーかい」
「魔人族だろうが、たった2人だ! やっちまえ!!」
「おう!」
魔力の扱いに長けた種族である魔人族の登場に怯んでいた男たちだったが、ボスの号令で人数の有利を思い出したのだろう。各々ナイフなどの武器を構え、襲い掛かって来る。
しかしその動きはあくまでも素人のものだ。人数が多かろうと、連携しているわけでもない。
一人目の男の横腹を槍の柄で全力で殴り飛ばし、次に来る男のナイフも槍で払い除ける。そして無手になった男の股間目掛けて蹴りを放った。
その隙に近付いて来た男の手は掻い潜り、動きながら練っていた魔力を開放する。
「痺れちゃえ!」
「うがっ……!」
間近で雷球を喰らった男が白目をむいて倒れる。ちょっと威力が強かったかもしれない。
少し反省しつつ周囲を見渡せば、既にならず者たちは全て床に倒れ伏していた。見た限り、全員うめき声を上げているから生きていそうだ。
顔に掛かる金色の癖毛を払い、エルスタークに声を掛ける。
「ありがとう、エルスターク」
「シシィのためなら大したことじゃない。そうだな……礼は、キスでいいぞ?」
「はぁ!? 何言ってるの!」
艶やかに笑いながら近付いてくるエルスタークから後退っているうちに、壁際に追い詰められていた。
そして冒頭の状況に戻るのだ。
「シシィ」
「っ、絶対に、これはおかしい!」
目を伏せて近付く美麗な顔に、シシリィアは全力で頭突きを繰り出す。
しかしその頭突きはあっさりと躱され、苦笑を零される。しかし、エルスタークと壁の間からの脱出には成功し、大きく息を吐く。
何か空気に飲まれそうだったが、流されちゃいけない。
ビシリ、と指を突きつける。
「なんで貴方とキスしなきゃいけないの!」
「それは、未来の花嫁だから」
「貴方の花嫁なんかじゃない!!」
「つれないな、シシィは」
わざとらしく嘆いてみせるエルスタークに、シシリィアは顔を顰める。
「……あんな出会いで、こんな態度の貴方の方がどうかしていると思うけど?」
「そうか?」
呆れて呟けば、エルスタークはきょとん、としたようにワインレッドの瞳を見開いていた。