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 いまよりもまえのいつか、ここではないどこかのおはなし。



 空の頂点に煌々と月が輝く夜。

 鬱蒼とした深い森の奥の奥、突然ぽかりと開けた空間に建つ、一軒の洋館の中。

 部屋の扉が開くガチャリという音で、少女は目を覚ました。


「んん……」


 大きく伸びをすると、少女の背中に垂れた豊かな黒髪が生き物の尾のように揺らめいた。

 少女が、起き抜け特有の寝ぼけ眼で音がした扉の方を見やると、艶やかな黒髪をおかっぱに切り揃え、メイド服に身を包んだ少女が立っている。


「メイ、なんのよう?」

「おはようございます、アリス様」


 ぺこり、と可愛らしいお辞儀をして、メイと呼ばれた少女は後ろ手に扉を閉めた。


「もうそろそろご公務のお時間でしたので」

「えっ!? ああ、もうそんな時間かぁ。いけないいけない。

最近、寝ても疲れが取れないことが多いのよねぇ」

「余りにも支障が出てくるようでしたら、(わたくし)めが矯正させて頂きますが」

「あ、あはは、考えておくわ」


 メイの言葉に顔を引きつらせつつ、アリスはソファから立ち上がる。

 そして、メイの前に立つと、今まで着ていた白地に金刺繍のネグリジェをするりと脱ぎ捨て、両腕を水平に持ち上げる姿勢をとった。


「はい、よろしく」

「……」


 それを見て、メイは困惑の表情を浮かべる。


「……あの、アリス様」

「ん?何かしら」

「その、なぜ全裸でそのポーズを……?」


 メイの質問に、アリスは何が不思議なのかわからないといった風でちょこんと小首を傾げた。


「あら、わざわざ服を持って来てくれたくらいだから、貴女がそれを私に着せてくれるものかと思ったのだけれど」


 アリスが、メイが持っていた真っ赤なドレスやら黒革のブーツやらを指差してそう言うと、メイは複雑そうな顔になった。

 メイの頭の上にちょこんと乗っかっている二つの三角の耳も、不満さを表現するかのようにぴったりと伏せられている。


「…………はぁ、まあ、分かりました」


 長い逡巡の末、仕方なく、という態度を隠す素振りすら見せず、メイは持っていた着替えを手際よくアリスに着させてゆく。

 そして、アリスのブーツの紐を結び終わったのとちょうど同じタイミングで、窓から室内に、禍々しい深紅の光が差し込んできた。


「あら、もう始まってしまったわ。不味いわねぇ」

「アリス様がご自分でお着替えなさってくれれば、こんなに慌ただしくなる事は……」


 小声で不平を漏らすメイに、アリスは悪戯っぽく輝く薄青い瞳を向けた。


「あらぁ、何か言ったかしら、メイ?」

「いいえ、何も。空耳ではないでしょうか」

「そっかぁ、それならいいんだけれどねぇ?」


 おどかすようにニヤリと笑いつつ、アリスは姿見で自身の格好を確認する。

 そのさなか、ふと何か思い出した顔になったアリスは、メイの方に振り返って手を差し出した。


「メイ、『あれ』無い、『あれ』?」

「アリス様。これ、それ、あれ、どれ、という言動は人に物を頼む時の言葉としては不適切でございます」

「えー? ほら、あれよ。あのー……髪縛るリボン!」

「こちらに」


 即座に差し出された二本のリボンを見て、アリスは何か言いかけたが、結局何も言わずに受け取ると、姿見を見ながら慣れた手つきで髪を整えて頭の両側でそれぞれ束ねリボンで縛る。

 いわゆるツインテールだ。

 出来上がった自身の髪型を見て満足そうに頷くと、アリスはメイにふわりと笑いかける。


「それじゃあ、行きましょうか」

「はい、アリス様」


 二人が館の外に出ると、静かだった夜の景色は一変していた。

 紺色だった夜空は薄っすらと紅く染まっており、その中央には鮮血をぶちまけたように赤黒く変色した月が静かに鎮座している。

 その影響か、薄暗かったはずの森林も、真っ赤な月光によって少しは見通しが効くほどに照らされていた。

 その森をざっと見渡して異常が無いことを見て取ると、アリスはほっと胸をなでおろす。


「よかった。少し遅れて出てきたけど、一応間に合ったみたいね」


 と、アリスが呟いたのもつかの間、


「…………ォォォォオオオ」


 月光に照らされてなお暗い森の彼方から、地響きのような音が鳴り響いてきた。


「どうやら、間に合ったのは本当に僅差みたいね」


 アリスのその言葉通り、数秒と経たずに、森の中から館へと向かって、木々をなぎ倒す轟音とともに巨大な何かが接近してきている。


「もし音の主が『上位種(ストゥーム)』だとしたら、あの勢いのまま館まで突っ込まれたりしたらたまらないわね」

「それでは、もうここで『変態』なさいますか?」

「……その変態って言い方には引っかかるけど、まぁいいわ。

ええ、ここで済ませてしまいましょう」


 アリスがそう言うや否や、メイは自分のメイド服をはだけ、首から肩にかけてを露出させた。


「さぁ、アリス様」

「……ちょっと待って。心の準備をするから」


 平然とした顔で肌を露出させるメイとは対照的に、アリスは自身の緊張を抑えるかのごとく深呼吸を始める。


「私は兎も角、アリス様が心の準備をする必要性は皆無かと存じますが」

「そ、そんなことないわよ!……少しばかり、我慢していてね」

「お構いなく」


 メイの返答を聞き届けてから、アリスは露出していたメイの首の根元に噛み付く。アリスの鋭い犬歯が、メイの白い肌を裂き、深々と潜り込んだ。

 ――その筈なのに、血は傷口から一滴も流れ落ちてこない。その代わりであるかのように、アリスの喉がコクリ、コクリと小さな音を立てて流動している。

 その間も森の中の轟音は止むことなく、着々と館へと近づいていた。

 やがて、


「……ぷはっ」


 アリスがメイの肌から口を離したのとほぼ同時に、


「アオオオオオォォォォォ!!!!」


 怨嗟の声にも似た唸り声を上げながら、ドス黒い狼のような獣が二人目掛けて突っ込んできた。


「……煩いわね」


 ぽつりと囁いたアリスは、悠然と獣の方へ振り向く。

 そして、


「待て」


 激するわけでも、焦るわけでもなく、ただ一言、言い放つ。

 たったそれだけ。

 たったそれだけの筈であるのに――


「オオオ、オオオオオォォォ……!!?」


 目に見えぬ鎖で雁字搦めに縛りつけられたかのように、獣は空中に固定された。その様子を何の感慨もなく眺めてから、アリスは再びメイに向き直ると、その首筋をじっと見つめる。

 正確には、首筋に残る四つの傷跡を。


「急いで引き抜いたから、傷が残ってしまったわね」


 そう言いながらアリスが血の滲む傷跡をさらりと撫でると、もうそこには傷があった痕跡すら残っていなかった。


「……ありがとうございます」


 メイはアリスと目を合わせることなく、すぐにずらしていた服を元に戻した。努めて無感情に放たれたメイの言葉を批難と捉えて、アリスは少し申し訳なさそうに顔を伏せる。


「ごめん、痛かったわよね」

「いえ、別に」

「ううん、無理はしないでいいのよ」


 アリスはぽんぽん、と詫びるようにメイの肩を叩いてから、返す刀でぎろりと獣を睨め付けた。

 元々は青銅色だった、今は天に浮かぶ怪月にも似た深紅の瞳から送られる視線に射すくめられ、獣がびくりと身を竦ませる。


「責任は、アナタにとってもらおうかしら」


 アリスがあくまでも静かに歩み寄るのを見て、獣は最後の抵抗とばかりに、不可視の戒めに抗うべくもがいた。


「オオオオオオオオオオォォォォ!!!!」

「無駄よ。やるだけ無駄」

「オオオォォォ……オオオ……」


 アリスの冷ややかな言葉を聞いてか、それとも必死の抵抗にも関わらずビクともしない拘束のためか、獣は断末魔とばかりに唸ってからぐったりと体を弛緩させる。

 しかし、アリスはそんなことに構うことなく、獣の頭を片手で掴んで引き寄せた。当然、体は拘束されたままであるから、獣の首はミシミシと音を立て始めている。


「……ハァ」

「アリス様。如何でしょうか?」

「全然。見た目がおかしい以外は何の力も感じないわ。

こいつはただの『下位種(シュヴァム)』、外れどころか時間の無駄も良いところよ」


 ――下らない、と吐き捨て、獣を検分していたアリスは肩を落とした。言っている間にも、獣の首は嫌な音を立てているし、獣の異形の四つの眼球は、助けを求めるようにグリグリと回転している。

 しかし、獣の頭が胴体を離れるより先に―


「痛めつける気も失せたわ」


    グシャッ!!


 低位種(シュヴァム)の上顎を掴んでいた右手はそのままに、喉元あたりに緩やかな動作で左手を添えると、アリスは瑞々(みずみず)しい果物が潰れるような音とともに獣の頭を両の手で握り砕いた。

 辺りに血や眼球や脳漿が飛び散る中、頭から返り血を浴びたアリスは一際多くの赤黒い血に塗れた右手をベロリと舐め上げ、軽く顔をしかめてからメイに視線を向ける。

 アリスは、たった今自分が行った蛮行をまるで覚えていないかのように優しい口調でメイに話しかけた。


「それじゃ、今日も森に入るわけだけど。一応、聞いておくわ」

「はい」

「どうする?一度吸血した以上、今回の『悪夢の夜(アルプトラオム)』の間くらいは吸血の必要は無いから、貴女が付いてくる必要も無いのだけれど……」

「答えずともお分かりでしょう」


 その言葉と、アリスを見返すメイの意思の強い眼が全てを物語っていた。


「ふふ。愚問だったかしら」

「ええ」

「そう。なら行きましょうか。……っと、その前に」


 森は分け入ろうとしていたアリスは、踵を返してメイの前に仁王立ちする。

 その時には、すでに全身にへばりついていたはずの鮮血は霧散していた。


「……なにか?」

「…………」


 無表情なメイの質問には答えず、アリスは真顔でじっとメイの顔を見つめると、突然ぱっと笑顔を浮かべて、


「よしよし、偉い偉い。随分と様になっちゃってまあ」


 メイの頭を優しく撫で始めた。


「ッ!?!?」


 驚愕したメイは直ぐに離れようとしたが、脚を動かそうにも微動だにしない。

 細められたアリスの紅い瞳に魅入られたかのごとく、脚どころか全身が硬直し寸分も動くことがない。


「なっあっ!?」

「暴れないで。大人しく撫でられなさい」

「う、うう……」


 子供のように撫でられていることへの羞恥によって、視界が赤く染まっているはずのこの場でも、メイの頰が染まっていくのがわかる。

 メイより少しだけ身長が低いアリスが無理に頭を撫でようとするせいで、二人の顔の間に息がかかる程の距離しかないのもその一因であるだろう。

 そして、


「うん、満足!」


 ようやく解放されたメイは、息も絶え絶えにアリスに尋ねる。


「な、なんで、こんな……」

「なんでって、着替えの事で文句を垂れたお仕置きに決まっているじゃない」

「……いじわるですね」

「お互い様よ」


 そして、アリスは楽しそうに、メイは控えめに、お互い笑い合うと、二人は今度こそ真っ赤な森の中へと踏み入っていった。



悪夢の夜(アルプトラオム)」。


 それは、起源も原因も不明の、超常的現象の名である。


 いつから、どのようにして、何が原因で始まったのか。


 その一切が謎に包まれている。


 元々その土地に住んでいた人々ですらその予兆に気付かぬほど、


 『それ』は唐突にやってきたのだ。


 そしてその現象は、人々に深刻な恐怖をもたらした。


 一日のすべての時間が夜になる、というのは単なるおまけだ。


 「悪夢の夜(アルプトラオム)」の名で呼ばれるモノは、それとはまた別にある。


 「悪夢の夜(アルプトラオム)」、別称『紅夜(こうや)』。


 数日に一度、それもある一定の時間帯のみ発現する現象。


 空は紅く染まり、空に輝く月は血の色に濡れ、


 血に飢えた化け物が徘徊する。


 この『化け物』、という呼称は比喩表現ではない。


 実際に、何処からともなく異形の者共が現れ、動き回るのだ。


 しかもこの「悪夢の夜(アルプトラオム)」、局所的なものではない。


 各地で似たようなことは起きていて、


 場合によってはより酷い状況の所もある。


 その点、この地は幸運な方だった。


 その直接の理由は、「悪夢の夜(アルプトラオム)」の性質による。


 実はこの「悪夢の夜(アルプトラオム)」という現象には、ある一定の『縄張り』があるのだ。


 それぞれの「夜」には独自の活動範囲が存在し、


 異形の存在たちがそこから外に出てくることはない。


 加えて、彼らは「悪夢の夜(アルプトラオム)」が終わると、何処かへ姿を消す。


 その範囲が、この地においては、例の大森林だった。


 周囲に住んでいた人々は初めは「夜」を恐れたが、


 やがて範囲のことを知ると歓喜した。


 元々、その森は禁足地であったからだ。


 中に踏み込み生きて帰ったものは一人としていない。


 そんな場所が「夜」によって地獄と化したところで、


 その外で生活する人々にとってはなんの問題も無かった。


 ――だが、幸運というのはそう長くは続かないものだ。


 一日のすべてが夜、故に作物は全く育たない。


 「悪夢の夜(アルプトラオム)」が訪れて一月と経たない内に、


 森の近くの村はすべて、食糧難に脅かされることとなった。


 村人達は考えた、「どうしたものか」と。


 そして思いついた。


 「うってつけの場所があるじゃないか!」……と。


 それ以来。


 それ以来、数日に一度聞こえる森からの絶叫と引き換えに、


 村人達は細々と暮らしていけるようになった。


 元々、野の獣を狩ったり、沢や池の魚を捕るなどして


 食料を得る手段は、少なからず有ったのだ。


 ただ、それを消費する人間の数の方が多すぎた。


 つまり、言い換えれば。


 数を減らせば良い、という考えに辿り着くのも。


 あながち責められたものではないだろう。



「冗談じゃないわよ、まったく」


 ため息を漏らしながら、アリスは手についた血をハンカチで拭った。


「なにが悲しくて、わざわざ数日おきに血まみれにならなきゃならないんだか」

「ご自身でお決めになられたことかと存じますが」

「それを分かった上でもなお、よ」


 ため息をついてから、アリスは自身のブーツやお気に入りのドレスの裾が無駄に汚れぬよう、地面の血だまりを細心の注意を払って避けつつ、メイの所へ辿り着く。


「はい、ハンカチ。持っておいて」

「はい」

「あーあ、コイツラがもっと綺麗に死んでくれれば、私が汚れるのを気にする必要もなくなるのだけれど」


 そう言いながら、臓腑を撒き散らしながら横たわる異形たちの亡骸を見るアリスの緋色の目は、一切の感情を欠いている。


「数とパワーだけが取り柄の『低位種(シュヴァム)』に用はないのだけれどね。

はぁ…今頃この森のどこかで『上位種(ストゥーム)』がうろついているかもしれない、と考えただけで頭痛がするわ」


 アリスは不快そうに端正な顔を歪ませると、もう一度ため息をついた。


 『低位種(シュヴァム)』、そして『上位種ストゥーム』。

 これらはいずれも、『悪夢の夜(アルプトラオム)』の間にだけ姿を現し、夜を荒らす化け物『夜獣(ナハティエ)』の別名である。

 彼ら夜獣(ナハティエ)は『夜』の間のみこの世界に存在することを許され、その代わりであるかのように、『夜』に適応していないただの人間たちを蹂躙して回るのだ。


 そして、そんな怪物たちを殺して回る事こそ、『夜』の縄張りに指定されているここ、「不帰(ふき)深林(しんりん)」を統治するアリスが己自身に課した『公務』のひとつなのである。

 それは、かつてこの『夜』を共に憂いた友人との約束でもあった。


 そもそもアリスは深林奥の洋館に勝手に住み着いているだけであるとか、統治も何もまずもって不帰の深林の中に住んでいるマトモな者がアリスとメイのたった二人であるとか、そういったことは一切関係ないのだ。


「心中お察し申し上げます」


 アリスの機嫌が悪い事を慮ってか、後ろに付いていたメイがさりげなく労う。


「ありがとう、メイ。まぁ、『夜』の面倒臭さを除けば、私はこの生活を結構気に入っているのだけれどね」


 メイの気遣いに感謝しつつ、アリスは気を持ち直して前を向いた。


『(°⚪︎°)』

「……ッ!?」


 アリスが即座に後方へと飛び退くと、音も無くアリスの目の前に立っていた声の主はぐらりと頭を傾ける。

 しかしまたすぐに、


『(=^▽^)σ』


 再び声をあげ、アリスたちを指差して体をゆすり始めた。


「な、何なの、コイツ」

「恐らく上位種(ストゥーム)かと……しかし、これは……」


 言葉を切ったメイと共に、アリスは目の前の上位種(ストゥーム)らしき怪物をまじまじと眺めてみる。首から下は、強いて言えば瘦せぎすがすぎるだけで、それ以外は特におかしな所のない人間の胴体だ。

 しかし、問題は首から上である。

 粗末な布で雑に作られた、体と不揃いに大きな球状の頭。

 しかもその顔には口だけが黒い塗料を横一文字に引くことによって表され、極めつけには、その口も赤黒い糸によって滅茶苦茶に縫い付けられていた。


「案山子、にしては悪趣味が過ぎるわね」

「どうなさいますか、アリス様。上位種(ストゥーム)であろうことに変わりはありませんが……」

上位種(ストゥーム)の中にも、いちおう攻撃的じゃない個体は存在することはするんだけれどねぇ」


 上位種(ストゥーム)の中にも、上位種(ストゥーム)の出現に関わる『ある理由』により、殆ど攻撃性を示さない個体は存在しうる。場合によっては人間とコミュニケーションが可能な個体すら。

 そして、どうやらアリスたちの目の前にいるこの案山子のような上位種(ストゥーム)は後者のようだった。


『( ´ - ` )』


 アリスたちが様子を伺っている間に暇になったのか足をぶらつかせている上位種(ストゥーム)に、アリスは慎重に話しかけてみる。


「ねぇ、貴方。私の言葉、分かる?」

『(°▽°)』

「……なんて言ってるのかは全く理解できないけど、貴方がこっちの言葉を理解できることだけは伝わってきたわ」


 案山子型の上位種(ストゥーム)が発する言語はいずれもアリスには微塵も理解できない単語ばかりだったが、何故かその言葉の意図する内容だけははっきりと理解できた。

 兎に角、相手が安全な上位種(ストゥーム)であることに確信が持てたことに安堵したアリスは一つ息を整えると、今度は一歩上位種(ストゥーム)に歩み寄ってみる。


『((((;゜Д゜)))))))』

「お、落ち着いて!私は貴方に危害を加えるつもりはないわ」

『( ´_ゝ`)』

「本当だってば。それよりも、尋ねたいことが有るのだけれど」

『(._.)』

「一つ尋ねたら私達も行くから、そんなに面倒そうにしないでよ。ね?」

『(`_´)ゞ』


 どうやらアリスの質問に答えてくれる気になった様だった。


「それでは、改めまして。この周辺で、見境なしに森を破壊したり生き物を殺してまわってるヤツを見ていないかしら?」

『(´-`).。oO』


 上位種(ストゥーム)は、自らの記憶を漁るためしばしの間沈黙した様に見えた。そして、


『( ゜д゜)!』


 何事か思い出した様子で周りを見回すと、自分の後方を指差した。


「……そっちに、無遠慮に暴れまわってるヤツがいるのね?」

『(T ^ T)』

「あぁ、貴方も被害にあった訳ね。安心して、私が成敗してきてあげる」

『(*⁰▿⁰*)』

「えぇ、応援していてね」


 にこやかに微笑むアリスの言葉を聞いて満足したのか、上位種(ストゥーム)


『( ゜▽゜)ノシ』


 と()()ながら上機嫌で明後日の方向へと歩いて行った。


「……上位種(ストゥーム)の中にも、あのような特殊な個体が存在するのですね」

「そっか、メイが一緒についてくるのはこれで3回目だもんね」

「不勉強で申し訳ございません」

「そんな事ないわよ。あんなの特例中の特例だしね。

……それにしても、あんな風に無害なら暫くは黙認してあげてもいいかもね、あの子」


 案山子の上位種(ストゥーム)が木立に隠れ見えなくなったあたりで、アリスは先程指さされた方角へと踵を返す。


「それじゃ、私達もお仕事しちゃいましょうか」

「はい」



 歩き始めてそう時間も経たないうちに、二人は森が大きく開けてある場所に出た。


「あら、こんな所に日照りを喰らった池なんてあったかしら」

「いえ、そもこの数年太陽など出現しておりません」

「それなら、この馬鹿みたいに大きな窪みはどちら様の物なのかしらね」


 呆れ顔でため息をつくアリスの視線の先にあったのは、半球状に地面をごっそり削り取られて出来たと思しき巨大な窪みだった。

 こんなものが、生半な自然現象によって出来上がるとは思えない。


「これは間違いなく上位種(ストゥーム)の仕業ね。

問題はといえば上位種(ストゥーム)本体の姿が見えないのと、異常なまでに静かところかしら」

「何処かに潜伏しているのでしょうか」

「ま、そう考えるのが妥当でしょうね」


 そう言ってから、アリスは窪みを含めた辺り一帯をぐるりと見渡してみる。『吸血』したことによって飛躍的に上昇したアリスの視力を持ってすれば、多少木陰に紛れていようとも発見は容易い。

 が、しかし。アリスがどう目を懲らそうとも、目前の大穴を穿てるような巨大な怪物の姿を認めることはできなかった。


「……うーん、この辺には居ないみたいだけれど」

「では、あの案山子頭が虚偽を申し立てたということでしょうか」

「んー、そうとも考えにくいのだけれど、ねぇ。あの上位種(ストゥーム)に、私たちをここに誘導する利なんてない筈だし……ん?」


 身体ごと周囲を見回していたアリスは、ふと自身の足元に微かな違和感を感じた。どこか、硬い地面ではなく重ねたタオルの上を踏み歩いているかのような―


「地面が、硬くない?それって」

「アリス様、どうかなさいましたか?」

「メイ。足元の土、柔らかすぎると思わない?」

「え? ……あぁ、確かに」

「退くわよっ!!」

「え、―――うわぁっ!?」


 アリスがメイを抱えて跳躍した次の瞬間、ついさっきまで二人が一緒に立っていた地面が()()()()。隣接していた地面と見た目上はなんの違いもなかったはずの地面が、まるで固まっていたおがくずのように細かく崩れ、窪みの中へと落下していく。

 辛うじて木々の上に飛び乗れたアリスは、抱えていたメイを隣に下ろしつつ顔をしかめた。


「私の森を破壊するのはやめて欲しいのだけれどねぇ?

まぁいいわ。姿を見せない相手の正体くらいは掴めているし」

「そ、そうなのですか?」

「えぇ。今回の上位種(ストゥーム)は―― 」


 そこでアリスは唐突に言葉を切ると、後ろから音もなく迫ってきていた下位種(シュヴァム)に勢いよく振り向いた。

 いきなり振り向かれた二足歩行型の下位種(シュヴァム)は驚く様子を見せつつも、そのまま右手の異常に発達した鉤爪をアリスに向かって振り下ろした。


「ギイィィィィイ!!」

「せいっ」

「ギギッ!?」


 アリスは華麗に身をかわすと、下位種(シュヴァム)の腕と肩を抑え、脚を払って自分の後ろに放り投げた。

 体勢を崩した下位種(シュヴァム)は、自分の勢いに加えアリスに投げ出されたのも相まって、ちょうど巨大な窪みの中心部付近に着地した。


「ギギギ…ギ、ギギュッ」


 窪みの中心部― ほぼほぼ土ではなく砂と化した部分に着地した下位種(シュヴァム)が威嚇の最中に一瞬にして砂中に引きずれこまれたのを見て、樹上のアリスはウンウンと頷いた。


「まぁ、そんな予感はしてたわ」

「そんなことよりアリス様」

「そんなこととは何よぅ」

「このままでは、私たちのいるこの木が沈むのも時間の問題ですが」

「え?」


 見ると、アリスたちの足元が崩れたことによる余波なのか、砂の窪みは少しずつ、しかし確実にその範囲を広げていっていた。


「あー、なら手早く済ませてしまわないとね」


 そう言うと、アリスはなんの遠慮もなく窪みの中へと飛び込んだ。


「……へ??」


 驚きのあまり素っ頓狂な声をあげたメイを残して窪みの中、中心から大きく離れた地点に着地したアリスは、一度メイの方を振り返って声を張り上げる。


「貴女はそこから見ていて!後は私一人でなんとでもなるわ!」

「し、しかし!?」


 メイの慌てた声に重なって、アリスの足元から鈍い地響きが伝わってきた。

 瞬間、地面から瞬時に伸びてきた鋏を即座に飛び退いて回避してから、アリスはメイに向かって軽く手を振った。


「そういうことだから、くれぐれもこっちに来たりなんかしないようにね!」


 それだけ言うと、アリスは正面を見据える。ちょうど、この窪みの()も姿を現したところだった。

 鋏が出現した場所から砂を掻き分け姿を現したのは、鋭く細長い顎を備えた巨大な虫のような生き物の頭。


「カシュルルルルルル……」

「本で見たことあるわよ、貴方。ウスバカゲロウ、別名アリジゴクだったかしら?

実物をこの目で見るのは初めてだけれど、随分珍妙な巣を作るのね」


 アリスの言葉に、目前の上位種(ストゥーム)が反応する様子は微塵もない。先ほどの案山子の上位種(ストゥーム)とは違って意思疎通など出来そうになかった。


「私と話し合いをする気は、残念ながらなさそうね」

「フシュルルル」

「良いわよ、別に。……私も最初からそのつもりはないし」


 アリスはそう言い切ると、深く息を吸った。

 全身の筋肉が、これからの戦いを待ち望むかのように緊張するのを感じる。

 もはや堆積した砂でしかない地面に足首まで埋まるのも構わず、四肢に力を込めながら、なお静かにアリスは言葉を放った。


「それでは、狩りを始めましょうか」

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