お祖母さんと猫
昔、私のお祖母さんは二匹の猫を飼っていました。
名前は、弁慶と牛若丸です。
お祖母さんは、はじめに、ご近所の人から一匹の子猫をもらってきました。
それが弁慶でした。
子猫たちの中でも、体が大きく、鼻がつぶれていて、あまり可愛くなかったので、誰も引き取ろうとはしなかったそうです。
でも、お祖母さんはその子猫が一目で好きになりました。
体が大きくて、ころんころん転ぶのが、可愛かったんだ、と話していました。
弁慶はとても大きく育って、初めて見る人は怖がるくらいでした。
でも、人懐っこいので、誰にでもすぐに近づいて、足の間をするする撫でて歩いていきました。
弁慶がお祖母さんの家に来て、ニ年経った頃でしょうか。
その日は、夜からずっと雨が降り続いて、桜がすっかり散ってしまいました。
買い物に出かけたお祖母さんが、濡れてふやけたダンボール箱を持って帰ってきました。
箱の中には、ずぶ濡れの黒い毛球が入っていました。
それが牛若丸でした。
お祖母さんは、その子猫が長く生きるとは思わなかったそうです。
体はとても小さく、痩せ細っていました。
お祖母さんが哺乳瓶でミルクを飲ませようとしても、飲み込む力も残っていないようでした。
弁慶は、子猫に寄り添うと、片時も離れようはしませんでした。
牛若丸は、始めのうちは、弁慶の後をちょこちょこと追いかけていましたが、すぐに弁慶が牛若丸の後を追いかけることになりました。
牛若丸は、ほっそりとして、しなやかな、美しい猫に育ちました。
お祖母さんは、牛若丸も可愛がっていましたが、私はどうしても牛若丸を好きになれませんでした。
牛若丸は高い所が大好きで、机や箪笥に飛びついては、一番上まで行くまで気が済まないようでした。
弁慶は、体が大き過ぎるためか、高い所に登ろうとはしませんでしたが、牛若丸が登った机や箪笥を見上げては、牛若丸が降りてくるのを健気に待っていました。
私は、牛若丸が机や箪笥を爪で傷つけることも、弁慶に構ってあげないことも、気に食わなかったのだと思います。
でも、弁慶には申し訳ないのですが、私は牛若丸を思い出すことがよくあります。
牛若丸のお気に入り場所は、居間にある、お客様用のコップやお皿が入った食器棚の上でした。
そこからは、窓の外がよく見え、道や空き地を見下ろすことができました。
牛若丸はよく窓の外を眺めていました。
時々、牛若丸が家の中から姿を消すことがありました。
玄関も窓も閉めているので、そんなことはあり得ないはずなのですが、牛若丸は家の外に出る方法を見つけたようでした。
牛若丸が姿を消すと、弁慶は玄関や窓のそばでじっとしていました。
牛若丸の帰りをいつまでも待っていました。
その日、牛若丸は帰ってきませんでした。
お祖母さんも、私も、牛若丸を懸命に探したのですが、何の手がかりも得られませんでした。
お祖母さんは、牛若丸らしいねぇ、となぜか嬉しそうにしていました。
あの日から毎日、弁慶は、あの食器棚を見上げていました。
牛若丸がいつか帰ってくると、頑なに信じているようでした。
お祖母さんは、あんた本当に一途だねぇ、と弁慶に繰り返し言っていました。
弁慶が食器棚の下で冷たくなっているのを見つけた日にも。
弁慶を火葬にして弔うと、体が大きかったのに、骨はわずかに残るばかりでした。
お祖母さんは、牛若丸がいつか帰ってくるかもしれないし、弁慶の代わりに待ってないとね、と言って、猫のいない家で、暮らし続けました。
お祖母さんは、よく弁慶と牛若丸の話をしました。
牛若丸みたいに、生きてるんだか死んでるんだかわからない方が、弁慶みたいに、死んで家族みんなを悲しませるより、性に合ってるよ、と言い、私を困らせることもありましたが。
今は、もう、お祖母さんも、猫も、いなくなってしまいました。
それでも、いつか牛若丸が帰ってくるんじゃないかと、家に帰るたび、私はあの食器棚を見上げるのです。
弁慶のように。