友人の魔法使い
腫れ上がった顔を天井に向けたまま、俺は地面に転がっていた。喧嘩の末ではあったが、友人に踏ん切りをつけさせることができたのは何よりだ。ついさっき爽やかな笑顔で去って行った奴のことを思い出す。
それにしてあいつ、魔法使いなのにどうして戦士の俺よりも殴り慣れていやがるんだ。
「おい、てめぇ、言っていいことと悪いことがあんだろうがよ!」
典型的な魔法使いの格好をした目の前の男が、俺の一言で激高した。両手をテーブルに叩きつけながら立ち上がる。あ~あ、ジョッキが倒れて酒が床にまで一気にこぼれちまったよ。
「何度でも言ってやる。おめぇは臆病なんだよ!」
遅れて立ち上がった俺は、再度目の前のジェフに言ってやった。多少酔っているがまだふらつくようなことはない。
「慎重に事を運ぶことは重要だろうが!?」
「自分のレベルの半分程度の連中とつるんでちんたら魔物狩りしてんのは、慎重なんじゃなくて臆病ってんだ!」
俺の所属しているパーティは中堅だ。ジェフは臨時で入ってもらって以来ずっと居着いているが、本来なら俺達とパーティを組むような奴じゃない。
「んだと、てめぇ!」
目をむいてジェフがこっちにやってくる。こいつ、魔法使いのくせに殴り合いをしようってのか? 俺は戦士だぜ?
「ゃんのかコラァ!」
近づいてきたジェフに対して、俺は軽く右のジャブを放つ。軽く顔に当てるつもりだったんだ。
ところが、ジェフはそれを当たり前のように避けると、右のフックを俺の脇腹に打ち込んできた。まさか反撃されるとは思わなかった俺は、もろにそれを食らってしまう。「おごっ?!」という変な声を出しながら後ろに下がった。
「はっ、魔法使いだからって殴り合いが下手だとは限らんぜ?」
なんだそれ、戦士のお株を奪う気か?!
この頃になると俺達の周りには野次馬が集まり始めた。酒場での喧嘩なんていい酒の肴だし、戦士と魔法使いのレアマッチなんて尚更だ。
「くそ、おめぇ!」
周囲から飛んでくるヤジにも後押しされて、俺は本気になってジェフに殴りかかった。
普通なら一方的な喧嘩になるはずなのだが、ジェフは巧みに俺の拳を避けやがる。こいつ、動きが明らかに良すぎるぞ!
「どうした、それでも戦士か?」
「うるせぇよ!」
「がは?!」
本気のフェイントを使って、ようやく一発当てることができた。顔にきついのを食らったジェフが吹っ飛ぶ。
しかし、その一発を当てるまでに俺は三発もらっていた。威力は俺ほどではないものの、数が増えれば危ない。
周囲の野次馬どもも盛り上がる。やっぱり喧嘩はお互いの拳が相手に当たってこそ面白れぇ。俺も野次馬だったらそう思うぜ、くそ!
「ちっ、やっぱ戦士ってことか。結構効くなぁ」
「当たり前のように立ち上がんじゃねぇよ」
見た目は魔法使いそのものなのに、なんでそんなに喧嘩慣れしてんだ。これ、明らかにレベルの差だけじゃねぇぞ。
立ち上がったジェフがこちらへと近づくと、再び俺達は殴り合った。お互い本気だ。
拳を打ち込むと避けられて反撃される。それを腕で受け止めるとローキックを打ち込む。続いて左ストレートを放つ。ぎりぎりで躱されて逆にカウンターをもらった。
こうしてひたすら殴り合う。もう魔法使いと喧嘩をしている気がしない。一体どうなってんだ。
「お前ほんとに魔法使いかよ。魔法戦士じゃねぇの?」
「いーや、俺は魔法使いだぜ」
お互い顔を腫らしながらもまだ立って構えている。ただし、こっちはもう余裕がない。ジェフも余裕がない、と思いたい。
「おめぇ、何でそんなにつえぇのに、いつまでも俺達のパーティにいるんだよ。もっと上のパーティから声がかかってんの知ってんだぜ」
野次馬の声は無視して目の前のジェフに語りかける。
「確かに一時的に助っ人としてレベル差のあるパーティに入るってんならわかるけどよ、レベルが倍も違う奴らが組んでもお互いのためにならねぇことは、おめぇも知ってんだろ」
レベルが高い奴にとっては低い奴は足手まといだし、逆に低い奴は高い奴に頼りっぱなしになるから経験を積みにくくなる。パーティとして長く付き合うことはお互いのためにならねぇんだ。
なのにどうして、こいつは俺達のパーティから離れようとしねぇんだ。一流のパーティからいくつも声がかかってんのによ。俺からしたら夢のような話だぜ!
「戦士が本当に強いのか不安なんだよ」
「あ?」
「俺、喧嘩っ早いからよ、以前高レベルパーティに居たときに仲間の戦士と喧嘩をしちまったんだ。今みたいによ」
「なんで生きてんだよ、おめぇ」
高レベルの戦士と真っ正面から殴り合って生きている魔法使いなんざ聞いたことがない。それ以前に、戦士と殴り合う魔法使いなんてのも聞いたことねぇけどよ。
「いや、あいつもかなり酔っ払ってたし、本気じゃなかったってのもあるんだ。それで、不意を突く形で俺がしかけたら、弾みで勝っちまってさ。それ以来戦士って職業が信用できなくなっちまって、ぎりぎりの戦いができねぇんだよ」
俺は唖然とした。本人にしたら深刻な問題なのかもしれねぇが、俺にとっちゃしょうもない理由だ。
「ばっかじゃねぇの。そりゃ負けた戦士は大恥だけどよ、お前がそんなこと気にすることねぇだろ」
「なにがバカだこの野郎! こっちが呪文を唱えてる間は敵を食い止めてもらわねぇと魔法が使えねぇんだぞ!」
「お前に負けた戦士は一日中飲んでんのか? べろんべろんに酔っ払ってんのか? シラフのときの力を信じてやれよ!」
あんまりにも馬鹿馬鹿しい理由のせいで、俺はこいつと喧嘩をする気が失せてきた。
「よし、ならてめぇが俺に勝ったら戦士を信用してやろう!」
「いやだから、なんでそうなるんだよ!?」
あんまりにも馬鹿馬鹿しい条件に、俺は再び喧嘩をする気力が湧いてきた。こいつは絶対床を嘗めさせてやる!
「あったま来たぜ。そんなに言うんならしばらく立てねぇようにしてやる!」
「はっ、来な!」
俺達は再び近づいて殴り合いを始めた。
あれから俺達は延々とお互いに拳を打ち付けていた。
魔法使いと互角の勝負をしている戦士の俺が情けないのか、それとも戦士と五分に戦っている魔法使いのジェフが凄いのかはよくわからねぇ。ただ、とにかく目の前の色々と理不尽な魔法使いを沈めたい一心で拳を振るっていた。
そんな喧嘩にもやがて終わりがやってきた。結論から言うと引き分けだ。最後はクロスカウンターでお互いの顔に拳がめり込み、そのまま同時に床へと崩れ落ちたのだった。
「絶対勝てると思ってたのに」
息も絶え絶えの俺は絞り出すようにして呟く。くそ、やっぱ情けねぇなぁ!
「なんだ、やっぱり戦士ってつえぇんじゃねぇか」
同じように倒れたままのジェフが呆然と天井を見ながら口を動かしていた。こいつと引き分けちまった俺には素直に受け取れねぇ言葉だな。
「魔法使いでそこまで殴り合えるんならよ、どうにでもなるような気がするんだけどなぁ」
こいつならぎりぎりの戦いで迫ってきたモンスターも殴り倒せそうな気がする。
「そうかぁ。なら、もう一回やってみるかな」
ジェフは近くにあった椅子にすがるようになりながらも立ち上がった。こいつ、俺より回復力が高いのか!
「ありがとよ、すっきりしたぜ。高レベルパーティの件、考えてみるわ」
「さっさと行っちまえ、この野郎」
床に転がったまま俺はジェフに言葉を贈る。
「じゃぁな」
腫れ上がった顔に爽やかな笑みを浮かべてジェフはゆっくりと去って行く。あ~、足下にかなりきてやがるな。よかった、あいつもぎりぎりだったんだ。
これでまた魔法使いを探さなきゃなんねぇが、ま、しゃぁねぇな。
「おいあんた、いい加減立たねぇか。さもねぇと店の外へ放り出すぞ!」
喧嘩の後の良い気分に水をぶっかけてきたのは誰だと一瞬睨んだが、声の主が店主だとわかって俺も慌てて起き上がった。そういや店の中で喧嘩してたんだっけ。
最後は締まらねぇ感じになっちまったが、しょうがねぇ。別の店で飲み直すか!