魔法少女 爆☆誕 ひとつめ
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東京に戻ってきたのは、七年振りだとおもう。
七年前、父の仕事でロシアに向かった私は入国後、まもなくテロリストに両親を殺された。
遥か北方の大地の夕暮と、変わらない人の血の臭い。無残に吹き飛んだ父の顔、母の顔。そして正義に燃えるテロリストの顔。
それだけは最悪なことだけれど、しっかりと覚えている。
ともあれ私は生き残った。でも、こうして生き残っている事を悔やむことのほうが多い。
なんたって、こんな珍妙な相棒と共に少年兵をしているのだから。
「珍妙で、悪かったな」
ヴァイオリンケースに隠した相棒が声を上げた。
「私、喋ったっけ」
「そんな顔してるんだよ、お前」
「顔も見せてないんですけど」
帽子を深くかぶる。
アイツが私の顔を見ている、そんな気がした。
「まあ、いいけどさ」
なにがいいのだろう、私は。
「それで、今回の依頼は?」
「人目につくから、喋らないでよ……」
「喋るのが俺の特徴だろ、違うか?」
「あなたは私の仕事を手伝ってくれればいいの、お手伝いさんなの。違う?」
けったいな、と彼は舌を打った。
いや、正しくは舌も無いのだから、気のせいかもしれない。
「まあ……今回の依頼は、土地に根付いてしまった悪魔の討伐。一ヶ月くらい前から行方不明が続いているんだってさ、たいしたことない」
そう呟きながら、私は標的の待つ廃ビルの前で、足を止めた。
五階建ての雑居ビルで、今は人が住んでいない。高度成長期に作られた手狭なビルだが、今となっては大きな墓石にしか見えない。
がんばって手に入れたお金とやらも、こう価値が変わってしまえば糞と同じなのか。
まあ、そんな盛者必衰の理なんて、私には関係が無いのだけど。
「それで、報酬は?」
下卑た笑いが漏れている。
「二万ドル、でもお前の整備でお金がとぶ、それに交通費。お前は日本じゃ持っちゃいけない存在なんだぞ。それを隠すための結界だって作らなきゃ」
「なーにが結界だか、今どき結界なんざ端末にでもブチ込んでおけばいい、だろ?」
「分かってるって。でも通信費が問題なの。プログラミングだってパソコンに頼りっきりだし、そうなれば電気代だって必要になる」
「そりゃそうだけどさ、金欠を俺の所為にされちゃ困るぜ」
「意味わかんないんですけど」
そう言いながら、私は一枚の護符を取り出した。
四神結界・東形、陰陽五行に基づく対認識結界だ。古く、千年以上伝わる遮断結界、音や光を断ち切り、周囲の人間から探知されないようにする。
本当は東西南北に四つ設置して、真ん中で御幣を振ったりする必要があるけれども、陰陽術も近代化されていて、これは東側に置くだけでよい。
作り方は画像をダウンロードして、コンビニで印刷。簡単、便利、はやい。
「さて、行きますか」
御札が蒼く光れば起動の証。
十三分四十五秒、世界の常識から隔絶される。
この日本にライフルの銃声など届かない、悪魔なんて居ない、魔法なんて存在しない。そう思う人間には、なにも分からない。
空間に対する強制暗示、それが結界の仕組みだった。
「合点承知」
重苦しいケースを肩から降ろせば勝手に蓋が開く。
そこから顔を見せたのは一本の長物――――かつての名前をM1918、ブローニング・オート・ライフル。
百年以上昔に製造された機関銃で大口径大重量のスプリングフィールド弾を使用する。威力で言えば熊をも一撃で吹き飛ばすくらい。
第二次世界大戦では分隊支援火器として活躍したらしい。
だが、その象徴である巨大なストックも、長槍めいたバレルも、今の彼には無い。
バレルは短縮化され、ハンドガードにはアタッチメントを装着する為のレイルが組み込まれている。ストックはM4タイプのクレーンストックだ。
レイルに装着しているのはホロサイト、レーザーサイト、そしてフォアグリップ。完全無欠のCQB仕様だ。
その名を改めヘビー・カウンター・アサルト・ライフル、通称〝HCAR〟と呼ぶ。
百年を経た長物は近代化され、その寿命により付喪神として昇華している。そんな奴が私の相棒――――HCARくん百七歳、である。
「状況開始」
二十発の弾倉を込め、チャージングハンドルを引く。
薬室に弾丸が込められると、私はセーフティを解除した。
突入。
心の中で叫ぶと同時、私はビルのロビーへと飛び込んだ。
◆
廃墟のビル。
正面玄関を抜けた先のロビー、受付カウンターが見える。
飛び散ったガラスと溜まった埃、あちこちはビニールシートで覆われており、その全貌は視認できない。
さながら一つの祭壇、あるいは遺跡だ。
私は敵の気配を、ホロサイトを覗きながら探す。
深緑に発光するレティクルを右から左へと流した。
「クリア」
目に見える敵はいない。
「クリア、だぜ?」
目に見えない敵もいない。
私は為れた足で素早くロビーを抜け、奥に隠れた階段を上がった。
「まったく、こんなところに居ねえっての。ボスがご丁寧にロビーだ階段で待ち構えているかよ」
「五月蠅い黙れ」
私は視線の先を銃口でなぞりながら、階段を上っている。
足音さえ殺しながら進んでいると言うのに、HCARのほうと言えば余裕というふう。べらべらと喋りつづけて、おしゃべりが止まる様子は無い。
「仕方ないだろ、分隊支援火器なんだし。俺は五月蠅いの」
なにを言っているのだか。
消音機を付けるぞ。
「消音機だって? 冗談じゃない! ただでさえこんなヘンテコな衣装を付けられてるんだ、これ以上は死んでしまう!」
元から生きてもいないだろうに。
とにかくHCARはタクティカルな外装が大嫌いだ。
でも確かに、と思う。
バレルも変えて、ストックも変えて、ハンドガードもレシーバーも変えてしまった。
そんなHCARくん、古くはBARと呼ばれた彼が彼たる証は、どの辺りに存在するのか分からない。
「でも仕方ないでしょ、重いんだもん」
「魔術でなんとかしろよ!」
「してる。筋力さぽーと。じゃないと持てないし、反動も抑えられないでしょ」
「じゃあいいじゃないか」
「こうやって、小さくしているから階段とか、屋内を歩けるの。そのあたりも考えようね、おじいちゃん」
「なっ……俺を高齢者扱いするな! ジジイって呼ぶなら敬いやがれ!」
「そうだね」
五階、まで上がってしまった。
無意識のうちにHCARに頼っていたらしい。
今までは中東あたりで魔術に手を染めるテロリストの掃討が中心だったから、どうも目標がしっかりしていた。
破壊対称の儀式とか、魔法陣ならHCARが見つけてくれる。
でも今回は悪魔だ。
悪魔とテロリストの何が違うかと言うと、相手は実態があるかないかさえ分からないという事だ。
テロリストが相手なら、目標はテロリストと魔法陣や儀式の装置だ。
だが単純に悪魔が相手だと困る。
実体を持ち人を襲うモンスターの場合と、実態を持たないゴーストの場合が存在してしまうのだ。
残念だが、今回の依頼者が提供した情報は少なかった。このビルに悪魔がいる、そうして人を殺しているという。
それだけ。
だが、私からすれば十分だった。
悪魔を祓い、憑物を落し、悪鬼を退ける。
それだけの仕事は熟せる実力は十分に持っている。
HCARも仕事では頼れる仲間だった。
「それに、大方ラスボスってのは高いところが好きなんだ」
あとは直感。
「なに言ってんだか」
だれかと同じような事をHCARが言った。
タイルの階段を駆け上がる。そうした先、手狭な踊場と月明かりを呑み込むドアがあった。
その先が敵の待つであろう屋上だ。
私はスマートフォンを取り出し結界の残り時間を確認する。
九分三十七秒、問題ない。
むしろ余裕さえある。
私は扉をけ破って、強襲した。
◆
衝撃。
前転をしながら屋上へと身体を出す。
乱雑に積み上げられた段ボール、散らばった瓦礫と、それを包むブルーシート。
ロビーが祭壇なら、これは司祭が立つ儀式の中心点。
「目標視えたぞ、悪魔……使い魔クラスだ!」
「じょうとう!」
さながら飼い主を失ったはぐれ悪魔といった所か。
とはいえ私まで姿を視認する事は出来ない。つまり、相手は〝霊体〟だった。
「だが腹ン中には人の臓物だァ、糞が詰まってやがる……、ざっと七人は視えるぞ」
「なるほどね、了解」
そう驚くことも無かろうに。
前回、ソマリアで戦った相手は、村人百二十人を殺した大司祭だったじゃないか。
「ったく馴れてるね、オマエも」
「さて、そっちは何人殺したんだっけ」
腰にぶら下げたグレネードを掴み、ピンを外す。
「……っ!」
足元の瓦礫が突如として爆発した、ポルターガイストの類だろう。
敵の攻撃、即効性でレベルの低い呪いだと思うけれど、連続で発動されれば困る。任務は速やかに達成しなければ。
その為のグレネードである、特製の。
「さてね、忘れた」
HCARがとぼけた。
わたしはアンダースローでグレネードを夜空に放り投げる。
「お腰に付けた、きび団子……ってね」
くるり、と回りながら、グレネードは月に目掛けて昇っていく。
三秒、私は場所を変える。
二秒、段ボールの隙間に潜った。
一秒、そこに光は無い。
「来るぞ」
HCARが叫び、そして――――グレネードが炸裂した。
どう、という衝撃と共にビルが揺れて、落雷めいた音が響き渡る。
私は物陰から飛び出し、屋上の中心へと、目を向けた。
「……はじめまして、かな」
ずれていたキャップの位置を戻し、それを見る。
凡そ全長は五メートル、黒い翼を自慢げに広げながら身体ほどもある巨大な腕を持つ怪物。
紛う事なき、悪魔だった。
ただ、それは全身を鎖で締め付けられ、動きを封じられている。
「動ける筈がない、それは君自身を召喚するものなんだ」
この悪魔は今、グレネードから散布された私の血液を媒介に、使い魔として召喚された。
一時的な契約だが、レベルの低い悪魔であれば簡単に応じてしまう。
「こんな方法、好きじゃないんだけど」
痛いから。
「ともあれ、君の人生はこれでおしまいだ。ああ、でも悪魔だから生きていないか」
巨大な悪魔の体躯の下まで潜り込むと、HCARの銃口を頭蓋に向けた。
両腕でしっかりと支え、引き金を引く。
肩を砕くような衝撃と同時に30口径が悪魔の肉体を破壊して遥か天空へと昇っていく。
悪魔が雄叫びのような悲鳴を上げた。
怪物の身体が薄れていく、召喚者である私自身が契約を破棄したんだ。その肉体は保てない。
身体は風に吹かれた砂のように流れ去った。
「任務完了、かな」
これらは呪術弾〝契約破棄〟の能力である。
使い魔の契約を殺し、悪魔が持つ魔力、肉体を私自身へ還元する。
返してもらうのだ。蓄えて来た、その全てを。
「……うっ、吐きそう」
途端に胃がもたれたように身体が重くなる。
当然だ、この戦法は何度繰り返しても馴れない。それも当然、悪魔が持っていた〝全て〟の魔力や血肉を私へ還元する。
それは被害者たちの死体を喰らう事と同じ。
アレの臓物に溜まった汚物を、私は飲み込んだのだ。
「吐けばいいじゃないか」
そう、HCARは笑うように言った。
吐けるものか、吐いてしまえば私はお前を〝生かせ〟ない。
「くそったれ」
そう言いながら、私は悪魔が残した髑髏の一つを蹴り上げた。
ふわり、と蹴鞠のように跳んだ髑髏、それは階段に吸い込まれ、そして――――。
「…………なっ!」
撃ち落とされた。
深緑のレーザーサイトの光が遠くまで伸び、飛び散った髑髏の破片を照らしている。
それはすーっと下に降りて、やがて私の額に当てられた。
かりち、と固まったように相手の銃口が私を睨む。
「…………敵襲!」
叫んだのは私か、HCARか分からない。
吐きそうな腹を抑えながら、私はグリップを握りなおし、右へ飛んだ。
ほとんど同時に発砲された弾丸が近づく。
横に流れる私の身体、弾丸は背中のバックパックを貫いた。
「パソコンが!」
液晶の破片が吹き飛ぶ。
「おしゃかに!」
二発目が私を貫く前に私は、物陰に入っていた。
「くそったれ、なんなんだあれは!」
叫ぶものの答えは無い。
サプレッサーーだろう、発砲音が酷く小さい。
「見たか、今の!」
HCARが言う。
「見てない! なんにも見てない!」
こつ、こつ、と足音が近づいてくる。
「桜の紋章……警察だぞ!」
「警察、どうして!」
ダンッ、と弾丸が瓦礫を貫いて私の傍を抜ける。
気付かれた? まさか、結界の残り時間は三分以上残っているというのに!
「数は一人、とにかく逃げろ……ヤバイ!」
「わかってるって!」
どちらにせよ時間は無い、早急にHCARを収納しなければ。
私は躊躇いなく格子を掴むと乗り越え、そのまま地上に向けて飛び降りた。