第七話「星天の霹靂」
「……はー……おっきいー」
私は、眼前に広がった巨大すぎる湯船を目の前に、感嘆の声をただ上げていた。
天井がバカみたいに高い。ドラゴンでも余裕で入りそうだし、曇ってて天井見えない。
床中ツヤツヤとした大理石か何かで出来たフロアに、大浴槽には湯を吐くライオンみたいなモンスターの顔。マーライグルだっけ。そして、どんな原理かボコボコとジャグジーが風呂の各所で泡立てられている。
確かに部屋のお風呂にもジャグジーが付いてたり、立派なシャワーや浴槽が用意されてたけど、これはそれでも全然敵うまい。
私が百人いたって、それでも余裕なくらいこの大浴場は広いのだ。
ルンルン気分で体を流しに行く。
「私室でもギルドルームでも、こんなお風呂にゃ入れないよねー」
ウキウキとステップなんか踏みながら、私は濛々と湯気立ち込める浴槽の中へ入っていく。
思ったより疲れを感じる足先で、私は湯にとぷんと身を浸した。
「っくゥー……キくゥ……」
オッサンみたいな喘ぎ声を出しながら、私はぷるぷると震え、湯船で存分に伸びをする。
「……やっぱ、おっかしーよねー」
水の匂い。湯気の香り。ほのかに薬湯らしい、香料の香りもする。
こうやって、濡れるのは演出でしかなかったはずだ。
曇ったミルク色の湯船から、私はゲームの中の私の肌にそっと触れる。ぷにぷに。
悔しいけど、現実の私では勝てない肌の美しさだ。いや、汚いって訳じゃないけど。
でも、水から上がりさえすれば、濡れた状態は三秒で乾くはず。仕様に変更がなければ。
なのに、今の私は湯船から上がっても勝手に乾燥したりしない。それどころか、体がどんどん冷えてしまうし、ぷるぷると身を振るわせれば跳ねた水はちゃんとその辺に散らばる。
つまり、今のTTは――ゲームじゃない?
「まさか、そんな、ぶくぶくぶく」
ねぇ、の部分を言おうとしたところで私は湯船に口元を沈める。
だって、元々TTは結構現実っぽかったし。これが、単に外部から手を加えられたことによる仕様の変化かもしれない。
いや、でもそんなセキュリティガバガバじゃないはずか……あっ、じゃあ内部での変更。
いや、さすがに通知するでしょ。事前に。
わかんない。ただ、でも、リアリティが増したおかげで割と楽しむ要素は増えた気がする。
「私ってば、お気楽」
じゃぶじゃぶと浴槽の中を泳ぐ。
他に入ってくる人はいない。単に、ここが客用の浴場なのか、あるいは何か別の理由で誰も来ないのか。
まあ、私そんなにコミュ力ある方じゃないし、独りのほうが気楽だけど。
あ、でも本アカウントの方はアレキャラ作ってるからぼっちなのよ。
元々の私は、引きこもりだけどそこまで喋れないってほどコミュニケーション不全じゃない。
「……て言っても、狩りしてる時の私はあんま見られたくないんだよねー」
だから、結果相対的な評価はコミュ障になってしまう。
ギルド内にも友達が出来ないわけだよ。
自省しながら、私はぶくぶくぶくと泡を立て続けつつデバコマで旧知の友人のIDを検索する。ついでに、波真珠への登録なんかもしようと。
「あー、でもこのまんまだと私だってわかんないか。うーん……」
デバコマを使えば、名前を切り替える、ジョブを変える、チートじみたパラメータにする、あるいはGコマを使えば、友人の元へと転移も可能かもしれない。
でも、これ一応会社のアカウントなんだよなあ、とも思う。
こう言うのもなんだが、由樹――ミズカは、TTの廃人界隈ではそこそこに有名な方だ。
その力と有名さを裏打ちしているのは、ひとえに会社からリークしているあらゆる開発情報のお陰である。
就業時間中の、バランスチェックと称したHNМとのバトル。
それにより、飛躍的かつ尋常なく上昇したPS。
あるいは、これからのスケジュールや仕様書を手に入れることで、前もって知ることのできたあらゆるレアアイテム、ドロップ率、有効な立ち回りやモンスターのデータ。
それらを、かの有名な「沈黙のミズカ」が、なんと開発会社から直接得ることで知っていると、会社の人間、いや、周囲の全てに伝わってしまったとしたら――。
「――クビ、だよね。ぶくぶくく。それだけじゃ、済まないかも、ぶく」
そう考えると、中々踏ん切りがつかないのも事実だった。
「……えー、えー、こういう状況で怒らないの、金田さんくらいしか思いつかない……」
けど、その金田さんも今や音信不通なんだよなあ……。
「困った。打つ手がない」
はっきり、そこに思い至る。
「となると……」
ふ、と振られた指の先に開かれるデバッグコマンドだ。
相変わらず、XとYの座標は目にも追えない速度でガンガン増え続けている。微妙にZも動いているかもしれない。
つまるところこれは、自分が猛烈な勢いで動いていることに他ならない。
でも、私はここにいるし……転移とかもしてないし。この大陸が、ラ・ダスク国のある場所が自然と移動する性質を持っているとか?
いや、それもおかしい。だったら、仕様で知ってるはずだ。不真面目とは言え、一通りきちんと目はとおしてる。
この国、というよりこの大陸、「ヨルベツルベ」に、そんな記述はなかったもの。
ていうか、移動させる意味も感じないし。
「……むむむ、意外と楽しめないね、この状況」
最初は好き放題戦えるかもと思ったが、そういうわけでもなさそうだ。
「しかも、この場所そのものが未実装。つまり、他のプレイヤーと出会える可能性は低い。そうなると……少なくとも実装済みの既存大陸に行く必要がある」
既存の大陸――今のところ、四つだ。
デバコマで、フィールドマップを表示する。
大きく表示された大陸が六つ。内、東側に位置する長大な大陸――カラナクラナは、濃い紫の霧に覆われていてその全貌がはっきりとしない。
全てのエリアは、X-00000000~X-FFFFFFFFまで、八桁のIDが割り振られている。だが、今は三桁番後半以降は基本完全にカラッポのデータが入っていない状態だ。まだまだ世界には余裕がある。
マップ座標自体は数値の上で全て同一だが、ランクを切り替えることで難易度の上下が設定されている。
TTのリリースがされて、実はまだ九ヶ月と少し。ボリューム自体は既にかなりあるのだが、これから伸び始めると言ってもいいほど生まれたばかりのゲームなのである。
「あるいは、スタッフさんがどこかにいると賭けてここに留まるか……?」
画面右下、カラナクラナに程近い小さな大陸、ヨルベツルベ。
ここは、実装予定の内容では、太古の遺跡が大量にあり、ようやく人族の侵攻が開始された、と言う設定の舞台だったはず。その中で、ラ・ダスク国は人族の拠点とも言える重要拠点にあたる場所なのだ。
そして、初めに由樹が出くわした襲撃――アレを機に、大陸間戦争の火蓋が切って落とされるはずだったのだ。
ちなみに、先の話に出ていたゴルボーンとは、中央大陸たる「カナイニライ」の主要都市の一つ。
だから、あのエレナさんは完全に魔族によって騙されていたということになる。魔族がどんな手の回し方をしたがわからないが。
「……選択肢は、色々ある」
指を目の前に三本立てて、指折り数えていく。
ひとつ。素直にここに留まり、スタッフからの救助を待つ。
ここで派手に暴れていれば、ひょっとしたらチートの噂が届いて他のGМが飛んでくるかもしれない。まあ、これは気持ち的にも悪くない。遊んでればいいわけだし。
ふたつ。テキトーに座標を打ち込みまくって、そこに転移を繰り返す。
これはちょっと怖い。猛烈な勢いで座標が書き換わってるかもしれない以上、ノリで飛んだ先で即死、そのまま人生ドロップアウトの可能性もあるからだ。却下。
みっつ。オンラインの友人のIDを探し出して、そこに転移。
これは確実だ。相手がその場にいる以上、座標が動こうが絶対位置が変わらないから。
ただ、名前が知られていないことが問題。名前を変えて飛んでもいいけど、会社のアカウントだってバレる可能性がある。それはいただけない。
「信頼できる友達がいない、ってのもロールプレイ上の問題だなあ……」
浴槽の端に腕で枕を作って、私はため息をついた。
斜めに開かれた浴場の窓から、夜空に浮かぶ二つの月がぼんやりと顔を覗かせている。
「神は、常に二つの解をお導き下さる……しかし、それが良き答えとは限らない……だっけ」
この世界の宗教の教え。
双月教の信者が良く口にするフレーズだ。
どういう設定かまでは詳しく覚えてないから曖昧だけど。
由樹の見上げる月の狭間に、不意に流れた流星が煌めいた。
「選択肢、三つあるんですけど」
と言っても、選べるのは実質二つだけか。
選択の余地は、あまりなかった。
「ひゃっ?」
風呂を上がり、脱衣場に出ると無愛想な顔の侍女が控えていた。
予期せぬ遭遇に私は妙な声を挙げてしまう
メイドさんがそんな振る舞いをするなんて普通にプレイしていた時はなかったし、NPCだってそこまで自発的に動くものではなかったはず。
「こちらにお着替えください」
「は……あ、え、へ? ドレス?」
それは、式典用の華美なドレスだった。
一度も着たことがない。大体コレを着る人間っていうのは、ゲーム内での結婚イベントとかくらいでしか見たことが……いや、着ること自体は自由だったか。
とは言え、私には縁もゆかりもないはずのそれだ。
思わず、目を瞬いて侍女さんの顔を見つめ返してしまう。
「……? 式典用の礼装です。祝典の準備が整いましたので、こちらをお召し下さい」
「は……いや、マジで祝典やるの?」
「仰る意味が分かりませんが……」
「うーん……」
……抵抗する理由もないか。
私は、言われた通りに礼服へ袖を通した。
花嫁衣裳を思わせるフリフリでしっとりした手触りの素材。なんだか鳥肌が立ってしまう。慣れない。と言うより、この歳でこう言った服に身を包むことに、一種罪悪感のようなものを抱いてしまう。
私、まだこう……そう言う相手もいないんだけどな。まあ、それはつまり見せる相手もいないってことなんだけど。
しかし相変わらず、今着たはずのコレですらアイテムパックには入った様子がない。手に持ってようが、身に着けていようが、装備欄にはどうしても表示されてくれないみたいだ。
「それでは、こちらへ。準備は既に済んでおります」
「は、はあ」
侍女の後について、私は大きな城の中へと歩み出す。
一見して天井が広いのが目立つ。何か理由があった気もするけど、設定に近いところの仕様は読んだことがないので詳しくはない。何より、未実装だから他のプレイヤーの考察なんかも目にできないし、公式設定集みたいのもないからね。
柱は私三人分くらいある幅のがボンボン立ってるし、絨毯はシミ一つなくずっと続いてるし、じわじわ奥行きの感覚が狂ってくるような印象を受ける。
ああ、ひょっとしたら、この城は大きな敵と戦うために造られた城なのかも?
だから、妙に奥行きが深かったり、天井が高かったりするのかな。
どんな魔物との戦いを想定しているかはわからないが。
「こちらです」
あれ、広間に案内されると思ったら違った。
広間に似た大きな扉ではあるが、飾り気のない外開きの大きな石造りの門。
侍女は、私を案内するとゴンゴンとノック代わりに扉についた丸い鉄輪を鳴らす。
「……それでは」
身を抱く敬礼を済ませると、侍女はサッと通路の奥へと控えてしまった。
「……うーむ」
鬼が出るか、蛇が出るか。
どっちにしたって、何かあればとりあえずデバコマなりGコマで逃げちゃえばいい。
私は、少し躊躇してからその巨大な扉へと手を掛けた。
ゴゴン、と石の擦れる音がして、自然と扉が外側へと両開きに動いていく。
「……?」
ベランダだった。ベランダ、と言うには些か広大にも思えるが。海のようにさえ見える星空と、浴場で見たのと変わらない二つの月が浮かんで見える。
手すりのところで、宰相のニルヴェが笑みを浮かべて私を待っている。その隣でエレナも、嬉しそうにこちらへと礼をしていた。
「……あの、祝典っていったい――」
そこまで言って駆け寄ったところで、ニルヴェが振り返り、空気を割るような勢いで叫んだ。
「注目――ッ!!」
「ひィっ!?」
思わず身を縮めてしまったが――見れば、
「!?」
ベランダの向こう側――そこには、大きく深い森林が広がっていた。
しかし、それより少し手前には。
広い広い空き地があった。そして、そこに立ち並ぶ――幾千幾万にも届くのではないかと言う、隊列を組んだ兵士の群れ。
「この方こそが、此度の戦を率いて立つ御仁、魔の牙、魔神の繰り手、そして――我らが国をお救いくださった英雄――ユウキ殿である!!」
「…………はあああぁぁぁぁ!?」
全力の疑問がこもった絶叫が、ベランダどころか辺り一帯に響き渡るのだった。