第六話「ギルド・狂騒の宴にて」
ベオウルフ視点
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『冒険者よ、剣を握れ。その先に、未知は拓かれる』
――これが、TTⅡ。
今もなお世間を席巻し続けるゲームが発表された当初の宣伝文句だ。
登録IDは日本国内のみでも2000万を優に超え、アクティブユーザー数はなんと100万人の突破を目前、その数は、これまでに産み出されたゲームを遥か足元に置き去りにする、恐るべき偉業。
そう、そうしてこの俺、ベオウルフも。
そんなTTⅡの魔力に囚われたユーザーの一人だ。
TTの発表当初、世間的にはまだVRSS技術が浸透し切っていなかった。
初期投資が高い。敷居が高すぎる。脳への危険性は。中毒者が生じる。などなど。
しかし、それはヘビーユーザーによる粉骨砕身の、文字通りの開拓によって踏破された。ほとんど献身とも言っていい境地の資産が、この分野を爆発的に成長させた。
そんな、長いようで短いファーストからセカンドまでの期間を心待ちに、俺は日々を過ごした。
「そうして――俺はついに、ここに辿り着いたというわけですよ」
「…………うん。それ何度目よ。狂騒の宴に入ってから何度目って聞いてんの」
「十五回目?」
「覚えてんのかよ! ならせめて端折るとか短めにするとかあんだろがっ!!」
「なんで?」
「PKされてぇのかテメェは……」
俺は――ギルド・狂騒の宴のギルドルームにいた。
暖色の灯が所々に点され、ゆったりとした雰囲気の満ちた、中世の酒場と言った雰囲気のこの場所。
カウンターではギルドマスターのノトーリアスが、糸のように細い目で楽しげにグラスを磨いている。苗字以外不詳。バーテン姿でいつもここにいるはずなのに、いつの間にか全てのジョブをカンストさせているギルメン切っての廃人の一人だ。
他にもギルメンはチラホラ顔を見せていたが、その中でも俺は友人の幸助――TTネームでは、ミヤビに向かって散々絡んでいた。
それは、自分がTTに出会うところから始まり、TTⅡに至るまでの涙涙の体験談。
高々十五回話した程度でPKとは、気の短いったらありゃしない。
ミヤビはとことん面倒臭そうに――低身長ガリガリ眼鏡の現実とは真反対の、ダンディでムーディな偉丈夫面を、その見た目に全くそぐわない幼い表情に切り替えてため息をつく。
「それよりもだな~、聞いてくれよ聞いて~」
「ウザッ。何その間延びした言い方。キモイ。てか話の切り替え雑すぎ」
「いつもそうでしょ~。そうなんだよ、昨日俺さ、みんなのアイドルミズカちゃんに出会ったんですよ!!」
「んなッ!? マジで!?」
あからさまに驚愕を目に貼り付け、ミヤビは盛大な反応を見せた。
何を隠そう、ミズカちゃんはTTⅡにおける、我々一般貧弱プレイヤーのアイドル。
――沈黙のミズカ。
彼女の所属するギルドのメンバーですら、マトモに会話したことがないという逸話からその二つ名が付いた。
黒い髪を疎らに伸ばしたその少女は、どんなモンスターが相手だろうと、その常軌を逸したPSでもって、誰より速く、踊るように斬り伏せてしまう最強の武神。
しかもただ強いわけじゃない。どんなHNМでさえ、彼女は最初から分かっているように弱点を突き、翻弄し、バラバラに引き裂いてしまうのだ。
「しーっ、声がデカイ」
「いや、別に身内しかいないんだからそこはうるさくしたって良いだろ……で、何? どこで会ったの?」
「S-173エリア。あそこでHNМ待ちしてたら、フラッと」
「173……? あそこ、雑魚も出ないで有名なトコじゃん」
このゲームは、全てのエリアがアルファベットで区切られている。
それぞれ難易度に合わせて、S~Fまでのランク振りがされていて、そこそこやり込んだ連中なら最終的にSへと集まる。もちろん、ここにいる全員もその内に含まれている。
「それが、聞いてくださいよ。俺もね、偶然あすこに行ったんです。頼まれたって行かないしあんなトコ。妹さんに頼まれて初心者ガイドごっこをしてた訳ですよ」
「……はー、お前にそんな甲斐性があったとは。ってか頼まれて行ってんじゃねえか」
「そりゃあTTⅡのこととなりゃ当然でしょ。ようやくSに来た可愛い妹のためですもの」
「それ以外はダメダメなこと知ってるぞ。ツムギちゃんに謝れ」
「リアルネームを出すなリアルネームを」
「うるせえよ。どうせこの場にいる人らには公表してんだからわかるだろユキヤくん」
「ぐぬぬ。お前だってミヤビっつわねーと怒るだろうが」
「うっせーよ」
実際、ここにいる、真昼間からこんなところに集まるギルメン連中は、ある程度信頼してしまっているので、個人情報をおおっぴらにしすぎてしまっている部分がある。だが、それ自体よりかは、ゲームの中でくらいゲームキャラクターの名前で呼ばれたい。そういうものではないだろうか。
「俺にはベオウルフってゆーかーっくい~PCネームがあるんですからねー。ベオウルフ、もしくはカッコ良くベオと呼んでくれたまへ」
「そんな女々しいモーション取る男がベオウルフなんてガラかよ。はっ、キラキラネームかな?」
「ふっざけんな、お前だってミヤビなんてガラのキャラじゃねーだろー!? こんのクソチビメガネっ! メガネに鼻の油つけんぞっ」
「あ゛ー!? 殺すぞテメェー!? 的確に脛を狙うぞテメェー!?」
「まあまあ、ユキ君にコウ君」
間に入るように、銀髪の髭面バーテン服のおっさんが割り込んできた。
耳がちょっと長く、色素の薄いラ・エフィール族。その中でも、こんなにデカくて濃い面をしている人間はなかなか見ない。元々、彼の選んでる種族は、線も細く美男美女を作りたいヤツ向けの設定になっているはずだろうに。
「む、ノトーリアス……」
「水臭いなあ。能登さんって呼んでもいいんだよ?」
「いや、なんかノトーリアスはノトーリアスって感じだし……」
ノトーリアス。彼は、リアルネームを能登と名乗っている。下の名前こそ教えてはくれないが、このキャラクターから想像するに、現実でもそこそこ体格の良さげな、優しげマッチョメンをイメージしてしまうな。
「ふふふ。そうかい? それより、僕もミズカさんのお話が聞いてみたいところだね」
「おーおー、ほら。ノトーリアスはわかってんじゃんね? ホレホレ」
「うっさいわ。んで? リアルミズカちゃんはどんな感じだったよ」
「そうさなあ……まず、意外とちっこかった」
「ちっこかった? あー、なんか確か150くらいだっけ?」
「そうそう。ミズカちゃん非公式ファンクラブの情報通りだと、152」
「あーなんかあるよなファンクラブとか。非公式に調べちゃう辺りキモイよな」
「まあ会長俺なんですけどね。以前見た画像からの目測は合っていた。この目で見たおかげで、体重の割り出しもようやく確信に至ったぞ」
「きっめえ!!」
「まあそう言わずに」
げんなりとした目で見つめてくるミヤビと、やはり楽しそうなまま見つめるノトーリアスを前に、俺は語り始める。
「あの激レアHNМが出たんですよ。――彫像が」
「……マジ? アレ、各サーバー回して一年に一体出るか出ないかだって聞いたことあるぞ」
「それが、何したんだかわかんないけどポップしたんだよねえ」
「あの子周りでよく聞く噂だよねえ。何故か、HNМの出現パターンや周期を完全に把握してるって。実際、彼女のことを幸運の戦女神だって呼ぶ人もいるよ」
うんうん、と俺はノトーリアスに頷く。
これまた噂なのだが、各エリアにはそれぞれのモンスター出現しやすい確率が割り振られていて、ミズカちゃんは何故かそれに精通しているのではないか、と言われている。
彼女の周りにいれば、そのおこぼれに与れる――Sエリア在住でも底辺の連中が囲いみたいに集まってたことも短い期間だがあったそうだ。
しかし、それは彼女がギルド――「武神」に入るまでのことである。
今ではすっかり彼女の親衛隊のようなものまで出来てしまい、貧弱一般人では話すことすら叶わない高嶺の存在と化してしまった……というわけでもなく、ミズカちゃん本人が個人行動大好きで、ギルメンですらその行方を追い切れていないらしい。
「妹と一緒にポカーンて見てたよ。ホラ、彫像って瞬間移動みたいな攻撃してくるじゃん。ほとんど回避不能の。アレに合わせて、ダンスみたいに避けるんだよ。もう凄い凄い」
語彙すら放棄する感じで、俺は目の前で起こった戦いの興奮を伝えていた。
彫像は瞬間的に敵対者の前へ移動し、ほとんどワンフレームちょいしか避けるタイミングのない即死攻撃を仕掛けてくる。それに対して、彼女は優雅に、幻想的に、意に介する必要もないとでも言わんばかりの素振りで、全てかわしていた。
「あっと言う間だったな……そうこうしてる内に、いつの間にか彫像はやられてた。回避と同時に攻撃してたってのはわかったけど、速さが段違いで何やってんのかもわかりゃしない。ノトーリアスだってアレにゃ追いつけないと思う」
「それはそうさ。僕はただのカンストマニアだからね、PSは大したことないよ」
「その割にウチで一番良いレアドロ引いてるけど」
「アレは、単に戦う回数が多い分だけよく引くだけさ」
肩を竦め、ノトーリアスは苦笑する。
「で、ミズカちゃんとは話せたわけ?」
「話せた? そんな畏れ多いことができるか。見惚れてたら、チラッとだけこっち見てエリアチェンジしちゃったよ」
「はー? もったいねえ―」
「うっせえ。非公式ファンクラブの鉄の掟なんだよ。見ても、近付いても、触れるなってな」
「じゃあ話す分にはいいわけじゃん……えー、俺も見たかったあ―」
強面の顔に似合わない子供のようなモーションで、ミヤビはカウンターに突っ伏した。
ノトーリアスもカウンターに回り、グラス磨きに戻っていく。
「……しかし、どんな魔法なんだろうねえ。そんなスキル、一朝一夕じゃ獲得できないだろうし。あるいは、彼女にはTTの恩寵でもあるのかな」
「さてなあ。俺は、大方開発の関係者じゃないかと踏んでるけど」
「まっさかあ。あのミズカちゃんに限ってそんなズルしてるわけないって。あ、ノッチー牛乳」
根拠はないけど。
俺は、ノトーリアスからグラスに牛乳を注いでもらって一息に煽る。
満腹感は生まれてこないけど、それ以外はほとんど普通に飲んでるのと変わらない。食の必然性が薄れる贅沢だと思ってるので、俺はこの場所、ここで、そして牛乳しか飲まない。
「はは、普段からその軽さで呼んでくれても構わないんだよ」
「まー、たまにね~」
俺はへらへらとグラスを揺らしながら、二杯目を飲もうとグラスを傾けた。
「おっと」
手が滑り、テーブルに牛乳が零れる。
良く磨かれた光沢のある木目の上を、白い液体が滑っていく。
「……あれ?」
「おや? 妙だね」
消えない。
普段は、用途外に飛び出したアイテム――料理や、飛び散った油、あるいは使い物にならなくなってしまったオブジェクトなんかは、淡く青いエフェクトを伴って消えてしまうはずなのに。
何故か、その白い液体は、テーブルの上にゆるゆると広がり続けている。
「……参ったな。タオルなんて常備してないんだけど」
「俺も探すよ。零したの俺だし」
「悪いね、助かるよ」
こんな、大したことのない出来事が始まりだとは気付かなかった。
いつの間にか、本当に知らない内に、それが始まってしまっていたのだということを。
俺も、ミヤビも、ノトーリアスも、それこそ今ログインしている全員が。
きっと、わからなかった。