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第十六話「痛み」






手が震える。


未だに、全身に痛みが残っているようにさえ感じる。

それは今しがたの苦痛を思い起こして生じた幻にしか過ぎないのに、気付けば息も荒くなっていた。


「わ、私……」


がくりと力が抜けて、ヒドラの死骸の目の前で座り込んでしまった。

自身が流した大量の血の中で、首の根元だけ残した胴がぐったりと力を失っている。

その生々しさが色濃く伝わってくる、胴から零れ落ちたその中身――。


「……っ、う、げほっ、げほっ」


誤魔化すように咳き込む。

生き物だ。これも、生きていた。私と同じく。


ゲームとして割り切っていた部分が、現実味を背負って、ミズカの胃の腑を締め付ける。

目に浮かんできた涙が、自分の弱さを突き付けてくるようで嫌だった。


ここでは、私は――ミズカなのに。本当の私なのに。


「……ミズちゃん、平気?」

「……チャル」


そう言って、文字通り飛んでくるチャル。

この世界における高AGI保有者の移動は、目にも止まらない勢いで行われる。


涙目で見上げたチャルの顔に心配の色はあったが、むしろ――それ以上に見えるのは疑念の色。

その実力と相まって、目の前に立つチャルの姿には異様な存在感があった。


「……ねー、ミズちゃん。今、どうしてか回復しましたけれどー、何故かって知ってたりしますかー」

「……いや、知らない」

「そうですかー。それもそうですけれどー、このヒドラが急に倒れたのはどうしてなんでしょうねー? まるで強制的に再生を止められたみたいにー、ぼくには見えたんですがー」

「……知らないってば」


言葉尻を強く、突き放すように私はチャルへとそう言い切る。

すると、切り替えるように、チャルはニコリと笑顔を浮かべた。


「そうですかー。では運が良かったのでしょー。ミズちゃんが無事で何よりですー」

「……ありがとう」


心の底から礼を言えていた気がしなくて、私は顔をしかめた。

チート(ずる)はバレるもの。それは、あの生意気な子供たちにさえそう言われたじゃないか。

いや、何を――考えてるんだ。あんな、外法の極みじみた存在に、ズルも何もあったもんか。同列にしちゃいけない。


「……傷心か疲労かー、どちらかはわかりませんがー、足を止めている暇はないですよー。戦闘はまだ終わってないですからー。動けますかー、ミズちゃん」

「……もちろん。まだ、痛む気はするけど」


そう返事をして、私は怪我ひとつない体で立ち上がる。

心に負った傷はおざなりにして。


「……なるほど、痛み、ですかー。それならなおのこと―、負傷には気を付けねばなりませんねー」

「……うん。チャルも気をつけて」


聡いチャルのことだ。

痛み、という言葉から負傷が何を意味するか理解できたことだろう。

何より、この世界に生じ始めている――必要以上の現実味リアリティの付加。


それは、建物やモンスターだけに留まらない――プレイヤーにすら与えられるものだと。

傷を負えば、HPの減少では済まず、心を折られるほどの痛みを受けるかもしれない。


「行きましょーか。それなら尚更、できるだけぼくたちが倒した方がいーです」

「……チャル?」

「どうしてって目をしてますね? それは、ぼくたちが一番、ダメージから縁遠い存在だからです。――でしょ?」


恐らく、TT内におけるPSプレイヤースキルの頂点に近いところにいる二人の存在。

それは、一般プレイヤーにとって羨望や嫉妬の対象でもあり、それと同時に、彼らを無用な「痛み」から救える、数少ない存在であるということでもあった。


強者の立場、在り様――それを共有できるのは、この二人くらいのもの。

最初より柔らかくなったチャルの態度も、きっとそこを悟ったからなのだろう。


同様に、ミズカも痛みを知ったからこそ、自分が尽力せねばならないという自覚ができた。

心に残る痛みを振り切って、ミズカは握り拳を作って顔を上げる。


「……そうだね」

「行きましょう、ミズちゃん。今度こそ――期待してますよ」

「うん」


そう言って手を差し出してきたチャルの笑顔は、ここに導き出してきた時の怪しげなものではない。

ミズカがいつも見ていた、朗らかで優しげなものに違いなかった。





―――――――――――





何故だ。何故、倒せない。


東街区、貧民街スラム。暴力的なその戦いに、元より廃墟めいていたその場は著しく破壊の余波を受けていた。

ギルド・武神の団長ー――ミルドは、目の前にそびえる忌々しい三体の龍を相手取り、ただひたすらにその首を落とし、翼をもぎ取り、四肢を分断させて、それでもなお蘇ってくる異様な生命力に完全に辟易としていた。


「チッ」


舌打ち一つと共に、剣から放たれた覇気が離れた龍の一体の首を建物ごと斬り落とす。

が、地に伏せる動作を見せながらも、完全に倒れる前に頭部を再生させてしまう。


「……いつまでやらせるつもりだ」


聖剣士パラディン。彼が今就いているジョブであり、彼にとって最も慣れ親しんだベストのもの。

最高の状態で、負けるはずもない。例えあの副団長チャルやミズカが相手でも、数十秒は持たせる自信がある。


しかし、おかしい。


目の前の障害は、断定できるほどに弱い。脆弱と言ってもいい。

姿形が白いばかりで、通常のドラゴンに属する種の中でも下級モンスターと何ら変わりない。剣の一薙ぎで容易く行動不能に追い込めるレベルの、言ってしまえばただの「雑魚」だ。

弱い者いじめにすらなりかねない戦力差にもかかわらず、次第に、押され始めている。そんな気がしてならないのだ。


「――マスター! 南側でも一人脱落者が出ました! それに伴い、戦線が下がっています!」

「……馬鹿な」


補佐メンバーからの間接的に受け取った連絡に、心に浮かぶ僅かな動揺が隠せない。

やられるはずがない。全員が揃えば、我らが討伐できない対象などあるものか。あの我儘で陰鬱な戦姫(ミズカ)さえ、今はこの場においてその力を貸してくれている。


だが、その弱気は確かに滲み出していた。

この戦線に、負けるはずがないと勇み足で飛び出した戦いに、副団長を呼び出したことが始まり。

鈍る剣の動きに、たたらを踏む足に、その不安は確かに膨れ上がりつつあった。


――この場に残る味方は、ミルド、そして彼女のみなのだ。


「シィッ!!」


一太刀では足りぬと判断したミルドは、踏み込みから斬り込む剣撃の数を増やす。

瞬剣士に比べればその数はさしたる量ではない。しかし、あのか弱い剣に比べるなら、こちらにはそれを上回って余りある破壊力がある。


斬るに留まらず、剣圧で龍の肉が、腕が、翼が引張し音を立て弾け飛ぶ。

輪切り、千切り、八つ裂きに、龍だったものは肉塊へと変じていく。


しかし、それを上回る速度で、再生は一挙に進行していく。


「ッ……!!」


忌々しい。歯噛みして、別角度から迫り来る他の龍を解体する。

子供の組み立てた積み木がごとく吹き飛んだ体は、それでも再び形を取り戻し、悪意として襲ってくる。


そして、長く続く悪夢を断ち切るように二の太刀を入れんとした瞬間――、


「!!」


手から、装備していた光の剣が零れるように取り落とされる。

何かの間違いか、目を疑った。俺が、剣を落とすなど。


しかし、龍の群れが生じた隙を活かさないはずもない。


「ぬおぉッ!?」

「マスター!?」


背後から、悲痛な声で呼びかける補佐メンバーの声がした。


二体の龍が、その巨大な体躯を使った体当たりを試みてきたのだ。

ミルドは高いSTRにてその二体の頭部を押さえに掛かるが、勝てるはずの勝負に、どうしたものか力が入らず、どんどんと壁際へと追いやられていく。


「ば……か、な……ッ!?」


そこへ、まるで勝者を気取るかのように、重い足音を立てて残りの一体が迫る。

龍は軽く呼吸するように顎を引くと、猛烈な火炎を口から吐き出した。


「ぐっ、ああああぁぁぁぁッ!?」


――熱。


凄まじい熱。喉から自然、引き絞られた声が溢れ出す。

痛み。TTを始め、未だ感じたこともなかった痛みが、自身アバターを焼いて全身の皮膚から脳に伝わってくる。痛い、痛い痛い痛いと――。


燃え盛り焼け焦げているのは、何もミルドだけではない。

目の前の龍共も、まとめて火炎を浴びているのだ。その頭部をどろどろと溶かしながら、ミルドを拘束したまま笑んでいるように顔面を歪めている。


「ぐ――ッ」


火炎が止まり、膝をつく。

今までかつて感じたこともない苦痛に、手が震え、足が竦む。


――何なんだ、これは。


それと同時に突進をやめた龍の内一体が、ミルドを踏み潰そうと太い足を振り上げる。


「風よ、仇なす者を切り刻め『リア・ミィル』!」

「!?」


迷いない呪文の詠唱が、風の刃に変じてその足を切り落とす。


「――リイナ。手を出すなと、言ったはずだ」

「っ……でもそのままじゃマスターが! せめて回復を……!」

「手を出すな、と。私一人でも……十分だ」


格好をつけるには、あまりにも追い詰められすぎた状況だった。

全身は手酷く焼かれて爛れ、体の隅々からは煙まで上げて、そのような有様で口にできる台詞ではない。

それでも、ミルドは信じ切っている。自身の勝利を。敗北など無いということを。


「おおおおぉぉぉぉ!!」


ひざまずいた体勢から無様に駆けて足元の剣を拾い、風の刃を受け転倒しつつあった龍の胴を斬り飛ばす。

大質量が剣圧に押され、宙ぶらりんに下半身から上半身が吊り下がる。が――、下半身から樹が急成長するかのように新たな上半身が芽生えてくる。死んだ上半身が押し出されて千切れ落ち、重い音を立てて石畳に土煙を上げた。


無傷。否、全てが巻き戻ったかのように、龍はそこに健在。


「化物が……ッ!!」


それでもなお、剣を握る手は緩めない。

更なる追撃を加えようと振り上げた――真横から、意識の外にいた龍から突進をまともに受ける。


「ご――」


視界が揺らぐ、吹き飛ばされる、地面を転がる。

TTⅡ(セカンド)を開始し、初めて大型モンスターに挑んだ際に必ず経験することだ。


例え痛みがなくとも、その身に受ける衝撃は本能的な恐怖を強く喚起する。

これを乗り越えられない者は、Sランクプレイヤーに足を掛ける資格なし――そうとまで言われるほどに。


――この上、今ミルドが受けた打撃は、システム外であるはずの「痛み」さえ呼び起こしている。

生命を脅かす痛みは恐怖を上回り、その心を絶望で塗りたくるには十分すぎた。


「――――」


遠くに、龍の足音が感じられる。

実際は錯覚だ。もう既に、十歩以内。ほどなくミルドは踏み潰されるだろう。


瀕死時に鳴らされるHPのアラートが上がる。

死が近い。だが、実感がなかった。冷たい石の道に打ち倒され、無力感に満たされたままにぼんやりとミルドは目の前の脅威を眺めていた。


――ログアウトするだけだ。死ぬわけじゃない。

そうだ、だから、痛みを恐れなくていい。今は安心して眠ればいい。


自分に言い聞かせるよう、ミルドは霞む視界の中、目を瞑ろうと――


「風よ、我らを包む優しき防陣となれ――『リア・クレイドル!』」


――目は、半ばで再び開かれた。


「……リイナ」


連絡補佐係として同行を頼んだ、ギルドメンバーの一人。

そして、今やここに生き残るただ二人の内一人にすぎない、その少女。


「私は、マスターを護ります」

「…………好きに、すればいい」


その言葉に含まれた諦観に、リイナは歯噛みした。

風の防壁により進行を妨げられた三体の龍は、武神の中ではそれほど力がある方でもないリイナですら、容易く地に突き倒すことができる弱々しいものだ。


しかし、勝てることもない。それどころか、МPが尽きれば負けることだって有り得る。

それは、今こうして背の向こうで膝をついた、ミルドが証明している。


ここに押し留めることも、ずっと続けられることではない。


「……どうすれば……っ」


諦めに飲まれぬよう、ただこうして耐えることだけが、彼女に取れる唯一の手段だった。







――しかし。


「――それはねー、こうすれば良いんだよー」

「!?」


飛来した小さな物体が、目の前にそびえる龍に追突してその形状を消し飛ばす。

体のおおよそ八割を失った龍は一瞬その有様で静止していたが、やはり即座に再生を始めんとする。


「『驟雨』――『乱切り』――『雪月花』」


技能スキルの連続発動を意味する、その言葉。

剣閃が、残った肉塊を切り刻む。再生をさせず、暴力的に降り注ぐ刃の雨で血飛沫に変えていく。


――そこまで執拗に切り刻んでようやく、龍の再生は停止した。完全に。


「やれやれー。聖剣士パラディンが女の子に護られるなんて―、武神の盾の名が泣きますよー」

「…………遅くなった」


現れたのは、TTにおいて最強を欲しいままとするその二人。


「お二人とも……!」


リイナが、その声を歓喜に染める。


武神副団長のチャル・ロウ。

そして、沈黙のミズカ。


決して負けるはずのない彼らが、二人の前に剣として現れたのだ。


「……やるよ」

「あいあいさー、です」


血に濡れて間抜けに倒れているというのに、ミルドは、その光景に思わず苦笑してしまう。


「……はっ。死に損なったな……」


自虐的な呟きをしつつ、つい先程まで自身を追い詰めていたはずの龍がへし潰され切り刻まれるのを憐れみながら、ミルドはため息をつくのだった。

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