第十五話「あるはずのないもの」
迫り来る巨大な頭部を寸断する。
石畳の道に落下したそれは、轟音と土煙を立てて視界を妨げた。
立ち込める土埃に目を細めていると、煙のカーテンを引き裂いて高速でもう一対の頭部が迫る。
「――――っ!」
危なげなく回避し、携えた細剣を閃かせて微塵切りにした。
頭部――凶悪な顔付きの白い大蛇の首は、斬ったそばから再生していく。
その数九本。全部バラバラにするのは造作もないのに、どれだけ潰しても胴から次々首が生えてくる。
最高に趣味の悪い盆栽だ。
ヒドラ。
その白い色合いを除けば、中ボスからクエストボスクラスを務める、そこそこポピュラーでありきたりな存在だ。
バックステップを繰り返して戻ってきた私を、小さな拍手がぱちぱちと出迎える。
「わーおぅ。さすがミズちゃんー。お強いですねー」
「……暇なら手伝う!」
「らじゃー」
ぽん、と軽い調子で飛び出したチャルは、小さなハンマーを一対取り出した。
神々しく細やかな装飾に彩られたそれは、一見儀礼用か何かに見える、美しく実用的には見えないもの。
しかし、その威力が尋常でなく凶悪なことを私は知っている。
あの武器に限らないが、本来武器は持ち手の身長に合わせて伸縮、拡大縮小する。
「神鎚バーグ」。元々のサイズはあんな小振りではなく、人一人が持ち上げるのがやっとなほどの巨大なもの。
それを、強化に強化を加えてあそこまで縮小し、取り回しを極めて良くしたチャル専用モデルと言ったところ。
しかも、それを二本も持っているというのだから、廃人ここに極まれりだ。
「えいえーい」
悪ふざけにしか聞こえない掛け声の後、やっと晴れた煙の向こうにいたヒドラが、ワンテンポ遅れてその全身から血を噴き出しつつペシャンコになった。
「…………やっぱ私、いらないんじゃないかな」
辺りに降る血の雨に顔をしかめながら、私は所在なげに呟くのだった。
―――――――――――
さかのぼること数十分。
私はゴルボーン北街区、商業街の端を目指してチャルと共に走っていた。
「北はぼくたち、東はミルドと他数人、西と南はそれぞれ半々に割ったチームで迎撃しますー。ぼくたちはー、一番しんどいお役目回りですねー。ミズちゃんふぁいと、おー」
「……いや、チャルもがんばってよ」
「ぼくはアカウントの替えがないのでー」
「それ言い訳になると思ってない……? ……私だってないんだから」
「あららー。それじゃあ死に物狂いでやらないとですねー」
簡単に言ってくれるな、まったく。
口に出さないまま、私は街の先端を目指す。
この街は、大陸中央に位置する要塞都市。
魔物除けの巨大で重厚な壁が円状に街を囲っていて、メタな設定は抜きにして魔物の侵入を防げるように構築された、堅牢な造りになっている。
しかしそれもつい昨日、あの二人の子供の襲撃までの話だ。
「壁、あの子たちに壊されちゃったんですよねー。今のゴルボーンはスカスカ、スポンジ状態ですー」
「……スポンジってのも違う気がするけど」
都市中央には中央大陸を治める皇帝の居城が存在するが、そこにはどうやら魔物を誘因してしまうほど巨大で高純度の魔力結晶が安置されていて、反対に壁には魔物を回避するための特殊な呪が掛けられているらしい。
つまり、それが壊されてしまった以上、現在のゴルボーンは格好の餌場と成り代わってしまったことになる。
殺到している魔物は、見たこともない白い体色のものばかりだが。
「魔力結晶……モンスター……確か、極端に魔力を集めたものに、魔力を帯びたものをぶつけると良くないって設定が……あったような……」
「その通りですねー。最悪大爆発だとかー」
思い出すようにぽつぽつと呟くと、チャルに肯定された。
「まー、その設定がゲームにちゃんと反映されていればー、ですけどー」
「……何にしても、このまま魔物を通すわけにはいかないね」
「もちろんですー」
どの道、街を食い潰されれば居場所がなくなるのは誰しも同じ。
それこそ私みたいな根無し草はマイルームのあるノルンホルンさえ無事なら問題ないんだけど、一応ウチのギルドには世話になってないわけではないし、力を貸さないわけにもいかない。
「……」
後ろに視線をやると、他にも戦っているプレイヤーの姿がチラホラ見える。
街中に侵入している、木っ端モンスターは彼らが退治しているようだ。私たち武神は、積極的に前線の維持を担当している。
「他のギルドの方々ですねー。協力は取り付けていませんが、彼らも居場所を守ろうとしてるんでしょー」
「む……武神から何か支援を申し出たりはしてないの……?」
「ないですー。ミルド曰く、我々だけで十分だとー」
「はっ……相変わらずプライドのお高いことで。お陰でああいう雑魚が入ってきてるじゃない」
「逆に言えばー、我々は彼らではどうしようもないレベルの相手を倒さねばならないということですー」
「それは……そうかもね」
この街を中心に活動しているギルドは基本的に高レベルな者たちが多いが、かと言って上から数えた方が早いようなギルドランクの組織はウチと、あってももう一つか二つと言ったところ。派閥争いみたいな面倒を避けるためらしい。
今のTTにはギルド間の交流要素があるわけでもないので、普段彼らと話す機会はない。個々人とフレンドだったりする人はいると思うけど。
ひた駆けていると、目の前に白い山のようなものが見えてくる。
ゆっくりとこちらに迫る、白い鱗のヒドラの姿。
「さてさてお出ましでーすよ」
「……」
そして、時はチャルがヒドラを倒した直後にさかのぼる。
―――――――――――
「っ!?」
珍しく慌てた顔をして、チャルは急に回避動作を取った。
「ッ!?」
白い何かが目の前まで迫っていた。
咄嗟に瞬歩を発動させ、時間の経過にブレーキを掛ける。
「……再生してる!?」
ほとんど赤い血だまりに浮かぶ白い何かでしかなくなっていたはずのヒドラが、信じられないことに既に形状を取り戻していて、元に戻った数本の首で私に喰らいつこうとしている瞬間だった。
「当たら――ないッ!!」
飛んできた首をまとめて切断して危機を跳ねのけた直後、時間の経過が元に戻る。
「……どー、なってるんだろーねー」
「……」
敬語も抜けてチャルの冷え切ったその声に、珍しいものを聴いたという感慨よりも、目の前の怪物の異常さの方が際立って感じられた。
「……それも、そうだけど。パターン、変わってない?」
「……違和感があるかな。そもそも、ヒドラ系にしては攻撃時の隙がなさすぎる」
「うん。何より……やたら攻撃のランダム性が上がった」
どんな敵にも、プログラムされた攻撃のパターンが存在する。
事前動作、攻撃判定が発生する瞬間、判定が消えた後に次の攻撃に移行するまでのタイムラグ。
間延びした声すら忘れるほど、チャルは静かに目の前の敵を分析している。
この感覚は、同じくらいやり込んでる人間同士でしか共有できない。あっちの方が上だけど、敵を見る時の観察眼は多分そこそこに近いはずだ。
「検証しようか。ぼくが前に出るから、フォローお願い」
「……了解」
そう言って弾けるように飛び出したチャルは、ヒドラの目の前に出て攻撃を誘因する。
しかし、もうその時点でおかしいことが理解できた。
「――っ、ヒドラはそんな攻撃しない!」
九本の首を一本ずつ波のようにチャルへ殺到させたところへ、ツッコミを入れるように横薙ぎのハンマーが根こそぎその首を打撃だけで千切り取って吹き飛ばす。
飛んで行った九つの首が、高らかに上昇して遠くに飛んでいき、その下にある家屋を次々と押し潰した。
「……はずだよね? ミズちゃん」
「……」
無言で頷く。
その間にも痙攣するように体をバタつかせていたヒドラは、かと思えばワイヤーフレームのように首の骨を生やし、連鎖してその周りに肉が生えていき、あっと言う間に頭部を復元して威嚇の咆哮を上げた。
モーションや決まったパターンが違うって訳じゃない。これは、むしろ――。
「…………リアルになった?」
「それだね。同じ動作が、存在してないように見える」
「これじゃまるで……まるで、本当の生き物を相手にしているみたいな……」
「……」
唸り声を上げながら、ヒドラは私達を観察しているように見える。
その首は一個一個が別々にゆらゆらと動いていて、各々が同期せず、モーションがループしている気配もない。アップデートにしては、その手のかかり具合は気合が入りすぎてるのではないかと思えるほどだ。
「つまり」
私とチャル目掛け、四本と五本の首がそれぞれ一気に襲いかかった。
「――今までの常識は通用しないってことですねー」
「……」
同時に回避し、足元の石畳が破砕するのを見つめる。
本当であれば、この道が壊されるのだっておかしいはずだ。干渉できないオブジェクトなのに。
この変化は、確かにあの瞬間から――私が制裁魔法を使った時からあった。
ひょっとしたら、S-096から転移する前後で何か起こっていたのかもしれない。
そう考えると――私があの時、制裁してしまった人たちは――。
「油断しちゃダメですよ!」
「……!」
目の前に迫っていた白い首が、どずん、と重い音を立てて千切れ飛ぶ。
傷口から噴き出した血が、私に向かって盛大に降り注ぐ。
「うわっぶ!? っくそっ!」
生臭い。気持ち悪い。服が汚れる。意識したら、途端に胃がムカムカしてきた。
どうしよう。あの時、私が焼いた人たちが、別のアカウントを持っていなかったら。
あるいは、制裁魔法で追いだした人は、一体どこへ行くのか。
目の前の赤い赤い血の色が、酷く色濃く、生々しく見えた。
「ミズちゃん!!」
「っ」
――よそ見をしていると、その次の瞬間には大概攻撃を喰らっている。
だから、集中を途切れさせてはいけない。
それが抜けた時、私は常にダメージを受けていたから。少なくとも、そう呼ばれる前は。
舌を使わず、頭を回さず、戦いに徹してこそ――私は沈黙のミズカと呼ばれた。
久しぶりの油断で貰った痛打に、衝撃以上に大量の情報が載っていることに気づいた。
「がっ……!?」
腹部に喰い込む、高速で突っ込んできたヒドラの頭部。
その頭が、自分の口から散った血液で赤く汚れる――ことを目視した直後、私は弾き飛ばされて民家の壁に叩きつけられた。
「ッ――!!」
歯を食い縛り、見開かれる目に、自身を通じて確かに「痛み」が現れたことを実感する。
「ぁぐ……」
どんなダメージを負っても、振動や強制的な視界の揺れ以上の影響は出ない。
はずだった。そして、それは決まりきったことだった。
当然攻撃を受ければ隙は生じるし、HPも減るから、当たらないのが一番なのだ。痛みがなくても。
だが、今の一撃には痛みがあった。
強打した背中や、打撃を受けた腹部からは、現実でも感じたことのないような耐え難い痛みが襲ってくる。
膝をつき、倒れ込む。体が痛みに支配されて動かなくなっていく自覚があった。
「ッ……う……そ……」
こんな、かすり傷で――たった一撃で、動けなくなるなんて。
HPは大して減ってない。減ってないと思う。思いたい。普段、敵の攻撃に当たらないから相手の攻撃力の数値を意識したことがなかった。
大体、目の前にいる相手は、未実装と言うよりは正体不明の存在。
どのくらい攻撃が通って、逆にどのくらいの威力の攻撃をしてくるのか、想像の段階でしかなかった。
目が霞む。こんなの、ゲームじゃない――けど、現実でもない。
「ミズちゃん!」
「だっ……大丈夫、だから……っ!!」
立ち上がるが、膝に震えが走ることに愕然とする。
止むことなく続いている痛みが、正常な肉体の動きさえも邪魔していた。
「……チャル、ごめん。私、ズルする」
私は、諦めた。
普通に戦うことを。皆と同じラインで戦うことを。
「え……?」
「……『セイント・オール』」
小声で、可能な限りチャルには伝わらないだろう抑えた声量で、「NPCの専用魔法」たるセイント・オールを唱える。
今のジョブを瞬剣士に設定してある以上、ミズカは回復魔法を使用することができない。
しかし、デバコマを通じたチートならば。どんな回復魔法だろうが思いのままだ。
――МPすら消費せず、準備動作すら必要ない。
「な……これ……!?」
辺りに展開された瑞々しい光を放つ回復のエフェクトに、チャルはその出所が理解できず困惑する。
「……」
行ける。痛みも傷も、光を浴びた瞬間から全部が一斉に消えた。
私は未だ混乱するチャルを置き、弾丸のように飛び出してヒドラの首をまとめて切断した。
ヒドラの真反対に着地すると、私は何の迷いもなくその呪詛を唱えた。
指をさし、ヒドラの胴目掛けてターゲッティング。
ここならば、聴かれない。
「――制裁魔法」
切断直後に始まっていた再生が急停止した。
体内の骨組みが立ち上がる最中、唐突にその蘇りが止まって硬直し、ボロボロと崩れていく。
未だ生き残っていたはずの部位であった胴だけがその場に留まって、ヒドラは動くのをやめた。
辺りには、遠くから響く戦闘の音だけが木霊している。
「……勝った」
口の端に零れていた血を拭い、肺の中に残った息を吐き出す。
勝利というにはあまりにも誇れない形で、私は襲撃の一戦目を乗り切ったのだった。