第十三話 「ギルド・武神にて」
ローディング中に浴びる光のシャワー。
TTのローポリでは味わえなかった、光の一粒一粒にすら精細さを感じ取れるこのグラフィック。
現実とほとんど変わらない、体感覚。
耳触りの良い雨音にも似たアンビエントミュージックが、柔らかく聴覚を刺激する。
体の隅々まで血が駆け巡るように、頭の天辺から指先一本一本に至るまでの存在感が輪郭を得て強まっていく。
TTⅡ。
タイトルが浮かび上がり、構築されていく自身に触感が付与されるその瞬間。
柔らかく温かい風がそっと体を撫でてくれる。
TTの中で温度を感じるのはこの一瞬だけだけど、私はここに生まれ変わるようなその温もりがとても好きだ。
ありとあらゆる感覚が、私に味方してくれる。
TTに降り立った瞬間、全身に満たされる「なんでもできる」という万能感。
現実では到底成し得ないどんな動きも、冒険も、頭の中にしかなかった幻想でさえ、この世界は叶えてくれるんだ。
そう、私にとってこれは夢であり、夢が現実と地続きになった場所。
ログインする度、思い出す。その高揚感と、未知への期待を。
そうして私は――ミズカになる。
「――え?」
そして、私はTTにログインしていた。
いや――「ログインし直していた」という方が正しいだろうか。
誰もいないマイルームに、私は立っていた。
色気も何もない……いや、まあ、「現実の私」の自室よりかは女の子らしく、シンプルに飾られた部屋。
部屋の壁面は淡い青の壁紙で飾られていて、デフォルメされたモンスターのシルエット壁飾りが手を繋ぐようにして踊っている。
壁には、「武神」のギルドエンブレムや功績トロフィーなんかが置いてある。思い入れはそこまでないけど、貰った物だしせっかくならと飾ってある。
部屋の端のベッドは使われていないが、青基調の派手すぎず眠りにつきやすそうな羊柄の布団がしっとり敷いてある。
ふと見れば、TTのマスコットキャラクター、白い毛玉に緑の角が二つ生えた、可愛い小鬼みたいな「ルクポ」の人形が、私が昨日ここから現実へ帰った時と変わらないままの姿で窓際にちょこんと座っていた。
そのままだ。私が最後にログインしたその時その瞬間と、何も。
「……わた、し?」
ロボットでも動かすみたいに手を持ち上げて、甲を見る。ミズカの綺麗な手。
現実と比べだしたらキリがない、という話は置いておいて、白く真っ直ぐに整った指だ。
最期に見た、自分から噴き出したあの真っ赤な血なんかに汚れてはいない。
「死んで、ない?」
お腹をさする。
ついさっき、私の――由樹のお腹に空けられていた穴は、さっぱり消えている。
思い出し、ありもしない幻痛が腹部に忍び寄る。背筋のぞわりとした泡立ちを、私は首をぶんぶん振って振り払った。
「……」
見下ろす。ミズカの服。
由樹みたいに無課金アバターって感じじゃない、長い黒髪、マントにブラウス、スカートにブーツ。
アクセサリーの「夜闇の外套」以外は、防具を非表示にしてある、いつもの格好。
「私、生き、返ったの?」
――そういう訳ではないような気もする。
標準UIを開くと、ユーザーネームは「由樹」ではなく「mizuka」になっていたし、アイテムパックもびっくりするほどいつもの物で、かえって安堵すら覚えた。
これじゃ普段と変わらない。
帰って鞄を置いて、HMDを付けてゲームを始めた直後だ。
試しにとデバコマを開こうとすると、何の事はない、あるのが当たり前のように開いてくれた。
Gコマも同じ。この状態であれば、フレンドの場所にも飛ぶことができる。
「……ひょっとして、接続元が会社になってる? 変だな……」
しかし、これが開けるということは私の心は会社に置いておきっぱなしになっているということだ。
「……あ、ひょっとして」
再度、標準UIを開いて、最下部のログアウトボタンをタップしてみる。
しかし、反応は変わっていなかった。由樹の時と同じく、フワフワとエフェクトが散るばかりで一向にログアウトできる様子はない。
「ダメか。なんで……どうして私はログインし直したんだろう?」
ぼんやりとした頭で眺めていたあの景色は、ログインする時に見る一連のものと同じだった。
ということは、強制ログアウトさせられた後に再ログインを掛けられた?
「……わかんない」
普段は寝転ぶことすら考えもしない青い布団に転げて、天井を見上げる。
まともに、この部屋の様子を眺めたのは久々かもしれない。
「……むぁ、埃臭い?」
ごろごろと体を転がしていたら、感じたこともない嗅覚の訪れに驚いてパッと身を起こす。
出処は、今横になっている布団でしか有り得ない。知らない内に埃が積もってた?
というか私とか臭くないよね!? 部屋がこれなら……と思って服やマントに鼻を当ててみたものの、別に臭かったりはせずホッとする。
やっぱり、世界に訪れている変化は、意識の落ちる前後でも続いているようだ。
「うーん……」
悩んでないで、とりあえず知り合いに声をかけてみよう。
「……私、普段声かけるような相手いないのよね」
フレンドリストを開く。
見れば、ギルドメンバーのリストはほぼ全員がオンラインになっているようだ。
三十人以上のオンラインメンバーは、存在場所までが統一されている。
そしてそれは当然のように――ギルドルーム。
「うわ、顔出しづら……」
あの連中は妙に連帯感が強く、事ある度に会議とか、狩り効率がどうのとか、そういう話ばかりしてきてウンザリする。何よりギルドマスターがそうだから味方なんていやしない。
だから最近はもうほとんど顔も出してなかったのだが、案の定、今の事態に対しても会議みたいな物を執り行ってる最中なのだろう。
「……あ、チャルもいる」
チャル・ロウ。オンラインのギルドメンバーの中で、唯一マトモに話が通じる相手。
背が低く、濃い緑の髪に淡い緑の肌を持つフレシア族のキャラクターを使っている彼、いや彼女?
リアル性別まではわからないけど、武神の中で言えば良心と言ってもいいくらい日本語で話せる方。
……日本語で話せないって致命的じゃね? まあ私も人の事言えないけど。
「おまけにギルドルーム内にはいない……チャンス!」
メンバーを指定して転移をタップし、すぐさま付近へワープしようとする。
「おっと。その前に」
ぽんぽんとルクポ人形を撫でて、
「行ってきます」
いつも通り、出かける前に声を掛けて、私は転移を選択した。
――――――――――
「ふー、ふふふ、ふーん、ふ、ふふふー」
「げ」
後ろから鼻歌が聴こえる。
周囲に展開される見慣れた景色に一瞬呻き声を上げてしまったが、周りには誰もいない。中性的なその声の主はすぐ後ろだ。
振り向くと、そこには馬鹿みたいに大きな扉が鎮座している。
ラ・ダスク城内で見たほどのものではないけど、それでもその薄青い大理石か何かで作られた門扉は、立派にギルドルームへの道のりを彩っている。
そして、その扉脇に腰掛けた、鼻歌を歌っている人物。
「あー、ミズちゃんだー。久しぶりだねー」
特徴的な間延びした声。
短く濃い緑の髪を中性的にカットして、頭に取り付けられた花飾りがフワフワ。
露出の多い服装だけど、胸の隆起や体の凹凸は少なく、性別の読めないその体つき。
ギルドメンバー唯一の良心(?)、チャルがそこに座り込んで、機嫌も良さげに私に笑みを投げかけた。
「……久しぶり」
声のトーンが落ちる。今の私はミズカだ。そういうキャラなんだ。
何だか、改めて自分のキャラ付けを認識すると恥ずかしくなってきた。
「相変わらず暗いねー。その様子だと、ミズちゃんもみんなと一緒で閉じ込められちゃったクチー?」
「……」
無言で頷く。意志疎通が大変ってことはない。チャルは勝手に自分で話してくれるタイプだから。
「今ねー。中でみんながー。今後の方針について話し合ってるよー。ミズちゃんはー、どこまでこの状況について知ってるの―?」
「……出られないってことくらい」
「そっかー。なんかねー、今、色んなギルドさんが襲われてるらしいのー。それに対して、どうするかって考え中なんだってー。すぐに決めちゃって、助けに行けばいいのにねー」
「……そう言うチャルは、助けに行かないの?」
「ぼくはー、だって別にー、義理もないしー」
「……」
フワフワした見かけに比べると、チャルは意外とドライだ。
ドライだし、見た目よりかは武神への帰属意識が強い。実は副団長でもある。
武神の行動方針は多数決に見せかけてギルドマスターがその威信で全部決めちゃうけど、時々チャルが口を挟んで微妙な方向転換をしたりする。だから、実質このギルドの取り仕切りはチャルがやっているようなもの。
何より、こんなノリなのに私よりも更に強い。PVPで団長に負ける気はしないが、副団長相手だと勝てる気がしない。種族的に、戦闘より補助向きのステータスであるはずなのに。
ちなみに私は人間だ。全パラメータが平均的で、どんな職業でも万遍なくこなせるタイプ。ありがちね。
「どするー? 途中参加、してみるー?」
「……どうせ、ミルドが全部決めちゃうし」
「あはは、そだねー」
ミルド。武神を総べるギルドマスターだ。
私と同じく人間の、オールバックの金髪。鋭い目の性格悪そーな顔付きしてる。
顔の造形は多分美形なのに、アイツはいつも不機嫌そうな顔してるからその印象の方が強く感じる。
「あ、終わったみたいー」
「げ」
思わず素で呻き声を上げてしまう。
が、チャルの表情を見る前に扉が大きな音を立てて開いた。
扉の開閉と先輩メンバーの誘導は、新人武神メンバーの役目だ。
扉を開けた新人さんと、目が合う。
正統派魔法使い、って感じの紺青のローブ姿に杖を持ち、薄い色素の緑髪の三つ編みだ。ラ・エフィール族らしい。眼鏡を掛けたその姿が、いかにも新入りっぽくて初々しい。
視線がぶつかるなり、目を見開いた新人さんは一気に顔を上気させ、潤んだ目で私を見つめてくる。
何だろう、私なんか変なことしてたかな。いや、普段通りのはずだけど。
身なりを確認しようとする前に、扉の中から背の高い金髪の、神聖そうな紋様で飾られた豪奢な鎧を着込んだ男が現れる。
「……ミズカか」
自分の顔が不機嫌に変形していくのを感じる。
とは言えこのキャラで通してるから、相手にはただ普段通り目付きが悪いように見えているだけのはず。
私は口を利かないままに、声を掛けてきた人物――ミルドの顔を見る。
「久しぶりだな。気が変わって、我らと行動を共にする気になったか」
「……」
「寡黙なのも変わらずだな。……まあいい。チャル。我らも討って出るぞ。大陸全域に展開する」
「ぼくはー、お留守番してるねー」
「お前が来ずにどうする。留守は新入り共に任せてある、お前も出ろ」
「えぇー」
「ミズカ。君も、協力するつもりがあればいつでも言ってくれ」
「……気が向いたら」
チャルが引っ張られていく。珍しい。普段なら、ミルドはいちいち私の行動に文句を言ってたのに。
まあ、突っかかられずに済んだから良いか。
私は、そのままゾロゾロと出ていく武神メンバーを見送る。目線を投げかける者もいれば、全く気に掛けず通り過ぎていく者もいて、様々だ。
私は――どうしようかな。
そうだ。ログインし直す前に出会ったあのギルド――「狂騒の宴」のメンバーは無事だろうか。
彼らについて調べてみよう。
個々人の情報はGコマでも拾えるが、ギルドメンバーの詳細を拾うなら、普通にギルドコンソールを使った方が楽だし早い。
「……ねえ」
「!? は、はひいぃっ!?」
扉の側に控えていた新人さんに声を掛けると、まるで怪物にでも声を掛けられたかというような反応で返事をされる。ちょっと傷付きそう。
頬を掻きながら、きまり悪く私は言葉を続ける。
「……えっと。魔法陣借りたいんだけど。いい?」
「は……はいっ、ご、ご案内しますっ」
「いや、いいよ。場所は知ってるから」
「そっ、それは失礼しましたっ」
最敬礼を更に通り過ぎる勢いで思い切り頭を下げる新人さん。
「ぅひえぇっ!?」
……帽子落とした。ドジっ子だこれ。可愛い。
て言うかこの人、私は知らない人だな。最近入ったのかも。名前くらい聞いておこうかな。
「……あなた、名前は?」
「わっ、私ですか!? 私は、サ……いえ、レントと言いますっ!!」
「レント。……うん、わかった。ありがとう」
ほんの少しだけ笑みを浮かべてお礼を言い、私は彼女の前を通り過ぎた。
「……さて、彼ら。無事だと良いけど」
円卓の騎士にでも出てきそうな長大な机と、座り心地の悪そうな高い椅子が立ち並ぶギルドルーム。
その奥に垂れ下がった赤い幕にはギルドエンブレムが飾られ、玉座状の団長椅子(気に喰わない)の後ろの壁面に巨大な魔法陣が設置されている。
「まったく。これじゃ新人が委縮しちゃって使えないでしょうに」
ギルドルームの愚痴を言いながら、私は魔法陣に触れるのだった。
標準UI→普通に使うメニュー
デバコマ→デバッグコマンド
Gコマ→GМコマンド
標準UIという呼び名は、
ミズカのように制作会社に関わりを持つ人間が使う単語のようです。