第十一話「双つ月と子供」
もうもうと立ち込める煙、揺らぐ巨大な尾。
――これは、すぐに攻撃が来る。
長年のプレイのカンじゃないけど、こういうモーションの時は敵が次にどう動く、というものが感覚的に想像できる。
それを説明しろ、と言われてもできないが、とにかく、敵の挙動さえ見えていれば、私はどんな敵の攻撃だって当たるつもりはない。相手が見たことないHNMであろうと一緒だ。
しかし。正しくそれが実行できるのは――本当の私である時だけ。
今は、ただの由樹に過ぎない。
とは言え、染み付いた戦闘感覚は誰の体に魂が宿っていようがそうすぐに抜け落ちたりするものじゃない。
ビュゴゥ、と何だかいつも聴くSEより遥かに暴力的なそれを、身を投げ出してうつ伏せになる形で間一髪かわす。
真横に振るわれた尾が、その直線上にいた全ての存在のことごとくを破砕していく。
「ベオ!!」
少女――リンの悲痛な声に、私はそちらの方は見ないまま数度跳躍して建物の上に到達、状況を改めた。
「……ひゅー。あの子、根性あるな」
ベオウルフ――彼は、あろうことかその尾を真っ向から引き受けていた。
私は、その勇気に称賛のつもりで口笛を鳴らす。
あの重量感と揺るぎなさ、そして巨大なエモノ。――重剣士。
その手に握られているのは炎剣バーレスク。現実装分、最強の一角を欲しいままとする炎属性最高峰の魔剣だ。
意外に、彼は強いらしい。その剣を握れるってことはステータスも十全以上だし、そこそこの廃人クラスと言っても過言ではない。
尾に喰い込んだ炎の剣に、白い龍の片割れ――ヴォルナウスもどきは、雷のような鳴き声でもって威嚇する。
「うぬぎぎぎぎ……」
「よく止めた、ベオ君。そのまま頼むよ」
どこからか声がした、と思えば飛び出した黒い影。
いや、バーテン服だ。
ノトーリアスは一気に龍の顔面、その真正面まで飛び上がると、その両の拳に装着された禍々しいナックルにて、白龍の頭部を強かに叩きつけた。
拳闘士……いや、その上の上の、龍拳士か。
強烈な痛打に巨体を揺らがせ、白龍はそのままバランスを崩しかける。
「おっと」
今度は蛇のような龍が、ノトーリアスを噛み砕こうと迫る。
しかし、
「油断大敵よ」
凛々しく響くその声。
残像のような光を閃かせながら、今度はリンが駆け上りざま蛇龍の攻撃を逸らした。
細い細い、糸のような刃を持つ美しい装飾の剣。しかしそれは曲がることもなく折れることもなく、龍の鱗を容易く切り裂いて赤い花を咲かせた。
瞬剣士。素早さガン振り、防御全捨ての紙装甲。
逸らした勢いのまま、狙いを失った蛇竜の側頭部に、ノトーリアスの強烈な蹴撃が入る。
蛇龍はそのままたくさんのグラスが飾り立ててあった棚をぶち抜き、ニ、三軒隣の家屋まで破壊して吹き飛ばされた。
蛇龍を足場にして戻ってきたノトーリアスが、リンと並び立って口を開く。
「不思議に思うんだけどね、リン」
「何よ」
「ナックルなのに、どうして蹴りの威力も上がるのか。考えたことない?」
「さあね。ゲームの都合でしょ」
――この人たち、強い。
一人ひとりは、一線級の廃人レベルには及ばないように見える。
けれど、そのチームワークと、連携の上手さは、中々他で見ることができない域ではないかと感じる。
いや、私はほとんどソロプだから、正直どうなのかわかんないとこもあるんだけど。
「ちょっと、由樹」
「えっ、はっ、私?」
「あんた、武神なんでしょ。本気、見せてみなさいよ」
挑発するように、リンが私を見て退屈げに言った。
やれやれ、とばかりに隣でノトーリアスが肩を竦めた。
「……」
私は返事をせず、未だベオウルフと力比べをするヴォルナウスもどきを睨んだ。
「だーっ、もうっ、無理ーッ!!」
尻尾を半ば切断しかけていたベオウルフだったが、腕に限界が来たのか、尾との力比べに負けてそのまま弾き飛ばされかける。
――が、私はその体に寄り添うように瞬速で移動し、密着、ベオウルフの耳元で囁いた。
「手伝って。トドメはあなたにあげるから」
「へ?」
私はその吹き飛ばされかけた体を、尻尾の勢いを利用して回転させ力を流し、そのまま縦方向にベオウルフをぶん投げた。
「ひゃあああぁぁぁぁぁあぁああぁぁ!?」
「すご。よく飛ぶわね」
「ベオ君の重さを投げ飛ばすって、僕でも中々大変なんだけどな」
なるほど、彼は少し重かった。ちょっと失敗した気がする。腕が軋んだ。
これは、私じゃないから。本来の私の力じゃないから。そう言い訳するように腕の痛みを振り切ると、私は目前の白龍へ向き直った。
「知らない敵、知らない龍、知らない……ドロップアイテム?」
コイツは、何を落とすだろうか。何をしてくれるだろうか。何を与えてくれるだろうか。
私は、ブツブツと呟きながら、アイテムパックを開いて小剣を装備した。
市販品で一番強いやつ。
レアモノにはどうしたって敵わないレベルの。
でも、それが何だっていうんだ。
攻撃し続ければ、いずれ敵は死ぬんだもの。極論、ぶつける物はなんだっていい。
にまあ、と私の口元に笑みが浮かぶ。歓喜が体を駆け巡る。
後ろで、うわっ、とリンが嫌悪を示すような声を上げたのが分かった。
「何アレ。めっちゃニヤついてんだけど」
気にしない。悲しくなってはくるけど気にしない。
私は、技能を発動させる。瞬歩。
瞬剣士が覚える中で現状では最上位のもので、一時期はブッコワレと揶揄されるほど強い技能だった。
その効果は、AGIを飛躍的に上昇させることに加え、一度の攻撃回数をその数値によって二回から四回にまで増やすもの。
しかし、そのあまりの強さに他職からの批難が殺到したため、技能発動時間が10秒から3秒にまで短縮された歴史を持つ。
さっき、リンが龍の攻撃を逸らすのに使ってたのも同じ技能だ。
けど、どうしても私にはわからない。十秒もあったらそれは最早ズルだと思う。
――敵を倒すのなんて、三秒もあれば十分なんだから。
タンッ、と私の足元で軽い音がした。
この瞬間が好き。世界が停滞していく。周りが、誰も追いつけなくなる。
足が羽のように軽くなり、切り抜かれた時間は私に微笑みを与えてくれる。
一秒。
瞬きひとつの合間に、胴から駆け上り、十二連撃を叩き込みながら私は龍の頭上へと到達する。
二秒。
痛みに動揺し始めた龍の目を潰し、鼻っ柱を切り裂き、落下に合わせて追加で六連撃。
三秒。
着地を意識しながら、低すぎる攻撃力にトドメを刺しきれないことを理解し、全力で一箇所に対し連撃を加える。二十四連撃。
――そして、放り投げた彼が、ベオウルフが戻ってくる。
時感覚が急激に鈍化し、水中に突っ込まれたような倦怠感の発生に苛立ちさえ覚えながらも、私は真上を見上げて叫んだ。
「――首元! 思いっ切り叩き斬る!」
「はっ――了解したぜーミズカちゃーん!!」
上からの返答。きもい。
口に出さなかったことを褒めて欲しい。
そう一瞬思考したか否か、彼自身と武器防具の重量、STR、高度。全ての要素が合わさった一撃が、私が最後の一秒間で執拗に攻撃を与えた部位――首元に叩き込まれる。
耳をつんざくような轟音が辺りに響き渡り、爆炎と爆煙が白龍とベオウルフを中心に巻き上がった。
煙が晴れた頃には、完全に首元を焼き飛ばされた龍の哀れな躯が、どすんと重たい音を立てて地面に転がっていた。
「――討伐完了、と。どうかしら、こんなもので」
「…………まあ、少しはやるんじゃないの」
笑顔で向き直ってみせると、リンは面白くなさそうにそっぽを向いて鼻を鳴らした。
「素直じゃないねえ、リンは」
「うるさい。あ、あのくらい私にだってできるもの」
「へー。じゃ早速あっちの生き残りでやってもらおうかしら」
「む……」
見れば、蛇竜がちょうど身を起こすところだった。
ごろごろと喉を威圧的に鳴らす巨大な龍の様は、現実で見たら震え上がってしまうものだろう。
だが、この世界で――私は、ミズカ。沈黙のミズカ。何も恐れることはない。
そしてそれはきっと、ベオウルフも、ノトーリアスも、リンも、みんな同じ。
全員が全員、あの怪物と戦う力を十二分に持っているのだから。
しかし、蛇竜はその長い体を立ち上げたまま、こちらを睨んで動かない。
「――あー、あー! 何してるのさー!!」
――不意に、この場にいる誰でもない幼い声が辺りに響き渡った。
「……え?」
顔を上げれば、そこには――幼い子供がいた。
そう、まるで、何のこともなく地面に足を置いていると言わんばかりに、空に。
二つの足で、立っていた。
「……ちょっとアンタ、由樹。アレもGM仲間なの?」
「い、いや知らない。って言うか、空飛べる機能なんかGM権限にもないんだけど」
「じゃあ……アレは何なのよ」
ふわふわと浮かぶその子供は、黄色く長い髪をビー玉のような青い髪飾りで結い、子供向けらしいシャツの上からオーバーオールを着た、それこそ現代的とさえ言えるような格好をしていた。髪と赤い瞳以外は、普通の子供と言っても何も違和感はない。
少年とも少女ともつかないその子は、ヴォルナウスもどきの死体を指して、ぷりぷりと怒った様子でまくし立てている。
「おねーちゃん! おねーちゃん! あいつらが! あいつらか私のヴォルちゃん殺したー! おねーちゃどこ! おねーちゃ! うわああああああ!!」
終いには泣き始める。空中にしゃがみ込んで、見当たらない姉を呼びながら喚き続ける。
「……何なんだよ、アイツ」
「私が知るもんですか」
「……まあ、僕も心当たりはないね」
私は油断なく少女を見上げていたが、何の前触れもなく、突然その隣にもう一人の子供が現れた。
「……!?」
「い、今、いきなり現れた……!?」
「はいはい。お姉ちゃんならここよ、お兄ちゃん」
「あー! おねえちゃん! おねえちゃ!」
はしゃぐ兄……姉? 見た目だけならば、その二人はほぼ同じ容姿をしていた。
お兄ちゃんと呼ばれた方は――黄色い髪に青い髪留めで、赤い目。
お姉ちゃんと呼ばれた方は――青い髪に黄色い髪留めで、赤い目。
格好もほとんど変わらない。違いと言えば、色合いが、それぞれで対になるように見えるくらいか。
こんなNPC、見たことも聞いたこともない。何より、世界観から完全に剥離している。
そいつらは散々じゃれあった後、さも今見つけたかのように私たちを見下ろして、目をパチクリと瞬かせた。
「おねえちゃ、あいつら何だろう」
「そうね。何でしょうね、お兄ちゃん」
「ヴォルを殺した?」
「そうね。殺したわ」
「じゃあ殺してもいい?」
「そうね。殺してもいいと思うわ」
また、消えた。物騒な会話をしていたかと思ったら、弟――兄?
ヴォルナウスを殺したことに泣いたり騒いだりしていたほうが、視界から消失する。
「――ッ、ぬ……っ!?」
その直後、甲高い金属音が私達のすぐ真横で響く。
ノトーリアスが。咄嗟に上げたその両腕とナックルとで、急に現れた子供の攻撃を防いでいた。
「な……ッ!?」
突然すぎる攻撃に、私たちは付いていくこともできない。
襲撃されたノトーリアスは、子供の攻撃を弾く、弾く弾く。私でも追うのがやっとくらいの攻撃を、ノトーリアスは本当にかろうじて防いでいる。
しかし、そのナックルはへこみ、傷つき、血に濡れていく。
破壊不能のはずの装備が、どんどんと削られ、火花を立てて傷つき、破壊に近づいていく。
子供――黄色い髪は、何も装備してすらいない、ただの素手なのに。
「おねえちゃ! コイツつえー!」
「そうね、強いわね」
「おねえちゃ、コイツ殺してもいい?」
「そうね、いいと思うわ」
「やったあ!」
にいい、と子供が浮かべるには邪悪すぎる笑みをもって、黄髪の子供はノトーリアスを次第に追いつめていく。
「の、ノトーリ……」
「にっ、づッ、げろ! どこでもいい、転移っ、がッ……!?」
「ヨソ見したら危ないんだよ―? 横断歩道は手を上げてだよ!」
無邪気なその声に遅れて、ノトーリアスの胴を黄髪の子供の手が貫いた。
小さな手、なのに。穿たれた大穴は、そのサイズを遥かに超えて致命的なものだった。
PCは、そんな演出、されないはずなのに。
壊れた水道みたいに、貫かれたノトーリアスの体からは血液が噴き出していた。
「……っ!!」
リンが、駆ける。
瞬歩を再発動して、細剣にて黄髪の子供を両断しようと肉薄する。
「ぶー」
「な――うあっ!?」
小馬鹿にしたような素振りで笑うと、黄髪の子供はリンの首元を掴んで地面に叩きつけていた。
瞬歩の効果は、相手が同様のものを発動していないかぎり無効化されない。そのはずなのに。
私は、咄嗟に――そうするしかなかった。
「っ」
「お、おい、えっとミズカちゃん!?」
「およ?」
黄色い髪の、苛立ちを感じる間抜けな声が聞こえる。
可能な限り、早い動作で行動した。
でも、できるのはここまでだと思った。ノトーリアスは、血の海の中で横たわったままだ。
「ぅ……ちょ、っと、何、して、んのよ……」
「ミズカちゃ――」
GMコマンドから、ユーザーIDを咄嗟に打ち込んでランダム転移を行う。
まず一人。ベオウルフはどこかへ飛ばした。どこだって構わない。こいつらに殺されるよりはいい。
「アンタ、ちょっと、何やって……っ、やめなさ、まだ、ノトーリア――」
リンも飛ばした。これでこの場に残るは、倒れたノトーリアスと――私、由樹だけ。
「あー、あー……」
玩具を取られたように、心底残念そうな声色で、子供は尾を引く甘ったるい声を上げる。
私は怒りを隠せないまま、慣れた手つきでコマンドを入れる。
「死ね、クソガキ。制裁魔法」
「――!?」
子供は、目を見開いた。
そうしてそのまま――宙に浮いていたことさえ忘れたみたいに、落下してごろりと地面に転がった。
殺した。見た目は子供の、何かを。
「――ノトーリアスさん!」
駆け寄る。血は噴き出す一方で、体なんかはもうすっかり冷えきってしまっている。
このまま、ここで死んだらどうなるのか。いや、そんなことを考えてる場合じゃない。
「『フル・リザレクト!』」
何の躊躇いもなくチートを使って、ノトーリアスを蘇生させようと試みる。
光がその全身を覆う。
しかし、起き上がってくれない。傷は塞がらない。横になったまま、身動きひとつすらしてくれない。
「ちょっと……どうして!? どうしてなの!? 『セイント・オール』!」
最高位全体回復魔法を掛けても、癒やされるのは私の傷だけ。
対象から外れてしまったみたいに、魔法は一切の効き目を表してくれなかった。
「どうして……!!」
私は、とにかく何かできることがないかとデバコマを開いて――。
――背中に走った怖気に、硬直する。
「ズルね」
「ズルした」
「ズルね」
「ズルはいけないんだよ」
「ズルはダメよね」
「ズルした人はどうなるかしら」
「ズルした人はおしおきしなくちゃ」
「ズルした人はおしおきかしら」
「知ってるでしょ? ズルした人は――制裁されるんだよ?」
「……ッぐ!? ……あ?」
手が生えていた。
私の胴から。
その可愛らしいサイズとは似合わない大きさの穴を開けて、私の胴は風通しが良くなっていた。
大量の血が、びたびたびたと聞きたくもない大きな水音を立てている。
「げ、ぁ……」
咳き込むのに合わせて、血がばしゃばしゃと口から腹から溢れた。
自然、力が抜けて、倒れる。
痛みはない。ただ、漠然とした不快感のようなものだけが、私を包んでいる。
倒れ伏せたまま、私は暗くなっていく視界を呆然と見つめていた。
「「――おやすみ」」
遠のく、子供たちの声。
これは、チートをした報いだったのだろうか。
私は、そんなに悪いことをしたのだろうか。
誰かを助けるために使ったのに?
誰かを、守ろうとしたのに?
それはもう――ここで死にゆく私には、わからないことだった。