第十話「天変」
疲れた。物凄く疲れた。
ゲームをやってて疲れる、って経験は正直私にはない。
それこそ、たくさん運動したり勉強したり、という形でならわかるけど。
ただ、もちろん眠気が来たら寝るし、次の日に響かない程度にする、みたいなセーブの仕方くらいは知ってる。
だから、この疲労はおかしいんだ。
私が、ゲームをやっていて、それで疲れることなんて、ないはず、なん、だから……。
「っ……?」
「目が覚めたかい?」
「!?」
自分を覗き込む、細められた目の存在に気がついた。
見覚えのない大きな体に、バーテン服。色素の薄い髪にラ・エフィール族特有の長い耳。しかし、その体躯のサイズ感は自分の知るラ・エフィールの姿とは少し印象の違うものだった。
「あな、たは?」
「僕かい? 僕はノトーリアス。ここ、『狂騒の宴』のギルドマスターをやってる。よろしくね」
自己紹介を受けながら、身を起こす。
霞がかったような頭を振り、辺りを見てみれば、そこは見覚えのないデザインをした、バーにも見える雰囲気のギルドルームだった。
自分の覚えにあるギルドルームは、荘厳な城のようなデザインをした、冷たく暖かみのないそれしかない。
そうなると、ここは誰かに招き入れられた場所、ということになるのか。
「起きた……みたいね」
「……」
「ぐぅ」
遠巻きに自分を見つめる青い髪の少女と、同じく私を見ながら貧乏揺すりをしつつ沈黙を守る赤髪の少年、そしてカウンターで眠る大男の姿。
「あの、私、一体?」
状況がわからず、私は自分を見下ろす優しげな印象の男性――ノトーリアスに聞き返した。
「街にフラフラ入ってきたところを保護させてもらったよ。酷く憔悴してたようだったから……」
「そう、ですか……」
疲労……覚えていない。
意識していなかったけど、私、疲れていたんだろうか。
思えば、何だか酷い倦怠感を引きずって歩いていたような気もする。
と、そこまで考えて自分が自己紹介をしていないことに気付く。
「あっ、ごめんなさい。私……えっと。由樹って言います。助けてくれてありがとうございます」
「どういたしまして。ほら、みんなも自己紹介」
ノトーリアスに促されて、二人の少年少女が思い思いの反応を見せた。
少年は、まるで想像もしていなかったのようにギクリと身を硬直させ、対して少女の方は鼻を鳴らし、面白くなさそうに目を逸らしてから口を開いた。
「……リンよ」
「お、おお、お、俺はベオウルフって言います」
赤い髪の少年――ベオウルフは、まるで勇者のように猛々しいデザインの鎧を着て、精悍な顔立ちをしているのに、緊張して口を開く様は怖がりな少年じみていた。
彼が震える原因がわからず首を傾げたが、私は改めてその場を見回してノトーリアスに話しかけた。
「あの、私S-097から歩いて来たんです」
「……S-097から? それは、また、難儀しただろう」
「この様子だと、思ったより疲れちゃったみたいです」
苦笑いして返した。
疲れる、なんてものをゲームプレイを経て味わうとは夢にも思わなかったけど。
「ウィダーンから6エリアは離れてるからね。確か、徒歩で歩くと三時間はかかったような気がしたけど……」
「うえっ。私そんなに歩いてたの」
普段はデバコマやGコマに頼りきりだったから、物理的な距離感が掴めていなかった。と言っても、普通なら適宜設定したホームポイントや友人間のやり取り、あるいはアイテムで移動するものだから、それを失念してしまったのも無理がないことのような気もする。
最近ミズカでインしてなかったのもあって、鈍ってたのかなあ……。
「それで……その頭の上のそれについては聞いてもいいのかな?」
「……ああぁぁっ!? 消し忘れてたぁ!?」
思わず、自分では見えない頭の上のこれに気付いてしまう。
それぞれのプレイヤーの頭上には、基本的にどこに所属しているかとか、そのプレイヤーの名前だとか、そう言ったものが表示されている。
各々のプレイヤーで表示の設定を切り替えられるのだが、表示するか非表示にするかの切り替えは個々人でできない。
Gコマを使えばこういった運営上必要なものをオフにはできるものの、まったくそれを意識せずに飛び出してきてしまったせいで、GMの証明を頭に載せたままここまで来てしまったというわけだ。
「こ、これはですね、その……」
「……まあ、詮索はしないさ。でも、GMということは、今の状況について何らかの理解があると思うんだけど。その辺についてはどうかな」
「う、ええと……」
ノトーリアスは、真摯な瞳で私の目を覗き込んでくる。
別に、隠し立てすることがあったり、何かの事情を知っているわけじゃない。そもそも、知ってたらこんな状況には陥ってないし……。
ただ、単純に私はこうして普通のTTプレイヤーと話すことが久しぶりすぎて、どうにもキョドってしまっているのだ。
疑われたらどうしよう、なんて思いながら私は口を開いた。
「……何も、知らないです。知ってたら私、あんな風に歩いてはきません。その、信じてもらえないかもでしょうけど……」
「……そうか。まあ、確かにそうだ。ということは、運営側の人間もこの状況に巻き込まれてると見て良いようだね」
「はい、ええと。おそらくは」
ノトーリアスは私の顔を覗き込むのをやめて、ふうむと腕を組んだ。
その向こうに見える少女、リンはつまらなそうに。ベオウルフは、相変わらず緊張した様子で私を見ている。落ち着かない。
「……あの、ミズカ、さん? ですよね?」
「うえっ」
ベオウルフの下手に出るような、探るようなその物言いに、妙な声を上げてからあからさまに手で口を覆ってしまう。
いやいや、明らかバレる挙動でしょ今の。馬鹿か私は。情けなくもテンパっている自分自身を自覚し、頭の中で自らを罵倒する。
「ち、ちがいますヨ。私、由樹です。ただの由樹」
「……ホントに?」
「ほ、ホントにホントに。あの双つ月に誓って」
「……」
ベオウルフは、黙る。
明らかに疑いを秘めた眼差しのまま、じっとこっちを見つめてくる。
その真意が掴めない。さっきまでの様子と比べると物凄いコワイ。なんだこの雰囲気。
「……ユーザーネーム、ミズカ」
「……へ?」
ぶ、と音を立てて標準UIが開かれる。
そこに出てきたのは一人のキャラクターに設定されたカラーのRGBデータや、各ジョブのレベル、技能レベル、スクリーンショットからどこで撮られたんだと言わんばかりの構図の画像が次々表示される。
――それは、そう、私の本アカウントに設定されたデータに他ならない。
「いぃっ!?」
「設定身長152センチ、そこから推測される体重はおおよそ41キロ、視覚的に見てそれらの数値から推測されるスリーサイ」
「いやああああああわかったわかりましたあああ私です私はミズカですうぅ!!」
「うわああああやっぱり本物だあああ!!」
「何なのこの人おぉ!?」
子供のようにはしゃぐベオウルフに対して、私は理解が追いつかずに動揺をそのまま叫ぶ。
「……あー、ええと、ごめんとしか言いようがないね。その子、普段は普通なんだけど……」
「ただの変態よ。気をつけたほうが良いわ」
「うう……いきなり色々暴露されて気をつけるも何もないんだけど……」
何故、何故私はキャラビジュアルをそのまま流用してしまったのか。
自分自身の容姿をベースにすることができて楽だからって使い回したのが完全に仇になった形だ。
ベオウルフは興奮して飛び回っていたが、不意にその動きを止めて私に向き直る。
「ということはその若干いつもと違うお姿は仕事着で、由樹さんというのはリアルネームという訳ですね? わかります」
「わからないで!? そ、それにこれは仕事着じゃないよ! これは、ちょっと色々あって成り行きで着ているというか……!」
「本名の方は否定しないのね」
リンの小さな呟きに、由樹はうっと言葉を詰まらせる。
「つまり、あの『沈黙のミズカ』は、実はTTⅡのスタッフで、内情を知ってたからあんな化物みたいな動きができて、ドロップ率をいじったり、敵の出現ポイントまで知ってたというわけね。よーく理解したわ」
「ふ、ぐ、ぐぐぐ……ど、ドロップ率までは、いじってない……」
「ふーん。それ以外は肯定するわけ」
「うううう……」
「どーだっていーじゃん!」
意地悪く笑うリンと、狼狽する由樹の間にベオウルフが入ってくる。
さっきまでの様子はともかく、今はカラッと笑って爽やかな印象だ。さっきまでのアレがなければ。
「良くないわ。ズルしてるってことじゃない」
「でもそのPSはミズカちゃんの努力の賜物だろ? 多少先の情報知ってたって、俺らに迷惑かけてたわけでもないし」
「そうかしら。他の人が知ったらどう思うやらね」
「知ってるのは俺らだけだろ? なら内緒にしとけばオールオッケー」
「……ふん。まあ、私は元々バラすつもりもないけど」
リンのその言葉に、由樹があからさまにホッとした顔を見せると。
「勘違いしないでよ。私たちがいつでもあなたを揺さぶれる情報を持ってる、ってのは忘れないことね……」
「ふぐぅ……」
「とは言うけど、リンがそんなことするような子じゃないのはよく知ってるから、あまり気にしなくても良いよ――ミズカさん」
リンをたしなめるように言うのはノトーリアスだ。
不機嫌そうに鼻を鳴らし、リンはカウンターに座って話の輪から抜けてしまった。
「とにかく、この状況に困っているのはミズカさんも同じのようだし、ゆっくり待とうじゃないか。事態の解決をね」
「……そう、ですね」
「あ、あ、あ、あの、ミズカさん、サインください」
「え」
「こら、ベオ君困らせない」
「うわー持ち上げないでくれええ!?」
ノトーリアスに片付けられるベオウルフを見ながら苦笑いして返し、素朴な作りの窓から外を見た。
双つ月は未だ空にある。とはいえ、もうしばらくすればその光も水平線の向こうに沈んでしまうところだろうが。
でも――それなら、私がここに来た時点で月は沈んでいなければおかしいのに。
本来であれば、もう日が昇って、それこそお昼になってたっておかしくないのに。
「……あれ?」
浮かぶ二つの月が稜線に沈む直前、一瞬淡い輝きを見せた気がした。
目を凝らしていると、不意に空に瞬く星々が異様な明滅を始めた。
白い星、赤い星、青い星、色とりどりのそれらが、現実には有り得ない不気味な光り方で点滅を繰り返してる。
「ちょっと、外見てみなさい」
リンも気付いたか、他の二人へ促す。
未だ名乗られていないカウンターで眠る大男――ミヤビ以外は、窓から外を覗く。
「……新しいイベントかな」
「いや、さすがにそれはないっしょ」
「僕なりの冗談だよ。ミズカさん、これについて何か知ってる?」
「い、いえ。その……知らないです」
天候が弄られるようなイベントは今のところ実装されていないし、される予定もなかったはず。しかし、それをそのまま伝えるわけにもいかず、知らないと言う他にない。
明滅はしばらく繰り返されていたが、その輝きが頂点に達したと同時に、星々が天蓋から引き剥がされたように流星となって落ちてくる。
流星はあちらこちらで淡い光の爆発を起こし、地に触れるとパッと花火のように色とりどりの閃光を散らした。
星はことごとく、夜闇から引き離され、反して空は段々と明るさを失い闇に満たされていく。
それは、美しくこそ見えるのに、どうしようもなく不安を煽るような光景だった。
――不意に、赤と青の流れ星がギルドの前に落下した。
音もなく、光の波が窓の外で炸裂する。
「っ――」
真っ白になった全員の視界が晴れた時、そこに現れたのは――
「……何、コレ」
――巨大な、二体の龍。
煙のようなエフェクトを伴いながら、二体は沈黙を守っている。
さながら、POPしたばかりで、AIの読み込みを待っているような。データの読み出しに時間をかけているような。
そんな印象さえあった。
「……ちょっと、ミズカって言ったっけ。アレ、何よ」
「……わからない。私も、見たことない」
「何でアンタが知らないのよ」
見た目だけなら、ヴォルナウス属にそっくりな龍。
巨大な皮膜に血走った羽と、立ち上がったら私達なんか即ぺしゃんこにされてしまいそうな大きな体。
ただ、その体色ばかりは見たことがない。翼に走る血管と眼球以外は真っ白で、一種神々しさすら感じる異様なカラーリング。
もう一体は見たこともない種だ。
日本の龍のように、細長く大きな鱗に覆われ、立派なヒゲをユラユラさせて。
そいつも、やっぱり真っ白だ。所々に走る血管の赤だけが印象的な怪物。
ぐぐぐ、とゆっくり動いた目が、窓の向こうにいた私たちと目を合わせる。
「……モンスターって、街中にはPOPしない……だったよね」
ノトーリアスが、確認するようにそう言う。
私は頷く。異常事態から目を逸らせずにいたが――。
「ッ!?」
――突然巻き起こった爆発と衝撃、大量の煙に視界が覆われた。
「わあああ!?」
「な、何!?」
「うへえええ!?」
煙が晴れていく。次第に鮮明になっていく視界の中に、ぼんやりと映る巨大なもの。
――完全に崩壊したギルドルームの中で、龍の巨大な白い尾がゆらゆらと揺れていた。