第九話「沈黙の邂逅」
ベオウルフ視点
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零れた牛乳を拭いて、持って来た雑巾を流し場でジャブジャブと洗う。
自慢のSTRで絞ってみたら、全力を出しすぎて千切れてしまった。
「うわっ、マジか! バツンて切れたぞ!?」
「そりゃそうなるだろ」
「いや……待て待て待て。何でアイテムリスト外のオブジェクトが壊れるんだよ。破壊不能のはずだろ」
「あっ」
カウンター側でぐだぐだしていたミヤビが目を見開くが、すぐに元の表情に戻った。
「……まー、なんかそーゆーアプデじゃね?」
「いやいやいや。聞いてねえし。って言うかアプデはいっつも水曜だろうが。今日、日曜だろ」
「それもそっかー」
「こっちも聞いてねえし」
真面目に反応しないミヤビを横目に、半分に断裂した雑巾をプラプラ見てたらノトーリアスが戻ってきた。
「ありがとうね、片付け手伝ってくれて」
「あっ、おう。ノトーリアス、これ……」
「……千切れちゃったのかい? 変だね。それ、アイテムとして拾ってきたの?」
「い、いや。その辺から持ってきた」
「そうか。……実は、表に出てた時に気づいたんだけどね」
「うん?」
ノトーリアスは無言でメニューを開くと、その一番下に位置するログアウトボタンをタップする。
しかし、何度押してもフワフワとオレンジのエフェクトが散るだけ。何も起こらない。
「……は?」
「もっと面白いこともある」
ノトーリアスがバーテン服のポケットからポーションを取り出す。
一番安価な、サ・ポーションだ。
「これ、そこのNPCのショップで買ってきたんだ。手渡しでくれたよ」
「……手渡し!? 待って、待て待てノトーリアス。お前何言って」
俺に二の句を継がせずに続けてアイテムパックを開くと、ノトーリアスはそのまま中身を見せてくれた。
何故ほぼ全ジョブ用の無茶苦茶に強化された武器防具や見たこともない素材の群れが入ってるかはともかく、アイテムパックにサ・ポーションの姿はない。
ノトーリアスの手元には、ある。
普通は、アイテムパックに収納されるはずだっていうのに。
「どういうことか、わかる?」
「…………いやいやいや、冗談だろ?」
俺は肩を竦めると、ノトーリアスがやったようにメニューを開く。
すぐにメニュー最下部のログアウトボタンをタップする。応答なし。
何度叩いても。何度メニューを開き直しても。
「――マジか」
……閉じ込められた? ゲームの中に?
「……やっべえ」
「そうだね。少し落ち着こうか。変に騒ぐとみんなも驚」
「……っすっげーええええええええええ!!!!」
声をひそめるノトーリアスとは対照的に俺は声を張り上げて飛び跳ねた。
嘘だろまじかよ。これは、これは最高に楽しいぞ。
「っわあ、何だよー寝かけてたのに」
「お、おま、おま、ミヤビミヤビ。見てみ? メニュー見てみ?」
「は?」
「ログアウトしてみ?」
「はぁ……? 眠気覚めるからログアウトしたくないんだけど……」
ウトウトと、その強面の顔に幼さを貼り付けてミヤビは拒否する。
こういう時に話が早くなくて困るんだ、コイツは。
「あー、えー、じゃあホラ、リン! リンよ! ログアウトしてみ!」
「……」
バーの隅、ボトルが壁に並べられてライトアップされた目立たないテーブルについた、ギルメンの一人。
リン。リアルだと鹿島鈴って言ったっけか。
あんまり喋らない系女子? とでも言えば良いのだろうか。普段は同じギルメンのルーベってヤツにくっついてることが多い。
青いリボンに結ばれた色素の薄い水色のポニーテールを揺らして、リンは振り返った。
見た目だけならどこかの貴族令嬢みたいな出で立ちなのに、それらの服は全部強烈なレアアイテム。AGIを馬鹿みたいに跳ね上げて、『着てるのに着てない』状態にしてくれる服。それを指摘すると何故か恥ずかしがるけど。
「……ベオ、うるさい。もう気付いてる」
「おっ、そっかそっか。ってじゃあもう話す相手いねえじゃーん!」
この興奮を伝える相手がおらず、俺は頭をかきむしりながらぴょんぴょん跳ねる。
ログインしてるのは今ここにいる四人と、狩りに出てる三人だけ。
全部で十五人のメンバーがいるが、入ってきてないのは社会人組が多いようだ。お休みにまで労働なんて大変なことですわね。
必然的に、学生組の俺達がここでたむろってるってことになる。鈴は、中学生だったっけ?
高校生組は俺ら二人とルーベくらい、あとはほぼ大学生と社会人、それにリアル事情を知らない連中だけだったはず。
アレ、てかノトーリアスも社会人のような気がするんですけど。
肩を竦め、ノトーリアスはカウンターから出てバー中央のテーブルについた。
「……まあ、気遣いなんて無駄だったかな」
興奮冷めやらぬと言った調子ではあったが、俺もおとなしく席につく。
「どうやら、ゲームの中でゲームのようなことが起きてしまったようだねえ。ここは、一旦落ち着くまで待機するか、どうするか」
「えっ。そこは主人公の俺がバーッと飛び出してバーッと解決する流れでしょ?」
「……ベオは、口だけなんだからおとなしくしてなさいよ」
話の流れに乗るように、リンもテーブルについた。
珍しい。普段は自分から話題に入ってくることなんてあんまりないのに。
「口だけとは失礼な。この『炎剣バーレスク』の輝きが目に入らぬか!」
「私とミヤビと、ルーべの手を借りて運良く手に入れた、ね」
「う」
リンにたしなめられ、勢いで抜いたバーレスクを俺はすごすごと戻した。
バーレスク。現状ドロップする大剣系における、炎属性の最上位武器だ。
ドロップした事自体が奇跡とも言えるレベルの確率の代物だが、つい昨日の深夜、みんなで狩りしてた時に偶然拾った。
俺が炎臥龍『ゴ・ヴォルナウス』に焼き殺され、直後に復活して床から立ち上がるタイミングで幸運の女神が微笑んだ。
なんで何もしてなかったベオに、と文句は殺到したが、ロット勝ちしてしまったからには仕方ない。
「と、とにかく。コイツを手に入れた俺は、神に導かれて剣を握ったと言ってもいい。だからこそ、この事態の解決にだな」
「……ふむ、お知らせ欄は更新されてないね。サイトには繋がらないけど」
「ショップも同じよ。課金もさせてくれないみたいね」
「話聞いて!?」
俺を完全に無視して会議するノトーリアスとリンに突っ込むが、リンにじとっとした目で睨まれた。
「そんなら、その剣握って適当に狩りにでも行って来なさいよ。その方が話が進んで効率的だから」
「辛辣!?」
「まあ、リン。男の子として、この現状に興奮するというのは理解できなくもないよ。けど、ベオ君もまずは状況の整理と行こうじゃない。落ち着いたら、外に遊びに行くでも何でもすればいいだろう」
「う、うむ……」
ノトーリアスにも怒られた。
俺は、しょんぼりしつつも席に戻る。
「つってもさ、内側から俺らが何かできるわけ?」
「多分できないね。僕らはクライアント……サーバーに心を繋いでるだけの、ただの客人だ。ゲーム側に干渉できる権利もなければ、自ら現実に戻る手段もない」
「現実側で誰かがHMDを外してくれるのを待つとかは?」
「それが一番理想的かな。まあ、僕みたいな独り身の人間はどうしようもないんだけど」
そう言って頭を掻くノトーリアス。
彼女の一人くらいいてもおかしくなさそうなキャラしてるけど、苗字以外では自分の話どころかプライベートの話なんて聞いたこともない。
公私じゃないけど、リアルとネットの区別をハッキリとつけているタイプの人間なんだろう。
ふむ、と俺は腕を組んだ。
「そうなると……あと数時間で夕飯の時間だし、自然と外されるかなあ」
「私も、その内外してもらえるかな。怒られそうで嫌だけど」
「ミヤビは……寝てやがるよ」
暢気にカウンターに突っ伏して寝息を立てるミヤビ。
コイツ、狩りの時以外はリアルでもネットでも寝てる気がする。のクセ勉強はできる典型的なチート野郎。
「まあ、僕は気楽に待つかな。いくらなんでも、その内外部から助けが来るはずだし」
「おーおー、それで死んじまうなんておっかない話はやめてくれよなノッチー」
「大丈夫だよ。これでもちゃんと働いてるんだから、人との繋がりくらいはあるさ」
マジでどんな仕事してるんだろうなこの人。
想像がつかない。
ノトーリアスはメニューを閉じて首を傾げていたが、その内に口を開いた。
「……まあ、とりあえずは待機ということで。それとも、どこか探検に行くかい?」
「暇潰しにはちょうどいいかなー。俺は適当に狩りにでも……と思ったけどみんなバラけてんな」
呼び出したフレンドリストを見れば、今オンラインのそれぞれが随分離れたエリアで遊んでいるようだった。
まあ、遊んでるわけではなくただ待機している可能性もなくはないけど。少なくとも、示された座標は敵が出るエリアのはずだ。
「あ、ルーベがオフラインになった」
「……あら?」
リンが意外そうな顔に表情を変える。
「そう言えば仲良いんだっけ。たまにマイルームで二人きりでいるよな」
「うるさい。でも、おかしいわね。抜ける時は一言くれるんだけど……」
「マジで仲良いのな。お兄さん嫉妬しちゃう」
「は? キモイ」
「スンマセン」
ふん、とリンは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
コイツ、ホントに気を許してるのがルーベだけっぽいんだよなあ。
というかそれよりも、オフラインになったということはゲームを抜けたということだ。
なら、俺達もHMDを外しさえすればログアウトは可能なのだろう。
「ルーベのお陰で現実に帰れるってことはわかったな。よし、ミヤビー! 一狩り行こうぜ!」
「んげぇえぇ!? い、いやだー。俺は寝てるんだあぁ……」
「そんなこと言わずにい~」
「ぐううぅぅぅ」
全力でミヤビの胴に絡みついて圧迫する。
向こうのVITが高いので拮抗しているというか、ダメージは普通に入らないんだけど効き目がない気がしてならない。
「……そうだねえ。たまには僕も付き合うよ。このまま待ってても退屈そうだ」
「おぉう、ノトーリアス! お前が出るとは……この世の終わりか」
「はは、さながら僕は終末の獣とでも言ったところかな。まあ、せっかくだしね」
「私も付き合うわ」
と、リンも立ち上がる。
「珍しい。ルーベもいないのに」
「私が自立できてないみたいな言い方やめてくれる?」
「そこまで言ってねえよ!?」
「……もう。落ち着かないのよ。さすがにこの状況だし、ちょっとは気を紛らわしたいの」
珍しく弱気なリンに、ノトーリアスは笑ってその頭を撫でた。
「……何よ。子供扱いしないで」
「まあまあ。僕もたまにはリン君と遊んでみたかったんだよ」
なでなで。俺がやったらいいのを一発貰うか向こう脛に蹴りが飛んで来るな。
まあ俺は年下に興味ないし、微笑ましく眺めてやろうじゃないのと決めている。嘘じゃない。別に俺に彼女がいないからって悔しいわけじゃない。
「……でも、ノトーリアスって普段ギルドの面々と遊んでなくない?」
「それは言わない約束。さ、ベオ君も行くかい?」
「ん、おう。ミヤビはー?」
「…………ぱすう」
カウンターにうずくまるような感じで突っ伏したまま、手をプラプラと振るミヤビ。
「じゃ、行きますか。ミヤビは留守番ってことで」
「そうしようか。ミヤビ君、よろしくね。鍵は開けといてくれると助かるよ」
「鍵も何も、ギルメンしか入れないっしょ~……」
違いない、と笑うノトーリアスについて、俺とリンは表に出た。
カラカラとドアに取り付けられた鈴が鳴る。
外に出ると、空の裾に双子の月がゆっくりと沈もうとしているところだった。
青味がかった星明かりが、中世風の荘厳な街並みを照らしている。
オレンジの街灯と、家々の窓から漏れる温かい光。
例え作り物でも、この生活感と人の息づく様子の伝わるこの景色は好きだ。
「今日は一段と良い月だなー。何だかいつもより綺麗に見える!」
「それは口説き文句か何かかな、ベオ君」
「口説く相手がこんなちみっ子だけじゃあねえ……あだッ」
「喧嘩なら買うわよ」
「冗談、冗談だっつの。つか脛はやめろ脛は!」
妙に響く一撃に悲鳴を上げながらリンから離れる。
リアル時間では夕方直前ってところだが、この世界は時の流れが当然のように早い。
もちろん、そうでないとゲーム的な都合が悪いからなのだろうけど。
にしても、それを加味したって今日は随分と月の動きが遅いような気もするな。
「さて、んじゃどこに――おや?」
見れば、誰か歩いていた。
黒く、とても長い豊かな髪。それこそあの――「沈黙のミズカ」を思い起こさせるような。
こんな街中で着ているには少し派手にも思えるドレスの端々を茶色や赤に汚して、こう言ったら何だがボロボロだ。
その女性、いや少女は、今にも倒れそうな雰囲気でヨタヨタと歩いている。
「お、おいそこの人……大丈夫か?」
「……」
俺の呼びかけにも答えないまま、少女はそのまま数歩歩くと、あろうことか倒れ込んでしまう。
「ちょ、ちょっと!?」
咄嗟に飛び出して、その体を支えてやる。
遅れて、ノトーリアスとリンが駆けて来た。
「大丈夫かい?」
「ベオ、その人知り合い?」
「い、いや。そういうワケじゃないんだけど……」
俺は、長い髪で覆われたその少女の顔を覗き込む。
黒く長いまつ毛が、濡れたように長く目蓋を飾るように生え揃っている。
唇は、薄く赤い色素によって艶やかな桃色に見えた。
そう、その端正に整って作られた顔は――夜闇の下だろうが、決して俺が忘れるはずのない造形。
「……嘘だろ?」
その顔は、どう見ても。
俺の愛してやまない、幸運の戦女神にして、最強の武神。
――「沈黙のミズカ」が、俺の腕の中で眠っていた。
あんまり無双してないというか、
これからどんどん無双から離れていく気がしてなりません……。