親が子に使う台詞じゃない
時刻は夜の七時。
夕飯を食べるのには丁度いい時間帯であり、誰かの家や部屋を訪ねるとしたら少し躊躇をしてしまいたくなる時間帯でもある。
しかし、そんな時間帯に丘夏の部屋のチャイムは鳴った。
丘夏は鍵のロックを解除すると、そのドアを開けた。
そして丘夏は思わず二度見した。
ドアの前に立っていたのが下野荘105号室の住民の一人、塩谷有墨だったからだ。
艶のある長い黒髪に、知的な陰翳が感じられる瞳。
普通だったら浮いてしまうような黒と白で構成されたメイド服をばっちりと着こなす有墨は佇まいから雰囲気まで全てが漫画やアニメで出てくるようなメイドそのものだった。
実際、有墨はとある人物に仕えるメイドなのだが。
丘夏が何の用ですか、と訊ねる暇なく、そんな有墨が丘夏に向かって頭を下げた。
「夜分遅くに申し訳ございません。少々、お訊ねしたい事があるのですがよろしいでしょうか?」
「は、はぁ。別に構いませんが……」
「ありがとうございます」
事務的、とまでに表現出来る程に有墨は感謝の言葉を述べた。
こういうところがメイドらしいといえばメイドらしいと言えなくもない、が。
「あの……塩谷さん。何か怒ってません?」
いつもならここまでの会話で愛想笑いの一つや二つほど見せてくれるのだが。
有墨から放たれるオーラがいつもより数倍近く冷たく感じられた。
これはどういう事だと訊ねる事もなく、分かる。
怒っているのだ。愛想もつくことも出来ないほどに。
「……いいえ、怒ってなどいませんよ」
「そ、そうですか」
嘘つけ。
そう言いたかったが、言えばその怒りが今すぐ丘夏に降りかかってきそうな気がしたのでやめておいた。
「では、鴻野山さん。単刀直入にお尋ねしましょう」
「はい」
「──聖様はこの部屋にいらっしゃいますでしょうか?」
聖様、というのは有墨と同じく105号室の住民にして、有墨が仕える主人である大金聖の事だ。ちなみに丘夏と聖とは同い年の男子同士という事でそれなりに仲が良かったりする。
「いいえ。いませんけど……聖がどうかしたんですか?」
「お恥ずかしい話になりますが先程、主人──聖様のお父様が開かれたパーティーを聖様が途中で抜け出して逃げてしまったのです」
「あー……なるほど。それで主人の命令で聖を連れ戻しに塩谷さんがこうして聖が隠れていそうな場所を訪ねている、と」
「いえ。主人からは『地獄を見せてやれ』と命令が下ったので、主人の希望通りに聖様には地獄を見てもらいます」
「……」
最早何も言えなかった。
「それで聖様はここにはいないのでしょうか?」
「え、ええ。いませんよ」
「嘘ではないのですね?」
「嘘じゃないです」
「本当にいないのですね?」
「いません」
「……絶対ですね?」
「絶対ですよ」
有墨はとても疑り深かった。まるで丘夏が聖を匿っていると断言しているかの様だ。
ため息をつき、有墨は一拍を置いた。
「もし、後で鴻野山さんが嘘をついていたのだと判明した場合は……」
「場合は?」
「──鴻野山さんの性別が一夜にして変わる事となります」
「部屋のクローゼットに隠れているのでどうぞ連れて行ってください」
ハサミを持つ有墨の前で丘夏は自分でも見事だと思える土下座をした。
ご協力ありがとうございます、と一礼して有墨は丘夏の部屋の中へと入って行った。
数秒後、とある男の悲鳴が聞こえたが丘夏は耳を塞いで聞こえないフリをし続けた。




