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6 王とカンナギ

 ハバキたちの一行はいったん館に戻った。どうなったかと気を揉んで待っていたイスルギたちに、事の次第を報告した。長たちはすぐに額を集めて話し合い、それぞれの里へ使者を走らせ、同様のさわぎやその兆候がないかを調べさせることになった。

 館から馬のいななきが消え、ようやく話し合いから解放されたハバキが神殿に馬をむけたときは、すでに真夜中近かった。

 灯明皿を手にし、高楼たかどのの真新しい丸太に切り込みを入れて作った梯子段を慎重に踏みしめ、のぼっていく。昼間なら、カツラギの里を一望することができたろう。高楼のてっぺんにたどりつくと、姫夜が神殿の床にひれふし、祈っているのが見えた。

 ここに来たときからずっと闇の中で祈っていたのだろうか。まるで気を失っているようにも見える。


「姫夜」


 ハバキは姫夜のそばに腰をおろし、灯明皿をおいて、そっと声をかけた。あらわになった背中がびくりと震えた。


「背中を見せてみろ。悪い風が入るとあとが厄介だぞ」

「……あのヤギラという少年はどうした?」


 姫夜はかすれた声でたずねた。


「那智の見立てでは足は切らずにすむそうだ。添え木をしてしばらくすれば、歩けるようになる」

「そうか……」

 深い吐息をつき、

ゆっくりとからだを起こすと、かろうじて肩のあたりを覆っていたうわぎを脱ぎ落とした。長い黒髪を前にたらして、白い背をハバキにむける。

 ハバキは腰に下げていた竹筒を取り、裂けてザクロのように肉が見えている疵口に酒を吹き付けようとして、ぎょっとした。


(疵が、ふさがってゆく――)


 疵はハバキが見ている目の前で、新しい桜色の肉がもりあがり閉じてゆきつつあった。


(これもワザヲギの民だからなのか)


 ハバキはそれでも、ふさがっていく疵口に酒を吹き付けた。

 姫夜はくちびるをかみしめ、叫び声をあげぬようじっと耐えていた。

ハバキは手早く布を細く裂き、黙々と姫夜の背中にまきつけていった。

 まだ胸のふくらみも乏しく、かたい少年のようなからだつきだ。ハバキは黙っておのれの上着を脱いで、後からほっそりした肩に着せかけた。

 ややあって、押し殺したような声で、姫夜はいった。


「やはり――わたしが女だと、とうに気づいていたのだな」

「ああ」


 ハバキの答えを聞いて、ふっと、姫夜の声がやわらいだ。


「そうか……いっそすこし気が楽になった」

「蛇神はもうすぐここへくるのか?」

「神は約束をたがえぬ。蛇神はケガレ神となるよりも、わたしに封じられることを選んだ。まもなくここに現れるだろう」

「この高楼はまだ完成していない。神の降臨に耐えられるだろうか」


 ハバキはまだ屋根のふきあがっていない宮をみまわした。


「ここには民の思いが込められている。耐えると思うが、念のため結界を張る」


 高楼を風がわたってゆく。

 空をすさまじい早さで黒雲が流れてゆくのが見えた。

 そこに一瞬、赤い光がひらめいた。


「来る」


 姫夜は目をほそめて立ちあがると重たい黄金の比礼をとって、のびあがるようにしてハバキの肩にかけた。


「なぜ俺に」

「本来神を宿らせるものだ。今は憑代となるべきはわたしの身だ。かえって邪魔になる」


 姫夜は腰にさげた守り袋から祈り浄めた五色の砂をつかみだし、さらさらと床にまいた。おのれを取り囲むように大きく円を描き、さらに直線と曲線とで円のなかに複雑な模様を描き上げた。完成すると、それは生きた蟲のようにのたうち、ぼおっと紫の光を帯びた。

ハバキは初めて見るものだったが、それはワザヲギの民に伝わる神代の文字だった。

 姫夜は円の中心に立って、両手をきりりと結びあわせた。右手の人差し指と中指を手刀の形にかまえ、するどく空を切った。


「青龍、白虎、朱雀、玄武、勾陳、帝台、文王、三台、玉女」


 指が描く軌跡が紫の燐光を放つ。

 祈り始めるやいなや――

 稲妻が空を裂きながら結界のうちにとびこんだ、と見えた。

 姫夜の目の前に、姫夜の背の倍はあろう大きな赤い蛇がとぐろを巻き、鎌首をもたげていた。ハバキは息を詰めてその様子を見守った。


 ――われは、来た。


 赤い蛇はちろちろと赤い舌をひらめかせながら、云った。


 ――そなたは吾が滅ぼした水ノ江の若者を、救うたな。


 姫夜は全身に緊張を漂わせ、まっすぐに蛇をみつめてこたえた。


「たしかに救うた。呪詛をわが身に引き受けることは、覚悟の上だ」


 ああするより仕方なかったのだ。ハバキは我知らず、円の外から赤い蛇に挑むように叫んでいた。


「その呪詛の一部は、この俺のものでもあるぞ」


 姫夜が仰天したように、ハバキを見た。

 赤い蛇はゆっくりと鎌首をめぐらせて、ハバキを見つめた。金色の眼に面白がるような光がまたたいた。


 ――額に王のしるしを持つものか。いいだろう。報いはいずれ、こなたたちに二人に訪れよう。


 それははっきりとハバキに向けられた言葉だった。神と口をきくのは初めてだったが、ハバキはおそれげもなく訊ねた。


「蛇神よ。そなたは俺の何を知っている」


 赤蛇は長い舌をひらめかせ、笑ったように見えた。


 ――知っていたとしても教えることはできぬ。吾はもはや人の子に対して何の義務も負わぬゆえ。


「ではなぜ姫夜を選んだ」


 ――人の子たるそなたにケガレ神となる恐ろしさはわからぬ。それよりは、ほんの須臾のとき、器のなかで身をひそめているほうが、どれほど楽かはしれぬ。この器は美しい。つかのまそこに身を潜め、人どもの営みを眺めるもまた一興。


 蛇はちろちろと長い舌を出しながら、ふたたび姫夜に目をむけた。姫夜と蛇神のまなざしが絡み合い、ハバキの目の前で結界の光がゆらめきだした。


(神封じ――いったい、姫夜はなにをするのだ?)


 ――時が移る。言霊を。


 姫夜がちらとハバキを振り返った。


「ハバキ、ここから先は眠ってくれ」


 姫夜の指がかろく額に触れた。突如、まぶたが重くなり、ハバキは抗って必死に目を見開こうとした。目もくらむような白い光のなかで、姫夜が蛇神にむかって手をのばし、抱き合うのが見えた。ハバキは声をあげようとして、気を失った。

 

 冷たい、ほっそりとした指がハバキの額にふれ、なにかの文字を描いた。


「う」


 ハバキはうめきながら体を起こした。頭にかかった霧が晴れ、見まわすと蛇神はもう消えていた。

 心配そうに自分をのぞきこんでいる姫夜と目が合い、ハバキはどきりとした。

蛇神を取り込んだ姫夜の双眸は、濡れ濡れと輝き、目元も唇もほんのり薔薇色に染まっている。たった今まぐわいを終えたかのように、けだるい色香をまとっている。


「神封じはもう終わったのか。俺が邪魔なら最初からそう云えばよかったろう」


 ハバキがにがい声でいうと、姫夜は端麗な顔をしかめて、すこし怒ったように云った。


「ハバキこそ、なぜあんなことを云った? いえば言霊に縛られるとわかっていたはず」

「お前一人に呪詛を背負わせはせぬ」


 姫夜は驚いたように目をみひらいた。


「……ハバキにも、蛇神の云うことがすべて聞こえたのだな?」

「ああ、はっきりとな。この比礼のおかげだろう」

「これから、どうする」


 その声からはけだるさが消えて、苦渋がにじんでいた。

 それはあの村が水底に沈んでから、ハバキもずっと考えていたことだった。ハバキは顔をしかめて腕組みした。


「村人をつかってクニツカミを穢されては、どれほど兵士を鍛錬したところでひとたまりもない。先手を打って攻め込もうにも、今度の戦さで民も兵も疲れ切っている。休息が必要だ」


 ハバキは一度、言葉を切った。


「モモソヒメの軍勢に襲われるまえに、他の里のクニツカミもすべて、おまえの身に封じてしまうことはできるか?」


 姫夜は長いぬばたまの髪にふちどられた顔を曇らせ、深いため息をついた。


「……そうするしかないと、わたしも思っていた」


 ハバキはじっと姫夜をみつめた。

 この器は美しい、と蛇神はいった。このほっそりしたからだのどこに蛇神は潜んでいるのか。八百万といわれるクニツカミを封じたとき、器としての姫夜はどうなるのだろう。

 姫夜はハバキの視線に気づいたように、顔をあげた。


「やるとすればわたし一人でやる。長たちが何処から来たかも分からぬこのわたしに、クニツカミを委ねるとは思えぬ」

「一人でだと」


 ハバキは声を荒げた。


「愚かしいにも程がある。どこに敵の兵がひそんでいるかわからぬのだぞ。小さ刀さえ振るうことのできぬそなたが、どうやって一人で旅するつもりだ」


 姫夜はたじろいだが、必死にいいかえした。


「そなたに迷惑はかけられぬ」

「誰が迷惑だと云った!」


 ハバキは姫夜の襟首をつかんだ。


「大人びているように見えてもやはり子どもだな。もうひとつ大事なことを教えておこう。モモソヒメはそなたの首に黄金を掛けたぞ」

「黄金?」


 姫夜のおもてからさっと血の気が引いた。


「西でワザヲギの里が滅ぼされた――その生き残りを見つけたものに褒美を出すと、モモソヒメの手の者がふれまわっている。そなたがその、ワザヲギの民なのだろう?」


 姫夜は観念したように、かすかにうなづいた。みるみるうちに目のふちに光るものがもりあがった。

 ハバキはぎくりとして手をゆるめた。


「すべて話せとは云わぬ。だが、なぜそうまでしてモモソヒメはそなたをさがしている? モモソヒメの目的はなんだ」


 姫夜はくちびるをかみしめていたが、涙を振り払い、かすれた声でこたえた。


「モモソヒメは……中つ国じゅうの地祇を穢し奉り、その御魂を集めようとしている。モモソヒメはすべての古き神々をたいらげ、唯一の王として君臨する気なのだ」

「唯一の王――」

「少しでも多くの神をモモソヒメより先に封じれば、その目論見をふせげるやもしれぬ。だがわたしは、やっと鳥神と蛇神とをこの身に封じたばかりだ。この先の道のりはあまりにも遠い……」


 ハバキは目を細め、呆然としている姫夜の肩をつかんだ。


「あの丘の上にお前もともにいたのを忘れたのか。なぜ一人で戦おうとする? モモソヒメはカツラギにとっても憎き敵だ。なぜともに戦おうと云わない?」

「ハバキと、ともに?」


 姫夜の声が揺れた。


「そうだ。俺が王になると予言してくれたから云うのではない。おまえは俺が問うより先に名を名乗った。俺はあのとき心を決めていた」


 ハバキはそのくちもとに、残忍ともとれる笑みを浮かべた。


「俺はあの時、返り血をどっぷり浴びて、それでも正直殺したりぬという気さえしていた。王をめざすとはこういうことなのか。何が俺のさだめなのか。王になれるならはっきりとしたあかしがほしいと思った」


 ハバキの目はしだいに力強く輝かせながら云った。


「そこへお前が現れた。それこそが俺にとっては予言だった」


 姫夜は心打たれたように、ハバキをみつめ返した。


「こたびのようなことがふたたびあれば、われらの結束はいよいよ危ういものになる。残る里はなんとしてでも守り抜きたい」

「わたしは戦さのしかたも知らぬ。鬼道のなんたるかも――。兄はそれに長けていた。わたしにできるのは、歌と舞いを神に捧げること、それだけだ」


 ハバキは辛抱強く云った。


「それでいい。姫夜は俺のとなりに立って民に神意を伝え、その舞いで民の心をやわらげてくれ」


 姫夜はふるえる声で云いつのった。


「わたしは神につかえる身でありながら、こたびの奇禍を予知できなかった。今、こうしていてもわたしの耳には、溺れてゆく水ノ江の民の声が聞こえる……神を呪い、我が身の運命を嘆きながら、黄泉へ旅立っていった魂の悲鳴が。ハバキには聞こえないのか? わたしはカツラギにわざわいを呼び込んだ――」


 ハバキは激しく遮った。


「おまえのせいではない。俺も、あれほどまで水ノ江の民がクニツカミから心を離していることは、この目で見るまでわからなかった。だからこそ俺は、民の心を取り戻したいのだ。俺にはおまえが必要だ」


 ハバキは片膝をつき、姫夜の手をとった。


「カツラギのハバキがあらためて請う。姫夜、俺のためにカンナギとして立ってくれ」


 姫夜は目を閉じた。

 ハバキは強いまなざしで姫夜を見つめ、息を詰めて、いらえを待っていた。

 その手から思いが――おのれの血潮が姫夜に向かって流れ込んでいくようだった。

 姫夜は呆然と、つぶやいた。


「わたしがそなたの――そうなのか……? わたしがそなたのカンナギであり、ハバキがわたしの王なのか?」


 ハバキは瞳を輝かせた。


「そうだ。俺がお前を守る。だからもう一人で背負うな」


 姫夜の濡れた瞳が大きくなった。

 ハバキは姫夜のほっそりした体を抱き寄せた。


「おまえはまだ子どもだ。泣きたければ今ここで泣け。明日から民の前では泣けぬぞ」


 姫夜は怒ったような、くぐもった声でこたえた。


「ハバキは……ずるい。ハバキとて、まだ十八ではないか」

「俺は王だからな」


 ハバキはひくく笑い、姫夜の頭を抱え寄せて、やさしくゆさぶった。

 姫夜のなかで張りつめていたものがほどけた。姫夜は声を放って、泣いた。

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