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2 宴

 毛皮をしき一段高くなった席に、姫夜は丁重に導かれた。衣服はこのクニの白い上着と袴にあらためている。

 紅玉を胸にかけることは忘れなかった。不安はあったが、その玉に触れているとすこしだけ心が安らいだ。

 月光の射す庭に面して開けはなたれた板敷きの広間は、すでに飲み食いするものたちでいっぱいだった。

 あちこちに、柄杓えしゃくをそえた濁り酒や、びわや梅を漬け込んだ酒のかめがおいてある。酌をする女もいたが、好き勝手に自分で酌んで飲んでいるもののほうが多い。ろくなものはないとハバキは云ったが、木の実を粉末にしてこねあげ、平たく形を整え焼いたもの。生の果実、干した果実、笹に包んで蒸した兎の肉、焼いたトリ肉を山盛りにした皿、こってりと飴色に煮付けた川魚など、手のかかった料理が並んでいた。二枚貝も豊富にあった。

 布目の粗い着物をきた女たちが、男たちに尻を撫でられても笑って肩をこづき返しているのを、姫夜はびっくりしたように眺めていた。

 女たちをからかいながら盛大に飲み食いする男たちは、十五くらいの若者から三十ぐらいまでの働き盛りが多い。


「あなたですね、ハバキさまをよみしてくださったというのは」


 武人の宴には場違いなやわらかい声がした。

 浅葱あさぎの長衣をまとい、まっすぐな銀髪をゆるやかにひとつに編んで片方に垂らした、たおやかな男が立っていた。

 歳の頃は二十歳、あるいはもっと上のようにも見える。


「わたくしはハバキさまにお仕えする那智と申すものにございます。神の御使いと聞いて、てっきりお年を召した方と思いましたが、まだずいぶんと、お若い方ですね」


 声はおだやかだったが、その目は姫夜の正体をみきわめようとするかのように、ひたと据えられている。姫夜はまっすぐにその眼を見返して云った。


「姫夜と申します。もうすぐ十四に相なりまする」


 広間の一画でどっとどよめきが起きた。ハバキが現れたのだ。鎧は脱ぎ、白いゆったりとした衣服にあらためている。白貂の毛皮を肩にかけているのと、愛用の碧い宝玉のついた白銀の剣を腰に吊している以外はこれといった飾りもないのが、かえって彫像のような雄々しい姿を引き立てていた。


「今日も鬼神のごとき働きだったな」

「これで隣国の軍勢も恐れをなして、しばらくは攻めてこられまい」

「みなが存分に働いてくれたおかげよ」


 あちこちから明るい声がかかり、ハバキがそれに陽気にこたえている。

 武人ではあるが、堂々とした身のこなしには生まれついて支配者として育てられてきたものの風格がそなわっている。意志の強そうなまっすぐな眉に、頬のそげた精悍せいかんな顔立ちだが、白い歯をみせて笑うと、悪童めいて見えた。


「那智。いつも草花か病人ばかり相手しているそなたが出てくるとは、珍しいな」


 大きな声で問いながら、ハバキはどかりと毛皮の上に腰をおろした。

 那智はにっこりした。


「はい。手当も一段落いたしましたので、ハバキさまを嘉してくださったお方にお目に掛かりたく、出て参りました」

「そうか。クラトがさっそく噂を広めておいてくれたようだな」


 ハバキは満足げにうなづいた。


「まずは酒だ」


 ハバキは姫夜に瑠璃の杯をさしだした。どの国でも酒をくみかわすことは固めの意味を持つ。それはワザヲギの民でも同じだった。

 姫夜は黙って、どうしていいかわからぬように、杯をみつめた。姫夜のなかでは今日一日に降りかかってきたことが、まだぐるぐると嵐のように渦巻いていた。


(みな殺された――必ず生き延びるのだ)


 伊夜彦の言葉がよぎり、姫夜はふいにせきあげてきたものを堪えるように唇をかんだ。


「どうした?」

「わたしはまだ、そなたに仕えるとは一言もいっておらぬ」


 姫夜がキッと顔を上げ、かたい声で云うと、ハバキは一瞬不満げに目を細めた。が、すぐ考え直したように、にやりとした。


「仕えろと云ったおぼえはないぞ。当分のあいだは客人まろうどということにしておいてもよい。そなたがこの里の暮らしに慣れるまで気長に待つとしよう」


 ハバキがあっさりと杯をひっこめたのを見て、那智が驚きを隠せぬように云った。


「これはこれは、杯を断った相手を殴らぬハバキさまを、はじめて見ました」


 ハバキは那智を睨んだ。


「余計なことを云うな。それではまるで蛮人ではないか。客人をおびえさせるな」

「姫夜さまはそのようなことでおびえるお方ではありますまい。それに、わたくしも姫夜さまに一日も早くこの里を気に入っていただきたいと思っておりまする。小さい里ですが、わからぬことがあれば、何なりとお聞きくださりませ」

「小さくて悪かったな」


 まわりのものがくったくのない笑い声をあげた。みなこの里が好きなのだ。

 姫夜も少しだけほっとして、微笑んだ。

 と、ずんずんと入ってきてハバキの正面にどかりと腰を下ろした若者がある。大きく翼を広げた朱雀の姿を刺繍した茜染めの上着をきて、耳には翡翠の玉をさげている。なかなかの伊達者ぶりだった。


「カリハ、戻ったか」


 ハバキはしたしげな笑いを含んだ声でいった。

 カリハはするどい目でハバキをにらんだ。


「ハバキ。今日の戦さ、みな勝利に酔っているようだが、おれは納得していないぞ」

「ほう、なぜだ」

「敵が退き始めたとき叩いておけばもう百は削れたはずだ。なのになぜ追わせなかった?」


ハバキの影にひっそりとうずくまっていたクラトがおもむろに顔をあげた。


「お言葉ながら。若長のかわりにお答えしてもよろしいか」

「なんだ。云ってみろ」

「キビが仕掛けてきて、かれこれひと月。こたびは結果だけを見れば勝ちにござったが、深手を負った者も多く、有り体にいえばこちらも崖っぷちにござりました。力はなにも戦さのためだけのものではござりませぬ。若長とカリハどのには明日にも早々に村々を見てまわり、家を失ったものへの当座の食糧の分配、焼かれた倉の建て直しをご指示していただかねばなりませぬ。やることは山積みにござりますれば――」


 カリハはうるさそうに手を振った。


「ああ、ああ。それはわかっているとも。だが今のうちに少しでも相手の戦力を削いでおくべきではなかったのか? ハバキ、どうなのだ」


 ハバキは杯をおいた。


「敵の戦力はつかめていない。こちらのほうが数が限られているのは明らかだ。今、百削っても、敵の大元の数が五百なのか千なのか、ことによっては一万かもしれぬ。此度仮にも勝利できたのは、地の利があったからに過ぎぬ。次は力押しでは勝てぬ」


 淡々とした声に、カリハは気圧されて、黙ってハバキを睨んでいた。が、これ以上問答を続けても仕方ないというように、肩をすくめた。


「お前がそこまでいうのなら、もう云うまい。だが次の戦さでは存分にやらせてほしいものだ」

「おお、その意気だ」


 ハバキは笑って、酒の壷をぐいと差し出した。カリハは酒で満たされた杯を一気に干した。ハバキは愉しげに姫夜を振り返った。


「こいつとは野山をともにかけめぐり、弓も馬も競った仲でな。口は悪いがいい男だ」


 カリハは初めて気づいたように、ハバキのとなりに端座している姫夜をまじまじと見た。その顔に驚きが広がる。


「ハバキ、おまえ、女嫌いが高じてとうとう美童をそばに侍らせることにしたのか」


 ハバキは苦笑した。


「クラトから聞いていないか。俺をよみしてくれたカンナギだ。名は姫夜という」

「カンナギにしてはまた、ずいぶんとかわゆらしい……。まことにそなたが、ハバキが王になるといったのか?」


 姫夜はうなづいた。

 驚きはしかしすぐに疑いへと変わったようだった。ふいにカリハはにやりとして云った。


「では姫夜とやら、今ここにいるものの先行きも占えるか」


 姫夜ははっきりと云い返した。


「占は酒の余興ではない。しかるべき時と所と、心とが必要だ」

「ほう。ならば舞いはどうだ? ハバキと、ここにいるみなのために武運を祈って、舞いを舞ってはくれぬか。おまえがまっことカンナギで、ハバキを籠絡し寝首をかきに来た間者かんじゃでないというなら、舞いの一つぐらい舞えるだろう」

「カリハ」


 ハバキが顔をしかめると、カリハは大袈裟に肩をすくめた。


「おれはみなが云いたいと思っていることを云ってやったまでさ」


 那智がおだやかにたしなめた。


「無体をいうものではありませぬ。姫夜どのは今日初めてこの館にいらしたのですよ。見知らぬ土地で、見知らぬものに囲まれてお疲れでしょうに」


 姫夜はくちびるをかんだ。いくらハバキが神の使いだといっても、不審に思われるのは当然といえば当然だ。しかしモモソヒメの手の者ではないかと疑われるのは、姫夜にとっては最も忌まわしい、背筋のふるえるようなことだった。

 姫夜はほこり高く、キッと顔をあげて云った。


「舞いならば喜んで舞いまする。ことほぎは、神につかえるものの役目なれば」


 とっさにワザヲギという言葉だけはどうにかのみこんだ。


「そうか。ならば見せてもらおう」

「舞うにあたっては、笛か琴の音があれば嬉しいのですが」

「用意させよう」


 ハバキはクラトを呼び、小声でなにかいいつけた。クラトは心得たようにうなづき、さがっていった。


 待つ間に、広間に面した庭に松明の火があかあかと灯され、昼間のように明るくなった。

 姫夜の心のうちでは憤りが炎のように燃えさかっていた。とんと裸足で庭に降り、静かに瞑目し、怒りが去るのを待った。館に充ち満ちている気がゆっくりと姫夜の身に染みてゆくにつれ、ひとつの思いが突き上げてくる――。


(なにもかもうしのうたわけではない――わたしにはワザヲギの舞いがある)


 ハバキは庭で立ち尽くしている姫夜をするどい目でみつめた。長いぬばたまの髪に縁取られたおもざしは、透き通るように白く、唇だけが冴え冴えと赤い。


(あれで――舞いなど、舞えるのか。今にも倒れそうではないか)


 姫夜はまるで細い崖のふちに立って、あやうい均衡をどうにか保っているように見えた。

 ややあって、しもべ二人に支えられるようにして壮年の男が入ってきた。足もとは覚束ないようだったが、鋭い目つきと頑健なあごの線がハバキによく似ている。


「イスルギさま」


 酔って真っ赤な顔をした男たちが慌てて次々とはいつくばった。ハバキは立ち上がって、自分が座っていた円座をゆずった。


「あのものがそうか」


 イスルギはするどいまなざしを姫夜にむけたまま、短くたずねた。


「そうだ」


 やがてクラトが女たちを従えて、入ってきた。三人の女はささげ持ってきたものを姫夜の前に並べた。ひとつは卵ほどの大きさの石に穴をうがって作った、見るからに素朴な石笛いわぶえである。もうひとつは白銅の見事な鈴で、唐草花文様が微細に彫り込まれていた。三つ目は五弦の琴だった。ハバキが云った。


「長くしまいこまれていたゆえ、使ってやれば喜ぶだろう。姫夜、どれでも一つ、好きなものを選べ」

「はい」


 姫夜は我に返って、かろく一礼すると、それぞれの楽器をみつめた。とたんに目の輝きが戻った。つと、手をのばすと、何かを感じ取ろうとするかのように、楽器の上に手をかざした。ひとつずつ順番に手をかざしてゆき、石笛の上でびく、と手がふるえた。


「この石笛を」

「俺が吹こう」


 ハバキは思わず立ち上がっていた。


「では、わたしが祈りをささげ終えたら、石笛を吹き始めていただきたい」


 ハバキがうなづくと、姫夜は松明の火に照らされた館の屋根を見上げた。

一瞬、姫夜の目のふちに光るものが浮かんだように、ハバキには見えた。

 姫夜は庭から見える一番高い山にむかって深々と一礼した。

 火の粉のはぜる音と、近くを流れるらしい急流の音だけが聞こえている。


「ヒフミヨイムナヤコトモリロラネ、ヒフミヨイムナヤ……」


 つ国のことばのようにも聞こえる神歌に、広間はしんと、静まりかえった。

 姫夜の声がとぎれると、ハバキは石笛をくちびるにあてた。

 あたたかみのある、谷を渡る風のような音色が流れ出した。

 姫夜はその音に耳を傾けるように、目を閉ざしていたが、やがてゆっくりと舞い始めた。

 ふいに拍子が変わる。

 さっと身を翻し、東西南北、三尺四方で足を踏みしめた。

 四方を浄め終わると、今度はうたいながら、弧を描くように長い袖をひるがえして舞い始めた。


「鳴るは滝の水、鳴るは滝の水、日は照るとも絶えずとうたり常にとうたり……」


 高く、低く、響く歌声とあいまって、しだいに舞いは力強さを帯びていく。


「君の千歳を経んことも、天津乙女の羽衣よ」


 炎のはぜる庭に、姫夜のうたう声が一段と高まった。ハバキの吹く石笛の音も庭をたたく雨のようにはずむ。

 姫夜は舞い続ける。

 高まる音にあわせ、白い腕をさしあげてまわるたびに、長い黒髪が生きているかのようにからだに絡みつく。袖の長い衣が、青、紫、玉虫色にと、透き通る。

 そこに居合わせたものはみな、惚けたように松明のあかりに照らし出された、この世の者とも思えぬ舞い姿に心を奪われていた。

 いつのまにか――男たちがまとっていたざわめきは完全に消え失せていた。うたにあわせて、からだをゆらしているものがいる。あるものは陶然と、あるものは涙を流しながら、舞いに酔っていた。

 誰からともなく、姫夜の姿に手を合わせ、あるいはひれ伏し、祈り始めた。さらに舞いは激しさを増した。ハバキは肺腑もつぶれよとばかり、笛を吹き鳴らした。


禍津姫マガツヒメ……」


 イスルギがうめくのをハバキは聞いた。

 その目は驚愕と畏怖に打たれ、声はかすれていた。


「カツラギの水の姫神――それとも、あれこそがうわさに聞く鬼道きどうか――」


 ハバキは笛を吹きながら、水とたわむれ踊る姫夜の姿に圧倒されていた。

 幻視なのか――。さしあげた手の指先から、清らかな水があふれだしている。くるくると舞う細いつまさきをせせらぎが洗っている。とん、とほっそりしたからだが飛んで、銀の魚のごとくに、しなやかにうしろに反った。


 舞い終えた姫夜は、燭の火をたずさえたクラトに案内され、館の外にめぐらされた長い廊下を渡っていった。クラトの背中はがっちりとして、どことなく沢にすむカニを思わせた。髪は後ろになでつけてきっちりとひとつにまとめられ、乱れがない。

 通された部屋は、小さいが、床も磨き上げられ、清々とした空気に満ちていた。


「こちらをお使い下さりませ。もう休まれますか。それとも、かゆの椀なりとお持ちいたしましょうか」


 クラトは姫夜がほとんど何も口にしなかったのに目ざとく気づいていたらしかった。

 姫夜は刺すような視線を感じ、全身が冷たくなった。長がこの男にひそかに自分を葬り去れと命じたとしても不思議はない。思わず姫夜はつぶやいた。


「わたしは……ここで、そなたの手にかかって死ぬのか?」


 クラトはじっと姫夜を見つめた。


「そのような命は、やつかれは受けておりませぬ」

「もしわたしがこのまま立ち去ろうとしたら何とする」


 クラトはうっそりと立ち上がり、板戸を開けはなった。その部屋は近くの谷川の水を引き込んだ遣り水の流れる、小さな奥庭に面していた。


「お止めはいたしませぬ。ですが若長はお怒りになられましょう」


 姫夜は立ちあがって、青竹の垣で囲まれ、皓々と月明かりに照らされた庭を眺めた。

 梅の木の間を流れる水には、手で掬いとれそうな明るい月が映っている。


「では一人にしてくれ。粥はいらぬ……」


 クラトはうっそりと頭を下げて出ていった。姫夜は部屋のすみに畳んであった夜具のなかに倒れ込んだ。一気にその日のできごとがまぼろしのように姫夜を襲ってきた。


(兄さま……)


 よろいのぶつかりあう音と悲鳴、美しかったヒュウガの宮が焼け崩れ、カッと恨みに眼を見開いた生首を槍に突き刺した兵士たちが雄叫びをあげる――姫夜はぐっと歯を食いしばった。つかの間、押し殺したすすり泣きが洩れたが、それもすぐにやんだ。

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