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18 闇からの声

 あわただしい馬の蹄の音がして、伝令が神殿駆け込んできたのは、十三夜の月がちょうど真南にのぼった時だった。那智が血相を変えて、知らせてきた。


「館より急な知らせにございます。ヤギラがアゲハを人質にとって逃げたと」

「なんだと」


 ハバキと姫夜は血相を変えた。

 使者としてやってきたのは、ハバキとともに磐座組に入って伝令をつとめる小楯という若者だった。小楯の話では、アゲハがヤギラの部屋に食事を運んでいったきり、いつまでたっても戻ってこぬので、厨の女が見にいった。すると部屋には誰もおらず、争ったかのように割れた皿と食べ物が散らばっていたというのだ。

 姫夜は血の気の失せた顔でつぶやいた。


「なぜこんな時に。ハバキ、すぐに砦にいるカリハに知らせを――」

「待て。カリハは将だ。知らせたところで動くことはできぬ」

「アゲハはどうなる? 見殺しにするというのか。ならばわたしが探しに行く!」

「落ち着け。国境にはすでに兵たちが伏せてある。それを越えていくことはない」


 ハバキは厳しい声でいって、すぐさま小楯に命じた。


「磐座組から十名のものにヤギラのあとを追わせろ。まだ疵も癒えておらぬのに女連れではそう遠くへはゆけぬはずだ」


 ハバキは次々と十名の名前をあげた。小楯は命令を復唱し、出ていった。


「満月が近づいたら逃げるよう、呪をかけられていたのかもしれぬ。でもなぜよりによってアゲハを――」

「こうしていてもしかたがない。明日は満月。一足先に磐座へ行こう」


 ハバキは淡々とした声でいった。すでにおもては険しく、目は鋭い輝きを帯び、将の顔になっていた。


 姫夜は、櫃からワザヲギの衣を出して、まとった。初めて神門をくぐったときに着ていたものだ。珠を両手首に巻き、鈴を入れた袋を腰帯にさげた。最後にずしりと重い黄金のひれを肩にかける。

 神殿から磐座までは馬を飛ばせば半刻ほどの距離だ。

 駆けつけてきたハバキたちを見て、磐座のまわりを取り囲んでいた兵士たちはどよめき、王を迎える勝ち鬨の声をあげようとした。

 ハバキは手をあげて静まらせた。


「すでにいくさは始まっている。敵はまだ姿を見せておらぬが気を引き締めてかかれ」


 小楯が駆けつけてきた。


「ご指示通り、十名のものを探索に向かわせましてございます」


 姫夜は馬に乗ったまま、衣のかげからそっと兵士たちを見まわした。まだ十六、七の若者が半数はいるようだった。みな全身に闘気をみなぎらせ、馬上の三人を見上げている。そこにいるものたちの熱気で湯気がゆらぎ立っているかに見えた。


「姫夜、なにか感じるか」


 ハバキが小声で短くたずねた。


「いいや、何も。ヤギラはここへむかうかと思ったのだが」


 姫夜の声は緊張にかすれていた。手綱を握る手がふるえている。


「途中、二つの結界を通り抜けましたが、破られたあとはございませんでした」


 那智が脇からささやく。磐座のまわりには二重に結界がめぐらされていた。今、ハバキたちがいるのは内の結界のそばだ。

 ハバキは今一度、兵たちに向かって云った。


「今伝令があった通り、ヤギラが館からアゲハを連れて逃げた。ヤギラはモモソヒメの呪に縛られて混乱している。見つけても殺めてはならぬ。傷つけぬようとらえよ。いいな」


 それから小楯にむかって云った。


「これから一の砦に伝令に走れ。一の砦からは二、三と決めたとおり伝令のものを走らせよ」

「女の名はお伝えしてよろしいので?」

「――いずれわかることだ。伝えよ」


 ハバキは苦々しい声で云った。

 姫夜は唇をかみしめた。

 ハバキたちは伝令が戻るのを待ち、焚き火を囲んで夜を明かすことにした。明ければ、翌日暮れの六ツ(六時)には月の出である。


「姫夜、一人で背負うな。いくさは一人でするものではない。兵士たちがいる」


 ハバキがじっと炎をみつめている姫夜に云った。

 だが姫夜はかたい顔でうなづいただけだった。

 途中、探索に出たものたちが戻ってきて報告し、伝令がいきかった。しかし、ヤギラとアゲハの足取りは闇に塗りつぶされたようにつかめなかった。


「今宵はもう見つかるまい。いったん探索は打ち切ろう」


 ハバキがそう宣言すると、磐座の周辺は静かになった。

 那智が気遣わしげに姫夜をみやった。


「姫夜さま、今のうちにすこしお休みなされませ」

「いえ、大丈夫です」


 ここは戦場だ。甘えるわけにはいかない。

 燃え上がる炎が彫像のようなハバキの整った横顔を浮かび上がらせている。

するどくそげた頬、厳しく引き結ばれた唇、強靱なあご。ほとんど冷酷とも取れるような顔を見て、姫夜はモモソヒメが襲ってきた日、ためらわずに宮に火をはなった兄の顔を思い出した。

 静寂をやぶって、山を登ってくる複数の足音がした。


「ハバキ!」


 たいまつをかざして近づいてきたのはカリハとクラトだった。


「どうした、なぜ砦を離れた」


 ハバキが厳しく質した。


「まだ時間がある。連れ去られたのがアゲハだというのはまことか」


 カリハが先にたずねた。


「そうだ。厨から食事を運んだときに連れ去られたのだ」


 カリハは激しく顔をゆがめたが、横を向いて云った。


「わかった。だがアゲハも武人の妹だ。今度のいくさのことは覚悟していた。むしろ他のものでなくてよかった」

「何の覚悟だ。アゲハでよかったなどということがあろうか」


 姫夜は思わず立ち上がって叫んでいた。みな驚いて振り返った。


「ハバキ、わたしに行かせてくれ。わたしなら――」


 鳥神の翼を使えばすぐにでも探し出すことができる。だがハバキは即座に否定した。


「駄目だ。おまえはここにいろ」


 クラトがさっと近づいて、膝をついた。


「姫夜さま、おゆるしください。いただいた守り玉はアゲハに与えました。あのものは気丈な娘です。きっと今頃逃げる機会をうかがっております」

「でも、今のヤギラは、ヤギラであってヤギラではない」


 両手で顔を覆ってよろめいた。ずきずきと打つ鼓動と重なって、耳元で恨みをしたたらせたヤギラの声がささやいた。

 『おまえのせいだ。厄災が降りかかるのを予知できなかった。ひとつの村が湖に沈むのを食いとめられなかった。禍と死の影を引き連れてきた。おまえさえカツラギに来なければ。おまえさえいなければ』

 ハバキがぐいと姫夜の腕をつかんだ。


「間違えるな。このいくさの真の敵はヤギラではない。おまえにもしものことがあれば多くの兵が死ぬことになる」


 黙って聞いていた那智が立ち上がった。


「わたくしが参りましょう。ヤギラがふたたび変化するのを見抜けなんだは、わたくしの落ち度。日がのぼれば妖しの動きも鈍ります。なんとか動きを封じ、兵士たちに捕らえさせまする」


 ハバキはうなづいた。


「わかった。クラトとともに行け。だが遅くとも申の刻までには戻ってこい。アゲハを取り戻しても、取り戻せなくてもだ」


 カリハが、那智と共に歩き出したクラトの背中に呼び掛けた。


「クラト、おまえにまかせる」

「わかった」


 クラトは振り返ってうなづいた。


 月は山の端にかくれた。

 約束の夕刻になっても、那智とクラトは戻ってこなかった。いつのまにか空はどすぐろい雲に覆われている。

 ハバキの表情は表面は変わらなかったが、胸の内はじりじりと不安に焼かれていた。


「――くる」


 姫夜の声に、ハバキはぎくりとして振り返った。姫夜は半眼になって、云った。


「ヤギラはこの磐座にむかっている」


 姫夜のことばと同時に、風が強くなり、峰や谷が低くどろどろと鳴り始めた。

 兵士たちはおびえたように顔を見合わせた。


「浮き足立つな。松明に火を入れろ。弓矢隊は外にむかってかまえ、みな位置につけ。ヤギラがあらわれたら狼煙のろしをあげさせよ」


 ハバキが次々と命じた。

 あたりは急速に紫から濃い青い闇へ包まれていこうとしていた。

 どろどろと響く不気味な音がしだいに大きくなった。

 ハバキはハッとしたように姫夜をみつめた。

 姫夜は谷ではなく、磐座の縁に立ち尽くしたまままっすぐに石の柱を見つめていた。そのおもてからは一切の表情が消え、見開いた瞳はうつろに青い闇の色を映していた。


(どちらだ。どちらが先に来る?)


 ハバキは蛇神の剣の柄に手をかけ、油断無く、内と外とにむかって視線を走らせた。


「来たぞうっ」

「化け物だ。こっちへ走ってくる――」


 囲みの外から悲鳴とどよめきが起こった。

 木々の間に、真っ黒なかたまりが、つむじ風のように外の結界を突き破ってこちらへ向かってくるのが見えた。


「あれはアゲハだ、アゲハを口にくわえているぞ」


 満月の出が近づいているせいか、妖獣の姿はハバキが見たときの三倍もの大きさにふくれあがっていた。


「火矢は使うなッ」


 ハバキが叫んだが、おびえたものは次々とヤギラにむかって矢をいかけた。そうせずにはいられなかったのだ。だが矢は触れたとたん、腐り落ち、妖獣が踏んだ草もたちまち枯れ落ちた。

ヤギラは瘴気を撒き散らしながら、猛烈な勢いで第二の囲みを突き破った。


「うわああっ」

「助けてくれえっ」


 ハバキは姫夜を背にかばうようにして立ち、剣を抜きはなった。

 ぬめるように刃が光る。だが妖獣はかるがると二人の頭上を飛び越えた。

 あっというまに、磐座の上に降りると、供物を捧げるかのように、口にくわえていたアゲハのからだをおろし、むきなおって、ひくく頭をさげ、うなり始めた。


「おのれ――」


 ハバキが斬りかかろうとしたとき、ぐらぐらと山が揺れた。みな悲鳴をあげて折り重なって倒れ伏すなかで、姫夜だけが磐座の柱をみつめたまま、微動だにせずにまっすぐに立っていた。


「あれは!」


 ハバキは磐座の石の柱から一筋の白い光が空にむかって立つのを見た。



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