17 返歌
夏休みなので朝投稿に変えてみました。
月が上弦の太った月に形を変え、いよいよ満月の日が近づいてきた。おおかたの男たちが出払った館はしんと静まりかえり、働く女たちの顔も鬱々として晴れず、常のいくさとは違った黒雲に心を覆われているように見えた。
姫夜が神殿の祈りの間で祈りを捧げていると、那智が入ってきて静かに声をかけた。
「カリハさまがお会いしたいといっております。いかがなさいますか」
「すぐに通してくれ」
慌ただしく入ってきたカリハは懐から文を出した。
「こんなときにすまぬが、アゲハからだ。いつかの礼だそうだ」
姫夜がそっと開くと、文には歌だけがしたためられていた。
『恋するに死するものにあらませば 我が身は千たび死にかへらまし』
姫夜はその歌の激しさに打たれて、しばし黙っていた。それから低い声でこう云った。
「カリハ、どこにいても、これからも幸せを祈っているとアゲハに伝えてくれ」
「おかしなことを。それではまるで別れの挨拶だ」
姫夜は自分が涙ぐんでいたことに気づき、慌ててまばたきし、うつむいてしずくを振り落とした。
「いや、そんなつもりではなかった」
カリハはすこし声を和らげた。
「気持ちはわからぬでもないが、そう気を滅入らせていてはもたぬぞ。いくさはこれからも続くのだ」
「そうだな」
「たしかに今度は勝手が違う。そなたがハバキとともに先陣に立つなどと云ったら、妹は烈火のごとく怒るぞ。女たちには神司は神殿にこもっていると思わせておいたほうがいい」
カリハはにやっとした。姫夜も強いて明るい声で云った。
「あとで砦をたずねようかと思っていたのだが、すこしだけ時間をもらえぬだろうか。そなたとクラトどの、カヅノに渡したいものがある」
カリハは面食らったように聞き返した。
「おれたち三人にか?」
「ああ」
「ならば二人とも今、ハバキと話しているところだ。行こう」
謁見の間に入っていくと、ちょうどクラトが立ち上がるところだった。
「クラト、カヅノ、神司どのがなにかくださるそうだぞ」
カリハが冗談っぽく云うと、カヅノは目を丸くし、赤くなった。
「勾玉に守りの念を込めてわたしが磨いた。まことは兵の一人一人におくりたいのだが、今日という日になってしまった。だから将である三人に持っていてもらいたいのだ」
「よいのでしょうか? お、おれなんかがそんな尊いものを……」
「受け取っておけ。おまえだけのためではない。おまえが指揮する砦にいるものたちのためでもある」
姫夜は三人と間近く向きあってすわり、翡翠の勾玉を一人一人に手渡した。
カリハとカヅノに勾玉を渡し、最後にクラトの手にふれた瞬間、姫夜ははっとした。
アゲハの恋歌とそれに対する返歌が響き合うのが《聞こえ》たからだった。
三人はそれぞれ大事そうに、玉を懐の守り袋にしまいこんだり、首にかけたりした。
「おれ、一生の宝にいたします」
カヅノは少年らしいあどけなさの残る丸顔を真っ赤にして何度も頭をさげた。
三人がそれぞれの砦へ戻っていくのをきざはしまで出て見送り、姫夜はつぶやいた。
「アゲハの想い人はクラトどのだったのだな」
「なぜわかった?」
「先刻、手をとったときに伝わってきた。歌がクラトどのの心に響いていた」
「恋するに死するものにあらませば――か」
「そう。でも、なぜそなたがあの歌を知っている?」
ハバキは欄干に寄りかかって、たくましい肩をすくめた。
「実はクラトに頼まれたのだ。歌垣でおくる歌がどうしてもできぬから、俺に作ってくれと。最初は俺も自分で作れと云ったのだが、そのうち奴は病で伏せっていることにして歌垣に出ぬとまで云いだしたので、放っておけなかった」
姫夜はうなだれてすわった。
「怒ったのか?」
「いや。だが……なんだかアゲハをだましてしまったような気がして。歌は命を削ってつくりだす言霊だから――」
ハバキはしばらく姫夜の顔をみつめていたが、珍しくすなおにいった。
「そうだな。次に歌を作るときには自分の想う相手のために詠むことにしよう」
姫夜はそのことばに胸を打たれたが、これからのことを思うと、ためいきをもらさずにはいられなかった。




