15 ワザヲギの秘密
「神宝を蔵から出す、と?」
那智は、ハバキのことばにぴくと眉をつり上げた。ハバキの熱はまだ下がっていなかったが、姫夜とは夜が明けるとすぐに館から、神殿の神殿へと居を移した。残る十四日は神殿で過ごすことに決めたのだった。
「そうだ。生玉、足玉、比礼、鈴、そしてカツラギの剣だ」
姫夜は神司の正式な装いに改め、しずかにハバキのそばに端座していた。そのまぶたは、なかば閉ざされ、瞳は虚空をみつめている。
那智は敏感に、姫夜のなかでカミがめざめているのに気づいているらしかった。
「それはかまいませぬが、事の次第を最初からお話しいただけましょうか?」
ハバキがちらと姫夜を見ると、姫夜はうなづいた。
「ヤギラの口を借りて、モモソヒメが語った、その言葉を信ずるならだが」
ハバキは淡々と、次の満月の夜に磐座で、モモソヒメが姫夜の兄、伊夜彦に会わせると云ったこと。姫夜がその場に来なければ、なんらかの方法でカツラギを滅ぼすつもりなのだということも語った。
「西へは斥候を出した。キビやその他のクニに動きがないかも探らせつつ、戦にそなえて兵を三つの砦に集める。満月の夜は、磐座のまわりとクニ境に兵を伏せる」
那智はしずかに目をあげた。
「その夜、磐座で何が起こるのか。それはわからぬというのですね」
「そうだ。雷が降るか、外から百万の兵が押し寄せるのか、あるいはヤギラのように呪に縛られた妖魅が襲ってくるのか、それはわからぬ」
「磐座周辺のカミはすべて丁重に祀り、封じた。水ノ江の時のように荒れ狂ったクニツカミに侵されることはないと思う」
姫夜が口を開いた。落ちついた、しっかりとした声だった。
「俺が兵を率い、姫夜は神宝をそろえ、呪の攻撃に備える。今思いつくのは、それだけだ。那智、おまえの考えが聞きたい」
那智はしばらく瞑目し考えていたが、こう答えた。
「磐座は古より神の降りる場所と言い伝えられております。モモソヒメが邪であっても神に等しい力を持つのなら、磐座はなんらかの意味を持つのかも知れませぬ」
姫夜は一瞬、はっとしたように目を上げた。だが、何も云わずにふたたび目をふせてしまった。那智はそれをちらりと見て、云った。
「磐座のまわりに岩でさらに二重三重に結界を張りましょう」
「そうだな。用心するに越したことはない」
那智はいいにくそうに両手をついた。
「もうひとつ。神宝に関してお詫びしなければならぬことがございます」
「何だ」
「神宝はすべて神殿の倉におさめられておりますが、カツラギの剣だけがございませぬ」
ハバキは顔を曇らせたものの、なかばその答えを予想していたらしく、驚かなかった。
姫夜がいぶかしげにハバキにたずねた。
「ないとはどういうことだ? ハバキがいつも腰にはいているそれが神宝ではないのか」
ハバキはおのれの剣を鞘ごと抜いて、姫夜に手渡した。
「わかるだろう。これは父から譲り受けたものだが、神宝ではない。そうか。やはり八握剣は――倉にはないのか」
「はい」
「何処にあるかは、わかっているのか?」
「カツラギの地にあることはたしかでございます」
「それはどんな剣なのです?」
姫夜が訊ねると、那智は目を伏せた。
「八握剣について、わたくしが聞き及んでおりますことは――」
声が低くなり、一気に二十も三十も年老いたように見えた。
「姫夜さまの先々代にあたる神司が人を食うオロチを退治た折に、剣はその腹にのみこまれたと。オロチは二度とよみがえらぬよう、そのまま封じられました。以来、八握剣を見たものはおりませぬ」
ハバキが重々しく、言葉をついだ。
「その神司はカツラギを救うため、竜神の淵に身を沈めた。それが那智の母親だ」
姫夜は蒼白になった。
「でも、その神司はオロチを退治たのだろう?」
「オロチが封じられたのちも、カツラギの里は疫病に見舞われ、日照りが続き、多くのものが命を落としたのだ」
「本来なら、母と一緒に命を落としていても不思議はなかった。そのわたくしをそばにおいてくださったのが、イスルギさまです」
姫夜はまじまじと那智を見つめた。なにゆえ那智がカンナギとしての力も知識も持ちながら、たった一人で薬師として働いているのか、ハバキやカリハ以外のまわりのものが、なぜ彼に敬意と畏れにも似たものを抱いているのかも、今ようやくわかった気がした。
「そのとき、那智どのはおいくつになられていたのです?」
「六つにございました」
那智は静かに、微笑んだ。
「肝心なのは剣のありかにございます。神宝は五つがそろうと、独特の澄んだ響きを発します。わたくしの耳に間違いがなければ、今、神殿にある神宝は五つそろった時の音色を発しております」
「いつから音色はそろったのだ?」
ハバキが訊ねた。
「しかとは申せませぬが、姫夜さまが神司になられた頃と一致しているように思われます」
「形はなくとも、剣の心はある――」
姫夜が目をふせて低い声で呟くと、那智はうなづいた。
「ならば五つ揃うているのと同じだということだな? ならばそれでいい。俺はカリハたちと決めねばならぬことがある」
ハバキが慌ただしく立ちあがろうとすると、姫夜がその手をとらえた。
「ハバキ、那智どのが結界を張る前に、一度ともに磐座へ行ってくれぬか」
思い詰めたような声に、ハバキは姫夜を見つめ返した。その手が震えている。
ハバキはうなづいた。
「わかった。これからすぐに行こう」
*
白銀の鎧に身を包んだハバキは、山の上にある磐座への細い道を先に立ってゆっくりと登ってゆく。
姫夜はあれから、物思いにふけるように口をつぐんだままだ。
やがて道が開けた。磐座はカツラギの木々に囲まれ、二人が出会った時と同じように、すがすがしい静謐な空気に包まれていた。
二人は立ち止まって、中央にそびえたつ柱とそれを取り囲むように並べられた岩とを見やった。空には明星が輝き始めている。
「ここへともに来るのは、あれから初めてだな。それともそなたは、ここに独りで祈りを捧げに来ることがあったのか」
ハバキの口調に問い詰める鋭さはなかった。
「いいや」
姫夜は首を横にふった。
ハバキは足を踏み入れようとして、姫夜がためらうように立ち尽くしているのに気づき、手をさしだした。
「さあ」
姫夜はひとつ息を深く吸いこんで、その手を取った。
そこに足を踏み入れたとたん、ハバキは何かに打たれたように目を見開いた。
激しい清浄な気の流れが身ぬちを駆け抜けたのを、ハバキは感じた。その痛みにも似た感覚は懐かしく慕わしいものでもあった。
振りかえると、姫夜も同じ滝に打たれたように、長い睫をふせ、身を震わせていた。
「ハバキ。禊ぎに入る前に話しておきたいことがある。那智どのと話していて、わかったことだ」
姫夜の声はなにかを怖れるようにおののいていた。
「この磐座のことか」
姫夜はうなづき、ひとことひとこと、絞り出すように云った。
「そうだ。わたしはそなたの、そなただけのカンナギになると誓った。だからワザヲギの一族の元に帰ることはない。だから――だからこそ云っておかねばならない。わたしがたとえここで消えたように見えても、必ずそなたの元に帰ってくると」
ハバキはぎくりとして姫夜を見た。突然、歌垣の宵に感じた不安が、黒雲のように胸の内にせりあげてきた。
「消えるだと。いったいどういうことだ」
ハバキは言葉を失って、姫夜を見つめた。だが頭の中ではめまぐるしく、姫夜と出会った日のこと、クラトの云った西からもたらされた話とが渦巻いていた。
姫夜はハバキの手を取り、両手で握りしめ、祈るように額を押しあてた。
「消えたように見える、と云ったのだ」
「同じことだ。やはり、おまえは行くつもりなのか」
云うより早く、ハバキは姫夜の腕を強く掴んでいた。姫夜は必死に云った。
「聞いてくれ。モモソヒメは満月の夜にここへ来いと云った。ならば向こうから来るということだ」
ハバキは一瞬、混乱したように押し黙った。
「あの女王が、危険を顧みず敵のただなかに飛びこんでくると云うのか。まさか、いったいどうやって――」
姫夜は逆にハバキの腕をつかんだ。姫夜は苦しげに云った。
「これ以上は云えぬ。わたしの当て推量だ。だが――万が一、そうなったら、わたしがこの手でモモソヒメを送り返す。それしか厄災からこの地を守る方法はない」
姫夜は力強い目で云った。
ハバキの脳裡に稲妻のように、モモソヒメを抱いて神門に飛びこむ姫夜の姿がよぎった。
「結界は? 役に立たぬというのか」
「わからぬ。だが、女王が伊夜彦をも上回る力の持ち主だとしたら……」
姫夜の声はとぎれた。
「だめだ!」
ハバキは激しく叫んだ。
「おまえはどうなる。たった一人になったおまえを誰が守る?」
姫夜はなにか云いかけて、かぶりを振った。
「ハバキ、だから云ったのだ。わたしは必ず帰ってくると。だからわたしを信じて待っていてほしい」
「俺が待っていられると思うのか」
ハバキは王たるものの凄まじい怒りを体から発して姫夜を睨みつけた。
「この俺が、一人で待てると思うのか!」
ハバキは肩で荒い息をしていたが、無言で姫夜を押しのけると、剣を抜きはなった。
「これが厄災を招く門だというのなら、今この場で叩き壊してやる」
「だめだ――」
姫夜は悲鳴をあげ、庇うように石の柱の前に立ちふさがった。
「どけ!」
「ここは神の地だ。ハバキも感じたはずだ。そんなことをすれば神罰がくだる」
ハバキは不敵な笑みにくちびるの端を歪ませた。
「面白い。この地を守ろうとしている王の俺に、下せるものなら下してみろ」
ハバキは剣をふりあげようとして、がくりと膝をついた。姫夜が慌ててその体を支えた。
「見ろ。まだ力が戻ってもおらぬのに、無茶をするな」
「これは――熱のせいだ」
「ハバキは伊夜彦を救いだすと云ってくれた。あの言葉は偽りだったのか?」
ハバキは、ぎょっとしたように姫夜を見た。
「ハバキ――」
姫夜は熱を持ったハバキの体に抱きつき、あらんかぎりのやさしさでもって抱き締めた。
「頼む。そなたがわたしの王だ」
「――――」
ハバキは低くうめいて、がしゃりと岩の上に腰をおろした。
目の前が怒りで真っ赤になった。
だが岩の上に腰をおろしていると――心の奥底の冷たく澄んだ泉から水が溢れ、神の手がささくれ立った心を慰撫していくのを感じた。
「おまえの神と、命とにかけて誓えるか。必ず――」
ハバキの言葉は途切れた。
姫夜はふたたび、ハバキの手を取って囁くように云った。
「ワザヲギの神と、カツラギの神にかけて誓う。われは、長く汝命の門を守り、汝のワザヲギの民たらん。――これはワザヲギの民の正式な誓ひの言葉だ。わたしはなにがあっても、ハバキのそばに帰ってくる」




