13 魂喰らい
「姫夜、――姫夜? いないのか」
ハバキは後ろ手に薔薇の花束を隠して、姫夜の部屋をのぞきこんだ。
だが部屋には誰もいない。
(まさか姫夜が一夜の相手をみつけて――?)
ハバキは苦笑した。そんなはずがない。
姫夜に妻問いの宝をおくるようなものがいるとすれば、自分だけだ。
あれからにわかに激しい驟雨が降ってきて、火は消え、村人たちは高揚のうちに帰途についた。相手を見つけた若者たちは手を取り合って、笑いながら木陰を求めて走り去った。
きっと姫夜も濡れそぼっているだろう。
ふいに、姫夜が夜道に白馬を走らせている光景が目に浮かんだ。
ハバキはうまやへ回っていった。思った通り、イザヨイがいない。いつもはとんでくるヤギラも歌垣の宵だけあって、出かけているようだった。
「ハヤテ、おまえは姫夜とイザヨイがどこへ行ったか、知っているか?」
鼻面を撫でてやりながら、おのれの馬にたずねた。
ハバキはこの前姫夜を連れて行った出で湯を思い出した。
(行ってみるか)
出で湯まではそう遠くはない。薔薇の花束を帯にさしこみ、たいまつから抜き取った薪を手にしてハヤテにまたがった。
案の定、出で湯のそばまでくると、イザヨイが大人しく草をはんでいるのが見えた。
ハバキはほっとして、静かに馬をおり、花を持ってそっと岩をまわった。
枝に姫夜の衣がかけてある。
ぽきりとハバキの足の下で、小枝が鳴った。
湯のなかの姫夜がざばっと湯をはねかして振り返った。
「こんなところへ、ともも連れずにくるとは、向こう見ずな奴だ」
ハバキが陽気に声をかけると、姫夜は大きく安堵の息を吐き出した。それから慌てて、湯の中に沈み込んだ。
「ハバキか! モモソヒメの追っ手かと思ったぞ」
「だったらどうする。なぜ一人で抜け出した。歌垣はまだ終わっていないぞ」
「わたしの――カンナギとしてのつとめは、終わった」
「ああ。しかと、見せてもらった。あれがそなたの――ワザヲギの民、本来の力なのだな」
ハバキは率直に、感じたままを云った。姫夜は驚いたようにハバキを見かえした。
ハバキは背中に花束を隠したまま、岩に寄りかかった。
ふわりと甘い花の香りがした。姫夜はいぶかしげにあたりを見まわした。
「ハバキこそどうしてここへ来た? 温まりにきたのか」
「たしかに濡れて冷え切ってはいるが……。おまえを追ってきたとは思わないのか」
ハバキは苦笑し、背中に隠していた花束を無造作にさしだした。
姫夜は淡い紅色の薔薇を見て、大きく目を見開いた。
甘い香りが一段と強くなった。
「なぜ……?」
「歌垣の宵だ。受け取れ」
姫夜は喜んでいいのか、怒っていいのかわからぬような顔をした。
「歌垣なのに――歌がないのはおかしい」
「それも、そうだな」
ハバキは腕組みし、すこし考えてから、ゆっくりと歌をよんだ。
「朝に日に見まく欲りするその玉を、いかにせばかも手ゆ離れずあらむ」
姫夜の頬にさっと赤みがさした。瞳のなかで光が揺れている。姫夜はいった。
「ほんとうは、歌垣で、歌をおくられたのは初めてだ」
ハバキはおのれのなかに愛しさがわきあがってくるのを感じていた。
姫夜は息を詰めて湯から立ち上がると、そっと手をのばし、薔薇を受け取った。
花びらに顔を寄せ、深々と香気を吸い込む。とげはていねいに取り除いてあった。
「よい、匂いだ……」
ビシ、と鋭い矢羽根の音が空を切り裂いた。
ハバキの目の前で、薔薇の花が飛び散って、姫夜の手から落ちた。矢は左肩に突き刺さっていた。
「卑怯者め。姿を見せよ」
ハバキは姫夜をかばうようにして立ちふさがり、叫んだ。
「姫夜、大丈夫か。急所ははずれている」
姫夜は痛みに顔をしかめながら、矢を引き抜いた。深紅の血が噴き出す。
「魔性のものめ、滅びよ――!」
甲高い声がして、離れた木の上に人影が動き、第二の矢が飛んできた。
弓矢を手にして飛び降りたのはヤギラだった。
ヤギラが次々と放った矢を、ハバキの剣がたたき落とした。
「ヤギラ、何の真似だ。魔性とは誰のことだ!」
「そこにいる姫夜だ! そいつは――蛇神を呼び出しておれの里を水底にしずめた!」
「いったい誰にそんな考えを吹き込まれた。姫夜は俺とおまえを助けたのだぞ?」
ヤギラはたじろいだ。
「そ――そいつは、ハバキさまを助けるふりをしてこの里に入りこんだんだ。ハバキさまこそ騙されておいでなんだ。おれは知ってるッ。そいつは女に自在に変化して、ハバキさまをたぶらかそうとしてる。そしていずれはカツラギも滅ぼすつもりなんだ。そいつこそ――禍津神なんだ!」
「わたしが……禍津神――?」
姫夜は噴き出す血をおさえながら、つぶやいた。ヤギラは大声でわめいた。
「そうだ! お前が――お前さえ来なければ、モモソヒメは神域を犯したりはしなかった」
「ちがう! モモソヒメはこの中つ国のすべてを――」
「うるさい! おまえの話なんか聞くものか! おまえはモモソヒメと同じだ。おまえはおれたちの里が沈むのをその目で見た。それなのに――それなのに、どうしてそうやって歌ったり舞ったりできるんだ? どうして楽しそうに笑っていられるんだ? 本当に力ある神司だというなら黄泉から父者を、母者を呼び戻してみろっ!」
「……わ……わたしにはそんなことは――」
「そうさ、おまえにはできない。でもモモソヒメにはできるんだ! あの女王は死返の玉をもっているんだからな!」
「な、に……?」
姫夜は、ゆっくりと湯のなかに倒れた。白い湯が真っ赤に染まった。
ハバキはざぶりと湯の中に飛び込んで、姫夜のからだをすくい上げ激しくゆさぶった。
みるみるそのからだから力が流れ出て行くのをハバキは感じ取った。
「やじりに毒を塗った。銀から取った蛇殺しの毒だ。ハハ、ハハハッ!」
「おのれ――」
ふいに――笑い続けるヤギラのあごが、がくりと顎が落ち、唇がまくれあがった。
にゅうと牙が突き出し、背骨がみしみしと音を立てて湾曲し、だらりと前にたれた手は地につき爪がのび、みるみる黄色と黒の毛で覆われた。
尻には長い鱗を持った蛇の尾が生えた。目は黄色い獣の光を帯びている。
「憑かれたか」
ハバキは剣をかまえ、ヤギラにむかって突進した。
ギャアアアア
ヤギラは鳥とも獣ともつかぬ雄叫びをあげながらハバキにとびかかった。がつっと音を立てて妖獣のあぎとを剣がくいとめたが、猛烈な力でそのままハバキを押し倒した。爪が肩の肉に食い込み、涎の垂れる口から、吐き気をもよおすような獣の臭いがする。
ヤギラであったものは剣をがっちりとくわえたまま、ぶるんと首を振った。剣ははねとばされ、近くの木の幹に突き刺さった。
「むう――」
ハバキの下半身は押さえ込まれたままだ。獣がハバキにのど笛に食らいつこうとした瞬間――すさまじいいきおいで、大きな影が二人の間に飛びこんできた。
「姫夜――ッ」
飛びこんできたのは姫夜だった。
ぐわっと背中が裂けてケツァルコアトルの翡翠の翼が広がり、足に鋭い蹴爪が伸びる。
妖獣と化したヤギラは、がっきと目の前の腕に喰らいついた。
「毒ナド、効カヌ」
鳥神の翼を広げた姫夜は漆黒の瞳を見開いたまま、笑った。姫夜自身は気づきようもなかったが、その目に光はない。器としてのからだを突き動かしているのは、鳥神だった。
姫夜は左手で妖獣のあぎとを受け止めたまま、あいているもう一方の手で化け物の喉を締め上げた。
(殺セ――殺セ)
妖艶な女の声をハバキは聞いた。その声は毒をしたたらせながら、どこか遠いところから響いてきているのだった。
(穢レタ血ニマミレヨ、呪ワレヨ――クニツカミニ、魂マデ喰ラワレテシマエ)
妖獣はのたうちながら、長い尾を激しく姫夜の上に打ち下ろした。
肌が斜めに切りさかれ、深紅の飛沫がとぶ。
ざわと黒髪が逆立ち、姫夜は端麗な顔を歪ませ、ぐいぐいと妖獣の喉を締め上げた。
ごろごろとヤギラの喉から不気味な音がし始めた。
「姫夜、殺すなッ――」
とっさにハバキは叫ぶと、妖獣の体の下から這いだし、おのれの剣をさがした。そして幹に突き刺さっているのを見つけると力まかせに引き抜いた。
姫夜は妖獣と組み合ったまま、ごろごろと木々のあいだの地面をころがってゆく。
岩にぶつかって止まると、姫夜は翼を広げて中空に飛び上がった。
ハバキは妖獣に飛びかかり、気合いと共に剣を振りおろした。
骨のくだける音がして、すさまじい悲鳴が山間に響き渡った。
妖獣はどうと倒れた。何かが起こった。びくびくと体がふるえ、獣の毛が見る間にぬけおち、手足が縮み、蛇の尾も消えて、もとの痩せた少年のからだがあらわれた。
「ヤギラ!」
ハバキがかがみこもうとすると、ヤギラはカッと目を見開いた。
その口から、しわがれた妖艶な女の声が漏れた。
「ワザヲギ民ノ生キ残リヨ。ソナタノ兄、伊夜彦ハ、ワガ手ニ落チタゾ」
ハバキははっとしたように姫夜を振りかえった。
闇色の目をみひらいたまま立ち尽くしていた姫夜のからだが、びくとふるえた。
ヤギラに憑いた女の声は続けた。
「兄ニ会イタクバ神門ニ来イ。次ノ満月ダ――千ノ兵ヲ用意シタトテ無駄ナコト。拒メバ、コノ地ヲ焼キ滅ボス」
ヤギラは顔をゆがめおどろおどろしい声で告げると、泡を吹いて気を失った。
神門。ハバキの脳裏に、初めて姫夜と出会った磐座の光景が浮かんだ。
ばさばさと音がした。姫夜は大きく翼を広げ、今まさに飛び立たんとしていた。ハバキは姫夜の体に飛びつき、翼ごと抱きすくめた。
「だめだ、これは罠だ。姫夜、目を覚ませ!」
「ユ、ク――」
姫夜は顔をゆがめて、空に向かって飛び立とうと、もがいた。
「放さぬ。正気を取り戻せ、姫夜ッ」
「ハナセ――ッ」
姫夜は激しくもがき、ハバキの腕から抜け出そうとした。それはふだんの姫夜からは想像も出来ぬすさまじい力だった。羽根が抜け落ちて、もうもうと舞った。
姫夜の頭にはもう、あの磐座目指して飛ぶことしかないのだ。
ハバキは、姫夜の全身が羽毛を持った鳥の体に変化していることに気づき愕然とした。
今、この手を離せば、そのまま飛び立ち、姫夜は戻ってこない。
ハバキは必死に姫夜のからだを押さえつけながら蛇神にむかって叫んだ。
「クチナワ、俺の声が聞こえるか。姫夜を生け戻せ――鳥神を鎮めてくれ!」
姫夜の血の気のひいた顔が、苦痛を覚えたようにひきゆがんだ。
ぶるぶると体がふるえる。
「――ああ、あっ――」
姫夜のうちではっきりと二つの力がせめぎあい、ぶつかりあうのをハバキは見た。
「イヤアアッ――」
姫夜はハバキの腕のなかで絶叫し、ふいに糸が切れたようにくずれおちた。
翼は消え、足も元の、美しいほっそりした足に戻っていた。
傷つきぐったりとした姫夜を抱きかかえほっとした瞬間、ハバキの肩に激痛が走った。ハバキはおのれの肩が獅子の爪に切り裂かれ、疵口を開けているのに気づいた。
大量の血が流れ出したせいで、頭が朦朧としてきていた。ハバキは歯を食いしばり、気を失った姫夜のからだを馬の背におしあげ、みずからもまたがると、腹を蹴った。
「那智ッ、那智はいるか!」
ハバキは、姫夜のからだをかついで館に運び込み、大声で那智を呼んだ。若いものたちはまだ戻っていないはずだった。年老いたものたちは休んでいたが、ただならぬハバキの声に、那智とクラトとがかけつけてきた。
「これは――」
血と獣の毛と羽根にまみれた姫夜を見るなり、二人は顔色を変えた。
「死んではいない。ヤギラがモモソヒメに憑かれて姫夜を襲った。すぐ手当を」
「ハバキさまもお怪我を」
「俺はあとだ。クラト、竹ノ内峠へむかう道の途中に、東へ枝分かれした道がある。そこを川へむかって下りていった場所に出で湯がある。そのそばにヤギラが倒れているはずだ。さがして連れ帰ってきてくれ。深手を負っている」
クラトはすぐに出ていき、那智は姫夜を抱いて奥の寝間へと運んだ。ハバキもそのあとについていった。
姫夜は死せるごとく、しとねの上に横たわっている。ハバキは闇を封じこめたような虚ろな瞳を思い出しながら、姫夜をみつめた。
(魂は返ってくるのか? もし目覚めてもそれが姫夜でなかったら――)
那智は手早く腐臭のする血を拭い、疵痕を厳しいおももちで調べていたが、それらがほとんどふさがりかけていることに気づいた。
「ごらんください。肩の疵はもう治っております。心の臓の音もはっきりしている」
「ならばなぜ目を覚まさない」
噛みつくように云って、ハバキが姫夜をゆさぶろうとすると、那智はぴしゃりと云った。
「落ちつかれよ。神が降りたあとのカンナギが、しばらく目を覚まさないのはよくあること。無理矢理目覚めさせようとすれば魂の緒が切れまする」
ハバキは歯を食いしばった。那智はこんどはハバキの疵を調べ始めた。
「目を覚ましてもどこへも行かぬよう見張れ。縛ってもいい。モモソヒメが……」
裂けた肩の疵に酒を吹きかけられ、激痛が走り、ハバキはうめいた。
「この疵は縫わねばなりませぬ」
「くそ――」
ハバキは口のなかでおのれを激しく罵った。守ると云っておきながら逆に姫夜に助けられた。そのことに猛烈に腹が立っていた。
那智は疵を縫い合わせるための曲がった針を火であぶりながら、厳しい声で云った。
「この酒をお飲みください。痛みが軽くなる」
「いらぬ」
ハバキは裂けたうわぎの切れ端を口に押し込んだ。今、酒を喰らって気を失いでもしたら、姫夜が目を覚ましたときに止めるものがいない。
那智は容赦なく縫い始めた。
一針ごとにハバキの顔は真っ赤になり、たくましい体躯に汗が噴き出した。七針縫って、那智は糸を切った。
「これでよろしいでしょう。悪い風が入らぬよう、しばらくは動いてはなりませぬ。姫夜さまのことはわたくしにまかせて、このままお休みなされませ」
「だめだ。そなたには止められぬ」
那智はじっとハバキをみつめていたが、深く息を吐き出した。
「ではこういたしましょう。姫夜さまをしっかり縄で結わえて、その端をハバキさまに縛りつけておきます。休んでいても動けば即座にわかりましょう」
「そうしてくれ」
那智は縄を姫夜の胴に結わえ付け、反対の端をハバキの手首に結んだ。長い衣をふわりと体の上にきせかける。
館の外で馬のいななきが聞こえた。
「クラトどのが戻られたようだ。ヤギラの手当がすんだら、わたくしは戸の外に控えております。なにかあればお呼びください」
那智は帳を立てまわして、静かに出ていった。
ハバキはとなりに寝かされている姫夜にむかって手をのばしかけ、ヤギラの口からもれた声を思い出した。
伊夜彦ヲワガ手ニ捕ラマエタゾ。
あの名を聞いたときの姫夜の顔。
(次の満月――おまえは行ってしまうのか)
疵は燃えるように熱かったが、ほっそりした全身は小刻みに震えていた。
ハバキは、ぐったりと横たわっている姫夜の肩を抱き寄せ、くちびるから息が通っているのをたしかめると、ごろりと横になって目を閉じた。




