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12 血の歌垣

 仕事の手を休めて、花を刺繍した前掛けで手を拭いながら厨から出てきたアゲハは、姫夜からできあがった歌を受け取ると、みるみる頬を染めた。


「ああ……なんてすばらしいんでしょう。あたしの歌ではないみたい」


 うっとりと云って、ふいに狼狽したように前掛けをもみしぼった。


「ああ、どうしましょう、あたし、なんにもお礼にさしあげられるようなものがなくて」

「礼など気にしなくていい。それよりもし嫌でなかったら」


 姫夜はためらいがちに云った。


「想う相手から返歌がもらえたら、それをあとでこっそり教えてもらえるか?」


 アゲハは意外そうに首をかしげた。


「まあ。どうして……?」


 心なしか姫夜の頬が赤くなった。


「それは……歌垣の気分を、味わってみたいんだ」

「姫夜さまはどうして行かれませんの」

「どうして、といわれても――わたしは、神司かんづかさだから」


 姫夜はとまどって言葉を濁らせた。


「それはそうですけれど……そうだ、ハバキさまに相談なすってみれば? きっとお許しになりますわ」

「そうは思えない」

「ハバキさまは誰より姫夜さまのことを大切に思っていらっしゃいますもの。お顔を見ればわかります」


 アゲハのくったくのない笑顔に、姫夜はふいに胸が痛くなった。この娘にすべてを打ち明けたらどうなる? おのれがどこから来たのかも、何をしようとしているのかも。女だということも。そうしたらもっと、胸のうちが軽くなるのではないのか。そんな考えが、ちらりと心をかすめた。

 だがこんな心弱いことではいけないと、姫夜は厳しくそれを打ち消した。

 ハバキは朔の日が近づいても、さほど嬉しそうにも見えなかった。


「どうせ俺は飾りだ」


 と相変わらず修練に汗を流し、体中の筋肉が悲鳴をあげるほど、おのれを駆り立てていくことが唯一の命のあかしであると云わんばかりに、声を枯らし、剣を振り上げて、若い兵士たちを鍛えるのに余念がない。


「ハバキ、頼みがある」


 汗みずくで館に戻ってきたハバキに、姫夜がおずおずと切り出した。


「頼み? 改まってなんだ」

「歌垣に出たい。一夜の相手を、とかではなく、舞いを舞いたいのだ」


 姫夜は真剣な声で云った。ハバキは汗に濡れた髪をかきあげた。


「ただの飾りは嫌だということだな。わかった。酉の刻、松明に火が入れられるときに、この国が飲食みけ豊かに,代々絶えること無く,日に日に弥栄いやさかえることを祈って、舞うがいい」


 すると姫夜はぱっとおもてを輝かせた。


「ハバキ、礼を云う。心をこめて言祝ぎすると誓う」


 そしてハバキの首に飛びついて、ぎゅっと抱きつくと、衣をひるがえして嬉しそうに行ってしまった。


「あんなお顔をされてはかないませぬな」


 入れ違いに報告をしにやってきた那智が、走っていく後ろ姿を見送って苦笑した。


「いささか神司としての威厳には欠けるがな。姫夜がなにをするのか見てみたい。こたびは那智も下手に入れ知恵はするなよ」

「あの方に、わたくしのささやかな智恵など必要ないでしょう」


 那智はやんわりと否定してから、逆にたずねた。


「あなたさまこそ、姫夜さまになにをおのぞみなのです」


 ハバキはじろりと那智をにらんだ。


「いやなことを聞く奴だ」

「御意」

「姫夜がこの国を言祝げば、オオミタカラはそれを信ずる。それが国の力となる。それが俺の望みだ」

「今のところは、でございましょう」

「そうだ」


 ハバキはむっとしたように黙ってしまった。那智は脇においた筺から巻紙を取り出した。


「それでは西から戻った商人の話をご報告申し上げます」


 商人といっても商人の態をよそおった、いわば間諜である。那智は兵士の動き、ものの動き、国々の政のようすを整理して事細かに報告した上で、最後にこう締めくくった。


「モモソヒメは筑紫の地にあって、着々と女王としての地位をかためているとのこと。オオミタカラのその呪詛と鬼道の力をおそれることははなはだしく、種まき、取り入れの時期、まつりごとのすべてを託宣によっているそうにございます」


「呪詛か」


 ハバキは唇を引き結んだ。モモソヒメの民はどんな顔をしてモモソヒメを見上げているのだろうか。


(すくなくとも俺は姫夜を、オオミタカラを呪詛でねじふせるような、そんな女王にしたいわけではない。そのために王になったわけではない)


 今度の歌垣で姫夜が舞うならば、それは初めてカツラギの民が、姫夜の力を肌身で感ずる場になるだろう。それ自体がひとつの占になるのだとハバキは思った。


 うら若い乙女たちはみな好きな花を髪にさし、色鮮やかな紐を腰にまき、懐に余裕のあるものは玉や比礼をまとって、出かけてゆく。

 妻をもたぬ若者たちは、兵士も農民もこの日ばかりはなんのへだたりもなく期待に胸を高鳴らせながら、妻問いのために自分で細工をした櫛や、磨いた玉などささやかな宝を懐にひそませ、そわそわと歩いている。

 神殿の前の野原に大きなたき火がたかれ、大瓶に七つの酒がふるまわれていた。

 姫夜が神殿の前の広場で言祝ぎの舞いを披露することも、前もって触れが出ていた。

 若者のための歌垣ではあったが、舞いを見ることは老若男女を問わずゆるされていた。相手をみつけることに興味のないものや、関わり合いになりたくないものは家の戸を閉ざして、普段通りに一日を過ごすだけだが、今回は神司の舞いが見られるとあって、ぞくぞくと広場に人が集まりつつあった。

 ハバキは神殿の白い玉石を敷き詰めた庭に、後ろに五色の幕をたらし、床几にすわって、すでに酒をのんでいた。ゆったりとくつろいだ白い装束に、王をあらわす宝石のついた紐を額にまいている。むろん剣はいつも肌身離さない。そのわきには那智、クラト、それにおもてむき歌垣の取り仕切りをまかされた八つ手がすわっていた。

 那智とクラトはむろんこの席から動くつもりはなかったが、八つ手は姫夜の舞いを見届けたら早々にも、今宵の相手をさがしにゆくつもりでいるらしく、ふところの中で商人から買い求めた櫛をひねくりまわしていた。

 ハバキたちの前には、二間四方に四本の柱をたてた舞殿がしつらえられていた。舞殿のまわりには、姫夜をひとめ見んとするものたちがひしめいている。なかには爺の肩の上にのせられた小さい童も多い。

 やがて酉の刻を告げる太鼓が打ち鳴らされた。

 松明に次々と火が入れられ、黄金色の光の中に舞殿が浮かび上がった。


「あっ、おでましになった」


 燃え立つような緋色の舞衣をまとった姫夜が姿をあらわすと、どよめきが起こった。足結いの鈴がすずやかな音を立てる。長い黒髪は背中に垂らしたままだ。

 姫夜は長いまつげをふせたまま、まっすぐに進みでると見えぬカミにむかっておろがみ、ゆっくりと左に複雑な足使いで回って、四つの方角を守る神を嘉し、かつ四方を清めた。


「まことに眼福。かくも麗しきものなれば女神が好んで降りられるのもわかり申すな」


 八つ手が酒臭い息でささやいた。ハバキは黙って姫夜をみつめた。初めて館に来た日、舞ったときに比べると、姫夜は堂々として大きく見えた。


 清めが終わると、姫夜は舞殿の中央にいったんひれ伏した。ゆっくりと立ち上がり、扇を手に舞い始めた。

「あめつちのひらけしときのあしかびや、神の七代のはじめなるらん……」


 姫夜は素朴な言霊をはっきりと、しだいに強くくりかえし、歌った。

ざわめきがおさまった。閉じた扇の先が、ひたとカツラギ山を指す。


「山見れば、山も見が欲し」


 扇の先が、今度はふもとを指した。


「里見れば、里も住みよし」


 うわあっと声があがった。童たちが肩をたたき合って甲高い声で叫んだ。


「ヒメメガミさんがおらが里を褒めてくだすった」

「よい里といったのじゃ。そうじゃろ?」

「不作法なわっぱらめ」


 八つ手が肩をいからせ立ちあがりかけたが、ハバキがそれを制した。


「云わせておけ」


 姫夜は子どもたちにむかって晴れやかに笑いかけると、みなぽかんと口を開けた。

 姫夜はとん、と強く足拍子を踏んで踊り出した。

 早い拍子に合わせて誰かが手を打ち鳴らしはじめた。みなすぐそれに和して、手を叩く音は大きくなり、神殿の庭にこだました。姫夜はその手拍子にあわせて衣をひるがえし舞った。


 おもしろや山水に おもしろや山水に 杯を浮かべては

 りゅうにひかるる曲水の 手まづ遮る袖ふれて――


 ふわり――と、脱ぎ捨てた緋色の衣が宙に舞った。


「あれ! 朱雀が」


 童が叫んだ瞬間、姫夜はもう白一色のまっさらな童子の姿になっていた。わあっと声があがり、見物していたものたちはやんやと大喜びで喝采を浴びせた。

 

 いざや歌わん いざや舞わん いざや狂わんカツラギは

 あめつちの寄り合いの極み よろずよに 栄えゆかん

 

 心の浮き立つような拍子に誘われ、村人たちはいつのまにか、いざや歌わん、いざや舞わん、と手を打ち足を踏みならしながら、どら声を張り上げ始めた。

 姫夜は舞殿からさっと飛び降り、焚き火のまわりを回り始めた。たちまち村人たちは姫夜のあとを追って輪になり踊り始めた。上手いも下手も関係ない。拍子に合わせて足を踏み、手をふりまわし、どんどん人がふくれあがり、輪は大きなうねりとなった。

 足の弱い老人たちはそのまわりで手を合わせて伏し拝んだ。


「これがワザヲギのわざだったのか――」


 火の粉をあびながら憑かれたように踊る村人たちを見つめ、那智が唖然とした声で云った。踊りの輪は神殿の庭をゆるがし、火は柱となって天を焦がした。

 ハバキも、クラトも、八つ手までもが呆けたように、額に汗を光らせて踊る姫夜と村人たちとを見つめていた。

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