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10 恋歌

 藤ノ森での神封じはその後、何の変事もなく終わった。藤ノ森だけでなく他の里の若者たちの鍛錬や今後の計画もまとまり、一行は大いに気勢を上げて帰途についたのだった。

 だが館に戻ってきたハバキは姫夜とはなぜかひと言も口をきいていなかった。


「おはようございます、カンナギさま」

「よい朝だね」

「よ、よい朝でございます」


 女たちはうすものをかぶった姫夜がすべるように近づいてくると、ぎょっとしたように身をすくませて、走り去っていく。

 ハバキの姿がみつからず、姫夜は途方に暮れた。


「おお、姫夜。戻っていたのか。どうしたんだ、衣などかぶって暑苦しい。ここはもうおまえの館だ。くつろげばいいだろう」


 気安く声をかけてきたのはカリハだった。


「ああ、そうだな」


 姫夜はほっとしたように、被っていたうすものを取った。カリハはそわそわとたずねた。


「ハバキの奴を見なかったか。鍛錬のしあがりのほどを見せたいのだが。手ぐすねを引いて待っていたというのに、なかなか捕まらぬ」

「わたしもハバキをさがしていた」

「おまえもか」


 カリハはあたりを見まわして、姫夜を人目につかぬ廊下のすみへ引っ張っていった。


「ちょうどよかった。尋ねたいことがあるのだ。ハバキのことだが、佐古田どのの館でなにかあったのか」


 声をひそめてたずねられ、姫夜はたじろいだ。


「なにか、と云われても」

「なんだか殺気立っていると思ってな。もしかして佐古田どのに、その……気に染まぬ、女でも押しつけられたのはないかと」

「ああ、そんなことか」


 姫夜は思わず微笑した。


「ハバキなら、もっぱら若者たちと戦さの話ばかりしていた。女子はそばに寄せ付けもしていなかった。カリハどのが聞きたいのはそういうことだろう?」

「ふうむ。そうだったのか」


 カリハはちょっと面食らったように姫夜を見た。が、肩の力を抜いて云った。


「ならば、妻問いをしたとか、そんな話も持ち上がっておらぬのだな? あいつが俺に隠すこともないと思っていたが、どうなんだ?」


 カリハはそれでもどこか疑っているような口ぶりでたずねた。姫夜はハバキが願をかけていると云ったのを思い出しながら、いぶかしげに、問い返した。


「なぜそれほどハバキの妻のことを気にかける?」

「おれにはアゲハという十六になる妹がいる。そろそろ縁づく先をさがしてやらねばならぬのだが、下にも幼い弟が二人いるのでいっこうにおれのそばを離れようとしない。やっと説得して、この館のくりやで先月から働きだしたのだが、ハバキはくそ忙しくて目にとまりようもない。まったく、あいつもああ女好きのするように見えて、戦さとなるとまるで戦さのことしか頭になくなってしまう男だからな」

「そう……だったのか」


 なんとはなしに胸を突かれたように姫夜はつぶやいた。


「またぞろ彼奴らが攻め入ってこぬうちに、なんとか話を固めたいのだ。そなたからもそれとなく、心当たりの女子がいないのか、たずねてみてくれぬか。むろん正妃になどとは望んでいるわけではないぞ。そんなものはいずれ、よそのクニの姫を鳴り物入りで迎えにゆくことになるのだろう。だからたくさんいるの一人でかまわぬのだ。アゲハは気だてもいいし体も丈夫だ。多少気が強いところがあるが、なに、あいつならすこしぐらいのじゃじゃ馬でも乗りこなすからな」

「…………」


 カリハはようやく、姫夜が黙り込んでいるのに気づいて、肩をすくめた。


「そなたはカミにつかえる身だったな。だが他に頼めるものがいないのだ。女のこととなると那智は耳も貸してくれぬし。ハバキもおまえのいうことなら聞くだろう。な?」

「そんなことを云われても――」

「おまえも厨でアゲハを見かけたら声をかけてやってくれ」


 カリハは笑って、姫夜の肩を叩くと、行ってしまった。


 館には、ますます多くの武器をつくるもの、馬をあきなうもの、見慣れぬものたちが出入りするようになっていた。

 そこここにかげろうが立つように、立ち働く者たちのざわめきと熱気が溢れている。

 姫夜は厨の前を通りかけ、ふと足を止めて、おそるおそるなかをのぞいてみた。十人近い女たちが出たり入ったりしている。たすきがけをして腕をむきだしにし、並々と水の入った瓶をかつぎあげたり、大鉢で木の実の粉をこねあげたりと忙しい。

 厨頭くりやがしらのたくましい女が、大声で怒鳴った。


「鳥の羽根は外でむしれ。厨が羽毛だらけになるわ」

「こっちの豆、筋が残っておる」

「この鍋を見ているのはたれじゃ。アゲハ、おまえがほってきたイモはどうした?」

「はいっ、まだ洗ってなくて」


 髪をひっつめにした、目もとの涼しい小柄な娘が素っ頓狂な声をあげた。


「なにをぼやぼやしている。もうすぐ腹をすかせた若い衆が帰ってくるよ! さっさと川へいって洗っておいで」


 控えめに見ても五十人の胃袋を満たしそうな数の芋を、かごに山盛りにして、女が飛び出してきた。よけるまもなく入り口にいた姫夜にぶつかり、派手な音を立てて泥だらけの芋が床に散らばった。


「まあっ、カンナギさま、これはとんだ粗相を……どうか、おゆるしを……」


 アゲハは真っ青になり平謝りにあやまった。


「いや、わたしのほうがぼんやりしていた」


 姫夜は転がった芋を拾おうとした。

 手をのばした拍子に、同じく手をのばしたアゲハの手をつかんでしまった。思わず二人は顔を見合わせた。

 アゲハは、ひっと息を吸い込んで固まった。

 姫夜はあっけにとられて、アゲハのあかぎれだらけの手と顔とをみた。


(兄のカリハはいつもあんな派手な恰好をしているのにこの娘は)


 煮染めたような前掛けをして、まくりあげた裾からのぞいている腰巻きは、すっかり色があせている。


「あっ、あの……お手を……」


 アゲハは首筋まで真っ赤になっている。姫夜も不作法に見つめてしまっていたのに気づいて、手を引っ込めた。


「すまなかった。これを全部洗うの? 手伝おう」


 姫夜が芋を拾ってかごに入れると、アゲハは目を丸くして、あわててかごをひっこめた。


「とんでもない! カンナギさまにそんなことをさせたら、あたしが叱られます」

「どうして。わたしも食べるのに」

「まあ、これは鍛錬に出ている男衆や、もっと――下々のものが口にするものですわ。カンナギさまが召し上がるようなものではありません」

「そんなことはない。わたしも小さい頃から好きだった」


 アゲハはびっくりしたように、間近にいる姫夜をしげしげと見つめていた。


「なに?」


 姫夜が首をかしげると、アゲハはまたしても真っ赤になった。


「あたしったらぼうっとしてしまって。だってほんとうに、お美しいんですもの……兄も、いつも申しておりますんです。姫夜さまは女神が目の前に降りてきたみたいにまぶしい方だって。とてもまっすぐには見られないと……」

「カリハが? 会うといつも憎まれ口ばかりなのに」

「やっぱり。兄はいつもそうなんです。ハバキさまとも喧嘩ばかり――今度よっく云っておきます」


 アゲハが川に降りていくのに姫夜もついていった。さすがに洗うのまではアゲハが手伝わせなかったが、姫夜は洗った芋を受け取ってかごに入れた。


「兄上とハバキとは、子どもの頃から、その、あんな風だったの?」

「ええ。暴れ馬に乗ったり、どちらがイノシシを素手でつかまえられるか競ったり――あたしがどんなに気を揉んでいるかも知らないで、やりたい放題で」

「それは兄上ばかりのせいではないと思うな」

「それはそうかもしれませんけど、ハバキさまはカツラギにとって、大事な大事なお方。兄の命はハバキさまをお守りするためにあるんです」


 姫夜はしばらく、川辺で芋を洗うアゲハのそばで、カリハやハバキの小さい頃のことや暮らしぶりについて聞いた。はきはきした言葉遣いも、物腰も、きちんと躾けられた娘のそれで、カリハが自慢に思うのももっともだと思われた。

 アゲハがふと口調をあらためて、云った。


「あの、姫夜さまは舞いと同じように、歌も毎日のように詠まれるのでしょうか?」

「ああ。歌を詠むのもカンナギのつとめだからね」

「もうすぐ歌垣があるかもしれないと、兄が申しておりましたんです。戦さが落ち着いたら、きっとあるはずだって」

「歌をおくりたい相手がいるの?」

「ええ、それはもう。誰だってお目当ての殿方がおりますわ」


 アゲハは頬を染めた。そうしていると、年頃の乙女相応に可愛らしく見えた。


「でも、なかなかこう、すんなりとは出てこなくて。作りかけの歌があるんですけれど、もし姫夜さまに見ていただけたら、と思って……」

「もちろん。わたしで役に立てるなら、いつでも見させてもらう」


 姫夜がうなづくと、アゲハはうれしそうに顔を輝かせた。


「本当に? でしたら今度、兄にたのんで言付けます。よかった、本当に困っていて……いけない、急いで戻らないと叱られます」


 アゲハは前掛けの土をはらって、頭をさげると、かごを抱えて駆けていった。

 姫夜もゆっくりと立ち上がった。

 館に戻ってくると、中庭でクラトが矢羽根の束を積みあげた山を前にして、すわりこんでいるのをみつけた。あたりを見まわしたが手伝うものは、いなさそうだった。


「クラトどの、あいすまぬが、ハバキを見なかったか? 朝からさがしているのだが」

「若長……いえ王なら狩りに出かけられました」

「狩りに? みながハバキを待っているという時に?」

「やつかれがおすすめいたしたのです。上に立つ者がゆとりをなくしては、いざという時にふんばりがきき申さぬゆえ」


 姫夜はすこし考えていたが、クラトの前にふわりとすわった。


「では戻るまでわたしにもなにか手伝わせてくれ。この羽根を十ずつ束ねればよいのか」


 クラトは手をとめて首を横に振った。


「とんでもありません。お気遣いはご無用に願います。あなたさまはカンナギのなかでも一番位の高い神司であらせられる。気高く、きよらにいてくださればよろしいのです」

「……」


 姫夜の瞳がかげったのを見て、クラトはさらに言い聞かせるように云った。


「たまにはハバキさまと野遊びにでもいかれよ。楽しくあられることも大事です。楽しくない舞いなど誰が見ましょうぞ」


 姫夜は館の喧噪からはなれて、ひとり神殿の高楼にのぼっていった。

 きよらかな風が、高楼には吹きすぎてゆく。

 姫夜ははるか遠くをみはるかすように、青くかすんでいる山々をみつめた。


(歌か……。父王も妃である母上によく歌をおくられていた)


 ワザヲギの里では神門の秘密を守るために、も妃も一人と定められていた。だが、ほかの民のありようが、そうではないことぐらいは、姫夜も知っていた。

 そこで気に入ったものがいれば歌をおくりあい、時には闇に乗じて相手をさらってでも思いをとげる。歌垣は一夜の逢瀬というよりは、もっと荒々しい祭でもあった。

 子が産まれても、父親の名乗りをすることはまれで、女のほうでも親が誰かなど気にせずに子は宝として育てた。

 アゲハはその祭を、あんなに頬を染めて楽しみにしているのだ。

 ワザヲギの民も――正体は明かさぬものの――歌垣には好んで出ていった。

激しく心をゆさぶる歌をつくることは、神を舞いで楽しませることと同じぐらい、大事であり、すぐれた歌のよみ手は尊敬を集めもした。


(わたしもいつかきっと、歌がおのずとあふれ出てくるような相手に巡り会うのだと思っていた。きっとそれは……心浮き立つような……)


 一瞬、ハバキの顔が浮かんだが、姫夜は気を取り直し、おのれに課している占をするために、心をしずめた。

 瑠璃、水晶、紫水晶、薔薇水晶、翡翠、琥珀、珊瑚、瑪瑙――いくつもの玉が入った袋から、ひとつずつ取り出し、円を描くように床に並べていった。

 やがて空の星々を描いた天文図が完成すると、姫夜は美しい眉をひそめた。


 凶兆。


 ひびの入った血色の珊瑚。

 冷たい予感が背筋を走り抜けた。姫夜は息を詰めて、その玉を手に取ろうとした。するとそれは意志を持ってでもいるかのように姫夜の指のあいだからすり抜け、床の上で小さなかけらに砕け散った。

 勢いのある足音がして、ハバキが登ってきた。狩りからもどってそのままここへ来たらしく、背中に矢筒を背負っている。


「姫夜――ここにいたか」


 ハバキのぶっきらぼうな口調は常と変わらなかった。

 ハバキは姫夜がうち沈んだ様子なのに気づき、手元を見た。


「どうかしたのか」


 姫夜はすばやく砕けた玉を手元にかき集めた。


「いや、なんでもない」

「ならば降りてこい。狩りの獲物を見せたい」


 くったくのないようすに、姫夜はすこし救われたように、うなづいて立ち上がった。

 神殿の前庭にちょっとした人だかりができていた。

 そこにいたのは、長い尾を持った、真っ白な山鳥だった。ハバキを見ると、人々は鳥の美しさやハバキの狩の腕をほめそやした。

 ヤギラが誇らしげに、鳥の脚にゆわえたひもの端をもって、立っている。


「どうだ。美しいだろう」

「まことに……」


 羽根一本そこねぬように生け捕るのには、さぞや苦労したことだろう。見せ物にしてしまうには、あまりにも凛とした美しさだった。姫夜がすすみでて思わず手を差し出すと、山鳥はおびえたようすもなく澄んだ眼で、姫夜をみつめかえした。

 ふいに――まわりのざわめきが、水の中に沈んだように姫夜のまわりから遠のいた。


(なに――)


 白い山鳥の澄んだ黒い眼が、泉のように大きくなった。

 山鳥はその大きな澄んだ目でじっと姫夜をみつめた。


(黒キ影ガ見エル。ワザワイハ、近クニヒソム。裏切ルモノガイル)

(裏切る――?)

(我ラノ眷属ニユカリアルノモノヨ。我ラハイツデモ、ソナタニ翼ヲ貸スゾ)


 山鳥はケエエーッと啼き、白い翼を広げて羽ばたいた。

火のように赤い丹塗りの矢が飛んできて、鳥の胸に突き刺さった。

白い翼がみるみる血塗れてゆく――姫夜は小さく悲鳴をあげて、鳥を抱きしめた。


「――夜、どうした」


 いぶかしげなハバキの声に、姫夜は我に返った。

はっとして、腕のなかの山鳥をみつめたが、山鳥は最初とおなじ清らかな姿のまま、ただじっとしている。


「鳥よ……」


 姫夜はそっと山鳥の翼をなでた。


「気に入ったのならそばにおけばいい。ヤギラに世話させる」

「いいや」


 姫夜はその鳥が厄災そのものであるかのように、後ずさった。


「いけない。このまま元いた山に丁重におかえししてくれ。あれは……神の使いだ」


 ヤギラはわけがわからぬというように、姫夜を見た。


「姫夜さま。王は、あなたさまのために捕らえたのです。せめて尾羽なりと飾りにお取り遊ばしては――」


 姫夜はからだをこわばらせ、首をふった。

 ヤギラはますます納得がいかぬように、眉をあげてハバキを見上げた。

 だがハバキは機嫌を損ねたふうでもなく、云った。


「たしかに触れられぬのでは意味がないな。姫夜には玉のほうがよかったか」


 ハバキは姫夜が胸にかけている紅玉に手をのばした。

 姫夜はぎくりとして、身を引いた。

 ヤギラがいぶかしげに二人の様子を見ているのに気づき、ハバキは横をむいた。


「じつを云うと生け捕ったのではない。むこうから飛び込んできたのだ。ヤギラ、姫夜の云うとおりにしろ」


 さっときびすを返したハバキのあとを、姫夜は追いかけた。


 館に戻ると、ふたたびハバキのまわりには人が押し寄せてきた。急ごしらえの謁見のための部屋から、ハバキは動くことができなかった。

 ハバキに云われて、となりに座ったものの、姫夜の心のうちには先刻の山のカミの使いがもたらした警告が黒雲のように重くのしかかっていた。

 姫夜はうすものを被ってうつむき、ただ静かに耳を傾けているふりをしていた。


(わざわいは近くにひそむ。裏切りに気をつけよ)


 姫夜の胸はしだいに、ふさがっていくようだった。


「――歌垣か」

「それはもう、下々のものまで楽しみにしております。鍛錬にきている兵士たちにとっても、この里のものたちとつながりを深めるのに、よい頃合いにございます。のう、那智どのからも、ハバキさまにようくお願いしてくれ」


 那智のとなりにはいつくばるように座っているのは、八つ手という男だった。ハバキよりはいくらか年上なだけだったが、太って腹も出ていて、もっと年かさに見えた。親はイスルギの代からつかえている文官で、戦さの折にはとじこもって出てこなかったのだが、近頃は商人たちとの交渉ごとが増えて、息を吹き返したらしく、ハバキのまわりでも見かけることが多くなっていた。


「那智はどう思う」


 ハバキは対して乗り気でもなさそうに質した。


「乙女たちにとっても、歌垣は楽しみなものにございましょう。先だっての宴はもてなすことに忙しい男のための宴でございましたゆえ」

「それ、それ。そこなカンナギさまの舞いも見ることがかのうたのは、長のみなさまだけ。この世のものならぬ舞いを見て、われらも寿命をのばしとうござりまする」


 八つ手は目尻を下げて云った。


「そうか。姫夜もカツラギの歌垣は初めてだったか?」


 ようやく姫夜は歌垣の話をしているのだということに気づいて、無言でうなづいた。


「ならば決まりだ。次のさくの宵だ。触れを出せ」

「では、ぜひわたくしめに取り回しを」

「まかせる」


 八つ手はほくほくした様子で出ていった。

 那智がそれを見送って、云った。


「よろしいので?」

「かまわん。どうせおまえに頼んでも嫌だと云うのだろう?」

「歌垣は苦手にございますれば」

「それ見ろ。だが今日はもう報告は聞き飽いた。あとの話はおまえでわかるものは決め、あとで報告してくれ。決められぬものは明日だ」


 ハバキは立ち上がって、うーんと大きくのびをした。


「姫夜、遠乗りにいかないか。先刻狩りをしているときによい場所をみつけた」

「でも……これからでは夕餉に間に合わぬのではないか?」

「かまうものか」


 那智がさりげなく横から問うた。


「姫夜さま、なにかお気にかかることでもございますのか」

「……いえ」


 姫夜はまつげを伏せた。まだはっきりとした意味がわかっているわけではない。それに裏切りというからには周りにいる誰がするのかもわからない。


「では、お出かけなさいませ。お気鬱も晴れましょう。夕餉は別にご用意しておきます」

「では頼んだぞ」


 あっというまにハバキに腕を取られて、外へ出た。あたりはうす青い闇に包まれていた。


「そのなりでは早駆けはできぬ。うすものも、上に重ねている長い衣も脱いでしまえ」


 ハバキは馬の鼻面を叩いてやり、手早くおのれの手で鞍を付けた。姫夜が長い衣をとって、うわぎと袴だけの童子のような恰好になると、ハバキはそれを鞍につけた麻袋に押し込んだ。姫夜を軽々と鞍に乗せ、自分も後ろにまたがった。


「駆けるぞ」


 ハバキがぴしりと鞭をあてると、馬は勢いよく走り出した。

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