第四章 弦 2
「お前さんが持ってるのは竪琴。詰まる所、弦のものだ。弦は『幻』に通じる。奏でれば幻を生む。やめた方が良い」
「つまりなんだな、食い合わせが悪いみたいなものか。よしよし、じいさん、忠告ありがとよ。でもな、せめて一曲ぐらいは弾けるようになりたいじゃねぇか。それぐらいは大丈夫だろ」
40はおどけた。しかし弦が『幻』に通じると言われた時、胸の奥底で何かがぬるりと蠢くのを感じていた。
「食い合わせが悪いか。確かにその程度のものかも知れん。しかし今一曲弾けるまでと言ったが、本当にそのつもりか。これはまた迷信みたいなものかも知れん。しかし、曲は『曲がる』に通じ、曲は『極』、即ち極めるに通じる。幻を生み、曲がり極めたものが何になるか」
「はっはっはっは。確かにあんまり気味のいい話じゃねぇ。ぞっとしねぇって奴だな。ま、何だな…」
40は努めて明るく言おうとしたが、言葉が続かなかった。
漠とした不安が自分を包んでいた。いつの間にか自分でも気がつかないうちに、竪琴を大事に抱えている。はっと気が付き慌てて竪琴を脇に置いたが、その手つきは普段の自分に似合わぬ丁寧な手つきだった。こんな手つきをするのは、シーフ道具以外ありえない。この竪琴をそれ程の物とは思っていなかったのに、だ。
「お主…」
老人が眉間にしわを寄せた。
「弦に魅せられたか?」
40は返事ができなかった。いつの間にか体中を汗がねっとりと覆っていた。老人のせいかこの竪琴によるものか、何かに縛られたように、不安と息苦しさで身動きがとれず言葉すら出なかった。
「お主…、聞かせてはくれぬか。それをどこで、何故持ってきたか」
老人の深い言葉は、40の呪縛を和らげつつ、その核たる部分を見つけ取り出そうとしているようだった。
「…ん」
40は我知らずも、返事をした。
引き出されるように言葉が続いた。
「あれはすぐ前の…、実入りの少ない洞窟だった…」
「どこの?」
「どこ?」
「そうだ…」
「…、そうアッシュが行こうと言い出した…。アッシュがバートの話をしたすぐ後だった。当たり外れはでかいが行ってみたい所がある、と。あそこでのアッシュは変だった。大したことのない相手に遅れを取っては、いくつもの傷を負った。普段ならあり得ねぇ相手にだ…。何故アッシュがあの洞窟に行ってみたいと言ったのか分からん。しかし、奴はあそこに行ったことがあるようだった」
「アッシュか…。アッシュとバート」
老人は一人頷いた。
「ならば話は通じるかも知れん。バートに関係のあるこの地がアッシュを呼び寄せ、共振した」
「そうだ。奴が珍しく自分の話をした。何かに引き出されるような話し振りだった…」
「そうか。それでお主はそこでその竪琴を?」
「あぁ、アッシュが少なからずの傷を負いながらも、いつものようにティスに治療の法術を使わせようともしない。ならば今のこの状態では危険だ、一度戻るべきだと言う事になった。帰り道、俺たちは迷った。来た道を戻るだけだ。それに何度となく戦いに行っては帰ってきた俺たちだ。迷う事なんてあり得ねぇ。だが、迷った。うがった見方かも知れん…、しかし、何かに引かれていたのかも知れん。そうでなくてその辺の初心者でもねぇ俺たちが、どうして迷う。あり得ねぇ話しだ。そしてその迷った末に俺たちは、ある小さな部屋行き着いた。特に何があると言うわけでもないよくある洞窟の小部屋だった。どんなベテランだって油断していれば命を落とす。そんな例は掃いて捨てるほどある。安全そうなその小部屋で休もうとは誰も言わなかった。迷っている時だ。心のどこかに不安がないとは言えん。そんな時に休めばどこかに油断が生じる。俺たちはすぐにそこを出ようとした。俺たちが出て行こうとしたその時、何かが俺を引き止めた。陰になって見えなかった筈の部屋の片隅に何かがあるのを感じた。それ自体は珍しいことじゃねぇ。だがその時は少し違った。戻ってみると部屋の片隅に確かにあった。宝箱とその隣に、これが置いてあった」
40は脇に置いていた竪琴を恐れるように手に戻した。
「『行こう』。俺はこの竪琴だけを手にそう言った。怪訝な顔をする二人に『こっちはダミーだ』と俺は手もつけなかった宝箱を指し、部屋を出た」
「それを何故手にした?」
白髪の老人が40の言葉に潜るように聞いた。
「何故?」
40は考え込んだ。何故と聞かれて、理由が出なかった。シーフとして何の確証もなく宝箱をダミーと決めつけ、価値のない竪琴を手にする理由がないのだ。にもかかわらずそれを手にした。
「では、どんな感じがした」
老人の声が40の心の底に響いてくる。40の奥底を揺さぶり、さらい上げるかのように。
「ー。そうだ。手に吸い付くようだった。まるで俺を待っていたかのような」
40は驚いて老人を見た。
何かとんでもないものを拾ってきてしまったのではないか。40は緊張した。
老人は沈痛な表情を浮かべ、40を見つめていた。
やがて老人は何かを逸らすように、自分の目の前で片手を振ると、体が重たいとでも言うように40の横に座った。