表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻惑  作者: 天野 進志
5/16

第三章 惑 1

第三章 惑



「狂気から離れるすべはあるのでしょうか。錯乱から戻る術は法術の中にもあります。しかし、今アッシュが言った人に入り込んだ狂気から元に戻る術を、私は知りません。もしかしたらないのかも知れません。神は何故、狂気を創りたもうたのか。狂気から戻る術さえあれば、あのバートも人食いと呼ばれることはなかったでしょうに」


「いや、俺はそうは思わねぇ」


40が目を輝かせ、口を挟んだ。


「神が狂気を創ったかどうかは問題じゃねえ。狂気から戻る術があるかどうかも別問題だ。バートは見つけたんだ。そうじゃなきゃあの言葉は出ん。これこそがすごい話じゃねぇか」


40の低くかすれただみ声が、ティスのすんだ響きを飲み込んだ。


「アーベル。それが実在する。その花びらには人を狂気に向かわせるだけの力がある。これはまさに人間を超えた力だぜ。あのバートが人食いになるほど力だ。一度お目にかかりてぇじゃねぇか。花びらの一枚でも味わって、人間を超えてみるってのも面白いかも知れないぜ。それが本当に狂気に走ることだったとしてもな」


「そんなことは、ありません!」


突然席を立ち、ティスは声を張り上げた。酒場の客が一斉にティスに振り返った。


ティスの体が怒りで震えていた。だが、目には深い悲しみがあった。


「私は、私は狂気を知っている。狂気に犯された人間がどうなるかを…」


絞り出すかのような声だった。ティスは我知らず立ち上がったことに気付き、自分を落ち着かせると、すみませんと謝って座った。


「40、確かにアーベルの力は人間を超えているでしょう。バートもそうして狂気に走ったのですから。アッシュ、その後バートはどうなったのですか」


40もアッシュもティスが突然怒りをあらわにしたことに驚いていた。怒りを表すことがめったにないティスだった。


だが、アッシュはそのことを追求しようとはしなかった。アッシュ同様、ティスにも人には言えぬ過去があるに違いないのだ。ティスの深い悲しみの目が、アッシュにそれ以上聞くのをためらわせた。


アッシュは琥珀色の液体で喉をうるおすと、再び話し始めた。



「奴が消え去ってから半年…一年が過ぎた頃だった。はじめは誰も気がつかなかった。街から一人、また一人と冒険者が突然いなくなることがあった。いなくなった者の仲間は心配したが他に誰も気にとめる者はいなかった。ところが日が経つにつれ、行方不明の者が発見されるどころか増えていった。不安が街中に伝染した頃、ついに女子供までいなくなりはじめた。街は騒然とした。そんな中、ある洞窟でいなくなった者の遺体を発見したという者が現れた。冒険者による捜索隊が編成された。そこに向かうと、確かにいくつかの遺体が見つかった。殺され方は様々だったが、魔物による傷らしいものはなく、剣、魔術による傷ばかりだった。それを聞いたとき、俺の脳裏に一人の姿が浮かび上がってきた。まさかと思った。遺体が見つかった事を合図のように、例の死者は減っていった。だが今度は冒険中のパーティー一行全てが全滅するようになった。魔物によるものではないことは明らかだった。金品が奪われていない上に、傷も前に見つかった遺体と同様だった。むしろそれ以上の手練れを思わせる傷跡だった。いくつかのパーティーが全滅した頃、殺した奴を見たと言う者が現れて言いまわった。『そいつは頭から足まですっぽり隠れる灰色のローブをかぶっていた。女のような細い目に、透き通る、吸い込まれるような灰色の目が光っていた。そいつは洞窟の影から、すーっと溶け出るように現れると、両手でしか持てない長大な剣を片手で軽々と持ち、背後から一撃で仲間を切り倒した。即死だった。何が起こったか分からず呆然とする仲間の二人を、まるで小枝を払うかのように続けて殺したんだ。その二人の叫び声で俺ともう一人の仲間は我に返って、もう後ろを見ずに逃げたんだ。すると奴は走って追いかけるわけでもなく、何かつぶやいた。すると一緒に逃げていた仲間が、突然力が抜けたみたいに、がくんと膝から倒れてそのままだ。俺はそれこそ全部を捨てて逃げ走ってきて、何とか助かったんだ』。そいつはそう言っていた。逃げてきた奴の話なんか信用できねえ。後ろも見ずに走ってきたのに、何でそんな事が分かるんだ、と言ってそいつの話を信じない者もいた。だが、俺は信じた。長大な剣を片手で持ち軽々と使いこなす剣技、そして距離のある相手の全身の力を奪う力、魔法。剣技と魔法、明らかにエルフだ。幻の種族と言われたエルフだ。そう言う者もいた。しかし、俺は違うと分かっていた。エルフは争いを好まん。人前に出る事などない。奴だ。奴しかいない。それは確信だった。大罪者を捕まえようといくつものパーティーが編成された。幾日もそいつが見つからない日が続いた。やがてその者が何者なのか、一人の名が浮かび上がってきた。バートだった。剣、魔法が使える者で、先の証言と一致すると言えば、失踪したと考えられていたバートしかいなかった。その名に『人食い』の徒名(あだしな)が付いたのは、すぐのことだった。やがて街中(まちなか)からも冒険者からも犠牲者がほとんど出なくなった。捜索隊も解散した。それでも俺は洞窟の暗闇に目をこらし続けた。奴かも知れない者を探し続けた。ある実入りのない洞窟から戻る時だった。俺の後ろで人の倒れる音がした。俺の後ろを歩いていた仲間だった。俺ともう一人が驚いて振り返ると、倒れたそのすぐ後ろに闇に溶け込んでいる黒い人影を見た。頭から足まで隠れる灰色のローブ。身長ほどはある長大な剣。ローブに身を隠しているが、背の高いやせた体の奴が、そこにいた。透き通る灰色の目がそこにあった。奴は俺を見ても、少しも驚いた様子は見せなかった。『アッシュか』。その声は奴の目と同じく透き通り、吸い込まれそうな調べだった。『久しぶりだな。仲間も一緒か。こっちに来たらどうだ』。言いようのない誘惑だった。甘く心地の良い、身を任せたくなるような声だった。俺のもう一人の仲間がふらりと奴のそばに近づいた。俺は止めることが出来なかった。俺自身、奴のそばに行きたくなる衝動を抑えるのに精一杯だった。仲間の死体がそこにあり、長大な剣にはそいつの血がついているにも関わらずだ。『アッシュ、お前は来ないのか。私を探していたのではないのか』。奴の一言一言が俺を縛っていった。もはや身動き出来なかった。奴の調べはそこまで甘く、抗しようとする力をも、抜いてしまうものだった。だが俺は体とは別に、奴の声を聞く度に冷えたものが湧き上がってくるのを同時に感じていた。奴は近づいた仲間の首にひたりと剣を当てた。仲間は安心しきったように動かない。『アッシュ、そうだ。私だよ。お前には一言礼を言わねばと思っていたのだ。魔法はあやかし、かつてそう言ったな。その一言が私に道を開いたのだ。人が魔法を使う以上、お前の言うとおり魔法はあやかしでしかない。だがあやかしそのものになったらどうだ。あやかしはあやかしでなくなる。確かにこの身を保つため、初めのうちこそ多くの血を要したものだったが、今ではこの通りだ』。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ