最終章 4
町。
傷だらけで一人教会にやってきたアッシュを、ティスの師は驚きつつも中に迎え入れた。
アッシュはティスから預かった耳飾りを師に渡すと、言葉少なに自分が大罪を犯したことを告げた。
師は痛ましそうに首を振った。そしてアッシュに待つように言い、部屋を出た。
40もティスも、第二のバートにしないためには斬るしかなかった。救うために斬ったのである。失いたくなどなかった。今まで共に戦ってきた仲間である。斬ることなど出来るわけがない。しかし斬らねばならなかった。ティスの頼みを果たすため一人戦い、ここに戻ってきた。が、一人残された今、その重さは体の傷以上に心までをも苦しめた。
大罪を犯したことを言わぬ事も出来た。狂気として法に従うことも出来た。だがそれでは40、ティスの命は何になるのだ。バートの時もそうだった。アッシュは自ら罪を求め、「人斬り」の徒名を受けた。それだけがアッシュに出来る贖罪であった。アッシュはそれ以来考え続けてきた。人とは、狂気とはー。
師が戻ってきた。
師はティスの耳飾りを見せながら言った。
「これが何か、知っておるかな。これは真実の滴と呼ばれておるものでな、持ち主の見た事をさかのぼって見ることが出来るものだ」
師はアッシュを見たが、アッシュの固い表情は変わらなかった。
「全て見せてもらった。お主の言うことに偽りはないようだが」
師は言葉を切り、一呼吸おいた。
「アッシュ。おぬしの言う通りならば人界外追放だが、それは人斬りの場合のこと。お主が斬ったのは人ではなく、狂気ではないか」
アッシュは首を横に振った。
師は穏やかに説得するように問いかけた。
「狂気は人ではない。人が狂気に捕らわれるとしても、アーベルが人から生まれる事が、それを示してはおらんかな。狂気はアーベルそのものだと。お主の腕に残るものは、人斬りの罪ではなく、狂気を斬り、バートのようにアーベルのために奪われるはずであった命を未然に救った功ではないかな」
そう言われても、アッシュは首を縦には振らなかった。
「狂気も人です」
変えられぬ一言をこれだけは、アッシュは絞り出した。
人斬りは人界追放が法である。それに従うことだけが、二人を、そしてバートを人と出来る唯一の方法なのだ。
頑ななアッシュに、師はなおも問いかけた。
「この国は狂気は人ではないとしておる。狂気に走った者が、人を喰うからの。アーベルに呼ばれたと思われる40ですら、すでに狂気に取り憑かれておったのではないか。魔法の使える筈のないシーフが、魔法を使う。40も己に驚いたことであったろう。起こらぬ事を起こし、人の性を狂わせる。そう考えれば、狂気は人ではない思うが」
師はアッシュを罪の意識から、救い出そうとしていた。
アッシュもそれは充分に分かっていた。しかし、それでも首を縦に振ることは出来なかった。
「バートも」
アッシュは思い詰めたまなざしで、師に話し始めた。
「40もティスも最後を迎えた時、私はその目に人としての意志を見ました。決して狂気に捕らわれ、人と言う己を見失った目ではありませんでした。ティスが最後に首を差し出し決して動かなかったのも、ティスの人としての意志のなせるものだと信じています。私は狂気によって奪われたかも知れない人々を救ったのではなく、狂気と戦う者、三人の命を奪ったのです」
アッシュは床に跪き、頭を垂れた。罪を乞う姿勢であった。
師は手で顔を拭い、重たく息を吐いた。
「アッシュ。聞き分けぬ所はティスと同じではないか」
師は眉を強くよせて嘆いた。
アッシュは一層深く頭を下げた。
アッシュの考えは変わりそうになかった。バートを斬り、40を、そしてティスをと、三人の命の重みが、その腕に、胸にかかっているであろう。
よくぞここまでも。
師は同情した。そのアッシュを救えるとしたら、人斬りの罪を許すことではなく、人斬りの罪を罪として認める事しかないのではないか。
師は頷いた。
「行くがよい」
師の言葉に、アッシュはようやく顔を上げた。
「その体では、長くはもたぬ。せめてもの手向けだ。受けてくれ」
師は傷ついたアッシュの体に治癒の法術をかけた。
アッシュは静かに立ち上がり、師と視線を合わせ頭を下げた。
淡々と装備を調え、アッシュは自ら外界へと出た。
師は教会の入り口に立ち、アッシュを見送った。
わしも情けないものよ。彼らの如き人たるをー。
師は自らを恥じた。
昼にもかかわらず、町のざわめきは小さい。
師はアッシュの消えた町の彼方を見つめた。
「死ぬでないぞ」
師は小さく声をかけた。
その言葉は祈りのように、虚空へと消えていった。