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幻惑  作者: 天野 進志
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第五章 現 1

第五章 現



変化は穏やかに、そして素早く起こっていた。


40はティスの師と話をした時から、自分の身体を注意深く観察していた。ティスとかつてアッシュから聞いたバートの特徴と共通する所はないか、もしあるならば自分にその変化は起きていないか。


アーベルの滴を手に入れたわけではない。しかし、『弦』が『幻』に通じ、『曲』が『曲がり極める』所に行き着くならば、それは『狂気』に通じる物があるはずだ。


40はそう考えるようになっていた。


その考えが正しいか否かを見極めるのは、己の身体の変化にかかっていた。


一つの仮定だった。しかし、その仮定は間違っていないと40は信じていた。


アッシュはバートが中性化したと語った。ならばティスはどうか?

そう考えればティスにも身体的におかしなところがなくはない。男としてやや女性じみた高い声。滑らかな白い肌。筋肉というものをほとんど感じさせない、男と言うよりは女に近い肉付き。気にし出せば長い艶のある髪。切れ長の目まであの影響ではないかと思えてくる。


ティスと比べ肉体的な違いがなくなってくれば、それは自分が変化している事を示している。


が、それだけで自分が弦に魅入られているのか、『狂気』に通じているのかは分からない。40はより確信を強めるためにも、自分の内なるものにも目を向けていた。何かの対処に対しての気持ちの変化。興味を持つ物の変化。考え方、食べ物の好み、果ては身体感覚に至るまで、出来うる限り。


それは自分が変化を望んでいるからだと言えた。力、と言うものよりも未知のものへの関心(あこがれ)。誰にもないものへの熱望。そういったものが40の生きる源と言ってよかった。


ティスの師から忠告と言ってもいい話を聞いた後も、40はやはり竪琴を引き続けた。


ティスの師はあれ以来、一度も40の前に現れてはいない。音は相変わらずまずいままだったが、そんな事は気にしていなかった。


なるようになる。なるようにしてみせる。ただそれだけだった。



アッシュの傷は深くはなかったが思いの外、回復に時間がかかった。傷そのものもさることながら、精神への影響が強かった。


こんな事ははじめてだった。


傷も癒え、体調も悪くない。にもかかわらず体が思うように動かないのだ。冒険に行きたいと言う気持ちすら萎えつつある。行く気がしないのだ。気が重いと言う言葉があるが、今のアッシュにはそれがぴったりだった。


あの酒場で自分の話をした時、彼には何故そんな話をし出したのかが、分からなかった。今までそんな事を話すつもりは全くなかったのに、口から言葉が出てきたのだ。何かが彼に乗り移った、と取れなくもなかった。


あの日からアッシュは、何かがおかしいと感じていた。


土地から土地へと巡る冒険者だ。この地に来たのまではいい。それすらも今ではあやしいが。しかしこの地に来てからパーティーの動きはおかしい。後れを取るはずのない魔物に傷を負わされ、ろくに実入りもないまま、竪琴だけを持って帰ってくるようなムダ足を踏み、傷が治ったのに動かぬ体。


実入りのない洞窟(とこ)に入るか?


アッシュは考えた。


あり得る訳がない。冒険者に取って、冒険とは命がけの仕事である。実入りのないような所へ行く訳がない。「当たり外れは怪しいが大きな情報(ヤマ)がある」と二人には言ったが、実は実入りは少ない、と言う情報だった。にもかかわらず、行こうと言った。


そもそもあそこはアッシュにとって、因縁の洞窟である。触れたくない場所だった。それが、何かに惹かれるように…。


何かに惹かれる?


アッシュの背筋を、寒気が走った。


引かれたのか?


彼は右腕をつかんだ。


この腕で、バートを斬った…。


アッシュは短く言葉を吐き捨てた。この街に来てから、バートの事を何故かよく思い出す。心の底深く沈めた過去が浮かび上がって来るのだ。体にのしかかる得たいの知れない重さ。気を滅入らせるバートの思い出。動かぬ体…。


取り殺すつもりか。


アッシュは苦しさを押さえ、むしろ()んだ。


いいだろう。行ってやる。


座して待つことはない。


人は死すべき運命(さだめ)。ならば自ら死地に赴くまで。


アッシュは愛用に剣を手に、そこに向かって強く立ち上がった。

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