わたしの日常 2
わたしは席に着くと、大体何もしない。親しい友達も居ないから誰かと喋ったりもせず、ただ椅子に座って黒板や楽しそうに談笑しているクラスメイトを眺めるだけだ。無表情に、無感動に。
チャイムが鳴るまでずっとそうしている。チャイムが鳴ってからも殆どそうしている。ごくたまに、授業中当てられる時以外は。
わたしはクラスの中では空気と同然。それがわたしの日常だ。
学校では特筆する様な出来事も無く、チャイムが鳴って先生が入って来てチャイムが鳴って先生が出て行っての繰り返しを六回やって放課後になる。本日の日直が起立礼をした後は、他の生徒達は部活に行ったり友達と帰ったり図書館で勉強したりそのまま帰ったり。自由な時間になる。
帰宅部で委員会にも入っていないわたしは一人で学校指定の自転車置き場に行き、自分の自転車を見つけて乗り、家とは反対方向に向かう。
何も変化が無い日々はつまらない。人間は常に進化し、新しい何かを求めるものだ。諸行無常と言うんだっけか。少し違う気がしないでもない。手を繋いで仲睦まじくバカップルする同じ学校の生徒を追い抜かす。今日は何を買おう。毎日通い詰めているという訳でもないが、流石に毎回からあげクンを買うのはお金にもお腹にもきつい。安くて小さくて気軽に食べられるもの…
「晩御飯もあるからチロルチョコにしよう」
そんな事を考えながら、時に呟きながら目的のコンビニに着く。学校の近所には違うコンビニがあるのだが、わたしは敢て遠い此処に足しげく通っている。何か買いたいものも無いのに週に四回くらいは通っている。コンビニに向かう時に「何を買おう」と考える事が本末転倒なのは理解している。それでもわたしはこのコンビニに行く。
暇だから。家に居たくないから。学校の近くの方はクラスメイトが居るかもしれないから。わたしがこのコンビニに行く理由は大体そんな所だ、他に他意は無い。
「いらっしゃいませー」
今日も緑のエプロンを着た若い店員が挨拶してくる。二十歳前後だと推測される。もうわたしの顔は覚えられただろうか。わたしは無表情で会釈だけする。
相変わらず営業スマイルと言うには些か馴れ馴れしい印象を受けるふにゃっとした笑顔だな。客に向けるというより、友達に向けるような親しみの篭った笑みだ。
わたしが来る時はいつもあの店員がレジ係をやっている。他に店員は居ないのだろうか。店長は…一回だけ見かけた事があった様な無かった様な、あまり印象に残って居ない。覚えられない様な冴えない顔だったのだろう、多分。
買う気も無いのにパンコーナーをふらつきながら、数秒間悩むふりをしてそんなどうでも良い事を考えた。あ、今日は妙齢のスウェットの男性が居た。だらしない格好で雑誌コーナーの漫画を立ち読みしている。恐らく初めて見る。わたし以外のお客かな、珍しい。
わたしには世間体や体裁というものが少々他人より少ない量で体内に存在する様で。コンビニに入ったら何か買わなければいけないがそれは別にチョコ一個でもいいだろうと考える様な、そんな他の人がみると首を傾げるか眉を潜めるかするだろう事を平気でするタイプだ。
レジの前のテーブルに置いてあった小さい四角錐台の商品を一粒だけ摘まんで彼の前に置く。
「35円になりまーす」
事務的な言葉の筈だがこの店員が言うとどうしてもそうは聞き取れない。…台詞が間延びしているからか。
鞄から、出て行きたくないと嫌がる財布を無理矢理取り出す。鞄の底に埋もれていたから見つけるのに時間がかかっただけだ。茶色の革製っぽいけど革製じゃない、ずっと前旅行で韓国に行った時に日本円で800円くらいで売ってたやつだ、とほぼ全く関係の無いわたしの財布について語ってみる。心の中で。
十円玉三枚と五円玉一枚、丁度お釣りなしで払えそうだ。だからなんだという話だが、「今日は少し曇ってますねー」…?
レジにわたしが出したお金を入れている店員が喋ったのだと、わたしに話しかけたのだと理解するのに三秒かかった。頭にその事実が認識されるやいなや、わたしの顔ははてなマークとびっくりマークに彩られたりはしなかった。わたしは思っている事が表情に出にくいとよく言われるが、そもそも何も思っていないのだから顔に出る訳がないと思う。…多分、顔には出ていない筈だ。
緩慢な動きで顔を上げると、緩い笑みの店員さんがわたしの目を見ていた。薄い灰色がかった瞳に見つめられてわたしの体の血液の流れる速度がワンテンポ速くなる。
「そうですね」
驚いたのではない。いつもと違う異例の事態に脳が反応し損ねただけだ。わたしの脳は平均の高校生の脳より反射神経が悪いのだ。
店員さんは惰れた笑顔(少し失礼だったか)を顔につけたままわたしにコンビニの袋を渡して来る。台に置かれたチョコ入りの
袋を凝視してさりげなく店員さんから顔を背ける。
「雨が降らないといいんですが」
ちらっと窓の外に目をやって呟く。透明なガラスを隔てた向こう側には、白い雲に灰色の絵の具をめちゃくちゃに混ぜた時みたいな色が上方に広がっていた。ちなみに下方は同じく灰色のコンクリートとわたしの自転車。
灰色の空、灰色の地面、赤色の自転車。自転車は仲間はずれか。持ち主と同じだな。せめて車が通れば仲間はずれでは無くなるのだが。
同じタイミングでわたしと店員さんが顔を正常な角度に戻した。そういえば、
「今日の降水確率は40%らしいですね」
「微妙だなあ」
店員さんが困った様に右手で頬を掻いた。傘を持ってきていないのだろうか。
「傘、持ってきて無いんですよ」
やっぱりですか。とは口には出さなかった。
はは、と照れたように笑う店員さんを真正面の至近距離から見てしまって、わたしは首から上に血液が集まるのを感じた。
「きっと降りませんよ」
何の根拠も無いのにそう言っておさらばしようとした。軽く会釈だけしてふにゃふにゃ笑顔に背を向け、会話を強制終了させる。わたしは人と、特に他人と喋るのは得意ではないから。それにあの人も仕事がある…かもしれない。多分。接客以外の雑用が何かあるかもしれない。とにもかくにも邪魔をしては悪いから帰る。
自動ドアを抜けて直ぐ近くに停めてある自分の自転車の前カゴに制鞄を放り込んで、スタンドを外して飛び乗り一度バックしてから方向転換。認めたくはないがあの人が居るコンビニから逃げるようにして走り去る。
遠くに軽自動車らしい車が見える以外はネズミ一匹走っていない道路を横断する。信号も横断歩道も無いから速度は落とさずに。
太陽が雲に隠れているからか、太陽自体が地平線に沈みかかっているのか、頬に当たる風か涼しくて気持ちいい。しめった風をもっと触れさせて、火照った顔を冷やそうとペダルを漕ぐ力を強める。だが少しもしない内に後ろからの声に止めさせられた。
「お客さーん」
間延びした声と共に、コンビニの入り口から人影が出て来た。光の具合と距離で顔はよく見えないが、見なくても分かる。声だけで分かるから足を止めた。何だ、と。
日本人によくある黒髪の店員さんは、日本人には珍しいかもしれない灰色の目を細めて道路越しのわたしに右手を振った。わたしも日本人によくある黒目を細めて彼の手にぶら下がっている白い物体を判別しようとした。
暫く睨んで何か分かるとわたしは思わず声に出していた。
…あ、コンビニの袋。