前編
三題を提供してくれた、私の親愛なる友人へ、最大の感謝を込めて。
「は?今、何て言ったの?」
思わず聞き返した私の目の前で、友人はアップルパイにかぶりつき、声にならない悲鳴を上げた。『中身がたいへんお熱くなっておりますので〜』とパッケージに書いてあるのに、どうして思いきりよく食らいつくんだろうね?ってか、同じこと前もやってなかった?学習しようよ、人間らしく。
しばらく呻き、ジュースを飲んで、ようやく友人は落ち着いた。
「ふぅー、死ぬかと思ったぁ。」
「もしも死んでたら、死因はアップルパイによる口内の火傷だね。だっさ。」
「え、田舎者に“ださい”とか言われた!うっわ、ショックだわ〜。」
オーバーリアクションの友人を冷たい目で見やり、「ところで・・・」と話を切り換える。
「さっき、何て言ったの?なんちゃらお化け、って・・・。」
「ん?あぁ、“ウォータースライダーお化け”のこと?」
友人は何てこと無いように言った。
「――――――そう、何なの?それ。」
「んーとねぇ、大学の裏の道を真っっっすぐ下ったところに、プールがあるじゃん?ウォータースライダーが売りの。」
私は頭の中で地図を広げた。プール?―――――・・・あぁ、確かにあるな。
大学生になり、一人暮らしを始め、最初の夏である。言われるまで気付かなかったが、そういえば最近、あの辺りが賑やかになったような気がする。ガキどもがうようよし始めた、と言うべきか。
それにしても、
「・・・・・・“ウォータースライダーお化け”、ねぇ・・・。」
私は、呆れを隠しきれなかった。まるで、三題噺のお題に“ウォータースライダー”を課せられた素人がムリヤリ作り出したような、安っぽい名前である。
「そう思うでしょ?でもねぇ、」
案外、悲惨な奴なんだよ、このお化け―――――――――と、友人は口調を変えて、話し始めた。
「むか〜しむかし。と言っても、5年ほど前のこと。そのプールで事故が起きた。当時、ここら辺では最も大きかった、例のウォータースライダーから、1人の少女が転落死したんだよ。それはもう、酷い光景だったらしい。スライダーの高台のてっぺんから、コンクリへと真っ逆さまにフリーフォール。おびただしい量の鮮血が飛び散り、流れるプールが真っ赤に染まっていく・・・―――――その瞬間、当然ながら、プールは大混乱!凄まじいパニックになったんだってさ。」
「・・・ふぅん、そんなことがあったんだ。」
食事の場で・・・と思ったが、言うのは止めておいた。この混雑した店内で、わざわざ周りの会話を聞いている人などいないだろう。私は話を進めた。
「それで?その子が、地縛霊にでもなったの?」
「その通りだよ。それ以来、毎年プールの季節になると、現れるんだってさ。夕方から・・・夜の間中。1人で行くと、高台の上に、ぼぅっと立ってる人影が見えるんだよ。」
「へぇ。・・・・・・それにしても、よく潰れなかったね、そのプール。」
「あぁ、それはね。スライダーの中での事故じゃなかったからだよ。」
友人は、こういう話に詳しい。一体どこから仕入れてくるのかと、不思議に思うほどの情報量を誇っている。1度 尋ねてみたことがあるのだが、『風の噂で聞いたんだ〜。』と笑ってはぐらかされてしまった。それからというもの、本当に風と対話しているようにしか思えず、謎は深まるばかりである。
「女の子が落ちたのは高台から。何でも、柵の上に身を乗り出していたらしいよ。職員の制止も聞かずにね。警察でも、経営者側の責任は極めて低い、ただの事故として処理された。だから、スライダーをまるごと建て直して、オーナーを変えて、営業を続けてるの。」
「なるほど・・・・・・。」
納得した。
悲しい事故である。
私はパッケージから三角形のチョコレートパイを取り出して、食べ始めた。うん、ちょうどいい温度だ。
「あ、そういえば。」
友人が唐突に、何かを思い出したように手を叩いた。私はわざとからかってみる。
「何?これが食べたいなら買っておいで。分けてあげないから。」
「えー、何だよ、ケチィ。―――――――じゃなくて!」
「あれ、違った?」
「違うよ!私、そんなに食い意地はってないからね!」
友人のその言葉に―――――え、それはどうだろう。あんたの食い意地は相当な物だと思うんだけど。というか、一瞬 本音がもれたじゃん。それでよくもまぁ、いけしゃあしゃあと言えたな。―――――と、ツッコミワードがたくさん浮かんできたが、どれ一つとして口に出すことは叶わなかった。先手、友人。
「これは本当にただの噂なんだけど・・・・・・。その子。例の、落ちちゃった子。その場にいた職員の話によると、“何かを探しているように見えた”んだってさ。」
○
それからしばらくして、私は同じ友人に、例のプールに誘われた。水着など持っていない上に、最近体型がなかなかちょっと・・・・・・見苦しいものになっているので、断ろうとも考えたのだが、結局行くことにした。・・・転落死したという少女のことが、気になっていた、というのもある。
(現場百編、ってやつだよね。)
と、何故かそんなことを思った。
そんなわけで、数年ぶりのプール。夏の日差しがギンギラギン。全然さりげなくないけど。
何だかんだ言って、私もけっこう楽しんでいるのかもしれない。夏の空気は否が応にもテンションを上昇させる。たまにはこういうのもいいかな・・・。
流れるプールで散々はしゃぎまわり、一息ついてから、友人は言った。
「ねぇ、ウォータースライダーに行かない?」
私は迷わず頷いた。
友人の話しによれば、高さは事故前とまったく変わってないらしい。柵を高くして、色を変えた以外は、ほとんどそのままなんだとか。
(「ほら、ここだよ、ここ。」)
大行列に数十分間 並び続け、ようやく高台のてっぺんに着いた時、友人が私に囁いた。
(「ここら辺から、あっちの方を見ていたんだって。」)
友人が指を差した方向を見てみる。青く塗られた、小学校の遊具を思い出させる柵の向こうに、平凡な町が広がっている。こんなところから、少女は一体、何を探していたんだろう?
(―――・・・・・・ん?)
私は、あるものを発見して、目を細めた。かなり小さいが、太陽の光を反射している。何だろう、あれ・・・・・・三角形・・・?
不思議に思って友人に尋ねようとしたのだが、やはり、先手を取ったのは友人の方だった。
「お、順番来たよー!私が先ね!!」
言うなり、友人は係員の指示を半分聞き流して、水流に飛び込んでいった。
(―――――ま、いっか。あとで聞こう。)
ついでに、いろいろと調べてもらいたいことができたので、まとめて聞いてみよう。けっこうたくさんあるから、情報通の彼女でも戸惑うかもしれない。そうしたら、こう言ってやるんだ。
『風に尋ねれば一瞬でしょ?』
と。
夏の暑さに脳みそが腐ってしまったのか、そんなことを考えて愉快になって、私はニヤニヤしながらウォータースライダーに乗った。冷たい流れが体の中を通り抜けていって、腐った脳みそも溶けた思考も、綺麗に洗われ新しくなっていくように感じた。