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瀬戸内の怪現象

 目の前でお好み焼きが宙に舞う。

 理沙さんの両手で光るヘラが、まるで意志ある生き物のように獲物目がけて襲いかかったかと思うと、次の瞬間にはソフトに挟み込み、華麗に、そして素早くひっくり返す。

 玉ネギが、そばが、キャベツが、肉玉が、その動きに合わせて一瞬鉄板を離れ、再び落下する。だが、そうした大量の具材が使われているにも関わらず、全体の形はまったく崩れていない。

 繊細かつ大胆。まさにお好み焼きのために捧げた匠の業である。

 おお……、と感嘆のため息をつく暇もあればこそ。

 理沙さんはヘラを指の間でクルルルルルと回すと、最後にビシィッ!とポーズを決めて静止した。ちゃんと観客を楽しませることも忘れない、一流のパフォーマーだ。

「すごい! いつの間にか、そぼろと紅ショウガも乗ってますよ!」

 お好み焼きフリークの鳴瀬先輩は、涙を流さんばかりに感動している。

「お待ちどう! さ、冷めなゆうちにゃぁよぉ食べんさい。ヘラ使いづらけりゃぁ、箸出しちゃるけぇ」

『いっただきまーす!』

 正直腹ぺこだった僕たちは、ジュゥゥゥゥ……と美味しそうに焼き上がったお好み焼きに、猛然とヘラを伸ばすのだった。


 さて、少し状況を説明しよう。

 描写から推測できると思うが、僕たちは玲奈先輩の実家でお好み焼きをご馳走になっているところだ。

当初の予定では本町観光後に昼食という流れだったんだけど、長旅の疲れも相まって早々にお腹が音を上げたのである。

「観光はお好み焼き食べてからにしませんか?」

 依然として異常なまでの執着を見せる鳴瀬先輩をなだめるためにも、まずは衣笠先輩の実家に寄ることにしたのだ。

「何だったら大きな荷物はうちに置いといていいわよ。身軽なほうが動きやすいし」

 聞けば、先輩の店は新港橋を流れる川を少し上った場所にあるらしく、竹原を観光する際の拠点としても適しているらしい。

「それは助かる。有り難くお言葉に甘えさせていただくとしよう。二人もそれで構わないかね?」

「あ、はい。カメラと貴重品だけあればいいので」

「僕も異論はないよ、マッキー」

「決まりね。じゃあ一応、お姉ちゃんに電話しておこうかな。四人分作るとなると、それなりに時間かかるから」

 言い終わるや否やポシェットから携帯を取り出し、慣れた手つきでコールする衣笠先輩。

 そのまま待つこと数秒――。

『はい、お電話ありがとうございます。喫茶“かぐや”でございます』

「あ、お姉ちゃん? 私だけど」

『玲奈――! あんたぁ、よう帰ってきたのぅ。元気じゃったか?』

 一体どういう声帯をしているのか、電話の相手が衣笠先輩いもうとだとわかった途端、声のトーンが二オクターブほど跳ね上がった。

 衣笠先輩も僕たちも、慌てて受話器から耳を遠ざける。

「うん、元気にしてたよ。今、新港橋の辺りにいるんだけど、これから店に行っても大丈夫そう?」

『何ゆーとんね。うちゃぁいっつもテーブルに空きあるけぇ、お客さんは大歓迎で』

「じゃあ、あと五分くらいしたら着くから。あ、私の友達も一緒だから、お好み焼き四人分よろしく~」

『四人前じゃのぉ? 任せてつかぁさい!』

 幾分熱を帯びた口調で、頼もしい発言をするお姉さん。まるで腕まくりしている様子が目に浮かぶようだ。

『そいじゃあ、楽しみに待っとるけぇのぉ~』

 妙にエコーがかかった口調を最後に、プツッと通話は終了した。

「ふぅ~、まったくお姉ちゃんったらすぐ調子に乗るんだから……」

 ポシェットに携帯を戻しながら、ため息をつく衣笠先輩。実の妹でも、姉のテンションにはついていくのは難しいらしい。

「なるほど。“衣笠玲奈キャラ崩壊事件”の謎がここにきてようやく解けた気がするな」

「どういう意味よ、それ!」

 部長の失言に突っかかっていく衣笠先輩を見て、鳴瀬先輩がそっと耳打ちしてきた。

「やっぱりあの二人ってお似合いだと思わないか?」

 ついさっきも聞いた、本日二回目の台詞。けど、一回目と違って揶揄している感じはなく、むしろ本心からこぼれ出た感想に近い気がした。

「うーん、どうでしょうね。確かに面白いとは思いますが、それはここが衣笠先輩の地元だからという気もします。学校では隙がありませんし」

「だからだよ。衣笠玲奈のような普段感情を表に出さないタイプは、なんでも一人で背負い込みやすい傾向がある。生徒会の仕事が楽じゃないってことは古澄君も知っているだろう? なのに、弱音一つ吐かず、いつも平気な顔をしていられるなんて妙だな、と思っていたけれど、今日確信を持てた。――気張っているときの衣笠玲奈は、本当の彼女じゃない。自分の気持ちを縛り付けた、可哀想な女の子だよ」

 そう言われれば……。僕は記憶を少し巻き戻す。

 生徒会役員としての衣笠先輩に接触したのは一ヶ月前。僕たち写真部に、初めて個人からの撮影依頼が来たあの時だ。

 今でも印象に残っている先輩の目。どこまでも底冷えするように鋭利で、およそ感情というものが一切感じられなかった。

 僕はその冷徹さが衣笠先輩の個性だと思い込んでいたけど、もし無理に作っていたとしたら――。

「彼女のお母さんは娘のことを一番よくわかっているよ。武井さんが言ってただろ。学校生活が忙しくなって体の負担にならないか心配していた、と。実際、負担だったんだ。けど、衣笠玲奈は自分のことよりも、生徒会の立場を優先した。苦しくても、全校生徒をまとめ上げることを第一に考えた。そしてそれが、必要以上に精神を磨り減らす結果に繋がってしまった」

 苦しみを吐き出せたらまだ良かったのにね……、と鳴瀬先輩は呟く。

「今時珍しいほど真面目な性格だったんだろう。逆を言えば、だからこそ生徒会に選ばれ、ナンバーツーと呼ばれるまでになったんだろうけど、代わりに心の余裕を失ってしまった。――でもマッキーなら、衣笠玲奈の負担を和らげてあげることができると思う。あんな性格だけど、少なくとも“おしゃべり相手には退屈しないだろ”?」

 そう言って、鳴瀬先輩はニッ、と笑った。

 これまで散々僕たちを振り回してきた部長。見境無く突っ走って、遠慮無く他人の心に踏み込んで、ともすれば迷惑な存在になることも少なくなかったと思う。でも――

「そう、ですね。あんな楽しい人滅多にいないと思います」

 辛くはなかった。退屈でもなかった。

 むしろワクワクした日常がそこにはあった。

 気付けばいつも部長が中心にいて、みんなをぐいぐい引っ張っていた。

 たとえ相手が生徒会であろうと、そんな垣根を乗り越えて導く力があるからこそ、今の衣笠先輩には部長みたいな人が必要なのだろう。

「ま、しばらくは口喧嘩がメインになるだろうけどね。衣笠玲奈にとっては、いいストレス解消になるだろうさ」

 素の自分でいられるという意味でね、と鳴瀬先輩は再び笑った。


「ん~~~うまいっ! 中までしっかり火が通ってますし、ソースとの相性も絶妙です!」

 あのとき真面目に語っていたのはなんだったのか、またもやご当地グルメのコメンテイターとして猛威をふるう鳴瀬先輩。部長も面白い人だけど、鳴瀬先輩も全然負けていないと思う。

「はふ、はふ。う~ん、おいひ~! さっすがお姉ちゃん!」

「いやはや、これは脱帽だな。こんなに美味しいお好み焼きは、僕でも今まで食べたことがない」

「部長。何気に自慢が混ざってますよ」

 しかし、自称グルメ通?の部長を参ったと言わせるほど、確かに理沙さんの料理は絶品だった。

 薄く焼いた生地の上には、そば・玉ネギ・キャベツ・豚肉・玉子がふんだんに使われていてボリューム満点。一人前でも充分な量なのに、注文すればさらに二枚重ね、三枚重ねも可能であるらしい(過去には五枚重ねを注文した客もいたそうだが、さすがに全部食べきれず残してしまったと言う)。

 また、鉄板は複数のお好み焼きがあっても温度が下がらないよう、厚めの素材が使われており、常にアツアツの味が楽しむことができるのも特徴だ。

「そう急がんとゆっくり食べんさい。おかわりならえっとあるけぇのぉ」

『はーい!』

 僕たちは元気に返事をかえす。

 ノリが完全に中学生の修学旅行だが、店には僕たち以外には誰もいないし、少しくらい騒いでも問題ないだろう。

「っとそうだ。理沙さんに一つお訊ねしたいことがあるのですが」

 お好み焼きをハフハフ頬張りながら、部長が切り出す。

 行儀悪いですよ、部長。

「うちにか? なんじゃろう?」

「はい。竹原に伝わる怪談について、です」

 ごくん、と最後の一口を水で流し込み、口元を拭いた部長は優雅に立ち上がった。そして店内をぐるぐる歩き始める。

 よく名探偵が事件の最後で行う、謎解きしながらの徘徊ってやつだ。

「鳴瀬君から瀬戸内に残る奇妙な現象について聞いてからというもの、僕は夏休みを利用してさらに詳しく調べてみました。学校の図書館だけじゃなく、市立図書館の地方史コーナーの文献も併用しながらね」

 ……なるほど。ようやく合点がいった。

 行くと決めたらすぐさま行動を開始する部長が、新幹線の切符購入を先延ばしにしていたわけ。生徒会に提出する書類に手間取っていた、というのは半分嘘で、本当は調べ物をしていたからなんだ。

「それらの中で、僕は実に興味深い話をいくつも目にしました。人が突然消えたり、海の中から怪獣が顔を出していた、なんていうのもありましたっけ。でも大半は山間部に残る温かい空気と、海側から流れてくる湿った空気の密度の違いが織り成す、光のトリックで説明がつくものばかりでした」

 僕らも理沙さんも、黙って部長の話に耳を傾けている(あっと、鳴瀬先輩だけは追加のお好み焼きを一心不乱に詰め込んでいるけどね……)。

「しかし、どうしても説明のつかない記述があったのもまた事実です。竹原を例に挙げると、港に向かっていたはずの船がいつの間にか瀬戸内海に逆戻りしていた、とか、何もない海上に突如幽霊のように無人の小舟が現れた、などです。まあ、これはけっこう古い文献に書かれていたことなので、信憑性を問われるとちょっと苦しいのですが、僕が注目したのは事例が一つだけじゃなかったからです」

「どういうことなの?」

 そう問う衣笠先輩の声が擦れている。気のせいか、若干涙目にもなっているみたいだ。

 ホラー話が苦手というのはどうやら嘘ではないらしい。

「前者に関しては、同様に予定とは違う航路を走っていた例が実に二十件以上もあるんだ。しかも、そのすべてが竹原港付近で起きている。始めは海流の影響かな、とも思ったけど、竹原周辺はしまなみの島々に囲まれていて、航路に影響を来すような海流が生まれるとはちょっと考えられない。まさに不可思議な現象だよ。そして後者。こちらは小舟が見つかった地点からほど近い海底で男性の遺体が発見されているんだ。それ故か、あの小舟に乗ったら黄泉の国へ連れて行かれる、という噂も当時は頻繁に囁かれていたと言う。いずれにせよ、どちらもただの怪談で片付けるには不明な点が多すぎる。僕はその謎を明らかにしてみたいんだ」

 意図せず航路を外れてしまう現象と、謎の小舟、か……。

 確かに「首のない幽霊が深夜に徘徊する」とか「肖像画に描かれた人物から血が流れている」とか、いかにもホラーといった話よりはまだ現実味があるような気はする。ただ裏返せば、妙なリアリティがある分、本当に起こりそうでちょっと怖いけど……。

 地元に住んでいる理沙さんはどう考えているんだろう、とちらっと表情を窺うと、意外にもまったく動じているようには見えなかった。そればかりか、こんな発言までしたのである。

「そがぁなこたぁ初耳じゃのぅ。うちが知っとるんは、違う話じゃ」

「と、言いますと?」

「こりゃぁうちが小学校の担任から聞いた話じゃが、真っ暗な夜に、髪の長い女が海の上を歩いとったそうじゃ。確か、桟橋の近くで見かけたゆっとったかの。なんだかぼんやりしとって、気付おったらどこにもいなけりゃぁしぃんじゃ」

 海の上を、歩く……?

「ふむ。常識で考えるなら、人が海の上を歩くなんてことは絶対にあり得ない。ましてや消えることも不可能だ」

 部長の言う通り、そんなことは“あってはならない”。ここがファンタジーの世界ならまだしも、物理法則に支配される現実なら。

「うぅ~、聞こえない、聞こえない」

 両耳を塞いで目を閉じている衣笠先輩の可愛さはひとまず置いとくとして、僕はいつの間にかメモを取っている鳴瀬先輩に聞く。

「何かわかりましたか?」

「ん~、いや、大したことじゃないんだけどね。まずは、その三つの話の共通点を探ろうと思ったんだ。で、要点をメモしていて気付いたんだけど、三つとも“海が関係している”なぁって」

「そう言われれば、確かに……」

「それだよ、鳴瀬君。流石は僕の第一助手だ」

「いや、マッキーの助手になった覚えなんかないぞ」

「ちなみに、第二助手って僕ですか?」

「当たり前じゃないか、古澄君」

 そうか……。多分周りからはそんな目で見られていたんだろうな……。

 一方、解決の糸口が見つかって上機嫌な部長は、高らかに続ける。

「鳴瀬君が見つけてくれた共通点にさらに付け加えるなら、“深夜の海”、もっと正確に言うなら、月の出ていない“真っ暗な海”が関係していると見ていいだろう。文献によれば、航行時の天候は曇天だったと書かれていたからね。小舟が出現したときも同じだ。――さて、ここで武井さんの言葉を思い出してほしい。天気予報によれば、今日は夕方頃から雲が広がると言う。まさに港を調査するにはうってつけではないか!」

 大仰に腕を広げて、全身で喜びを表現する部長。

 今までの経験から、こうなってしまったらもう引き返せないことくらいわかる。僕たちが何を言っても、部長は行くだろう。

 ――怪談の舞台、竹原港へ。

「私は嫌よぉ……。行くなら写真部だけで行ってよね」

 怖いもの嫌いの衣笠先輩は、理沙さんの影に隠れてしまっている。

「そがぁなことゆわんで、案内してあげんさい」

「だってぇ……怖いんだもん……」

「心配はいらないぞ、衣笠玲奈。万が一のことがあっても、我々が守ってあげよう」

 おお! なんか部長がかっこいい! けど、できれば僕は外してほしかった。

「うぅ……、じゃあ、日が出ている間だけなら案内してあげてもいい」

「感謝する。場所だけ教えてくれれば、夜間は我々だけで突撃しよう」

 え、ちょ、本当に突撃するんですか!? 夜の装備なにも持ってきてないんですけど……。

「安心したまえ、古澄君。そんなこともあろうかと、ちゃんと三人分の懐中電灯と非常食料は持ってきたから」

「どんだけ楽しみにしてたんですか!?」

 ともあれ、これで僕の逃げ場は完全になくなった。

 こうなったら覚悟を決めるしかない。

「わかりました。行きますよ」

「うむ。それでこそ第二助手だ」

「先に言っておきますけど、危険だと感じたらすぐに帰りますからね!」

 ビシッと先手を打った僕は、気持ちを落ち着かせるために大きく深呼吸する。

 ――参ったな、なんだかワクワクしているみたいだ。


※作中に出てくる怪談はすべてフィクションです。

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