表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

おかえりなさい

「さあ、着いたわよ。はい、降りた降りた」

 衣笠先輩に追随し、ぞろぞろと呉線を下車する。竹原駅はこじんまりとした、いかにもローカル線の停車駅という風情だった。ホームは一つしかなく、一番線が上り、二番線が下りになっている。大都市でなくともそれなりに栄えた町には当然のように存在する電光掲示板も、ここでは影も形も見当たらない。ホームの中央に設置された木製のベンチと周辺のマップ・観光スポットが紹介された看板が唯一主張を放っているくらいである。

「うーん、本当にのどかな場所なのだな」

 部長は慎重に言葉を選んだつもりなのだろうが、その裏には「田舎過ぎる……」という感想が見え隠れしていた。

 ともあれ無事現地に到着した写真部+生徒会役員ご一行様(つまり僕たち)は、線路の上を跨ぐように作られた陸橋を渡り、改札口へと向かう。

「驚いたな。自動改札口もないとは」

 出口で切符を回収している駅員さんを眺めながら、鳴瀬先輩がぼそりと呟く。

 僕は盆や正月に田舎こっちに帰ってくるからあまり驚かないけど、確かに首都圏から外へ出ない人からすれば、まるで昭和にタイムスリップしたような感覚に陥るかもしれない。や、僕も昭和の風景を詳しく知っているわけじゃないけどね。

 駅員さんに「行ってらっしゃい」と温かい言葉をもらい構内に足を踏み入れると、数人の親子連れや高齢者の方がベンチに座って次の電車を待っていた。前にも書いたように、呉線は一時間~一時間半に一本しか止まらないため暇を持て余すことが多く、ほとんどの人は駅の売店で買える新聞や雑誌を読んだり、近くの人とおしゃべりを楽しんでいる。地域密着性の高さと、竹原に暮らす人々の人柄を窺える光景だ。

「みんな、ちょっとストーップ」

 そのまま構内を通り過ぎようとしたとき、衣笠先輩から号令がかかった。

「む、何だね。我々は早く町並み保存地区を見学したいのだが」

 部長が怪訝な表情で聞き返す。

「そう焦らないの。言ったでしょ、竹原の魅力は至る所に溢れているって。ここはその一つ目」

「ここが? しかし駅には何もなかったし、外にはどこにでもあるようなロータリーが広がっているだけだぞ」

「ふふ。もっとよ~っく辺りを観察してみて。正解できなきゃ私の実家には連れて行ってあげないんだから」

「なんだそりゃ。いつからこの旅はローカルクイズ番組になったんだ……」

 部長の半眼にも衣笠先輩は無言の微笑みを返しただけだった。とは言え、その背後には「気付くかな♪ 気付くかな♪」というノリノリなオーラがはっきりと目視できる。本当に生徒会のナンバーツーなのか疑いたくなるほどのキャラ崩壊っぷりだ。

 そんな彼女にこれ以上何を言っても無駄だろうと悟った部長は、「こほん」と一つ咳払いして僕と鳴瀬先輩に向き直った。

「という訳だ、諸君。どうやら衣笠玲奈の出す問題に答えられなければ先には進めないらしい」

「面倒なことになってきましたね。と言うか、あのキャラの変わりようは何ですか。ことごとくツボに嵌まるんですが」

「確かに今日の衣笠玲奈は頭のネジがどこか飛んでいるらしい。だがあれは我々を油断させるための罠かもしれない。可愛い外見に騙されるようではいけないのだよ」

 腕を組んで、うんうんと頷く部長。

 すでに先輩たちの興味関心はクイズよりも衣笠先輩のほうに移りつつあるが、面白そうなので僕も参戦してみることにした。

「部長。衣笠先輩が可愛いって認めているんですか?」

「なっ、何を言うのだね、古澄君。そんなことあるわけないだろう!」

 己の中にある邪念を振り払うように激しく否定する部長。……この様子だと、多かれ少なかれ衣笠先輩のことを意識してはいるみたいだ。

「敵対する者同士の組み合わせか。なかなかお似合いだと思うぜ」

「鳴瀬君まで冷やかさないでくれたまえ。それよりクイズを解くことが先決だ」

 そう言われても……。

 僕は改めて周囲を確認するが、右手に観光案内処、奥にショッピングパークの入口がある以外は、ロータリーにタクシーが数台止まっているくらいである。竹原の魅力を感じられるものなんてどこにも……。ん、ひょっとして。

「足下に刻まれた“おかえりなさい”の文字がそうですか?」

 注意しないと見落としてしまいそうな文字。風雨や雑踏の影響でかなり擦れてしまっているが、確かにそこには竹原に戻ってくる人への温かいメッセージが刻み込まれていた。

「正解。観光地や景勝地のほとんどは“ようこそ”という歓迎の言葉を使うケースが多いけれど、ここは違う。“何年経っても、どんなに月日が流れても、あなたが帰ってくることをいつまでも待っています”という、故郷を表す言葉が刻まれている。それが私はとてもうれしい。将来どんな道を選んだとしても、この地は見守っていてくれる。私の心はここにある。――そんな風に感じさせてくれるから」

 この地で生まれ育った衣笠先輩の独白。

 潮の香り、竹のお祭り、歴史の息吹、人々の温もり。それらが自分を支えてくれているという考えはある意味ロマンチックだけど、だからこそ素敵で価値あるものなんだと思う。そしてまた、遠くから訪れた観光客でさえ何回も足を運びたくなってしまうのも、同じ理由に起因しているのだろう。

 僕は改めて竹原の奥深さに感動した。

「もっとも、これはまだ序盤の序盤。竹原にはもっとすごい魅力がたくさんあるんだから、しっかり私についてきなさいよね!」

 もはや完全に衣笠先輩が主導権を握ってしまっているが、誰も異論は唱えなかった。

 彼女がこの地を本当に愛し、誇らしく思っているのは誰の目にも明らかだったから。

 

「おや、玲奈ちゃん、いらっしゃい。久しぶりだね」

「こんにちは、武井さん。去年の冬は帰らなかったから、ちょうど一年ぶりですかね」

「もうそんなに経つのか。いやはや年月が過ぎるのは早いものだ。玲奈ちゃんが生徒会に入ってからはお母さんも心配していたぞ。学校生活が忙しくなって体の負担にならないか、とね。みんなのために頑張ることも大切だが、自分の体も同じくらい大事にするんだよ」

 まるで小さな子供に言い聞かせるように、武井さんは優しく微笑んだ。

 ――あの後、僕たちは駅から国道185号線へと抜ける商店街を見て回った。町並み保存地区へ向かうにはここを通り抜けると近いらしく、ついでに今夜開催予定の花火大会について最新の情報を得ることが目的だ。

 商店街は道幅も狭く、都市部と違って大きな店や巨大アーケードはないけれど、代わりに至る場所で観光客を歓迎するポスターを見かけた。中には一言ノートを置いてあるお店もあり、竹原を訪れた人からの感想やコメントが数多く書き込まれていた。

「ふむ。最近のモニュメントには妙なキャラクターを起用するのが流行っているのかな」

 とは、曲がり角に作られた石像に対する部長の評である。

 人の背丈ほどはある台座の上に、猫の頭部らしきものが乗っかっているだけのシンプルなデザインだが、マフラーや竹筒などでちょっとアクセントをつけているのが斬新だ。しかしよく見ると、目や髭は誰かが後で手を加えた跡が残されており、石の真新しさから考えても、この石像が作られたのはつい最近のことなのだろう。おそらく衣笠先輩も目にするのは初めてに違いない。

「ああ、それは多分町おこしのために企画したアニメのキャラクターね。確か去年の新聞に関連記事が載っていたと思うけど」

「あ、それなら僕も覚えています。竹原市の商店主や市議員たち五十人余りが出席して、勉強会が開かれたとか」

「うん。けど、個人的にはご当地アニメには微妙な立場なの。ここが有名になって活気づくのはうれしいけど、今までの静かな町の雰囲気が壊れてしまうんじゃないかな……って。ほら、マナー問題とか色々あるし」

 それはわかる。自分の生活領域に見知らぬ人が大勢押しかけてくるのには、ちょっと遠慮したいって人はたくさんいるんじゃないかな。特に竹原のような地域と自然の結びつきが強い町なら尚更。

「そう悲観になることはないだろう。町おこしが成功するか否かは、アニメのクオリティや視聴者の層ではなく、もっと深い“テーマ”に左右されるものだ。見た人が何を思い、何を感じるのか。それさえ間違えなければきっと大丈夫さ」

「うん……。そうだね」

 部長の励ましに、衣笠先輩は笑顔で頷いた。


 そんなやり取りをしながら歩くこと数分。国道側の入口に近い場所にその店はあった。

 店主を務めているのは武井さんというまだ四十前半くらいの若い男性で、衣笠先輩の紹介によると、彼女が小学校低学年の頃から交流があるらしい。話し方も気さくで親しみやすく、関東から来た僕たちを快く歓迎してくれた。

「この頃は遠くから来られる人がかなり増えてね。去年の『憧憬の路』は、一日で三千人もの人が集まったと聞いているよ」

 通りに面した窓に張られた町おこしポスターを眺めながら、武井さんは当時の状況を楽しそうに語る。

「三千人、というのは多いほうなのですか?」

「例年に比べたら大盛況だね。見ての通り竹原は小さな町だから、あの日はどこのお店もてんてこ舞いだったよ。特に玲奈ちゃんの家はすごい繁盛だったなぁ」

「えぇっ! うちが!?」

 信じられない、といった表情で瞠目する衣笠先輩。

 そんなに意外なことなのかな。

「というか、そもそも何を経営しているお店なのかね?」

 ああ、それそれ。僕もここに来てからずっと気になっていたんだよね。

「ああ、玲奈ちゃんの実家はお好み焼き屋さんだよ」

「お好み焼き屋、だと?」

 それまで店内を物珍しそうに物色していた鳴瀬先輩が、条件反射の速度ですっ飛んできた。心なしか、その目が怪しい光を帯びている。

「鳴瀬君。その過剰反応は何だね?」

 部長の冷めた目にも構わず、鳴瀬先輩はみんなの前に進み出ると滔滔と語り出した。

「広島の名産品や郷土料理は数多くあれど、中でも広島風お好み焼きは実に六十年以上の歴史を持つ“ご当地グルメの代表格”とされています。僕たちがよく食べる関西風お好み焼きとの違いは何と言ってもその焼き方で、関西風では具と小麦粉を水に溶いた生地を混ぜてから焼くのに対し(注1)、広島風は鉄板の上に生地をクレープ状に伸ばして焼き、その上に具を重ねて焼く調理法(注2)が有名です。また、関西風と比べて遙かに大量の野菜が入っているので火が通りづらく、家庭の低い火力では調理が難しいこと、ひっくり返すのにも多少の技術が必要なことなどから、主に専門店で食べるのが一般的ですね。そうした背景もあり、現在広島市だけでも八百軒以上、広島県内では二千軒ものお好み焼き屋があると言います。ちなみに典型的な広島風お好み焼きの店では、真ん中に大きな鉄板を擁するテーブルがあり、その上で焼かれたお好み焼きをヘラで直接食べるのが基本となります。そのため鉄板にも一工夫されていて――」

「ちょっと待った、鳴瀬君」

 なおも洪水のようにあふれ出す解説に、部長がようやくストップをかける。

「なんだよ、マッキー。これからが面白いのに」

 これから……って、これまでで充分お腹いっぱいなんですけど……。

 不満そうに唇を尖らせる先輩の肩に両手を置いて、部長はふりしぼるような声で言う。

「君がお好み焼きをこよなく愛しているのはよくわかった。わかったから、もう勘弁してくれ」

「むぅ、しょうがないですね」

 ほっ、助かった……。と胸を撫で下ろしたもつかの間、

「では続きは関東に戻ってからにしましょう」

 続く鳴瀬先輩の台詞に、僕と部長は声にならない叫び声を上げた。

「はっはっは。詳しいんだねぇ。地元民にも引けを取らない知識だよ。だが、玲奈ちゃんの店で出されるお好み焼きは普通の広島風とは少し違うから楽しみにしているといい」

「へぇ、それは期待ですね」

 ますます先輩のボルテージが上昇していく。

 衣笠先輩にしろ、鳴瀬先輩にしろ、竹原にはその人のパーソナリティを壊してしまう性質があるらしい。僕も充分用心しなければ。

「違うとは言っても、トッピングに使う具材以外は広島風をベースにしているわよ。ソースも自由に選べるから色んな味が楽しめると思うわ」

 そして小声で、

「ま、うちの本当に凄い所は“お好み焼きじゃないんだけどね”」

 と付け加えた。

 どういう意味なんだろう、と疑問に思ったが、それを訊ねる前に衣笠先輩は話題を変えてしまった。

「そういえば武井さん。今夜の花火大会って予定通り開催されるよね?」

「ああ、晴れていればな。昨日の天気予報ではどうやら夕方頃から雲が広がるらしいが、中止になることはないだろうよ」

「よかった~。じゃあ、それまで保存地区を案内することにするわ」

「はっはっは。気をつけて行っておいで。ただし、あんまりはしゃぎ過ぎないように注意するんだよ」

「わ、わかってるわよ」

 流石武井さん。長い付き合いだけあって、衣笠先輩の性格をしっかり見抜いているみたいだ。

「みんなも玲奈ちゃんのことよろしくね」

「あ、はい」

「任せておきたまえ」

「お好み焼き……」

 若干一名おかしな返事をした人がいるが、気にしないことにしよう。

「それじゃあ、しゅっぱーつ!」

 衣笠先輩の号令のもと、僕たちは再び歩き出した。

 このまま国道沿いに進めば、町並み保存地区はもう目の前だ。


注1:「混ぜ焼き」と言う。また関西風ではそば・うどんなどの麺類を入れないことが多く、入れたものは「モダン焼き」と呼ばれる。

注2:「重ね焼き」と言う。広島風では通常麺類を入れるが、入れない場合は「素焼き」と呼ばれる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ