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夏合宿初日 ―旅路―

「――さて、今日の議題はずばり、夏休みの合宿についてである」

 終業式前日の放課後。いつものように部活に顔を出すと、部長と鳴瀬先輩が山のような旅行パンフレットとにらめっこしている最中だった。いや、正確には、部長が旅行先を次から次へと提案し、それを先輩が、予算+今日までのバイト収入に基づいて、現実的な場所とそうでない場所に仕分けているのだった。

「やあ、古澄君。君もそんな所に突っ立ってないで、早く会議に加わりたまえ」

 パンフレットから顔を上げず、指示だけ飛ばす部長。僕はティーポットから三人分のレモンティーをカップに入れると、先輩達の前に置いて席に座った。

「ありがとう」

 鳴瀬先輩がにっこりと笑って、カップに口をつける。そして、鞄からさらに新しいパンフレットを取り出そうとしている部長のほうを向いて、思案顔で切り出した。

「なあ、もうこれくらいでいいんじゃないか、マッキー。いくら遠足時にある程度稼げたと言っても、行ける所には限界がある。わざわざフィンランドの果てまで行ってなにがしたいんだ、お前は……」

「無論、オーロラ撮影に決まっているだろう」

 先輩の問いにフッと片頬で笑って答える部長。

 オーロラ撮影って簡単に言うけど、それなりに良い写真を撮ろうと思ったら、気候条件や大気の状態も考えなければならないし、そもそも極寒の地へ出向く装備にかかる費用も尋常ではない。そこんとこ理解しているのだろうか……。

「なに言ってるんだ、古澄君。我々はプロの写真家だ。ロマンを追い求めるためには危険に飛び込む覚悟も必要なのだよ」

「ですが部長。そもそも夏は白夜の影響でオーロラ観測には適さないはずですが……」

 僕の指摘に、部長の笑顔が凍る。

「そうだな。観測率第一位として有名なカナダ・イエローナイフでは十一月頃から。北欧にしても八月下旬からじゃないと観測は難しいらしい。第一低気温だとカメラの電池性能から写真を撮ることさえ難しくなるが、このためだけに新しいものを買うつもりか?」

 先輩の追撃をかわす手段のない部長は、がくっと床に膝をついた。

 部長のノリは嫌いじゃないが、時々過度に突っ走ってしまい、周りが見えなくなることが多々ある。しかしこれでも先代の部長よりは数百倍マシだというから驚きだ。

「ま、大人しく国内の観光地を見て回るのが一番堅実だな。個人的には箱根へ温泉旅行なんていいんじゃないかと思っている。関東圏内だから旅費も少なくて済むし、自然との調和や富士山をテーマにした写真もばっちり撮ることができる。富士山を題材としたフォトコンテストは頻繁に開かれているから、応募用に数枚良い構図を撮れれば言うことなしだ」

「ふむ。古澄君はどうだね?」

「僕ですか? ええと、実は候補がないこともないんです」

「ほう。というと?」

「はい。僕の祖父母が瀬戸内海に面する町に住んでいるのですが、この夏に近くで大きな花火大会が開催されるらしくて、是非一度見に来てはどうかという手紙をもらったんです。関東では神奈川新聞花火大会が有名ですけど、花火に照らされる瀬戸内の島々を撮るのも、また違った趣があっていいんじゃないかと」

「ふむ、夜空に咲く刹那の花、か。確かに写真のテーマとしては申し分ないな」

「西日本には中学時代の修学旅行でしか行ったことないので僕も楽しみですね。もっとも、市内を観光したことよりも、夜に怪談話を語り合った思い出のほうが鮮明に記憶に残っていますが」

「怪談?」

 部長の耳がピクンと動いた。

「ん? マッキー、怪談に興味あるのか?」

「もちろんだとも。怪談は花火と並んで夏の夜を締める風物詩じゃないか! 廃ビルや病院を彷徨う幽霊、山間部のトンネルや岩壁の上に突如現れる黒髪の女、墓石の合間を浮遊する魂に異界への扉! これをロマンと言わずしてなんと言う!」

 雑誌を放り投げ、椅子の上に立ち上がって拳を握りしめる部長。相当ハイになっていることがびしびし伝わってくる。

「それに怪談と写真は切っても切れない関係にあるからね。我が写真部のメインテーマの一つに取り入れてもいいくらいだよ」

「どういうことですか?」

「近頃ではめっきり減ってしまったが、数年前はよく心霊写真を題材にしたホラー番組が放映されていたんだ。もっとも、あれらの番組に使用されている写真はちょっとわざとらしい、というか胡散臭いところもあるが、僕としては詳しく調査するに値する現象だと思っている」

「しかしマッキー。心霊写真が注目されなくなった背景として、その現象が科学的に説明できるものであったという結論が出されたことも事実だ。例えば、あちこちに写る怪しい光は単にカメラのレンズに付着した埃だったり、体の一部が消えたように見える現象は人や物の影に隠れてしまっていたからという単純な解答だった。現在では画像編集ソフトも進歩していて、どんなにあり得ない構図でも加工や合成で簡単に作れてしまう時代だ。たとえ再び注目されたとしても、まともに原因解明に乗り出す人はそういないだろう」

「ふっ、そんな考えに囚われていては本質を見抜くことはできないのだよ、鳴瀬君。まずはその現代文明に支配された常識を綺麗さっぱり捨てたまえ」

「いや、考えもなにも事実だろ……」

 僕も鳴瀬先輩の方が正しいと思うのだけど、一度走り出した部長は止まらない。

「偉人による歴史的な大発見のほとんども、世間の常識を否定することから始まったんだ。それに偶然が加わり、彼らはその偶然を見落とさなかった。――いいかい。数多ある心霊写真の多くは、確かに鳴瀬君の言う通り偽物だ。大方は、光の反射や屈折、大気中の埃やレンズの汚れ、そして編集ソフトによる加工などで説明がつくだろう。しかし、だ。世の中にはあるのだよ。本物の心霊写真が、ね」

 まるで呪詛のようにはき出された言葉は、これから始まる不可思議な事件を暗示していたのかもしれない。

 月のない真っ暗な夜。瀬戸内海に突如現れる謎の小舟。そして、“海の上を歩く”白い着物の女……。

 合宿の最中に起きた数々の怪現象は、僕たちの脳裏に深く、そして鮮明に刻まれたのだった。



「いやぁ、しかし参ったね、これは」

 まだ朝早い時間であるにも関わらず、若者のグループがあちらこちらに目立つJR福山駅。ほとんど岡山県と広島県の境に位置するここは、交通の要所として利用されているだけあって、山陽新幹線と在来線が通っている。しかし駅構内の作りはそこまで複雑ではなく、むしろ広島から岡山までのお土産や駅弁などを売っている店が大部分を占めていると言っていい。人の流れも、福山城のある北口と、大型デパートが立ち並ぶ南口を行き来するように動いていて、改札内に入ってしまえば人口密度はぐっと減少する。

 僕と部長は、在来線の待合ロビーに設けられたベンチに腰掛け、頭上で刻一刻と変わる電光掲示板を眺めていた。

 時刻は午前九時三十分。鳴瀬先輩が乗車した新幹線は本来九時二十八分に到着する予定だったが、なんらかの影響でダイヤに五分ほど遅れが生じているらしい。「のぞみ1号」の横に表示された運行状況を見上げながら、僕は気が気でなかった。

「そう心配する必要はないよ、古澄君。仮に五分到着が遅れたとしても、在来線の発車までまだ五分少々余裕がある。急いで切符を買えば間に合うさ」

「それはそうですけど、なにせ三原からの呉線の本数が一時間に一本しかありませんからね……。福山ここで予定の電車を逃すと、竹原の到着が一時間半近く遅れてしまうことになります」

「とことん生真面目なタイプだね、君は。竹原はそんなに大きな町ではないから観光時間が一時間減った所で大した問題ではないし、多少のトラブルも旅の味さ。要は数年後に振り返ったとき、“行ってよかった”、“楽しかった”と思えることが最も重要なんだ」

「へぇ、部長もたまには良いこと言うんですね」

「どういう意味だね?」

「い、いえ、別に……」

 部長の目が笑っていないことに気付いた僕は素直に口を閉じる。でも少し意外だったことも確かだ。普段は見境なく突っ走ることが多い部長だけど、なんだかんだで、みんなが楽しめるような旅行にすることを第一に考えているみたいだ(とは言え、旅行鞄に大量に詰め込まれたスナック菓子とレクリエーション道具の数々は別にいらなかったけどね……)。

「ときに古澄君。鳴瀬君から何か連絡はないのかね? ダイヤの遅れや到着時間の変更に関して」

「いえ、ないですけど」

「ふむ……。ということは、鳴瀬君は自分の乗った新幹線が遅れているのに気付いていない可能性があるね。あるいは車内で熟睡しているか」

「えぇぇえええ!? それは困りますよ!」

 しかし可能性としては充分あり得る。尾道にある祖父母の実家に数日前から滞在している僕と違って、部長と先輩は今朝早くに関東の自宅を出発し、三時間半も新幹線に揺られながらここまで来たのだ。睡眠不足と長旅の疲れが生み出す相乗効果は、時として抗いようがないほど人体に重くのしかかる。低血圧とは無縁な部長なら問題ないだろうが、そうでない鳴瀬先輩が果たして起きていられるかどうか、かなり微妙なところだ。

「やっぱり心配ですよ。一応メール送ってみます」

「それがいいだろうね。ついでにホームに着いたらダッシュで降りてくるように指示しておいてくれたまえ。あと竹原までの切符代、ええと九百五十円だったかな、も用意しておくようにと」

「わかりました」

 電光掲示板を信じるなら、新幹線が到着するまであと二分。僕は祈るような気持ちで素早くメールを打って送信した。すでに在来線の掲示板には、九時三十八分発の山陽本線(三原行)が表示されているが、未だにホームから降りてくる人波の中に先輩らしき人物は見当たらない。気持ちばかりが焦っていく。

「むぅ、なかなか降りてこないね。僕が鳴瀬君と同じ新幹線に乗車していればよかったのだが」

 難しい表情で部長が呟く。

「部長のせいじゃないですよ。そもそも竹原行きを提案したのは僕なんですから」

「いや、お盆の前後は新幹線が混雑することくらい予想できていたのに、ぎりぎりまで切符を購入しなかった我々にも責任がある。ほんとは鳴瀬君と一緒に窓口に行くつもりだったのだが、生徒会に提出する夏休みの活動予定表の作成に手間取ってしまってね。まったく部長として面目ない」

 うぅ……なんか部長が本調子じゃないと、こっちまで調子が狂うというか何というか。

「そんなしんみりしたキャラは似合わないぞ、マッキー」

 ですよね、鳴瀬先輩。……って、あれ?

「鳴瀬君! 着いたんだったら一言連絡くらい寄越してもバチは当たらないと思うがね」

「そっちがダッシュで降りてこいってメールを送ってきたんでしょうが。二泊三日で荷物も多いっていうのに、まったく勘弁してほしいですよ」

「泣き言と息継ぎは後にしたまえ。在来線の発車まであと四分しかないのだから」

「はいはい。じゃあ、切符買ってきますので荷物を見張っておいてください」

 そう言うや否や、先輩は山陽本線の切符売り場へ全力疾走していく。こういう切羽詰まった状況とは不思議なもので、普段出せないようなスピードを発揮できることが多い。きっと先輩も“己の限界を超えた境地”ってやつを味わっていることだろう。

「なんにせよ、間に合ってよかったですね。これでスケジュール通り進められそうです」

「うむ。しかし見たまえ、古澄君。あの鳴瀬君の悪運ぶりを」

「へ?」

 部長に習って切符売り場へと目を向けると、千円札を入れても何故か戻されるという謎のあるある現象が起きていた。普通なら一笑して終わるのだが、いかんせん今は時間がないのである。焦りが表へ出ないよう、努めて無表情で千円札の表と裏を確認する先輩に僕は大声をかける。

「先輩! あと三分しかありません! 急いでください!」

 そのとき、見かねた部長が助け船を出した。

「鳴瀬君、この千円札を使いたまえ」

 すごく高級そうな財布から優雅な手つきでお札を取り出し、先輩へ渡す。この辺り、部長の財政感覚が一般人とはかけ離れていることが窺えるが悠長に考察している暇はない。

 なんとか切符を購入した先輩が急いで改札内に戻ってくる。それを確認すると、僕は二人を誘導する形で一気に在来線のホームへと駆け上がった。

 時刻は発車一分前。

 間に合え、間に合え、間に合え―――!

『まもなく三番線に電車が参ります。危険ですので黄色い線の内側に下がってお待ちください』

 体力測定でも出したことのないフルスピードでホームに着くと、ちょうど列車到着を知らせるアナウンスが響き渡った。どうやら、ぎりぎりセーフだったみたいだ。

「いやはや飛ばすねぇ、古澄君。ホームグラウンドでの君はとても輝いて見えるよ」

 無事、山陽本線に乗車した僕たちは、乗車口に近い座席に腰掛け一息ついた。ちなみに鳴瀬先輩はまだ口がきける状態ではない。

「すいません……。現地案内は僕がしっかりしないといけないと思ったので、ついはしゃいでしまいました……。今日は朝早くから本当にお疲れ様です」

 部長は元気そうなので、主に鳴瀬先輩に向かって頭を下げる。

「いいよ、頭なんか下げなくて。早起きは前々から覚悟していたし、古澄君がリーダーとしてみんなを引っ張っていく姿も新鮮で面白いからこれからも期待してるよ」

「うむ。この三日間だけは部長代理として頑張ってくれたまえ。なんなら、部長権限の行使を許可しよう」

「ええぇぇええ! そんな急に振られても困りますよ。この辺りの地理には詳しいと言っても、せいぜい福山から糸崎までしかわかりませんから。呉線を利用したことは一度もありませんし、目的地である竹原もこの目で見るのは初めてです。祖父母は何度か訪れたことがあるらしいですけど」

「ほう。つまり竹原には何度も足を運びたくなる魅力があるわけだ」

「みたいですね。旅行パンフレットに“安芸の小京都”と紹介されているくらいですから」

 僕は鞄から観光ガイドマップを取り出しながら答える。

 広島県の有名所と言えば、厳島神社や清盛神社のある宮島、同じく世界文化遺産として登録されている原爆ドーム、万葉の時代から潮待ち・風待ちの港として栄えたともうら、2011年に文化庁メディア芸術祭優秀賞を受賞した映画『ももへの手紙』の舞台となった大崎下島豊町などが挙げられるけど、歴史情緒溢れる町並みを売りとする竹原市も高い注目と人気を集めている。

 市の北東には江戸時代の横町の雰囲気をそのまま現代に伝える「町並み保存地区」が残っており、高い壁や長屋門の格子、覆いの漆喰壁を楽しむことができるという。また、映画『時をかける少女』でお馴染みの胡堂えびすどうを始め、多くの市重要文化財・国重要文化財が生き続けている。写真スポットに困ることはないだろう。……まあ、別の見方をすれば、だからこそ曰くありげな怪談が数多く根付いているのだろうけど。

「部長。現地に着いたら、本当に肝試しやるんですか?」

 僕はもっとも気になっていたことを再度訊ねてみる。

 光輝く真夏の太陽に青い海、その上に点々と浮かぶ瀬戸内海の島々。関東とは違い、どこかリゾートっぽい雰囲気漂う景色に怪談なんて不釣り合いのように感じたからだ。

 しかし部長は不適な笑みを浮かべて首肯した。

「もちろんだとも。今夜は花火大会が開かれるから、二日目の夜に決行しようと思う。それまでは各自、地元の人たちが集まる公共施設や商店街で聞き取り調査。よく“出る”と噂の心霊スポットがあれば、そこを重点的に見て回る。時間はやはり丑三つ時を狙いたいね。大都市と違って街灯はあまりないだろうから、存分に雰囲気を味わうことができるだろう」

「そんな夜遅くに出歩いて補導されませんかね……」

「なに言っているんだ、古澄君。僕たちは観光客だよ。堂々と胸を張って行動していたら怪しまれないさ」

 その自信がどこから来るのかはさておき、深夜にカメラを構えてウロウロするのはあまり好ましくないと思うけどなぁ(特に部長の場合、十中八九不審者と間違えられそうだし……)。

 と、僕が頭を悩ませていると、

『まもなく尾道~。尾道に止まります。お出口は左側です』

 次の停車駅を告げる車内アナウンスが聞こえてきた。

「あ、ここですよ。僕の祖父母が住んでいる所。ほら、向こうに尾道大橋が見えるのがわかりますかね?」

 僕は今し方通り過ぎた巨大な橋を指し示す。

「ん? ああ、あの本土と向こうの島を繋いでいる橋か」

「ええ。本州と四国を結ぶしまなみ海道の入口としても知られていて、ほかの橋と比べて全長が短いことが特徴ですね。すぐそこがもう瀬戸内海なんですが、ここらは本土と向島の距離が近いのでまるで水道のように見えるんですよ。駅を出ればフェリー乗り場が目の前にありますし、造船場もなかなか見応えがありますよ」

 古くから造船業で成り立ってきた尾道ならではの風景だ。一方、海と反対側に目を向ければ山の中腹に建てられた古い寺の数々が視界に広がる。最も有名な千光寺を始め、駅周辺だけでも優に十五を超えるお寺が観光客を出迎えてくれる。潮の香りに彩られた船着き場や桟橋、瀬戸内沿いに走る道路は曲がりくねっていて、絶えず変化する景色も旅心を飽きさせない。

 都心と比べれば確かに娯楽施設は少ないけど、道行く人はみんな優しくて、地域密着と自然を感じることができる僕の大好きな町なんだ。

「こんなに空を広く感じられるなんて……普段、僕らがいかに窮屈な場所で暮らしているかわかりますね。開放感が半端ないです」

 先輩は窓に顔をくっつけんばかりに景色を凝視している。その様子がまるで子供みたいで、僕は危うく吹き出しそうになった。なにはともあれ、現地案内人としては楽しんでもらえているようで嬉しい限りだ。

「鳴瀬君、ちょっと顔をどかしたまえ。君が入ってしまったらせっかくの写真が台無しになってしまう」

 部長もお気に入りのカメラを構えて撮影準備万端だ。対して、水を差された先輩は不満そうに抗議する。

「えぇ~、合宿なんですからみんなで撮りましょうよ。写真部の思い出にもなりますし」

「むぅ、確かにそれも一理あるが……って、ああっ! さっきまで見えていた橋が隠れてしまったじゃないか!」

 絶好のシャッターチャンスを逃した部長の悲鳴が車内に響き渡る。

「因島大橋ですね。向島と因島を繋ぐしまなみ海道第二の橋で、一応高速道路の下に歩行者用の通路もあるので歩いて渡ることもできます。山陽本線からだと尾道~糸崎間の限られた区間でしか見られないので、もし撮るなら帰りに再挑戦するしかないと思います」

「くっ、鳴瀬君の邪魔が入らなければ……っ!」

「なんで僕のせいにされるんですか!?」

 そのままバチバチと音がしそうなにらみ合いを続ける二人。非常に面白い光景である。

 僕は自分のバッグからカメラを取り出すと、二人に気付かれないようにこっそりシャッターを切った。

「「なに勝手に撮っているんだ、古澄君!」」

 瞬間、先輩たちの火花が僕へと飛び火する。

「わぁ、バレてたんですか!?」

「「当たり前だ!」」

 結局、僕も一悶着に巻き込まれ、なんとか鎮火しようと努力している内に電車はいつしか三原駅へと到着していた。


「ほう。あれが次に乗る呉線か」

 ややグレーに近い白を基調とした車体に青と赤の帯が一本ずつ入った塗装。車両は全部で三つしかなく、線路も一本のみである。したがってすれ違うためには線路が分岐するポイントで留まっていなければならず、運行本数が極端に少ないことにも頷ける。

 まあ、ローカル線の基準で考えれば別に珍しくはないし、なにより発車時刻が迫っているためさっさと乗車したのだ、が……。

「――で、どうして扉が全部閉まったままなんだ?」

 先輩が僕に訊いてくるけど、こんな奇抜な電車にお目にかかったことのない僕には答えられない。

「変だね。中にいる人たちはどうやって乗車したんだろう?」

 そう。車内にはすでに乗客が座っているのにも関わらず、扉が固く閉ざされているのはこの電車の仕様なのだろうか……。訳がわからない僕たちは目的地に着く前から早くも心が折れそうになる。

 と、そのとき。

「ああ、このドアは半自動式なのよ。開けるにはドアの横についているボタンを自分で押さないと」

 突然横から細長い繊細な指が伸びてきて、バスの降車ボタンのようなものを押した。すると、プシューと音を立てながら扉が左右に開いた。

 なるほど、そういう仕組みになっていたのか。どなたか存じないけど、見ず知らずの僕たちを助けてくれて本当にありが、と…う……?

「どういたしまして。……って、ああっ! あなたたちは!」

「なっ!? キサマは衣笠玲奈! 一体どうしてここに!?」

「それはこっちの台詞よ! なんだってあなたたちが私の地元にいるわけ!?」

「我々は夏合宿を満喫しているだけだ。この前生徒会に提出した夏休みの活動予定表にもきちんと書いたはずだが?」

「うっ、そう言われればそうだったかも……」

 途端に毒気が蒸発していく衣笠先輩。

 ふぅ~、一触即発な空気はとりあえず回避できたみたいだ。それにしても衣笠先輩の実家も広島にあるなんて世界は案外狭いのかもしれない。

 混乱から回復した衣笠先輩は、それでもやや警戒心を見せつつ言った。

「せっかくの旅行気分を害してしまったのなら謝るわ。でも、こんな何もない田舎町を合宿先に選んだ理由を聞かせてもらえるかしら」

「無論、瀬戸内の海と島が織り成す壮大な風景を写真に収めることが第一目的だが、その裏に隠された怪談の謎も解き明かしたいと思っている」

「か、怪談?」

 返答があまりにも予想外だったのか、衣笠先輩は目を白黒させる。

「まあ、そっちに関してはマッキーの自己満足で終わりそうな気がしないでもないけどな。江戸時代の面影を残す古い町並みと聞けば、それだけで観光に充分値する価値があると思うぜ」

「ええ。そういった雰囲気は関東ではなかなか味わえませんから」

 僕と鳴瀬先輩が修正すると、衣笠先輩は得心がいったように頷いた。

「竹原は町並み保存地区が一番有名だけど、少し範囲を広げればもっとたくさんの魅力に触れられる町なの。江戸時代後期に製塩や酒造業で栄えたお屋敷もそのまま残っているし、一年を通して行われる伝統行事にはその名の通り竹細工を取り入れることが多いわね。まだちょっと先のことだけど、十月下旬から十一月上旬に行われる『憧憬の路』なんて本当に綺麗なんだから!」

 目を輝かせて竹原の魅力を力説する衣笠先輩に僕らは圧倒される。

 衣笠先輩って、こんなにテンション高いキャラだったっけ……?

「意外と饒舌なのだな、衣笠玲奈。流石生徒会をまとめているだけのことはある」

「あっ、その、これはつい……」

 顔を赤くしてうつむく先輩。これが所謂ギャップ萌えというやつなのだろうか。

「と、とにかく! もうすぐ発車するんだから、さっさと乗りなさいよね!」

 なんとか自分の威厳を取り戻そうと必死に体裁を繕っている姿が、さらに逆効果になっていることに先輩は気付いていない。鳴瀬先輩なんか、僕の後ろで笑いをかみ殺しているくらいだ。

「急に萌えキャラを作っても我々は騙されないぞ、衣笠玲奈」

「誰が萌えキャラだああああああ!!」

 衣笠先輩の絶叫も虚しく、むしろさらに周囲の注目を集める結果になってしまいましたとさ。


 三原駅を出発した電車は、瀬戸内を望むレールの上を快調に走っていた。もっとも、カーブの多いローカル線なので速度はそれほど速くはないのだが。

 なんの悪戯か、僕らと同行することになった衣笠先輩は呉線の仕様から竹原の歩き方まで一通り教えてくれた。それによれば、竹原駅と呉駅以外では後ろ二車両の扉は開かず、降車したい乗客は一番先頭の車両に移動し、例の開閉ボタンを押さなければならないという。非常に面倒なことこの上ないが、部長の台詞を借りるなら、これも旅の味というやつなのだろう。

「今通り過ぎた忠海が竹原市のもっとも東でね。ここから四つ先の吉名駅まで市内ということになっているの」

 キャラ崩壊のショックから立ち直ったのか、衣笠先輩の観光ガイドは続く。

「じゃあ、町並み保存地区は竹原市のごく一部でしかないということですか?」

「ほんの一握りでしかないわね。もちろん、市の中心部ではあるけれど。北には湯坂温泉郷、吉名にはゴルフリゾート、忠海には黒滝山とエデンの海、それからフェリーで行ける大久野島は野生のウサギとふれ合える瀬戸内海の楽園で、たくさんのレジャー施設と海水浴場があるわ」

「なるほど。自然を活かしたスポットが多いというわけか」

 部長の言う通り、竹原市を一言で表すなら“自然との調和”が最も的確だろう。改めてここを合宿先に選んでよかったと思う。

「――それで、この地に伝わる怪談もしくは怪現象はなにかないのかね?」

 身を乗り出して訊ねる部長に、衣笠先輩は呆れ顔でため息をついた。

「本当にこりないわね……。私がこっちの小学校に通っていた頃は七不思議くらいあったし、怪談の一つや二つあるだろうけど全部迷信だと思うわよ。根も葉もない噂話と変わらないような」

「それでもいい。何か知っていたら教えてもらいたい」

「うーん、悪いけど、私こう見えても昔から怪談が苦手でその手の話は忘れることにしているの。ただ、お姉ちゃんならずっとここで暮らしているからあるいは」

 へぇ、衣笠先輩って姉妹がいたんだ。

「そのお姉さんに会わせてもらうことはできるかね?」

「うっ、あなたたちを実家に案内するのは気が引けるけど、まあうちもお客さん不足で困っているだろうし別にいいかな……。い、言っておくけど、今回は特別なんだからね! あと、私の部屋を覗いたらただじゃおかないわよ!」

「そのツンデレキャラを天然で演じているとしたら滑稽だな。普段の朝礼でも是非――いえ、なんでもありません……」

 まったく、部長はすぐ調子に乗るんだから困ったものだ。しかし今までの話をまとめると、どうやら衣笠先輩の実家は接待業に関する仕事を営んでいるらしい。レストランか、はたまた旅館か、いずれにせよ興味は尽きないが先輩の機嫌的に今訊ねるのは止めたほうが良さそうだ。

「あ、次が竹原ね。ほら、町で唯一ある煙突が見えてきた」

 視線を転じれば、そこは歴史情緒と潮風が薫る町。

 “安芸の小京都”――竹原市。


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