写真部員、古澄訓和の現状 ―present―
父さんと同じ夢を目指すと決めたあの日から七年――。
僕は、地元でも有名な進学校として知られる時習館高校に入学した。それなりにレベルの高い大学を狙っていたからというのもあるけど、一番の理由は写真部があるからだった。学校のホームページで紹介されている部活・同好会一覧の中に、その文字を見つけたときは本当に胸が躍った。ここなら、大好きな写真を思う存分撮ることができる。同じ写真好きの仲間と語り合える。なにより凄いのが、その輝かしい実績の数々だ。
市の高校生写真コンクール優勝(第34回、第36回)。
第20回浜下新聞企画『地域の自然を伝えよう』最優秀賞受賞。応募作品は同新聞に掲載された。
このような栄光がざっと十くらい並んでいた。さらに、夏休みを利用して富士山に登ったり(説明文と一緒に、山頂で撮影された雲海の写真がアップされていた)、各地の景勝地に赴いて合宿したりもするらしい。まさに良いこと尽くしだ。
中一の冬の時点で早々と志望校を定めた僕は、中三の秋に時習館高校の文化祭にも行ってみた。目的はもちろん写真部の情報をもっと知るためだった。
「普段の活動はどのようなことをなさっているんですか?」
僕は、図書館に展示されていた写真を解説してくれた人に思い切って訊ねてみた。
「お! もしかして君も写真部に興味あるのかい?」
「はい! 父さんがプロの写真家で、僕も小さい頃にカメラの使い方とかレンズの種類とか教わったもので」
「ってことは経験者か。そいつは助かる! というのも、今うちの部活は色々と複雑でね。即戦力になり得る人材が欲しかったところなんだ」
期待に満ちた目で見られ、少し恥ずかしくなった僕は、照れ隠しに両手をぶんぶん振って答えた。
「そんな、僕なんかまだ全然ですよ。写真を撮ったことがあると言っても、主に地元の風景や身内ばかりですから。だから、全国の行楽地へ赴く機会がたくさんあるこの部活に惹かれたんです」
「なるほど。君は人を撮るのが得意なのか」
「ええ。……え?」
なんか会話の流れがちょっとおかしいような気がするのは、僕の思い過ごしだろうか……。首を傾げる僕を置いて、彼は一息に続ける。
「ますます君を歓迎したくなったよ。去年までは風景写真がメインだったけど、今年からは人物も積極的に被写体にしていこうと方針が決まってね。正直、僕は“ああいうこと”には関わりたくないんだけど、反対しようにも一部員の発言力なんかたかが知れてるし。いやぁ、つくづく部長権限ってのは恐ろしいものだと痛感したよ。あと部長の趣味にも。なんせ、盗s――いや、なんでもない。来年は是非我が写真部に入部してくれたまえ!」
「ちょっ、途中まで言いかけて流さないでくださいよ! すごく気になります!」
「ふっ、まあ、色々あってね……。君も入部すればその内わかるよ」
「ニヒルな笑みで誤魔化さないでください!」
絶叫にも等しい僕の頼みは、しかし受け入れられることなく、その人は足早に図書館を去ってしまった。
そんなわけで、“とうs”とか言う呪文めいた言葉の謎を胸中に抱えたまま、半年後、僕はめでたく写真部に入部したのだった。
その数ヶ月後、ああ……入部しなければよかった! と心の底から後悔する羽目になろうとは知りもせずに……。
あれは入部して数週間経った四月の終わり頃だっただろうか。
少しずつ先輩たちの顔と名前も一致してきて、部の雰囲気にも慣れてきた僕は、その日も委員会の仕事が終わるや否や写真部の部室へ向かった。部室は、一年校舎棟から渡り廊下で繋がっている旧校舎の一階にある。比較的日当たりの良い角部屋で、いざというときはすぐそばの非常扉から外に出られて便利なんだけど、建物自体が相当古い木造建築なので、上の教室を使用している人たちの足音がギシギシ響くのが唯一の難点だ。
……いや、唯一という表現は正しくないかもしれない。その理由はすぐ明かされると思うので、今は物語を進めよう。
ギシギシ軋む廊下を歩き、部室の戸をノックする。
「ああ、古澄君か。入りたまえ」
「失礼します」
ギィー……と、まるで幽霊屋敷のような音を立てながら戸を開ける。ほんとに築何年になるんだろう、この校舎……。耐震工事とかしているんだろうか。
「遅かったじゃないか、古澄君。今日は今年一年の部の方針を決める大事な会議を行う日だというのに」
中に入ると、黒縁眼鏡をキラリと光らせて部長が迎えてくれた。七三にわけた髪型と、どことなくキザな香りを漂わせるこの人は、小牧真樹先輩。回転寿司のメニューに並んでいそうな名前だが、僕は普通に“部長”と呼んでいる。本人は「気軽に“マキマキ”と呼んでくれたまえ」と周囲に求めているが、みんなごく自然に無視している。あ、鳴瀬先輩だけは、“マッキー”と呼んでいるけどね。
「すみません、小牧部長。今週は僕が図書カウンターの当番だったので。一応、遅れるってことは鳴瀬先輩にメールで伝えておいたはずですけど――ですよね、鳴瀬先輩?」
僕は、部室の隅で最新型カメラの説明書を熟読していた先輩に同意を求める。ちなみに鳴瀬先輩が去年の文化祭で僕を案内してくれた人で、普段はカメラや写真に関する雑誌を集めて読んでいることが多い。そのため、撮影機器全般に詳しく、部員の間でも一目置かれているらしい。まあ、その部員にしても、今年は新入部員が僕一人だけなので、この三人しかいないわけだが。
先輩は、キィ、と背もたれに体を預けると、顔だけこちらに向けて頷いた。
「うむ。メールの文面は確かにマッキーにも転送したはずだが、もしかしたら送ったタイミングが悪かったかもしれないな。今日の昼休みは、生徒会主催の予算要望会議があって、各部活・同好会の責任者は必ず参加しなければならなかったから、メールを確認する暇がなかったんだろう。――そういえばマッキー。今年度の写真部の予算は一体いくらになったんだ?」
「ふっ……聞きたいか?」
ブリザードのような冷たい声に、僕と鳴瀬先輩は沈黙する。予算要望会議のことはよく知らないけど、きっと壮絶な争いが繰り広げられたのだろう。ふりしぼるように呟いた言葉の言外に、戦いに敗れた者特有の無念さが感じられた。
「まあ、終わったもんは仕方ない。予算が少ないのなら、この一年でひとつでも多くの実績を残して、来年取り返せばいいだけのこと。今日はそのために集まったわけでもあるしな」
立ち直りの早い鳴瀬先輩は、早速部室の隅からホワイトボードをひっぱってきて、一年間の予定表を書き始める。副部長でもある先輩は書記の役割も兼務している(ちなみに僕は会計と広報担当だ)。
「文化系サークルの一番の稼ぎ時は、毎年十月初めに行われる文化祭ってほぼ決まっているけど、うちはこの近辺で撮影した風景写真を図書館に展示しているだけだから、収入には期待できない。となると、やっぱり各新聞社や市が主催するフォトコンテストに応募する方法が最も手っ取り早いが、問題もいくつか存在する。一つは被写体の限定。これまでは、風景であれば何を撮っても構わなかったけど、フォトコンテスト部門の細分化に伴い、“川の写真”、“海岸の写真”、“富士山の写真”……というように被写体が細かく指定されるようになったんだ」
「指定されると、なにか困るんですか?」
僕は手を挙げて訊ねる。どんな物が対象であろうと、顧客の満足する写真を撮る。それがプロの写真家に求められるものじゃないだろうか。
「うん、僕もそう思うよ。けど、実際問題、資金が圧倒的に不足している今の状況もきちんと考慮しなければならない。これは“個人”ではなく、“部”の活動だからね。川の写真くらいならまだいいが、海岸や富士山、自然公園となると、現地まで出かけなくちゃいけない。そうなると当然、往復分の旅費が発生する。さらに、良い写真――例えば、日の出の瞬間を捉えようと思ったら、宿泊費についても考える必要が出てくる。天候によってはさらに滞在日数が伸びる可能性もあるし、学校との兼ね合いも考えると、頻繁に出かけるのはあまり現実的とは言えないんだよ」
「でも、GWとか夏休みを利用すれば――」
「確かに長期休暇なら遠出できる。しかしその場合、毎年恒例の合宿をそれに割り当てなければならないだろうね」
まるで機械のような口調で、厳しい現実を淡々と並べ立てる鳴瀬先輩。でも、その感情の矛先が、去年卒業した先代の部長に向いているように見えるのは気のせいだろうか。
ふぅー、と一つ大きなため息をついて、先輩は話をまとめる。
「とまあ、そんなわけで、今回予算を獲得できなかったのはとっても痛手なんだよ。放課後にアルバイトでもすれば、ちょっとはマシな経済状況になるかもしれないけど、代わりに部活動の時間が減るのは、それはそれで本末転倒だしなぁ……」
うーん、僕も放課後は独自の撮影方法を色々試してみたかったけど、部に所属している以上、我儘は言えないよね。やっぱり、バイトするしかないのかなぁ……。
と、そのとき。手詰まりだった僕たちを嘲笑うように、部長が得意げな顔で語り出した。
「ふっ、諸君らは重要なことを見落としてはいないかね? 校則の隙間をくぐり抜け、かつ部活と収益を両立できる奇策を!」
椅子から立ち上がり、両腕を左右にバッと開いて熱弁をふるう部長に、僕たちはなにも言えない。入部して間もない頃は、僕の緊張をほぐそうと、わざとテンションの高いキャラを演じているのかと思ったけど、どうやら違ったようだ。部長の痛々しさは生来のものであるらしい。
眼鏡の輝きをさらに十カラットほど上乗せして、部長は吠える。
「放課後にバイトをするのは難しい。しかし資金も調達しなければならない。これだけ聞くと確かに無理そうだが、それは君たちがある固定観念に囚われている証拠でもある」
「回りくどいな、マッキー。つまり何が言いたいんだ?」
腕組みをして結論を促す鳴瀬先輩に、部長は、にやり、と微笑み返して言った。
「簡単なことだよ。“校外でバイトするのが無理なら、校内でやればいい”。それも我々写真部の力を遺憾なく発揮できる仕事を、ね」
僕はその言葉の意味を考える。写真部の力を発揮できるというからには、仕事内容は当然“写真を撮る”ことだろう。そして校内で被写体になりそうなものと言えば、校舎の外観や内部、あるいは生徒や教師が挙げられるけど……。
「あ、わかりました。校内活動や学校行事の写真を撮って、ホームページ制作委員会に提供するんですね」
自分なりに割と自信のある答えだったんだけど、部長は、チッチッチ、と人差し指を左右に振りながら否定した。
「発想が甘いぞ、古澄君。確かにそれも活動の一部には違いないが、もっと視点を大きく持ちたまえ。なにもホームページ制作委員会に限らなくてもいいではないか」
「え、それってつまり、顧客の幅を広げるという意味ですか?」
「うむ。できれば全校生徒を対象にしたいと思っている」
それがさも当然であるかのように、さらっと言う部長。
「……ええと、それ本気ですか?」
「もちろんだとも。僕の脳内シミュレーションによれば、この方法で百パーセント、今の状況を打破できるね」
さらに自信満々に胸を張る部長。……この人の思考回路が恐ろしいと感じるのはこういうときだ。
あまりに突飛な発言についていけない僕は、なおも議論を進めようとする部長を慌てて止める。
「ま、待ってください! この三人だけで全校生徒の要望に応えるなんて無謀すぎますよ! それじゃあ、何でも屋と同じじゃないですか!」
「落ち着きたまえ、古澄君。全校生徒が対象だとしても、その中で写真に興味ある人種はごくわずかだろう。現に、写真部には我々三人しか入部していないのだからな。仮に依頼が殺到したとしても、忙しくなる時期はある程度限られてくると思う。大方、新歓前、文化祭・体育祭の前後、卒業間際くらいのものだろう。特に行事のない月は、昼放課と放課後に集まって作戦会議を行い、いつリクエストが来てもいいように準備を整えておく。具体的には、各々の担当クラスと撮影エリアの決定がメインになるだろう」
ここで部長は一呼吸置き、鳴瀬先輩が内容をメモしているのを確認すると、満足そうに、さて、と続けた。
「写真撮影を希望する者には、希望する時間と場所を書いた紙を、三年校舎棟にある僕の下駄箱にこっそり入れてもらう。これは生徒会役員の目を写真部に向けないようにするためだ。万が一、我々の活動が不審行為と見なされた場合、余計な重荷を背負う羽目になりかねんからな」
どこか遠い目をして、しみじみと語る部長。以前、風の便りで耳にした、“時修舘高校の生徒会は、校内風紀を乱す者には容赦がない”という噂はどうやら本当であるらしい。さらに詳しく言うと、“その裁きたるや、中世魔女狩りも裸足で逃げ出す”とかなんとか。
さすがにそれは誇張表現だと思うけど、部長と鳴瀬先輩の虚ろな瞳は、ある程度の真実みを物語っていた。
「一つ質問していいか、マッキー」
メモを書き終えた先輩が、ペン先で部長を指して訊ねる。
「肝心の収入についてはどうするんだ? お金を払ったのに、満足いく写真がもらえなかったら、当然客は怒るだろ」
「うむ。もちろん、料金はすべて後払いとする。被写体までの距離やアングルを変えた写真を数枚用意し、その中でベストショットだと思うものをお客自身に選んでもらうようにすれば文句は出るまい。ま、細かい査定や金額の決定は、後日お客と相談しながら行うことにしよう。――さて、ほかに何か質問はあるかね?」
主に僕のほうを向いて、部長は最終確認に入る。僕は、恐る恐る手を挙げて聞いた。
「あの、もし本当に生徒会から目を付けられたら――」
「全力ダッシュしかあるまい。高校の裏手にある坂道で、足腰をよく鍛えておいてくれたまえ」
「えぇぇええぇえええ!!」
なんで運動部でもないのに走力を求められなきゃいけないんだ!
「ま、潔く諦めるこったな。マッキーは、一度やると決めた以上、見境無く突っ走るタイプだから。たとえ目の前に崖があったとしても」
「いや、止めましょうよ、そこは!」
冗談じゃない。ほとんど巻き添えを食らう形になった僕の身にもなってほしい。
「さ、ほかに質問がないようなので、今日の会議はこれで終わりにしよう。ああ、広報担当の古澄君は、くれぐれも生徒会に気付かれないように、各クラスに募集要綱を伝えておいてくれたまえ」
「どうやってですか!?」
「それを考えるのも訓練の一つさ。それでは、アディオス!」
右手をシュバッと挙げて、部長は風のように去って行った。呆然と立ち尽くす僕の肩を、鳴瀬先輩がポンと叩く。
「まあ、慣れない内は色々大変だろうが、ここは一つマッキーに付き合ってあげてくれないか。なにか困ったことがあれば、僕もできる限り協力するからさ。お互い助け合って、この逆境を乗り越えようぜ」
「あ、はい!」
先輩は親指をぐっと突き出すと、部長が開け放ったままだったドアを丁寧に閉めて、部室を出て行った。
「…………」
さて、こうして固まっていても何も始まらない。それに、なんだかワクワクした気分がちょっぴり混じっているのも事実だ。とりあえずは、様子見といきますか。
僕は荷物をバッグにしまうと、部屋の電気を消して部室を後にした。