弐。 入学式って恋が芽生えるイベントだよね。わっ、きゃっ。みたいな突発的イベントが……って、ここは男子校。
入学式はつつがなく行われて、終盤に差し掛かっていた。会場は体育館などでなくて、講堂と呼ばれる施設で行われている。
言われるままにステージ前の区画に座ってるんだけど……二階席にあたる場所から先輩たちが見てる気がする。もちろん俺じゃなくて、カナタをだと思うが。
「やっぱりボクがついてきて正解だったかもね」
不機嫌を隠そうともしないカナタに不安を覚えつつも、俺と同じ制服を隙無く着込んだカナタにため息をつく。どうして同じ服を着てるのにこうも違うんだろうな。遺伝子も元は同じはずなのに。
グレーのズボンはカナタの長い脚をより際立たせ、紺のジャケットはより品良く見せる。俺たちの学年の色であるエンジ色のネクタイはそれらをより引き立てる。馬子にも衣装な俺とは大違いだ。
「大丈夫だよ、ハルカ。ボクが守ってあげるからね」
何から俺を守るんだよ?
思わず問い返したくなった俺の耳に、笑いをこらえるような、そんな音が聞こえた。
「悪ぃ悪ぃ、随分仲がええもんで、つい」
俺らの前に座っていたヤツが周りの視線を気にするでもなく、堂々と振り返ってウインクした。
男が男にウインクして、気持ち悪いと思うのは俺だけか?
「そっちのニイさんを大切にしとるみたいやな。どことなく似とるみたいやけど、親戚か何かなんか?」
「双子だよ。そっちこそ、変なイントネーションだけど関西から?」
二人の間に火花が散ったことに俺は気付かなかったと自分に言い聞かせ、喧嘩を売る気満々のカナタの腕を引っ張る。
「喧嘩は駄目。自分から問題を起こすようなら、本当に家に送り返すからな」
寝て起きて、朝も早くからカナタと話し合った結果がこれだ。
俺が帰れと言ったところで、父さん母さんからも許しをもらってるカナタが素直に帰るわけもない。だから妥協点を探りあったわけだ。
「……わかってるよ。ちょっと牽制しただけじゃないか」
カナタは頬を膨らませ、俺の手を振りほどくと腕を組んだ。ついでに足も。
「ゴメンな、ちょっと気が立ってるみたいで。これはカナタ、それから俺は兄のハルカ。よろしく」
声のトーンを落とし、前の席の彼に言う。
「ワシはクリスや。よろしゅう頼むで」
俺に合わせたのか、声のトーンを落として彼も挨拶する。
入学式が終わったあと、生活指導の先生に呼び出されなきゃいいけど。照明が落とされててわかり難いから見逃してもらえるといいんだけどな。そんな考えは彼の名前を聞いた瞬間、吹っ飛んだ。
「クリスぅ?」
一応気をつかったのか、声のトーンだけは落としたカナタの声が聞こえた。
「これでもワシはクォーターなんや。母方のじーさんがイギリス人でな、よぉ見てもらうと分かるんやけど、目も緑がかってるんやで。髪の色の薄いのも地毛やし。
ついこの間までイギリスで暮らしとったしな」
薄暗い証明の中、まじまじと見つめると、確かに目の色は黒じゃなくて深い緑色。髪の色も確かに濃い茶色だ。髪の色はいくらでも変えられるから気にもしなかったけど。
「ならなんでそんな変な日本語なんだ?」
「返す言葉がないんは悲しいなぁ。
日本語を習った近所のおっちゃんがこいういう喋り方だったんや。そのおっちゃんも正しい大阪弁を話しとったわけじゃないらしゅうてな、これも正しい大阪弁じゃないらしい」
クリスはそう言って手を肩の高さまで上げ、肩を竦めた。
いかにも欧米人らしい仕草だけど、ほとんと日本人の顔立ちの彼がしてもあまり似合わないかも。そんなことを思いながら小さく笑う。
入学早々、いい友達になれそうな人と知り合ったかも知れない。
「そこの君たち」
そんな声と共に、カナタとクリスにスポットライトが当たる。
慌ててステージを向くと、そこにはもう、豪そうなおじさんはおらず、濃紺のネクタイを締めた生徒が何人かいた。今の声が誰のものだかさっぱりわからず助けを求めるようにカナタを見ると、さっき以上に不機嫌なカナタがいた。
「誰?」
「生徒会長、二年」
恐る恐るたずねると、簡潔すぎる返事がカナタから返ってきた。もしかしなくても、ご機嫌斜めなのか?
「何をしている、早くステージに上がって来たまえ」
こんな喋り方をする人物がいるんだな。なんて感慨に浸ってると、カナタが俺の腕を引っ張った。
「行くよ」
「……なんで俺も? 呼ばれたのはカナタだけじゃないのか?」
「ハルカはボクひとりをあの変態のところに行かせる気?」
へんた……。
サラッと酷いこと言ったな、カナタよ。
「ボクはハルカが一緒でないなら行く気はないよ。そうなると、ボクじゃなくてハルカが問題を起こすってことになるね。
二人で仲良く家に戻れるよね?」
「わかったよ、行けばいいんだろ」
ここで俺が立ち上がらなきゃ、絶対にこいつは俺を連れ戻す気だろう。
元々好き嫌いの激しいヤツだったけど……ここまで嫌う変態ってどういうヤツなんだろうな。ため息をついて、大人しくカナタに従う。
前を失礼する人たちの視線が痛い気がするのは、カナタにしっかり掴まれた手が原因だろう。
通路に出たところでクリスと合流し、ステージに上がる。
「執行部の役員として、学校のために頑張ってくれたまえ」
会長らしい人物は大きく手を広げて俺たちを迎えると、順番にハグをし――、
「ボクとハルカに触れるな」
ようとして、カナタに一蹴された。文字通り、ひと蹴りをお見舞いされて。
「ちょっ、カナタっ!?」
いま鏡を見たなら、俺の顔は真っ青になってることだろう。
というか、何をしてくれるっ!
「すっ、すみませんっ!」
慌てて駆け寄ろうとするけど、俺はカナタに腕を掴まれてて身動きがとれない。講堂を埋め尽くすざわめきがもの凄いことをしてくれたんだってことを、証明してる。
「…………イイ」
は?
「素晴らしい蹴りだ、もっと蹴ってくれたまえぇぇぇぇぇっ!」
ええっと、これはいわゆるMな人ってことなのか?
「副会長、鞭はこちらに。さあさあさあ」
床に伏っ潰れたまま恍惚の表情を浮かべてにじり寄って来ようとするその人を、濃紺のネクタイをした人が鞭の音をさせながら呼ぶ。
なんだろう、この無駄にシュールな光景。
ざわめきに混じって聞こえるのが、呆れた調子のものに聞こえるのは気のせいじゃないはず。ってことは、この光景は結構日常茶飯事なのか?
ってか、副会長って呼ばれなかったか?
「済まないね、彼はあの性癖さえなければ素晴らしい人物なんだ」
会話の最中に聞いたのと同じ声。その声のした方を向くと、美形がいた。
それも俺の少ない語彙じゃうまく説明できそうもない、超絶美形だ。
「藤堂カナタくん、藤堂ハルカくん、韮沢クリスくん、間宮キョウヘイくん。よろしく頼むよ」
その超絶美形はカナタと俺の名前を呼び、それからクリスともう一人の名前を呼んだ。
どうやら超絶美形は容姿だけでなく声も素晴らしいらしい。俺がそんなことを考えていると、問答無用で手が引っ張られた。
「残念だけど、ボクたちは断るためにここに来ただけです。
人間を容姿でしか判断しないような人の側にいる気はないので。行くよ、ハルカ」
「え? ちょ、ちょっと、カナタっ!?」
どうも以前からの知り合いっぽい言い方でカナタは言い捨てると、さっさと歩き出す。
俺が心配だとか言っときながら、やっぱり我慢できずに問題を起こすんじゃないか!
カナタに文句を言うのは後でも出来る。ここはとりあえず謝っとくべきだろう。決意を決めた俺が超絶美形に視線を向けると、口元に手を当てた超絶美形は――笑った。くつりとか、にやりとか、とにかくこいつ腹黒いだろって思わせるような笑みで。
……もしかして、カナタが言ってた変態って、さっきのMな副会長じゃなくてこの超絶美形な会長かっ!? いや、アレもじゅうぶん変態だったんだけど。
困惑したような視線を向けるクリスに片手で謝って、俺は素直にカナタに引きずられることにした。