壱。 平凡という字を辞書でひいてみた。そこになぜか自分の名前が書かれていて見事凹んだ俺、万歳。
俺を説明するのに「平凡」以上に適した言葉はないと俺は思う。
背は高くもなく低くもなく、顔も良くもなく悪くもなく、成績はまぁ……おいておくとして、とにかく、どこにでもいる平凡な男子である。
そんな俺に唯一平凡でないものがあるとしたら妹だけ。
最近じゃ妹というだけで萌えの対象らしいが、本当の妹なんてそう嬉しいものじゃない。あいつに「お兄ちゃん」なんて呼ばれた日には、絶対何かあると思った方がいいってくらいに。
俺の妹というのは、俺と本当に血がつながってるのかと疑いたくなるほど「非凡」という言葉がしっくりくる存在だったりする。女性誌のモデルみたいにスラリとした身体に、小さい顔に綺麗にならんだ綺麗なパーツ、癖のない真っ直ぐな髪。成績も運動神経ももちろん良い。そんな天は二物も三物も与える――といった見本みたいなやつ。それが妹。
が、一応は兄である俺から言わせてもらえるなら、そのすべてを台無しに出来るくらい性格は最悪なんだ。
口を開けばお前はおっさんかと言いたくなるような下ネタが飛び出し、家にいるときは中学の芋ジャージ。テレビを見ながらぼりぼりとケツをかいている姿を見た時には、この妹に幻想を抱いてる同級生たちにごめんなさいと土下座して謝りたくもなった。
だがしかしっ、そんな妹ともついにおさらば出来るのだ。明日から俺も高校生。選んだ学校はかなり離れたところにある全寮制の男子校。
そう、男子校だ。それも父さんが卒業した由緒正しい進学校。
あいつはさんざん意味不明な事を言って反対してたが、父さんと母さんの後押しと猛勉強した甲斐もあって何とかここに決まった。
出かけていたためにあいつと挨拶をすることはなかったが、今日から平穏な生活が俺を待っている。妹のいない平和な日々。ああ、とても素晴らしい響きだ。
寮の入口で部屋を聞き、軽い足取りで階段を上る。俺の部屋はA棟三階の一番奥。二人部屋だそうで、同室のヤツは既に着いているらしい。
どんなヤツだろうな。仲良くできるといいな。わくわくしながらドアを叩いて、返事を待つ。
「どうぞ」
声変わり前の高い声が、なぜだか聞き覚えのある嫌な声に聞こえた。
いやいや、ココは男子校。あいつがいるわけがないんだ。
深呼吸をすーはーすーはーと繰り返して、ドアノブに手をかける。
「遅かったね」
部屋の中央のソファーにかけ、俺の同室らしい人物は優雅にカップを傾けていた。
ばたん。
思わず閉めていたドアの音だけが聞こえた。というか、それしか俺には聞こえなかった。
これは夢か? 夢なのかっ!?
頭が考えることを放棄したんじゃないかってくらい、現状が理解出来ない。というか、この状態を夢オチ以外の何かと理解しろというのがそもそもの間違いなんだ。ああ、そうだ、そうに違いない。
きっとこれは電車の中でうたた寝した俺が見ている、こうなったら嫌だという最悪の状況を夢見ているんだ。
「どうしてドアを閉めたりするんだい、ハルカ?」
だけどそんな俺を嘲笑うかのように開いたドアの向こうにいた人物は、俺の頬を引っ張りながら言ってくれた。
痛い。
ということは……これは現実なのか? どうか俺の顔が引きつっていませんように。
「本当にカナタなのか?」
恐る恐る俺が口に出して問うと、見惚れてしまうような笑顔を浮べ――、
「それ以外の誰に見えるというんだい?」
悪魔のように囁いた。
正直に言おう、それからのことは記憶にない。確か新入生の歓迎セレモニーが食堂で開かれたはずなんだが、気が付けば既に日付が変わろうとしていた。
無事に終わったのか心配だが、それ以前に知りたいことがある。
「なんでお前がここにいるんだよ?」
シャワーを浴びたのか、濡れた髪をタオルで拭いていた同室人に問う。記憶の中じゃ背中まであるようなロングヘアだったはずの――今現在は俺と同じ、男としてはちょっと長めの髪を揺らしてそいつは首をかしげた。
「見てわからない?
ボクもこの学校に入学したんだよ、だからハルカの同室」
「答えになってない。ここは男子校で、お前は女だ。違うか、カナタ?」
俺の言葉にカナタはタオルを首にかけ、ソファーの隣に座る。
せっけんのいい匂いがしたが、コレを知ってる俺としてはドキリともならない。というか、なったら困る。
「違わないね、ハルカのことが心配で仕方なかったら、父さんと母さんに頼み込んで入学させてもらったんだ。
ボクの知らないところで、ハルカのケツが掘られちゃったりしたら……ボク、その相手を殺しちゃいだもの」
くつくつと笑うカナタに俺はため息をつく。
こいつが過激なのはこのさい忘れておくことにしたって、俺のケツがどうなるってんだよ。俺がこの学校に進むって話した時から、こいつは訳の分からないことばかり言う。
「だから俺にも理解出来る言葉で言えって」
「無理。ハルカにも理解出来る言葉で言ったら、ハルカまた意識飛ばしちゃうもん」
肩を竦め、カナタはその無駄に整った顔を俺に近づける。長い睫毛と、吸い込まれそうな瞳――と知り合いが称した目が目の前に来る。
「ハルカを心配して来たんだってことだけ、理解してくれればいいよ。ボクのことは心配しなくていいから」
「馬鹿なこと言うな」
まったく、冗談じゃない。心配するななんて無理に決まってるだろう。
歩く天災と俺が勝手に呼ぶこいつは、なぜか騒ぎを呼び寄せる。そしてその被害にあうのは、もっぱら一番近しい俺なのだ。
まあ、俺が自ら責任を感じて収拾役を買って出てるという説もあるんだが。
「一応は妹なんだ、お前がこんな場所に居れば心配しないわけにはいかないだろ」
「だからボクはハルカが心配なんだよ。なんだかんだ言っても、お兄ちゃんなんだもん」
「確かに俺はお前の戸籍上の兄だが……」
こういう言い方をするとややこしい関係にも聞こえるが、ただ単に俺とカナタが双子だというだけの話だ。両親の気分次第で、それこそ俺が弟になっていたかも知れない関係。
「気質の話だよ。
明日も早いからね、ボクはもう寝るよ」
カナタは俺から離れ、欠伸をして立ち上がる。ベッドと机、それから収納が一体になった家具に近付くと、梯子に手をかけた。
「ああ、そうだ。ハルカは覚えてないと思うから一応言っておくけど、夜中の十二時から朝の五時までの間はお湯が止まるから。シャワーは使えるけど水だよ。もちろん、共有のお風呂も既に閉まってるから、明日入ることにして寝なよ」
思い出したように言って、それからお休みと言ってベッドに潜り込んでカーテンを閉めた。
三秒で寝れる特技を持つカナタに声をかけても無駄なことを知ってる俺は、ため息をひとつついて反対側のベッドによじ登る。
俺の平和な日々はどこに消えたんだろうか? っていうか、父さんも母さんもどうしてこいつが男子校、しかも全寮制に入ることを許可したんだろ?
「まさか俺が心配だったって理由じゃないよな?」
あっはっは。
小さく笑って……あり得ない話じゃないと思えて、もうひとつため息をついて寝ることに決めた。