第9話
ダンスは焦っていた。
魔術院に忍び込む、と言い出してから3日。慎重に下見を繰り返したパイパーの助言に従い、裏手にある通用口から魔術院への潜入を果たしていた。
魔術院では、魔術師だろうとそうでなかろうとゆったりとしたローブを身につけ、石造りの廊下を左側通行で静かに歩く。ローブに金糸や銀糸で刺繍を施した魔術師に出会うと、道を譲って深々と一礼する。これは、パイパーによる事前偵察の結果、学んだ振る舞いだ。2人は古着屋で仕入れたローブに身を包み、魔術院の職員に変装している。
――この、「静かに歩く」というのが落ち着かん。
任務の最中、静かに敵に忍び寄るのはダンスの得意技だが、それは身を隠しながらというのが大前提。いくら変装しているとはいえ、堂々、かつゆっくり歩くというのはどうにも慣れない。ダンスはローブの内側で、手のひらがじっとりと汗で濡れているのを感じていた。
そこを行くと、パイパーは見事なものだ。まるで普段から着ているかのようにローブの着こなしをバッチリ決め、すれ違う魔術師や魔術院職員との会釈も堂に入っている。
と感心した途端に、パイパーはドアを開けようと立ち止まった魔術院職員とぶつかりそうになる。ダンスがすかさず強く袖を引いたので、なんとか事なきを得た。
もし潜入が発覚したら、魔術院と冒険者ギルドとのもめ事になるのは避けられない。そうなれば冒険者の身分を失うか、腕を切り落としての追放刑まであり得る。魔術院ともめるというのはそういうことだが、パイパーがそれをちゃんと覚えているか、心配でならない。
だが現在のところ、最大の心配ごとは契約書がどこにあるのかわからないことだ。人影が目に入るたびに、ダンスの身体は竦む。
「ドゥパルドという、落ち着きのない小男の話はしたな。契約書があるなら、そいつが持ってる台帳が一番怪しい」
魔術院潜入の直前、最後の打ち合わせでそう語るダンスに、パイパーは尋ね返した。
「で、そのチビのドゥパルドがどの部屋にいるか知ってるの? 魔術院って、外から見ただけでも冒険者ギルドよりよっぽど広い建物なんだぜ」
そこは何とか探すしかないだろう、と渋るパイパーをなだめたダンスだが、実際に立ち入ってみると魔術院の中はどこもかしこも同じ廊下、同じドアばかりだ。キティアラと同行した際に通された部屋を思い出そうと必死になるが、手がかりになるものも何も見当たらない。ダンスの唇はだんだん乾いていく。
◆◆◆◆◆
ドゥパルドは焦っていた。
キティアラから受け取った75ドゥカットの金貨袋が、ドゥパルドのローブにずっしりとした重みを加えていた。誰かに見られたらまずい、魔術師としての身分を剥奪される。魔術院から追放されるかもしれない。ドゥパルドはあごの下と脇の下が汗でぬるぬるするのを感じた。
だが、とドゥパルドは乾いた唇を舐めた。この金があれば、「マダム・スンの館」に溜まったツケを払える。ツケさえ払ってしまえば、また……。終業の鐘が鳴るまであと10分はあるが、ドゥパルドは香水の匂いを思い出しながら乱暴に台帳を閉じ、今日の仕事を終わりにすることにした。裏口から抜け出して下町に行き、「マダム・スンの館」で支払いを済ませるのだ。そうだ、この時間なら店も混んでいないはず。今だ、今すぐ行こう。
ドゥパルドは跳ね上がるように席を立ち、小走りで個室のドアを開けた。
◆◆◆◆◆
ドン、と人間同士がぶつかる音が響き、ローブ姿の長身と短躯がもつれ合って石造りの廊下に倒れる。ダンスは一瞬目の前が真っ暗になったが、ここはとにかく穏当に済まそうと倒れた小男を助け起こした。
「いや、すまない」と小男は下を向いたまま礼を言うが、その懐からずっしりと中身の詰まった革袋が転げ落ち、重い金属音が響く。拾い上げたダンスの手から金貨袋をかっさらうと、小男はもがくような足取りで通用口へと向かっていった。
顔こそほとんど見えなかったが、あの体格にあの袋。ダンスは、小男がドゥパルドだと確信した。そして、まだ床の上にひっくり返っているパイパーを引きずり起こすと、彼が出てきた扉に手をかけた。
扉には鍵がかかっておらず、ダンスが軽く力を籠めるとゆっくりと内側に向けて開いた。




